5.身づくろい
「クリス、そこにいるんだろ? 枷を解いてくれよ」
ジャスティナ卿が馬車を出て行ってから、俺は声をかけた。結局会談中、枷は付けたままだったんだ。
枷に絡んでいた魔力がシュンと消えて、あっけなく枷が外れて落ちる。
同時にごそごそと荷物の山が動き出し、その隙間から細っこい身体が姿を現した。
「まさかこんな近くに隠れてるとは思わなかったよ」
枷で拘束してたのはクリスだが、身動きが取れない俺が万一にも害されないよう、隠れて見張ってたんだろう。まったく判りにくい奴だ。
「東の森のこと、知ってたのか?」
リオの企みに乗った以上、その理由について聞いてたはずだ。こいつがそっちに縁があるなら尚更……。
「良くない徴があるのは判ってた。あっちへ戻った方がいいとは思った。だが、兄上殿のことは知らなかった」
兄上が亡くなったことを知ってたなら、それを告げれば済んだことだ。俺はすぐにアルティボルトへ帰る決断をした筈だ。クリスにも具体的な報せは届いてなかったってことか。
「クリス、一緒に戻ってくれるか?」
「もちろん」
逡巡のかけらもない返事。昔からこいつはこの通りだよな。長年の相棒だけどさ。
故郷を出る相談をしたときだって、この通りだった……。
「じゃ、帰る支度をしないとな」
馬車が停まっていたのは、驚いたことに辺境伯王都邸の前庭だった。
俺はこの後申請書類にサイン。そして伸び過ぎてた髪の毛をちょん切られ、風呂にぶち込まれた。まあそれは仕方ない。ただ、髪を短くさせられるのは断固として拒否した。
問題は着るものだった。
「ハルジ殿が礼服を準備しておられましたが、まったく大きさが合いませんなあ……」
呆れたようなジャスティナ卿の声。
背の高さはぴったりだったが、上腕と腿の部分がきつくてどうにも入らないのだ。
兄上とはこの10年間で3回顔を合わせただけだった。王都にいらしたときに、こちらから会いに行ったんだ。
そして約束通り手紙を送ってはいたけれど、俺が手紙を兄上から受け取れる機会は少なかった。冒険者生活であちこち移動していたから、受け取りにくかったんだ。
それなのに、兄上は王宮伺候用の俺の服を用意して下さっていたのか。もっとお会いしたかった――。
「グリン殿は着やせする性質なのですな。残念ですが、着られぬものは仕方がない。おい、先先代辺境伯の衣装はどうだ? 引退されてから作った物は、肥えられたので大きめに作ってあったはずだ。あの方は大柄だったしな」
は、と下がっていった担当者は、大分経ってから衣装箱を手に申し訳なさそうに戻ってきた。その間に、俺は王宮での礼儀について叩きこまれていたんだが。
「申し訳ございません。ちゃんと保管してあったのですが、何分古いもので虫食い穴があるのです」
広げられた古めかしい服は、上質な物ではあるが胸の辺りに目立つ虫食い穴があった。
「よりによって胸か……。隠すことができんな」
顔をしかめるジャスティナ卿。
同席していたクリスが、口を挟んだ。
「着てごらんよ。これぐらいの虫食い穴なら、私がなんとかできる」
クリスがそう言うならできるんだろう。俺はとりあえずその服を着てみた。
生地が重くて古めかしくはあるが、何とか着られる。ズボンの裾が短い上、ウエストがぶかぶかでずり落ちそうだが、ベルトを絞めれば何とかなる。
「身体に合ってはおらぬが、格式には合っている。穴さえ何とかできれば、これでいこう。しかしグリン殿。早急に礼装をあつらえた方がよろしい。遅くとも一年後には」
この服が俺に似合ってないのはわかる。だからそれはもっともなんだが、領地にそれができる金があるかどうかは不明だ。
「ここのポケットって必要? ここの生地を使って穴をふさぐ。細い針を貸してほしい」
ポケットは飾りで物を入れないから切っていい、と許可を得て、クリスはポケットの裏の布を切り取った。それを裏から穴の部分に当てて何やら向きを合わせ、重ねて布を小刀で虫食いよりも大きくなるように切っていく。
穴の部分の生地に、何かの薬を水で溶いたものを手際よく塗り、それを乾燥させている。
その間にサスペンダーが取り寄せられ、裾が見苦しくないように調節するため、俺は立ったままいじくりまわされていた。もうこれだけでうんざりするんだが……。
クリスは届いた針を使って、穴の部分に何やら細工をしていた。
「できたよ」
ぱっと見には、そこに穴があったようには全く見えなかった。近くでよくよく見れば、そこだけ毛羽だって艶がないので、ちょっと変かな、と思うくらい。
ジャスティナ卿はもう、しかめ面をしていなかった。
「クリス殿はこのような手仕事にも堪能だったか。実に幸いであった!」
すぐさま連れて行かれた王宮では、簡易に俺の襲爵が承認された。俺の付け焼刃の礼儀作法では公式の謁見が難しいのと、何より今後のため時間短縮が必要だからだ。辺境伯から話が通っていて幸いだった。
王宮はキラキラしくて居心地が悪かった。一度だけ顔を上げるよう言われただけで、ずっと頭の下げっぱなしだったから特別感慨はない。あえて言うなら「面倒な場所」って認識くらいか。
ハア。今後はこんな面倒がしょっちゅうあるんだな……。