公爵令嬢のプライドと友情
フランチェスカは、自分が平凡地味顔であることを比較的幼い頃に自覚した。
キラキラ度が圧倒的に足りていないのだ。
それはもう、四大公爵家筆頭クロフォード公爵家の長女と生まれ、物心ついたときから栄耀栄華を極めた王侯貴族に囲まれて育っていれば、多少鈍くてもわかろうというもの。
六歳上の兄も、五歳下の妹も、まばゆいばかりの麗々しい容姿。金色の髪に緑翠の瞳で傾国の美女とうたわれた母によく似ている。
一方のフランチェスカといえば、栗色の髪に水色の瞳で、これといって大きな欠点は無いが派手さもない平凡な外見をしていた。
ひとつ、大変良かった点を挙げるなら、両親のうち父親側によく似ていた。このことによって、兄妹とは似ても似つかなくても、公爵夫人の不倫疑惑は回避できた。
なお、貴族男性にしては珍しいほどの愛妻家で真面目一徹の公爵は、自分に似ていようがいまいが、子どもたちを分け隔てなく愛していた。
無用な甘やかしこそしなかったが、フランチェスカが兄妹と比べられ、惨めな思いをすることなどないよう、大変気を配っていた。
そうであるからこそ、フランチェスカが十五歳を迎えたときに、祝福と称して屋敷を訪れた王家の使者から受けた不快極まりない申し出も、「御冗談を」と一切取り合わずに切り捨てた。
それは――他の公爵家に近い年代の女子が生まれなかったことから、ごく幼い頃に大人の都合で取り決められた王太子とフランチェスカとの婚約の内容変更について。
後日改めて、公爵は王宮に呼び出され、国王から打診を受ける。
「あまりにも華やかさに欠ける王妃というのは、国民にとっても、外交の意味でも、あまり面白みがない。長子のローレンスが母親の形質をよく受け継ぎ子どもながらに麗しかったので、フランチェスカが生まれたときにも特に心配もせずに婚約を結んでしまったわけだが。こうも地味とあっては……せめて妹のマリアベルの方が王妃にふさわしいのではないかと」
迂遠なのか直接的なのかよくわからない言い草で「つまり、婚約をスライドしてみない?」と言われた公爵は、無表情で冷ややかに言い放ったという。
「おい、ふざけるな」
* * *
フランチェスカと王太子が正式に婚約したのは、王太子五歳、フランチェスカ三歳のとき。いちおう儀式の傍らで会食が開かれて顔を合わせたらしいが、その後十二年も会う機会がなかったこともあり、フランチェスカの記憶にその面影はまったく残っていないという。
十五歳を迎えるまで、いわゆる社交界デビューはお預けで、夜会など大人の催しに招かれることはなかったにせよ、立場上フランチェスカは国内外の王侯貴族と顔を合わせる機会は何度もあった。しかし、王太子そのひととの遭遇は綺麗に回避され続けてきた。
王宮側の言い分によれば「王太子カールは初陣このかた、魔物討伐で出払っていて、あまり王宮にいない。戦力として申し分ないので行かせている」とのことであるが、王太子をそこまでの危険にさらすかは、甚だ疑問の面もある。
この件について、フランチェスカは親交をあたためている「親友」男爵令嬢ララに、それ自体はさほど問題ではないと思う、と自身の見解を述べた。
「ただでさえ、強気美人設定でも幼馴染は負けヒロイン確定なのよ。それが、わたくしときたらこの印象の薄い容姿。子どもの頃から顔見知りでなあなあの関係にしておくと、気心も知れているし、よもや恋愛に過剰な期待もないだろうと相手に勝手に決めつけられ、不貞をはじめとした遊びを黙認させられる未来しか見えないわ。カール殿下のひととなりはわからないけれど。会ったことないんですもの」
王都にある公爵邸の温室にて。
ふむふむと頷きながら耳を傾けていたララは「わかる気がします」と控えめに同意を示した。
フランチェスカは、濃厚なガナッシュショコラをひとつ上品な指使いでつまみあげて口に放り込んでから、さらに勢い込んで続けた。
「地味だと、どうしてもそういう先入観をもたれがちなのよね。どうせ男の言いなり、飽きられるのも早い、と。それで何か言い返せば『ヒロイン気取りか?』みたいな目で見られる。かといって、宝石やドレスで派手さを演出すると失笑よ、失笑。どちらに転んでもやりづらいわ」
「公爵令嬢かつ未来の王太子妃とあれば、どうしても注目の的だから、そうなるんでしょうか」
「ところがところが、注目しようにも埋没しがちなこの容姿。周りのがっかり具合はよくわかってるわ。『あ~、なんか、普通』みたいなの」
「私は、フランチェスカのそういう親しみやすいひととなりはとても素晴らしいと思います。わからないひとには、言わせておけばいいんですよ」
「ありがとう。わたくしも、ララのその言うことは言う性格が大好きよ」
そこまで言い合って、二人ともお茶でのどを潤す。
壁の大部分がガラス張りで、数々の観葉植物が置かれ、薔薇の咲き乱れる温室内の景色をうっとりと見つめてから、ララは小さく呟いた。
「それにしても、殿下とお会いできない件は気になりますね。たしか十五歳のお誕生日にもお見えにならなかったんですよね」
「来たのは王宮からの使者よ。婚約者をマリアベルにしたい、って」
にこ、とフランチェスカは頬に力を込めて微笑む。
(いけない。迂闊なことを言ってしまった)
ララは背中を冷や汗が流れるのを感じつつ、「会いに行ければいいんですけどね~!!」とことさら明るく言ってみた。
すん、と鼻を鳴らしてフランチェスカは一口サイズのフィナンシエを食べると「そうね……」と思案げに呟く。
「わたくし、周りが気をもむほど自分の容姿に興味関心がないの。それはたしかに、マリアベルと並ぶと『似ているけど、残念』なんて言われるけれど、余計なお世話。それでお母様もマリアベルもちょっと気まずい空気になるのがいたたまれないだけよ。たしかに、世間の『ご令嬢方』に関しては、不満もわかるの。『あれで王太子妃なら、自分だって』と考えてしまうのじゃないかしら。譲れるものなら譲ってあげても一向に構わないのだけど、こればかりは。顔で、選ばれたわけじゃないので」
「だけどマリアベル嬢に話がいきかけたってことは、顔で選び直そうとはしていますよね、王家」
フランチェスカから鋭い視線を投げかけられ、ララは自分の口を両手で覆った。しかしフランチェスカは特に咎めること無く、続けた。
「だから貴族のご令嬢方がざわつくのよ。どうかしていると思うわ。姉と妹、同じ公爵家だし婚約者交換しても良いかも、だなんて。いったい誰の発案だったのかしら。まさかの王太子?」
「だったらどうするんですか?」
「控えめに言って、ゆるさないわ。そんな些末なことで国を揺るがしてどうするつもりかしら」
フランチェスカは、ぱらりと扇を開いて自分を軽く仰ぐ仕草をする。
ララは、静かにカップのお茶を飲んだ。
王太子妃が誰であるかは「些末」なのかどうか少しばかり悩んだが、それを口にすることはなかった。
そもそも、フランチェスカは高位貴族の中でも未来の王太子妃であり、ほとんど頂点に位置しているはずなのに、鷹揚で細かいことを気にしないところがある。
そうでなければ、男爵などといった下級貴族の令嬢と分け隔てなく付き合ったりはしないだろう。
それでいて、父親譲りの一本筋の通った性格ゆえに、頑固な面も持ち合わせている。
今現在本人が気にしているのは「自分が軽んじられたこと」ではなく、「王太子が軽々しい振る舞いをすること」らしい。本人がそう言うのなら、そうなのであろう、とララは結論づけた。
「どうにかして真相を確認できたらいいですね。今はカール殿下とまったくお会いできていない状況なので、ここで何を言っても憶測だけです。できればご本人様の意向を確認できたら良いかなと。まだ結婚まで間がありますので、いまのうちに」
「婚約破棄するなら、早い方がいいってこと?」
「そこまでは申し上げておりませんが」
物騒な単語が出てきたことに縮こまりながら、ララはひきつった笑みを浮かべた。フランチェスカは自分が言ったことなど気にした様子もなく明後日の方を見てぶつぶつと呟く。
「そうねえ……。幸いにしてわたくし、婚約者殿に顔を知られているわけではないみたいだし、素知らぬふりをしてお側に上がってみるのもいいかもしれないわ」
「お側にって。まさか、身分を明らかにしないまま近づいて誘惑するんですか。どうなんでしょう、それは浮気に入るんでしょうかね」
「あら、わたくし自分の地味さと女としての魅力についてはよくわかってるわ。誘惑だなんてそんな身の程知らずなこと、するもんですか」
「そうですよね。びっくりしました」
自分でけしかけてはみたものの、何を言い出すのかと焦ってしまったララは、返事をしてから(いまの相槌はかなり失礼ではなかっただろか)と振り返りかけたが、そんな暇はなかった。
「潜入捜査よ。地味なら地味でやりようがあるの。王太子付きの侍女の一人として、身辺を調べにいってくるわ」
意気揚々と、フランチェスカが何かとんでもないことを言い出した。
「え? フランチェスカ自らがですか?」
「身分を偽って誘惑するより、よほど現実的よ」
「それで侍女をするんですか? 働くんですか、王宮で」
公爵令嬢が? と疑問符いっぱいに聞き返したララに対し、フランチェスカは何をいまさら、とばかりにいたずらっぽく微笑んで言った。
「もちろん。わたくしこう見えて、結構仕事ができるわよ。どこにいてもたびたび侍女と間違われてきたけど、いちいち注意するのも面倒になってしまって『はーい、かしこまりました』って御婦人方のお世話をしてきたこと、一度や二度じゃないの」
「一度や二度じゃないって。どこで何をなさっているんですか」
「しかもね、聞いて。地味であるというのは、なぜか『真面目だけが取り柄』とセットにされやすくて、『陰日向無く働くひたむきな努力家』であることを期待されるものだから。つい、その期待にこたえるべく真面目に働いて、仕事覚えちゃった。わたくし、旅行に出ても自分のことは自分でできると思うわ」
「正体を知った皆さん、生きた心地しなかったでしょうね」
最小限の相槌にとどめたララに対し、フランチェスカは微笑んだまま言った。
「ほとんどバレたことないから大丈夫よ。まず、誰も気づかないまま終わったわ。わたくしの侍女スキルはそのたびに磨かれてきたから、信用して」
* * *
この国の王侯貴族はたいてい強弱はあれど魔力を持っていて、うまくコントロールできる者の中には魔法を使える者もいる。
ララの生家である男爵家は、父の代における魔物討伐の武勲によって男爵に取り立ておられており、血統として魔力を持っているわけではない。
一方、フランチェスカは筆頭公爵家だけあり、魔力の失われつつあるこの時代の人間にしてはきちんとした魔力を保持し、かつ魔法を使うことができる。
公爵邸でのお茶会から数日後。
手はずは整えたと馬車で迎えにきたフランチェスカに誘われ、ララは一緒に王宮へと向かった。
「あなた本当に、侍女として雇用されると思っていたの? 潜入捜査といっても、王宮に協力者は確保してあるから心配しないで。ただ、念の為わたくしは髪の色と目の色を変えているの。印象違うでしょ?」
楽しげにそう言ってきたフランチェスカは、魔法で黒髪黒瞳の姿になっていた。
普段とは違うその顔に、ララは感心して見とれてしまった。
(地味、平凡とは言うけれど。それは「公爵令嬢にしては」というだけであって……)
編み込んだ髪をピンで留め、装飾性の無い紺色のワンピースに着替え、白のエプロンをつけた姿は、清楚で働き者の有能侍女といった雰囲気を醸し出していた。
一方で、ララは着るものでいささか苦労することになった。腰は細いが胸が大きい。用意してもらった制服がなかなか合わない。これまで何かといえば「成り上がり女の、下品な胸」と令嬢たちには蔑まれ、男性からの視線を感じることも多かった胸がまたしてもここで邪魔を。
(容姿なんか、自分のせいじゃないのに)
恥じるようなことでもないのに、ずっと居心地の悪い思いをしてきた。普段は意識していなかったが、こういうときは少し堪える。
王宮に着いてから、ララに合う制服を探してもらう間、おとなしく待っていたフランチェスカは溜息まじりに呟いた。
「普段は気にしないようにしているけれど、わたくし顔だけではなく体つきも地味よね。いま流行りの恋愛小説では、たいてい王子は男爵令嬢と身分違いの恋をし、婚約者を捨てるのよ。もし殿下があなたを見初めたら、わたくし応援するわ。なかなか見る目があると感心しちゃうかも」
「何を言っているんですか? 私は自分がそんな恋愛に向いていると思ったことなどありません。婚約者どころか恋人もいませんし、その気配も全然ないですよ。フランチェスカが結婚した後はどうしましょう。せめて王太子妃となったフランチェスカの元に侍女としてついていけたらと思うんですけど。この制服、似合いますか?」
ララは明るく言うと、どうにか着れた制服姿でくるりとまわってみせる。フランチェスカも笑って「とても良いわ」と言ってから、自分も立ち上がって同じようにくるりとまわってみせた。
「殿下があなたを見初めたら、侍女になるのはわたくしね」
「本当に何を言っているんですか? どうしてそんなに急に弱気になっているんですか!!」
驚いて聞き返すと、「気にしないで」とフランチェスカは薄く笑った。
協力者は宰相をつとめているフランチェスカの父の部下で、宰相補佐のリノスという男性。「王太子の日頃の生活を見たい」というフランチェスカの要望に沿って、兵士の訓練場へと二人を案内してくれた。
* * *
王太子カールは、輝くようなプラチナブロンドで空を切り、汗をほとばしらせながら兵士たちと組稽古の真っ最中であった。
「初陣は十二歳です。国境付近の魔物討伐をはじめとし、最近は辺縁部の農村巡りなどをして戦いに明け暮れていまして。たまに王宮に帰って来ても、ああして鍛錬を欠かさないわけです」
見学席に二人を通すと、リノスは「これで」と一礼をして去った。
「稽古……本格的ですね……」
ララは、百人近い兵士たちが打ち合う圧巻の光景を前に、溜息をこぼした。
中でも目を引くのは、軸足が強く、動きが俊敏で、軽装ながらまったく危なげなく立ち回っている王太子カールの姿。
気迫に満ちており、一切手を抜いている気配がないのは、見ているだけで伝わってくる。
沈黙してその姿に見入っているフランチェスカに、ララはちらりと視線を向けた。
フランチェスカは唇を引き結び、胸の前で腕を組んで傲然と立っており、一言「手ぬるい」と言った。
「どのへんがですか?」
「対人間の稽古という時点で、実戦的ではないわ。あの方々が主に相手にしているのは魔物のはずよ。大小様々で、剣ではなく爪や牙で襲いかかってくるはず。人間相手に腕を磨いても、どこまで役に立つというのかしら。カール殿下は、少し考えなしではなくて」
(冷たい?)
いつになく、フランチェスカの物言いは冷ややかであった。
ララの驚いた気配に気づいたのか、「だって」と言い訳のように呟くも、それ以上を口にすることはなかった。
「せっかく、婚約以来十数年越しにお会いできたんですから、もう少し違う感想は無いんですか。全然覚えていないと言ってましたけど、実物を目にしてどうです。よほど真面目に修行をなさっておいでなのか、お一人だけ動きが群を抜いていますし、かなりの美形……」
「そうかしらっ!? あのくらいだったら、お兄様のほうがよほどよほど」
何やら妙に早口にかぶせてきた。
気の所為ではなく、頬がかすかに赤らんでいる。
「たしかにローレンス様はまぎれもなく麗しい方ではありますが。カール殿下も」
「あああ、あなた、ララは、ああいう感じが好きなの? つまり、殿下みたいな感じが、好みなの?」
「ええ? たしかに素敵だとは思いますけど、まさか人様の婚約者に懸想などしませんが」
(この焦りはいったい?)
明らかに焦っているのだ。今にも舌を噛みそうなほど。
呆気にとられてその様子を眺めてから、ララはぼそりと提案した。
「もう少し近くで見てみましょうか?」
「そそそそ、そんなことしたら、わたくしたちが殿下の視界に入ってしまうじゃない! きっとお邪魔でしょうし、何かの間違いでこの地味な顔が覚えられでもしたら……!」
(普段なら「覚えようとしたって覚えられるはずがないわ。印象が薄いんですもの」くらい言うのに……? あれ?)
「よし、そこまで。次の訓練にうつる!」
兵たちの動きを見守っていた、長身で筋肉質な男が声を張り上げる。身につけているのは他の兵たちとさほど変わらないシャツだが、貫禄がある。騎士団長などといった役職者を思わせた。
訓練中は一兵卒という認識なのか、カールもぴたりと動きをとめてから、こめかみを伝う汗を手の甲で乱暴に拭っていた。
「なんというか、王子様らしくない方ですね。良い意味ですよ、もちろん。魔物討伐に自ら出ているというのは間違いなさそうです」
「王太子なのに、そんな危険を犯すなんて」
「王族は魔法が使えますから、一人いるとだいぶ現場の兵たちも心強いのではないでしょうか。最近は遭遇が即、死を意味するようなハイレベルな魔物は滅多に出ないわけですから、あのくらいの個人戦闘力があれば、危険と言ってもそれほどでは……」
「命を落としたらどうするつもりかしら。軽率だわ」
(冷たい)
正論ではあるが、普段のフランチェスカらしからぬその冷たい物言いに、ララはおさえきれぬ笑みをこぼした。
表情や態度だけ見れば怒っているように見えないこともないが、言っていることを聞けば「心配で心配でたまらない」としか聞こえない。それがなぜか冷たい言葉になるのは、本人がその「心配している」という事実を認め難いせいと考えられた。
顔は赤い。
フランチェスカに悟られぬよう、ララは顔をそらして存分ににやにやとする。
ふとそのとき、視界を妙なものがかすった。
(黒い)
「うわっ」「やばい」「止まらない!」
兵士たちの悲鳴じみた声が耳に届く。
目を向けると、真っ黒の、熊にも似た魔物が兵たちの手を振り切って、見学席へと突進してくるところだった。
(何あれ嘘早い)
頭の中を、意味をなさない単語が吹き荒れるように通り過ぎて行く中、ララの前に侍女姿のフランチェスカが立った。
「わたくしとして公爵家の血筋。多少の攻撃魔法は使えてよ!」
魔物に向けて、腕を振りかざす。そこに大気中から光の粒のようなものが瞬く間に凝っていくように見えた。
その魔法の発動より早く。
凄まじい速度で走り込んできた兵士の一人が、暴走する魔物の背を駆け上がり、その首筋に剣を叩き込んでいた。
ビリビリと空気を震わせる、轟音めいた咆哮が上がる。
その渦中にあってなお、彼は歯を食いしばった表情で、剣をめり込ませていく。
魔物は動きを止め、叫びも止めた。
やがて、その場に崩れ落ちるように倒れ込む。
しゅた、と軽い音を立てて剣士が地面に降り立った。
「実戦を想定した訓練用の魔物が暴れた。済まなかった。怪我は?」
直前までの激しい戦闘を思わせぬ穏やかな声で、彼は傲然と立ったままのフランチェスカを見つめた。
濃い群青の瞳が、細められる。
(カール殿下……!)
フランチェスカの背後で座り込んでいたララからは、婚約者と至近距離で対面したフランチェスカの表情は見えない。
カールの訝しむような声が、耳に届いた。
「ただの侍女では無いな。見ない顔だ。それといま、魔法を使おうとした。何者だ?」
* * *
「殿下、女性に興味がなくて。いや、男に興味があるとかそういう意味でもなくて。単純に恋愛をはじめとした『戦闘以外のこと』に特に興味がなくて。その状態でずーっときたものだから、陛下が『本当に女性に興味が全然なかったらどうしよう。すごい美人ならその気になるかな』と言い出して」
「たしかに、将来的にはすごい美人になりそうですけど、マリアベル嬢はまだ十歳ですよ」
「殿下が女性に興味を持つのもあと数年はかかりそうだったから、フランチェスカ様だと婚期を逃すほどにお待たせしそうだったんですが。その妹御なら、ちょうど良いかなと。陛下が」
婚約を妹にスライドさせよう案件の真相を、リノスはララに微笑みながら明かした。
特に微笑ましい内容ではなかったが、すでに公爵は国王から真意を聞いており、その上で「あほ」という罵倒を可能な限り慇懃な形で伝えているとのこと。
リノスによれば、事実を知らなかったのはフランチェスカばかりであったらしい。とはいえ、詳しく説明しようとした公爵の話を遮って飛び出していき、聞くのを拒否していたとのことで、フランチェスカなりにかなり傷ついていたのだろう、と。
「だから、ご自身で殿下に会って確認したいという申し出があったときに、お父上も好きにやらせるようにとのことでしたので……。結果的に殿下とは良い出会い方をしたみたいですね?」
年齢的にはフランチェスカの兄くらいであろうか、落ち着いた態度でリノスはそう言って笑った。
実際に、訓練の場におけるトラブルの後、カールはフランチェスカに興味津々で「どうしても話したい」と熱烈に言ってきかなかったのである。
それをあしらいつつ、フランチェスカはララに「ねえ、これって浮気にカウントすべき? 婚約者以外の女にここまで言い寄る男性、あなたなら許せる?」と耳打ちをしてきたものの。
「年頃といい、魔力の強さといい、該当するのはクロフォード公爵家の我が婚約者の君しか思い当たらない。それにしては、俺が覚えている彼女と髪と目の色が違う。面影はあるようだが」
子どもの頃の記憶のわりにやけにきっぱりとカールに言い切られて、フランチェスカは観念して素性を認めることになった。
そのまま王宮のどこかへ連行されて行ってしまった。
「お二人はきっと、うまくいくでしょうね。だって殿下の目には、フランチェスカしか映っていませんでしたから」
「僕もあのお二人はうまくいくと信じています。とても似ていますから。ところであなたはお嬢様にここまで引っ張ってこられて、ずいぶんと付き合いが良いですね」
「……親友、なので……」
(でもきっと、これからは一歩ひいた関係でしょうか。フランチェスカは殿下にとられてしまいそうな気がしますけど、仕方ないですね)
やっぱり寂しいなと思いつつ、ララは笑って言った。
「私なんか、婚約もまだです。フランチェスカがうらやましいです。どこかにいないでしょうかね、殿下ほどではないにせよ、仕事一辺倒で恋人も婚約者もいないような男性。男爵家の娘ですのでお相手に贅沢な理想もないんですけど。まずは出会いですね」
世間話のつもりだった。
それを聞いていたリノスは、薄く笑って「奇遇ですね、僕も同じことを考えていました。僕はどうですか?」と言った。
世間話だと思いながら、ララも笑っていいですね、と答える。
「フランチェスカが王太子妃になった暁には、私も侍女として王宮に上がれるかもしれませんからね。そしたら職場内結婚でしょうか」
「なるほど。ではまず就職に備えて王宮内でもご案内しましょう」
意気投合して、王宮内を適当に散策して帰宅。
後日。
ララのもとへ、リノスから婚約を申し入れる箔押しの手紙が届くことになる。
* * *
「どうしましょう。本当に冗談だと思っていたんです……!」
焦って公爵邸を訪れて打ち明けたララに対し、フランチェスカは不敵に笑って言った。
「わたくしのララに申し込むとは、なかなか良い度胸をしているわね。どんな相手か知るまでは迂闊に返事をするのはおよしなさい。まずは王宮に潜入捜査にいきましょう!」
「協力者を他に確保してあるんですか!?」
「殿下よ殿下! そこは抜かりないわ」
とても楽しそうに笑ういたずら好きの公爵令嬢が、やがて王太子妃となり、王妃となって添い遂げた伴侶と仲むつまじく王宮で暮らす長い日々の間。
傍らには常に、侍女としてともに王宮にあがった少女時代からの親友の姿があった。
王妃になってからも元公爵令嬢は親友その他(国王・宰相等)の協力を得て、何度となく侍女をはじめとした様々な使用人に扮して王宮内を歩き回り、事件とあらば首をつっこんでいた。王妃と気づかれないことも多々あり、「地味顔で良かったわ」と本人は満足そうにしていたという。
★お読み頂きありがとうございます!★
ブクマや★を頂けると励みになります(๑•̀ㅂ•́)و✧
※2021.1017 追記
直接の続編ではありませんが、同一世界観の短編「騎士団長なんて、無理です! 筋肉に興味はありません!」という作品も公開しました。あわせてお読み頂けるととても嬉しいです。
(作品下部のバナー「筋肉 無理(>人<;)」から作品へ進めます(๑•̀ㅂ•́)و✧)