僕と先輩のドキドキ闇のゲーム~過熱した必勝法は危険な領域に突入して~
タイトルから誤解されるかもしれませんが淫夢要素は無いです。
西に傾いた太陽の光が窓から差し込む教室。
午前中に先輩の卒業式が終わってから、僕はずっとこの空き教室で待っていた。
ひょっとしたら来ないかもしれない。僕の渡した手紙に気がつかないかもしれない。気づいたとしても、無視されるかもしれない。
もう卒業式が終わってから4時間以上が経過していた。先輩は来てくれないかもしれない。それでも、僕はこの太陽が完全に沈むまで待ち続けるつもりだ。
何故なら、今日が先輩と会えるかもしれない最後の日なのだから。
窓の外では太陽が西の山に吸い込まれ、半分になった太陽が綺麗な茜色で世界を染めている。完全に日が暮れてしまうまで、もう半時も無いだろうか。
きっと先輩は僕のメッセージに気がつかなかったのだ。そう諦めの気持ちが胸を締め付け始めた時だった。
パタパタと廊下を駆ける慌ただしい音が聞こえてきた。見回りの先生が来たにしては騒々しいその足音は一直線にこの空き教室に向かって掛けてくる。
次の瞬間、勢いよく引き戸が開けられて息を荒くした女子生徒が飛び込んできた。
「はぁ……はぁ……。良かった……まだ帰ってなかったね」
教室に飛び込んできたのは、僕がここでずっと待ち続けていた人物だった。
一体どれ程の勢いで走ってきたのだろうか。普段は綺麗に纏められた栗色の髪は乱れ、顔中汗まみれ。息も切れ切れで話す言葉も途切れ途切れだ。
普段のクールな先輩らしさは微塵も感じられない。だというのに、彼女が愛おしくてたまらない。
もし先輩が僕の手紙に気がついたら。そして手紙の通りに来てくれたなら。言おうとしていた言葉は何度も繰り返して、練習したというのに……いざとなると声が出ない。
「先輩……来てくれないと思ってました」
一旦、別の言葉で気持ちを落ち着かせる。
「悠樹くんさあ、何であんなに回りくどい方法で呼び出すの? 普通の人なら、花束の一番奥に手紙があるなんて気がつかないと思うよ? ラインとかで言ってくれれば、すぐに来たのに」
悠樹というのは僕の名字だ。
少し息の乱れが整ってきたのか、先輩が呆れた様子で詰め寄ってきて、僕の呼び出し方について咎めてくる。
呼び出し方法というのは、僕たち卓上遊戯部の在校生から先輩に贈った花束に手紙を仕込むという手法のことだ。
「僕が入部したばかりの頃、先輩が教えてくれたことを実践しただけです」
「ゲームを面白くするのは不確定事項である……だね」
ラインやメール、電話で呼び出せばたぶん確実に来てくれるだろう。それは確定事項だ。来ると分かっている人を待つより、来るかどうか分からない人を待つ方がドキドキする。来てくれたらどうしようという妄想が捗る。
それに、実際に来てくれた時の喜びもたぶん普通に呼び出すより大きくなるはずだ。
「それで、悠樹くんは私を呼び出してどうするつもりだったのかな? まぁ、大方の予想はついているんだけどね」
「では、単刀直入に言います。僕との交際を賭けて最後のゲームをしましょう」
先輩の方から用件を聞いてくれたおかげで、最初に用意していた言葉は案外すんなりと出てきた。
実は、僕は2年前に卓上遊戯部に入部してから3回ほど先輩に告白をしていた。そして結果は3回とも同じだった。先輩は「ゲームで私に勝てたら付き合ってあげる」と返してきて、ものの見事に3回とも僕が負けていた。
「いいよ。私は卒業して東京の大学に行くから……これが最後のチャンスだもんね。卒業式後のラストバトルが悠樹くんというのも、悪くないかな」
先輩は僕の横をすり抜けて教室の後ろへ移動し、鞄用ロッカーに置かれた無数のおもちゃを眺めながら問いかける。
「ところで、ゲームは何にするか決めてあるのかな?」
「はい。僕と先輩の最後のゲームですから。これにしようと思っています」
僕は先輩の前に出て、予め取り出しやすい場所に用意しておいた直方体の積み木をいくつか抱えて先輩の近くの机に置いた。
「積み木……巨大ジェンガ勝負か。懐かしいね。2年ぶりかな」
「はい。僕が初めてこの部屋に来た日、これで遊んでくれましたよね。先輩と遊んでいた時間はとても楽しくて……今でも忘れられません」
先輩がしばらくの間、何かを考え込むように積み木を眺めた後、ゆっくりと口を開く。
「あれは面白かったね。だけど、一度やったゲームをそのまま繰り返してもつまらないよ。だから、こういうのはどうだろう」
先輩は部屋の片隅に置かれているカゴからボールペンと名札シールの束を取りだして、机に置かれている積み木の隣に添えた。
「今から二人で積み木に”指示”を書くんだ。書いた指示はシールで隠して見えないようにする。引き抜いた積み木のシールを剥がし、書いてある指示に従う。というルールを積み木ジェンガに追加してみるのはどうかな?」
「なるほど。不確定要素を加えてゲームを面白くするという訳ですね」
「そういうこと。積み木は30個あるみたいだから、15個ずつ指示を書こうか」
僕は無言で頷いて先輩の提案を受け入れる。
ボールペンと積み木15個、そして書いた指示を隠すための名札シールを15枚受け取って、先輩から離れた机へと移動した。
さて、指示にはどのような内容を書くのが良いか。僕の目的はこのゲームに勝って先輩と付き合うことなのだから、当然ゲームを有利に進めるための内容を書くべきだ。
いや、僕の目的は先輩と付き合うことなのだから、ゲームに勝つ必要は無いのではないか?
例えば、指示として「悠樹一と恋人として交際する」という指示を書いてしまえば……。
と、そんな考えが頭をよぎるが即座に却下する。ゲームのルールを盾に交際を迫るような外道な真似はしたくないし、彼女の意図に反する形で付き合っても、それは幸せとは言えない気がするから。
というか、そもそもその指示を僕が引いたらどうするんだ? 僕は僕自身と交際するのか? 意味不明な状況が出来上がってしまう。
やはり正々堂々と戦って勝つべきだ。ただ問題となってくるのは、さっきも考えた通り僕が書いた指示を僕自身が引く事もあるという点だ。
積み木にマーキングして自分の積み木と先輩の積み木を区別する。麻雀で言うガン牌でもすれば別だが、正々堂々とは言い難い。
自分が引いた時は不利にならず、先輩が引いた時だけ不利になる指示。先輩が引いた場合と自分が引いた場合で場合分けした指示を書くのはどうだろうか。
例えば、『先輩がこの指示引いた場合は追加で1個積み木を引く。悠樹がこの指示を引いた場合は手番を1回パスする』といった具合だ。
これならいける……。と、思って書こうとしたがスペースが足らない。名前シールで隠せるだけのスペースにそんな長い指示を書くことは不可能だ。
暫く悩んでいたが、結局使えそうなアイディアは思い浮かばなかった。そんな僕とは対称的に、先輩は鼻歌を歌いながらあっと言う間に書き上げたようで、僕の近くまで来て積み木を覗き込んできた。
「悠樹くんまだ一枚も書けてないのか~。そうだ、後から不満が出ないように一応念を押して置くけど、指示の中に一部分でも実行不可能なものが含まれている場合、指示全体が無効だからね。書く指示は慎重にね」
まぁ、妥当なルールだろうな。そうしないと無理難題の押し付け合いになるのが目に見えている。
ん? でも、どうして不可能な部分だけでなくて指示全体を無効にする必要が……。
そうか!
ふと不自然に感じた疑問から、一つの必勝法を思いつく。
ただ、当然のように先輩も同じ手を打ってくるだろう。そうなると勝率は五分五分だ。
ここからもう一歩踏み込んだ作戦を考えなくては……。
「先輩、そろそろ書こうと思うので見えないように離れてもらっていいですか?」
「そうだね。私だけ悠樹くんの書いた指示が見えてたら不公平だもんね」
先輩は素直に窓際まで移動して、夕焼けに染まるグラウンドを眺めている。
これ以上、彼女が僕に話しかけてくることは無かった。
◆
よし。これで思いつく限りの対策は打った。
必勝とまではいけなくとも、少なくとも互角以上には戦えるはずだ。
「先輩。書き終わりましたよ」
「もう悠樹くんったら。待ちくたびれたよ。じゃあ始めようか」
先輩がグラウンドから教室内へと視線を戻す。
その顔には満面の笑みが溢れていて、これから始まる最後のゲームを精一杯楽しもうという気持ちが伝わってくる。
指示を書いた積み木を教室中央の机に集めて、無作為になるように二人で掻き回して混ぜる。その後、一段に3本ずつの積み木を使って10段のタワーを積み上げた。
後はジャンケンで先攻後攻を決めて、交互に1本ずつ抜いていく。引き抜く際に、積み木の塔を先に崩した方が負けという単純明快なルール。なのだが、不確定要素として引き抜いた積み木に書かれた指示を実行しなければならない。
塔に使われている積み木の内半分の15本は僕が書いた指示なので内容は知っている。問題はもう半分、先輩がどんな指示を書いたかだ。
「じゃあ……始めるよ」
「はい。よろしくお願いします!」
僕と先輩が向かい合い、軽くお辞儀をした後で先攻後攻を決めるためにジャンケンをする。ジャンケンの結果は僕の勝ちだった。
「くっ、負けちゃったか。悠樹くんは先攻か後攻、どっちにするの?」
「当然後攻です」
「だよね~」
僕は迷うこと無く後攻を選択した。
ジェンガは自分の番が回ってくる度に敗北の危険が増していくゲームだ。ならば相手より常に手番が少なくて済む後攻が圧倒的に有利。
しかも、僕の予想が正しければ先輩の追加したルールのせいで1手目から決着することすら有り得る。上手くいけば、僕は1度も積み木を引く事無く勝利出来る。
そんな状況で後攻を取れたのは圧倒的なアドバンテージと言えるだろう。
「では。私からだね。さっそく抜かせてもらうよ」
圧倒的なディスアドバンテージを追っているということは、先輩も理解しているはずだ。だというのに、嬉々としてとして積み木のタワーにその細い指を伸ばす先輩。
全く迷いの無い手付きで9段目の真ん中から積み木を抜き取る。本物のジェンガと違って、全ての積み木の厚みが均一なので最も安定する抜き方だ。
「さ~て、何が出るかなっと」
先輩が楽しそうな声を出しながら積み木に貼られたシールを剥がしていく。そこには敗北に対する恐怖が、この一手で負けるかもしれないという恐怖は微塵も感じられない。
どうしてですか? どうしてそんなに……。
「先輩!」
「ん? どうしたのさ悠樹くん?」
「先輩は分かっているはずです。このゲームの本質を……この一手で先輩が負けることだってあるって知ってるはずです!」
「そだね。私は悠樹くんに色々なゲームの勝ち方を教えてきたから。悠樹くんはこの2年で本当に強くなったよ。ひょっとしたら、私がヒントを与えなくても自力でこのゲームの解を見つけたかもしれないね」
ヒントというのは、指示を書く時に先輩が言った「指示の中に一部分でも実行不可能なものが含まれている場合、指示全体が無効」という言葉だろう。
僕はあの言葉のおかげで必勝法を思いついた。あの言葉無しで気がつけていたかは自信が無いけど。
「なら! 先輩は負けるのが恐くないんですか!? 負けたら僕と付き合うんですよ」
「…………」
先輩はすぐにはその問いに答えなかった。
暫くして、彼女は首を横に振って答える。
「悠樹くんとなら付き合うのは構わないよ。けど、私は負けず嫌いだから負けたくない。でも……それ以上にゲームは楽しむ物だから! 悠樹くんとのゲームを全力で楽しむだけ」
そして、先輩は勢いよく積み木に貼られたシールを剥がして僕に見せつけてきた。
「何より、先輩である私が後輩である悠樹くんに負けるなんて有り得ない!」
先輩の手に握られた積み木には、僕の書いた文字列がしっかりと見て取れる。
――自分の穿いているスカートの裾を片手で掴みながらタワーを崩すまで手番を繰り返す。
その文字列を見た瞬間、僕は自分の勝利を確信した。
これぞ僕が考えた必勝法。
パッと見ただけだと前半部分のスカートの裾を掴みながらという文が要らないと思うかも知れない。だけど、これが必勝の鍵になっている。
この指示全てに従うには自分がスカートを穿いている必要があるのだけど、男である僕は当然スカートなんて履いていない。つまり、指示の一部に従うことが出来ない。
先輩の提案した『指示の中に一部分でも実行不可能なものが含まれている場合、指示全体が無効』というルールによって、タワーを崩すまで手番を繰り返すという後半部分も無効となる。
先輩が引いた時だけ一撃必殺の指示となり、僕が引いた時には何も起こらない。
まさか、こうも綺麗に1ターン目で決着するとは思わなかった。
「あっはっはっは。やってくれたじゃないか悠樹くん」
「どうですか? これでもう決着ですよね?」
呆気なくゲームの勝敗が決してしまった。だというのに……。
先輩はまるで嬉しそうな笑い声を上げている。
「これで決着だって? 悠樹くんはルールすら忘れてしまったのかな?」
「だって……もう僕の番は回ってこないんですよ! 先輩がタワーを倒すのは確定的に明らかじゃないですか」
「このゲームの勝敗は、あくまでタワーを倒すことでのみ決着するんだよ。まだゲームは終わってないじゃないか」
そう声高に宣言した先輩が、おもむろに両手でスカートを掴む。
まさか……まだゲームを続けるつもりだというのか?
そう思ったのも束の間、先輩は両手で掴んだスカートを思いっきりズリ下げた。
「ちょっ、先輩……何してるんですか? 流石にそれはマズイですよ」
「顔を上げて悠樹くん。下にスパッツを穿いてるから、別にどうってことないよ」
顔を上げると、先輩のスカートがあった場所に真っ黒な生地が見えている。見えてはいけない場所がしっかりとガードされていた。
「でも、今更脱いだってはきなおせば指示には従えますよね? まさか、それぐらいで指示が実行不可能だとでも主張するんですか?」
「ううん。これぐらいじゃ実行出来るよね。でも……これならどうかな?」
先輩が急に窓の側へと歩いて行き、鍵を外して開ける。開けられた窓からはまだ冷たい3月の空気が入り込んできた。
「まさかっ」
「そのまさかだよ。私は本気でゲームに勝ちたいの。そのためなら何だって捨てられる」
僕が止める間もなく、先輩は手に持っていたスカートを窓から投げ捨てた。彼女の手を離れた布きれは吹き荒れる風に乗って遙か彼方へと飛び立っていった。
「さて、これで”スカートの裾を片手で掴みながらっていうのは”不可能だね。残念だけどこの指示には従えないかな」
涼しい顔でそう言い放ち、次は僕の番だと指を指してくる。
「良かったんですか? 大切な制服を投げ捨てて……」
「どうせ、着るのは今日が最後だから。あのスカートは役目を終えたんだよ。きっと、今頃は貧乏で着る服に困っている人のもとへ届けられてるんじゃないかな」
「変態なおっさんのもとに届いてオカズになってなければ良いですけどね」
若干の精神攻撃を仕掛けながら、僕は積み木のタワーに目をやる。かなり強引だったけど、先輩が僕の仕掛けた一撃必殺を回避した以上、次は僕が手番をこなさなければならない。
抜く積み木についてはすぐに決める事が出来た。さっき先輩が9段目の真ん中から抜いたのだから、僕は8段目の真ん中から抜くべきだ。
9段目はこれ以上抜ける場所は無い。真ん中がもう無いのだから、これ以上抜けば確実に崩壊する。
抜くなら1から8段目だが、下に行くほど上に積まれている積み木の総重量が増える。重量が増えるほど摩擦が増えて、引き抜く時に上の積み木を崩壊させやすい。
よって、一番安全に抜ける積み木は8段目の真ん中となる。
「じゃあ僕はこの積み木を抜こうかな」
まだ安定しているので、余裕で引き抜くことが出来た。積み木をジッと見つめて貼られたシールに手を掛ける。さっき先輩が僕の書いた指示を引いたから、残っている指示は先輩のものが15個、僕のものが14個だ。
きっと先輩が書いた物は全部、僕が引けば一撃必殺になる内容だろう。逆に、僕の書いた指示にはさっき先輩が引いた指示のように、僕自身が引いた時は無効になるような保険が掛けてある。
先輩の書いた指示が当たる確率はまだ51.7%ほど。まだほぼ5割と言える確率。
シールを剥がそうとすると、心臓が強く脈打っているのを感じた。
先輩は笑顔で、楽しみながら剥がしていたけど、僕にはそんなこと出来そうに無い。
「ねぇねぇ、早く剥がしてよ! 悠樹くんがどんな指示を引くか楽しみなんだから」
相変わらず先輩はゲームとして楽しんでいる様子だ。
「やっぱり先輩は凄いです。僕にはどう頑張っても、先輩みたいに笑いながら指示を確認とか出来そうに無いですよ」
「それで良いんだよ。悠樹くんが私になる必要なんて無いんだから。君は君なりにゲームを楽しめば良いんだから」
先輩が掛けてくれた励ましのような言葉に後押しされて僕はシールを剥がす。
目に飛び込んできた文章を見た僕は、つい大声を出してしまった。
「おい! 流石にコレはねえだろ! 僕の感動を返せ! これは卑怯だろ!」
「仕掛けるなら致命的にってね。何度も教えたはずだよ。悠樹くんも私に勝ちたいのならコレぐらいのことが出来るようにならないとね」
もう一度、積み木に書かれた指示に視線を落とす。
――タワーを崩すまで手番を繰り返す。積み木を引き抜く際は自分の右手でチンコを握りしめること。以降引いた積み木の指示はゲーム終了後に確認してまとめて実行すること。
こぢんまりとした可愛らしい文字で、名前シールに隠れるギリギリのスペースにギッシリとそんな鬼畜指示が書き込まれている。
「スカートと違って、さすがにチンコを捨てるわけにはいかないよね? さあ、存分にソリティアゲーを楽しんでよ。自分の敗北が分かりきってるソリティアをねwww」
先輩が一気にゲスっぽい顔になって煽ってきた。
くっ……。流石にこんな指示までは想定していなかった。
先輩のことだから、タワーを崩すまで手番を繰り返すという指示を盛り込むことは想定していた。僕よりも精度の高い方法で、僕にだけ指示を実行させようとする言い回しが用意してあることもまぁギリギリ想定していた。
だからこそ、僕は最後の望みとして自分の書いた指示に一つだけ防御用の指示を盛り込んであった。こんな感じの指示を一つだけ混ぜておいたんだ。
――自分が実行中の指示と以後引く全ての指示を全て破棄する。以後ゲーム終了まで左手を制服ズボンのポケットから出してはいけない。
という内容の指示だ。
これを僕が引けば、先輩が用意するであろう負けるまで手番を繰り返す系の指示を無効化できると思っていた。
因みに先輩の制服はズボンではなくスカートなので、先輩に引かれても無効になる。そのスカートすら脱ぎ捨てるのは想定外だったけど。
しかし、先輩の方が一枚上手だったようだ。
僕が防御用の指示を盛り込んでいることまで想定し、その上の一手を盛り込んできた。以後の指示を全てゲーム終了後に先送りさせるという作戦で……。
今思えば、これまで先輩とやってきたゲームではいつも先輩は僕の上を行っていたな。勝負する度に、僕では考えつかないような作戦を思いついて。
「ねえねえ、どんな気持ち? 今どんな気持ち? 降参する?」
少し子供っぽくて大人げなくて、性格が悪いところもあるけど。
先輩とゲームをする度に、今度はどんな必勝法で来るんだろうってドキドキして。
先輩みたいに人を驚かせるような必勝法を考えられるようになりたいって思って……。
「あれ? どうしたの悠樹くん? ひょっとして、本気で怒っちゃった? ごめん、そんなつもりじゃなくって……ちょっといつもみたいに調子に乗って……」
もっと先輩とゲームをしていたいって思うようになって……。
先輩と恋愛関係になれば……卒業してからもまだ一緒に遊べるかもって……。
「まだだ! まだ諦めない!」
「悠樹くん!?」
「先輩ごめんなさい。正直、僕にはもう打つ手が無いです」
「だよね。私の作戦は完璧だもんね! だったら降参を……」
「でも僕はまだ先輩と遊びたいから。今から考えます! 逆転の一手を」
その言葉を聞いた先輩が、大きく目を見開いてジッと僕を見つめてきた。その瞳はなんだか潤んでいる気がする。
「そうだよね。それでこそ……私の後輩だよ。私が想像もしない一手を考えて、逆転してみせてよ!」
とりあえず今は指示に従って自分のチンコを握りながら手番を繰り返すしかない。そうしながら、なるべく早く逆転する方法を……この負け確ソリティア状態を脱する方法を考えなくてはならない。
「あのさ。一応確認だけど、チンコを握るのって別に見せなくても良いですよね?」
「構わないよ。アソコを指定したのは、悠樹君にしかなくて、簡単に捨てられない物として指定しただけだから」
それは助かる。さすがに露出して先輩に見られながら握る必要があるとかだと、R18指定待った無しだからな。
僕はズボンの中に右手を突っ込んで、アレを握る。何とも恥ずかしい格好だけど、このゲームに勝って先輩と付き合うためには仕方が無い。
それから左手で慎重に積み木を抜いていく。8段目の中央から抜いたところで、あと何本ぐらい抜けるのかを考えてみる。このまま真ん中から抜いていけば、たぶん1番下までは行けるだろうか。
各段の真ん中が無い状態でも、積み木のタワーは左右対称でバランスが取れているのでたぶん大丈夫だ。慎重に抜いていけば抜けないことは無い。
でも、真ん中が無くなってしまった状態から追加で1本取るのは無理だと思う。左右どちらか片方の積み木では上の段を支えられなくてまず崩壊するだろうから。
だとすれば、安全に抜けるのはあと7本ということになる。それまでに何らかの逆転手段を考えなければゲームオーバーだ。
◆
逆転の手が思い浮かばないままブロックが減っていく。そして、遂に2段目の真ん中のブロックを抜いてしまった。もう抜けるのは1段目の真ん中だけ。
これを抜く前に逆転の方法を思いつかないと……。
「ゲームもいよいよ大詰めだね。私の見立てでは、あと2手かな?」
「あのさ。まだ何も思いつかないんですけど、作戦タイムとかは――」
「だ~め、もう少しで下校時間だからね。それまでには決着をつけないと」
万事休すか。僕は恐る恐るタワーの一番下に手を伸ばす。
崩さないように慎重にゆっくりと、1段目の真ん中から積み木を抜き取った。
これで、僕に出来ることは潔く降参するか……最後にどこか1ヵ所引き抜いて積み木を崩して敗北するか……どちらにしろ僕の負けが決まった。
僕自身がそう諦めようとした時だった。静まりかえった教室に、たった一つの奇跡が飛び込んできた。
僕の座っていた後方。教室の後ろ側から突然大きな物音が鳴り響く。ガラスが砕けるような綺麗な音だった。
驚いて振り返ると、そこには野球ボールが1つ転がっていた。窓際には粉々に砕けた窓ガラスの破片が散らばっている。
何が起こったのか分からず瞬きをしていると、僕と向かい合う位置で一部始終を見ていた先輩が説明してくれた。
「あそこの窓を突き破ってボールが飛んできたんだよ。野球部の誰かが打撃練習でホームラン級の当たりでも打ったんじゃないかな」
先輩が指さしたのは、さっき彼女が制服のズボンを捨てるために開けた窓だ。
吹き込む風が寒かったのですぐ閉めたのだけど、ホームランボールに破られて再び風が吹き込んでいる。
「危なかったね。もう少し打球がズレてたら、私たちに当たっていたかもしれないもん。そしたら怪我してたかも」
「そうだな。硬球だし当たり所によっては骨折……ん?」
先輩がそう言い放った一言から、僕は閃いた。
この絶望的な状況を覆し、逆に勝利を確定させる方法を……。
「骨折……そうですよね。もう少しズレてて。僕に当たっていたら……」
「悠樹くん? いったいどうしたの? 何だか顔が恐いよ?」
残念ながら、僕には自分の顔が見えないのでどんな顔をしているのかは分からない。
だけど、一般的な感性からすれば相当恐いことを考えていることは分かっている。
それでも、もしも……。
「もし、自分が一時的に大怪我をするだけで……ずっと手が届かないと思っていた想いが届くとしたら。絶対に叶わないと思っていた恋が叶うとすれば。きっと、これを実行するのは間違っていることじゃないですよね」
「悠樹くん? ひょっとして……」
頭が良くて、勘が鋭くて、そして何よりゲームに全てを賭けてきた先輩だ。
僕がしようとしていることは、もう気がついたのだろう。
「先輩。僕は……これぐらい本気なんです。本気で先輩と付き合いたい。先輩に勝ちたいんです!
先輩が僕に見せた最初で最後の失策は……指示を『右手で』と限定してしまったことです!」
席を立ち上がり、僕はアソコを握っていた右手をズボンから外に出す。ホームランボールの直撃を受けて散らばっているガラスの破片を左手で一つ拾い上げる。
……僕は拾い上げたガラス片を机の上に置いた自分の右手に思いっきり振り下ろした。
「ぐっ、うああああああ!」
鈍い音と同時に、僕がうめき声を教室中に響く声で叫ぶ。
死ぬほど痛い。うめき声以外の声を出そうとしても、痛みの感覚が邪魔して上手く声が出ない。
「悠樹くん!?」
先輩が心配した様子で僕に駆け寄ってくる。
深々とガラス片の突き刺さった右手からは勢いよく血が噴き出している。
痛みで握力は効かない。
「先輩。こんな手段しか思い浮かばなくてごめんなさい。でも、この右手じゃアソコを握るのは無理みたいです。後は……分かりますね?」
「チェックメイト……みたいだね」
僕が右手を怪我してチンコを握れる状態ではなくなった。よって、先輩が書いた指示のうち”チンコを右手で握りながら”の部分が実行不可能となる。
一部でも実行不可能な指示を含むものは指示の全文が無効となる。
先輩の指示が全文無効になるので、次は先輩の手番だ。
もう崩さずに抜ける積み木が残っていない状態で先輩の番。
それはすなわち、先輩の敗北を……そして僕の勝利を意味していた。
「先輩……。こんな悪手を打った僕のこと……軽蔑しますか?」
「そうだね。とんだ悪手だよ。ゲームは楽しむ物だって、今まで何度も教えたはずだよ。たとえ勝利を掴んだって、自分が辛い思いをするのは悪手だよ」
「……ごめんなさい」
先輩の声はかなり怒っているように聞こえる。その勢いに押されて、僕は俯いて自分のしでかした事を後悔する。
しかしその直後、今度は優しい声を掛けながら僕の右手を柔らかな両手で覆うように撫でてくれた。真っ赤な血が付くのもお構いなしに。
「それでもね。君の気持ちだけはしっかりと伝わってきたよ。絶対に負けたくないんだって。私のことを大切に想う気持ちが……そこまでさせたんだよね」
「…………」
「ゲームの手としては悪手だったけど、私に気持ちを伝えるという意味では好手だったかもしれないな~。なんてね。それより、早く保健室に行かないと!」
◆
その後、先輩と一緒に保健室に行った僕は保健の先生からこっぴどく怒られた。僕の卒業までの向こう一年分ぐらいは前借りしたんじゃないかってぐらい怒られた。
先輩も一緒になって怒られて、一緒に反省してくれた。
保険の先生から解放されて、校舎を出たのはもう完全に日が暮れてからだった。
「あ、先輩! そういえばさっきのゲームって結果は僕の勝ちですよね?」
「うっ、忘れてなかったんだね」
「そりゃあ、こんな怪我をしてまで勝ち取りたかった勝利ですから」
自分の右手に視線を落とす。包帯が巻かれ、動かせないように固定された右手の甲からは今も焼け付くような痛みが伝わってくる。
「おめでとう。あの勝負は悠樹くんの勝ちだよ。……でもさ、悠樹くん何か忘れてないかな~」
途中まで聞いて喜びの雄叫びを上げそうになったところで、先輩が何やら不穏な言葉を付け加えてきた。彼女は鞄のファスナーを開けて、その中身を僕に見える位置まで持ってきた。
「これ……積み木ですか? さっきゲームに使っていたやつですよね」
「これは君がゲーム中に引き抜いた8個の積み木。最初に抜いた奴はコレなんだけど」
そう言って積み木を一つ手渡してきた。右手が使えないので、左手で受け取って眺めてみる。その積み木には、先輩の文字でこう書かれていた。
――タワーを崩すまで手番を繰り返す。積み木を引き抜く際は自分の右手でチンコを握りしめること。以降引いた積み木の指示はゲーム終了後に確認してまとめて実行すること。
「まっ、まさか……」
「悠樹くんが引いた指示をゲーム終了後にまとめて実行してもらわなきゃね」
「もし、実行不可能な指示が出てきたら?」
「それは問題無いよ。実行出来ない指示は無効だから。だけど、実行可能な指示に従わない場合は反則負けだよ」
先輩が不適な笑みを浮かべながら、他の積み木を鞄から一つずつ取り出す。右手の使えない僕の代わりに、先輩がシールを剥がして指示を読み上げていく。
――私が卒業した後も、次期部長として卓上遊戯部のみんなを楽しませること。
――来年は悠樹くんも受験なんだから、部活だけじゃなく勉強も頑張ること。
――まだ寒い日が続くんだから、体調管理に気をつけて健康に過ごすこと。
などなど。
先輩のことだから、きっと全て一撃必殺でゲームを終わらせるような指示を書いてきたと思っていた。僕のその予想はいとも容易く打ち砕かれてしまった。
先輩が読み上げていく指示の中には勝敗に関係しない、僕へのメッセージばかりが書かれている。
やっぱり……この人には敵わないな。
こんなことをしても自分が不利になるだけなのに。不利を承知でいくつも僕のことを気遣うメッセージを入れているなんて。しかも、それをゲーム後に実行させることまで計画して一撃必殺の積み木を用意したんだ。
先輩からのメッセージが読み上げられていくにつれて、目頭が熱くなってくる。絶対に泣かないで、笑って最後を迎えようと思っていたのに……。
そんな決意は、先輩が最後に読み上げたメッセージで脆くも崩れ去ってしまった。
――悠樹くんも来年は私と同じ大学を受けて、合格すること。そしてこの積み木に私への愛をぎっしり書いて持ってくること。
「待ってるから。悠樹くんなら絶対に受かるって……信じて待ってるよ」
「分かりました。すぐ行きますから。絶対行きますから。1年だけ待っててください」
「うん。それまで今回の勝負はおあずけ。延長戦に突入だよ」
――了――