第一話 クラス転移
魔法陣の輝きがピカッと光ったのと同時に閉じた目を、ハルキは人の気配がするのに、声一つ聞こえない事に違和感を感じながら、ゆっくり、ゆっくりと開けていく。
そしてハルキは唯呆然と周りを見回し始める。
まずハルキの目に飛び込んで来たのは、唯大きいだけの石版画だ。
縦横二十メートルはありそうな石版画には、『何か』と何十、何百という数の人間が戦っている絵が描かれていた。
『何か』とは何なんだと問われれば、化け物だと答えるしか、語彙力の無いハルキには到底出来ない。
その石版画には、人の目を惹きつける何かがあるのかは知らないが、何故か目を逸らす事が出来ないでいたハルキだが、幼馴染の一人である勇気に話しかけられた事により、石版画から目を逸らす事が出来た。
「ハル! おい、ハル! 聞こえてるのか?」
「……はっ! な、何、神代君」
「いや、別に用は無いんだが、ハルがあの石版画をずっと、何かに取り憑かれたように見つめてたから、どうしたのかと思ってな」
「そ、そうなんだ。心配してくれてありがとう。でも、もう、大丈夫だよ」
「そうか? ならいいんだが」
勇気はいまだに心配そうにハルキを見ていたのだが、彼はそれに気づかず、石版画の事を考えていた。勇気が話しかけてくれなければ、今もずっとあの石版画を見つめていたのかもしれない。
そう思うと急に寒気がし、石版画の事を無理矢理頭の隅へと追いやったハルキは後ろに振り返った。
そこには勇気以外の幼馴染やクラスメイト達がいたが、呆然と立ち尽くしている姿があった。
その姿を見て、特に何も無いと判断したハルキはまた周りを見回す事にする。
石版画以外にはこれと言って目立った物は特に見当たらなかったが、天井はドーム状、この建物を支えているであろう白くて汚れ一つない柱、それから床は大理石で出来ており、その床には毛の立った赤い絨毯が敷かれていた。
その毛の立った赤い絨毯は、ハルキ達が今居る台座から、階段を下って、この建物の入り口まで続いている。
それを確認したハルキは台座を囲んでいる人達に目をやった。
そう、この空間にいるのは何もハルキ達だけでは無い。少なくとも、四十人近い人々が、ハルキ達のいる台座の前にいた。それも祈りを捧げるように跪き、右手で拳を作り左胸に当てている格好で。
彼等は一様に白が基調で金色のラインが少し入っているローブを纏い、その傍に木で作られた何の特徴もない杖を置いている。
その内の一人、白いローブを纏っている集団の中でも、一際目立つのが中央にいる長さ三〇センチ前後もある烏帽子みたいな物を被り、白いローブに一人だけ金色の刺繍が入っている七〇代前後の老人だ。
それから老人は、傍に置いてあった杖を突いて立ち上がり、外見とよく似合っているとても落ち着いた声音でハルキ達に話しかける。
「ようこそ、リューエンへ。勇者様、そしてご同行の皆様。歓迎いたします。私は、聖教教会にて教皇の地位に就いているエンリル=ゴルバルドと申します。以後、宜しくお願いします」
老人には似合わない口調でそう言って、エンリルと名乗った老人は、微笑を浮かべた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
現在、ハルキ達は先ほどまでいた教会から移動し、十メートル以上の長机がいくつも並んでいる大広間へと通されていた。
この部屋はそこまで派手さは無く、落ち着いた感じの作りだ。むしろ豪華とか豪奢とは正反対で、何も無さすぎて、唯大人数で会話をする為だけに作られた部屋なのではないかと思ってしまう。
上座が近い方に、鈴先生、幼馴染、その他のクラスメイト、そして最後尾にハルキ、という順番に並んでいる。
ここに案内されるまで、クラスメイト達が騒がなかったのも、このクラスの頂点である勇気が落ち着かせたり、エンリルが事情を説明すると言ったのが関係しているのだろうが、そんな事ハルキにはどうでもよかった。
何故なら、この異世界の人達もハルキにだけ、ゴミを見るような視線を向けたり、悪口を言っている気がするからだ。
それだけではない。この部屋に訪れたメイド達が紅茶らしい飲み物を、クラスメイト達に渡し歩いていたのだが、明らかにハルキの所にだけ、メイド達は近づこうともしなかった。
確かにメイド達は皆可愛いと思う。メイド服を着て、頭にはプリムを着けていて、愛想のある顔立ちの女性ばかりで、流石異世界だと思えるほどに。
でもそれは、ハルキにとっては幻でしかなかった。
そんなにデブでオタクはダメなのか! と思ったハルキは皆が真面目に話を聞いている中、(お腹空いたなぁ)とか(あー、あのRPG、後もう少しでクリア出来てたのになぁ)といったしょうもない事をずっと考えていた。
話を聞いてもハルキに出来ることなんて一つもないし、不幸しか降りかかって来ない。
どんなに異世界転移が嬉しくても、平和が一番だと考えているハルキにとっては魔王退治や邪神退治なんかより、どのようにしてこの異世界で生活していくかの方が重要なのだ。
……でも、一応大事そうな話だけ聞いておいた。 ハルキがエンリルから聞いたのは、この世界に、全人類が滅ぶほどの大災厄が迫って来ているという事。
それとこの世界、つまりリューエンの三大種族である『人間族』、『亜人族』、『悪魔族』の均衡が保てなくなって来ているという事。
そして最後に、元の世界に戻れるかどうかは、この世界の神であるシンダー様の意志次第だという事の三つだ。
大災厄とは、全ての魔物が一斉に一段階進化し、その進化した魔物が、国々を一つずつ確実に滅ぼして行く事を指す。
『人間族』、『亜人族』、『悪魔族』は百数十年もの間、均衡状態にあったのだが、『悪魔族』が魔物を使役し、先ほどの大災厄を意図的に引き起こす事が出来る様になった。
その為、今まで『人間族』、『亜人族』には、数という優位性が『悪魔族』に対してあったのだが、それが崩れてしまった事により、均衡が保てなくなって来ているのだ。
元の世界に戻れる方法は無い。例えこの世界の大災厄を無くし、『人間族』、『亜人族』、『悪魔族』の均衡が保たれたとしても、確実に戻れるとは限らない。
上から二つの事に関しては、はっきり言って無関係だ! そう言い切れてしまえたのが今までだった。
が、この世界に召喚されてからも、無関係だと言い切ってしまうのは、流石に人としてどうなんだと思ってしまったハルキが、そこには確かにいた。
それからしばらく経ち、エンリルの話が全て終わった頃、誰かが怒鳴り声を上げる。鈴先生だ。
勿論ハルキは、エンリルの話などほとんど聞いていなかったから、鈴先生が何に対して怒っているのか、全く分からない。
「ふざけないでください! 生徒達にこんな危険な事させられるわけないでしょ! こちらの世界の問題を、無理矢理こちらの世界に連れて来られた生徒達に押し付けないでください!」
(うんうん、全くもってその通りだ)
「待ってください、小岩井先生。俺は戦います。待っていても、元の世界に戻れないのなら、元に戻れる可能性がある方を俺は選びます」
「わ、私も戦います」
「沙織がそうするなら、私もそうする」
「勇気ならそう言うと思ったよ」
そうハルキの幼馴染達が言ったことにより、クラスメイト達の士気も上がり、「よっしゃ! 勇気がそう言うなら俺もそうするぜ!」とか「そうだな。待ってても仕方ないよな!」などと言って、戦う気満々な雰囲気になってしまった。
鈴先生はそんな生徒達を見て、「危ないですよ〜」、「戦いはダメですぅ〜」と、オロオロしながら言っているが、幼馴染達を含むクラスメイト達の耳には一切入っていなかった。
そんな召喚者達を傍観しているエンリル、その他の聖教者達は、ニヤリと顔を見合わせて笑う。
ハルキはこの時思った。ここにいる異世界の人達、いや、幼馴染達を含むクラスメイト達には、絶対に付いていけないなと。