伝統が微妙にある卓球部の事件
「なむあみだぶつ」
蒸し暑い部室の中、我が部のチームメイト兼同じクラスの南川が念仏を唱えている。
季節は夏、そして夏休みだ。
部活が終わり部室でスマホを弄っているのであるが、南川が呪詛の如く唱えている念仏が俺の耳に障る。
「やめろ南川、というか何故念仏を唱えているんだ」
スマホを一旦切り、壁に向かって呪詛を唱え中の南川に聞く。
もし南川が見ている場所に何かしらの霊的なアレが居るのなら話は別であるが、おそらく違うだろう。
南川の視線の先にあるモノは、我ら卓球部の先輩方が刻んでいったラクガキ塗れの壁だけ。
「念仏じゃねー、呪いだ」
「なんの」
「何のって、お前……さっきの女子にだよクソが」
明らかに唱えていたのは念仏っぽいモノだったと思うのだが、ソコには突っ込まないでおこう。
いつにも増して不機嫌な表情で答える南川、そうとうご立腹の様である。
さて、さっきの女子にか、ということは。
「別に気にする事じゃないだろ、と言いたい所だが俺に南川の気持ちが解からない以上、そうは言えない。存分に呪い続けてくれ、あ、声は小さくしてくれると助かる」
こいつの声はデカいからな。
南川は髪の毛を掻き毟り、
「ああもう! お前のその妙な言い回しがイラつくんだよなぁ、素直に言ってくれよ――天パじゃないから分かりませんってよ」
自虐めいた口調で言う南川。
イラつくと言われましても。
南川は転がっていたピンポン球を拾い、自身のラケットで球つきを始めた。
どうやら念仏、もとい呪いは終わったらしい。
「好きで天パになったんじゃねーんだよなぁ、坊主は坊主でバカにされるしよぉ」
南川が坊主になった場合を想像してみる。
背の高くガタイの良い、異様に目つきの悪い坊主、ふむ。
間違いなく高校生には見えないな、ヤの付く人だと言われても納得するであろう。
怪我した時の遺症らしい頬のキズも相まって、是非とも坊主はやめていただきたい。
「直接ナニか言われたワケじゃないだろ? ただ可能性として、南川のかもしれないってだけの話で」
「つってもよー、覚えのねぇコトで犯人扱いされんのはイラつくんだわやっぱ」
南川は自身の頭髪にコンプレックスを持っている。
それで今回の事件、というか出来事が発生してしまった為、普段よりもイライラしているのであろう。
出来事とは、簡単に言うと。
『卓球ボールを入れておく場所にちぢれ毛が複数、休みが空ける度に入っている』
こういう些細な出来事だ。
夏休みに入ってから、誰かがボール入れにちぢれ毛が入っていることに気付いてからと言うモノ、部活の休みがある度、このちぢれ毛は混入し続けていた。
最初は馬鹿な奴が「陰毛かよ、誰のだよ」と冗談を言う程度だったのだが、流石にこう何度もちぢれ毛が入っていると変に思うヤツが出てくる。
そして今日女子部員の一人が「南川君の髪の毛じゃない?」と言ったのだ、女子本人は南川が居ないつもりでこの発言をしたのだろうが、生憎南川はそれ聞いてしまい。
「成清もやっぱ俺の髪だと思うか?」
その直後の南川は気にしていないような素振りをしていたが、なるほど、相当根に持っていると見た。
成清というのは俺の名前だ、古臭くてあまり好きではないのだが妙に下で呼んで来るヤツの方が多い、南川もその一人である。
「どうだろうな、もし南川の髪の毛だったりしても、大して俺は何とも思わんが」
俺は別にどうでも良いと思っている。
案の上、その答えを聞いた南方はケッと吐き捨てるように笑い、ピンポン玉を高く投げた。
「やっぱ分かんねぇよな、成清の髪が羨ましいぜったくよ」
南川がどれ程強いコンプレックスを抱いているのかは分からない、それを知るほど長い付き合いでもないし、クラスでの会話も殆ど無い。
俺と南川が部室で二人だけなのもタマタマ。
「髪、切るわ」
黒のKIKEと書かれたエナメルバッグを取り南川が言った。
まさか坊主じゃないだろうな。
だがそれを問おうとは思わなかった、なぜなら南川と俺はそんなに仲が良いわけでも無いし、まず俺があまり人と関わるのが好きではないからである。
「了解」
とだけ言う。
俺も立ち上がって部室にある唯一の冷却道具である扇風機の電源を切り、部室の鍵をバッグから取り出す。
「つか成清、早く帰りたいなら言えよ、お前俺待ってたんだろ?」
「……待っていては待っていたが、特段早く帰りたいとは思わなかったのでスマホを弄っていた」
南川が怪訝な顔をする。
「やっぱ変なヤツだな」
「だろうか」
変わっている言動をしているつもりは無いのだが。
軽く忘れ物が無いかどうかの確認を取って、部室を後にした。
時刻は夕方、朝10時から16時までの夏休み中の部活動、汗はあまりかかない。
仮にも運動部、それなりに厳しい練習が我が卓球部で行われている、ワケでもない。
俺達の部活はいわゆる弱小部活動で、運動の出来ないヤツが入る運動部、みたいな立ち位置である。
この夏休みを最後に、俺はこの部活を退部するつもりだ。
他に入りたい部活があるワケでもないが、もともと中学からの惰性で続けただけの部活。
……明日にでも、部長に辞める事を伝えるか。
通学用のママチャリに跨り、俺は学校を後にした。
――――
――
「やべぇぞキヨ! やべぇって!」
何がヤバいのか。
先に部室に到着していたらしいネコ目の男が、いつもよりオーバーなリアクションで俺に言ってくる。
「主語を入れてくれ」
「カツだよ! カツの髪がヤベぇんだ!」
カツとは、南川のあだ名だ。
このネコ目の男は基本的にあだ名で人を呼ぶ、南川勝広だからカツ。
俺も似た様なあだ名の付けられ方である。
「髪? 確かに昨日髪を切ると言っていたが、そんなに驚く事じゃないだろ」
言いながら自分のロッカーにバッグを入れる、まぁロッカーと言っても鍵は付いていないし、ドアも付いていないのでほぼ棚であるが。
「いやいやいや切るって次元じゃねーよアレ! つかアレどう見ても高校生じゃねーだろ、人殺してるよアレ!」
随分な言い草であるが、まさかな。
部室から普段卓球部が練習している場所はすこしばかり距離があり、まだ俺は南川の姿を見ていない、おそらくもう練習場所に行っているのだろう。
「キヨ、昨日なんか変なこと言ったんじゃないのか? あの後二人だけ残ってたろ?」
「別に何も、余計な事を言うとしたら虎谷だろ」
「ヒドクね!? そして否定できねー自分がここに居ます、ほら俺って正直者だからよ!」
このネコ目の男の名前は虎谷、中学の同級で同じクラス、卓球部にはコイツに誘われるまま入部したのである。
卓球のセンスはあるが、あまり真面目に活動はしていない、まぁ俺が言えたクチじゃないか。
背は俺と同じくらいで170程度だが、猫背なので俺の方が高く見える。
髪は若干の茶髪、容姿はあまり悪くないが、頭がアレなのであまりモテない。
一応俺が勝手に友人だと思っている人物の一人だ、だからと言って遊んだりする訳ではないが。
「正直すぎるのも問題だと思うぞ……で、どんな髪型なんだ南川は」
そこまで言われると流石に気になる。
虎谷はワザとらしく口を両手で隠し、
「言えねぇ、俺の口からはとてもじゃねぇが言えねぇ! この衝撃は、君の目で確認して欲しい」
なんだその洋画の宣伝文句っぽいのは。
「じゃあ行くか、今日は部長がいるから、それなりに厳しくなるだろうな」
「まぁなー、メンドイけど」
「ついでに言っておくと、夏休みいっぱいで卓球部を辞める事にした」
「それついでで言う話じゃないよな!?」
目を大きく見開く虎谷を横目に見て、
「今日も暑いな」
「露骨に話題変えてきた!? いやまぁ暑いけども、地球温暖化にキレそうなくらい暑いけどもね!?」
虎谷誘われて入った部活なのだから、コイツに辞める事を伝えないのは野暮であろう。
だがそれに対して理由を話そうとは、あまり思えない。
話したくない、というのが正しいか。
――――
――
パコン――カッ――パコン――カッ――キュッ――パコン――カッ。
ラリーの音が練習場所に響く。
練習場所は高校の集会所として使われている場所で、普段は卓球台が並べられているが、そういった行事がある場合、台は隅に畳んで置かれている。
四階建ての建物の二階にあり、丁度日が差しやすい場所だ。
なので基本的に練習中は、黒のカーテンで日が照らない様にされている。
南川の姿を探すと、スグに見つかった。
……。
だがその姿を南川だと受け入れきれずに、二度見する。
横にいる虎谷が小声で、
「笑ったら、死ぬぜ」
「肝に命じておく」
ラリーを続ける南川の頭髪は、確かに切るという次元では無かった。
狩っていた。
つまり、坊主である。
そして南川の異様とも言える柄の悪さがプラスされ、完全にヤ〇ザと化していた。
ラリーの対戦相手である同じ一年生の顔を見てみると、明らかに緊張というか恐怖しており、もはや同級生同士の練習では無くコーチと高校生、いや。
なぜだか練習場所に召喚されたヤクザが、興味本位で適当な部員に声をかけて卓球を始めた、と見た方がしっくり来る。
もしヤクザもとい南川がラリーで勝った場合、対戦した相手は強制的に舎弟にされるとか、そんな感じ。
「……別にあそこまでする必要無いだろうに」
「ん? なんか言ったキヨ」
「何も」
間違いなく昨日の出来事が原因だろう。
気にしすぎだと思うのだが。
まぁ、これで南川が犯人扱いされることは無いだろう、同時にちぢれ毛の件も風化すれば良いのだが。
――そう願っていたのだが。
――――
――
「んでだよ……なんでまだあんだよ」
夏休みの終盤、未だちぢれ毛はボール入れの中に混じっていた。
絶望に浸る若干毛が生え始めた南川の悔し気な声が、静まり返った気がしないでもない練習場所に響き、女子達の顔は引きつっている。
隣の虎谷が呟く。
「これは事件の臭いがするぜ……!」
「しないだろ」
こうして、ちぢれ毛事件は開幕したのであった。