それぞれの思惑ー2
部屋を後にしたダンは足取り重くローランド城の王家居住区、エレンデル棟に向かっていた。
トニアとの小競り合いの報告と、レイのことを国王こと、レオニアに話さなければならない…。彼の反応を想像して、ため息をつきながら足速に王の執務室に向かった。
「おや?…誰かと思えば…レオニアの狂犬ではないか」
「…レスガルド様」
背後から声をかけられたかと思えば、茶色に近いブロンズ髪を揺らして30代後半ほどのやせ型の男が絢爛な衣装に身を包み佇んでいた。
ひやりと感じる薄い黄緑色の瞳をこちらに送るこの男、レスガルドと呼ばれたこの人はレオニアの従兄にあたる王族だ。
レオニアが王位に就くまでレスガルドもまたその座を巡って争っていた者の一人である。
しかし彼は後継争いを自ら辞退し、現国王に一番近い身内として現在はローランド城に身を置いていた。
万が一現国王に何かあった場合、王子であるレクリュスに次ぐ王位継承権、序列第2位の持ち主だ。
そして今アルベール国内ではレスガルドの息子、第1王子セオと、現国王レオニアの息子、第2王子レクリュスが次の国王の座を巡って派閥争いを起こしていた。
なぜ現国王であるレオニアの息子、レクリュスが第1王子として扱われないのか、その理由は「元々の直系の血筋がより近い者」こそ王に相応しいとされるからだ。
レオニアは今でこそ国王となりえているが、本来の王家の血筋からはかなりの縁戚にあたる。
あんまりにも遠い血縁であることから幼少の頃は本人には王族の自覚なく、市井で市民として暮らしていたほどだ。
実際のところ純粋な血筋でいえばレスガルドの方が”王”に近い存在なのである。それゆえに第1王子の立場はセオと位置づけられていた。
ただ、次期国王に関しては現国王の意向が反映される場合が多いため、第2王子であるレクリュスが第1王子のセオよりも一歩リードしており、大変複雑な後継問題となっている。
「トニアとの小競り合い、ご苦労であったな。」
「____…身に余るお言葉、光栄です。」
レスガルドに背を向けたままダンは答える。
すると一層冷たくなった視線を背中に浴びせられたが、ダンは意に介さず姿勢を変えなかった。
王族に対して背を向けるという不敬な態度をとっても、許されてしまうのは彼がレオニア(現国王)の黒賊であるからだ。
王専属の黒賊、それだけで他王族と渡り合えるほどの権力を持つ。
それにダンに敵対行為を示せば、必然的にとレオニアに対する反逆行為と見なされるので、処罰される理由を与えてしまうことになるのだ。
しかしながら、レスガルドは腐っても王族。
第1王子セオの父親だ。
そして何よりもレオニア本人があまり争いを好まない。ここで小競り合いでもしてしまえば、レオニアに迷惑をかけてしまうと考えたダンは、渋々レスガルドへ応対をすべく、ゆっくりけだるげに振り返った。
レスガルドをその目に映し、さらりと流れた濃い紫色の髪がダンの動きに合わせて揺れる。
ただでさえ任務帰りで疲れ、レイを部下二人に紹介し終えたところにこの男。
ダンがこの世で最も嫌う男の登場である。
ダンの機嫌はいわずもがな急降下し、辺りはひやりとした空気に包まれた。
そんな空気に気づいているのかいないのか、レスガルドは振り返ったダンを見て満足気に目元を歪めて笑う。
レスガルドの背後には黒い影が音も出さずに佇んでいた。
レスガルドの黒賊であろう、その気配を機敏に感じ取りながら彼「ら」とダンは対峙する。
少しでも油断すれば己が帰らぬ人となってしまう可能性もある…それが分かっていてもなお、ダンは腰に下げてある剣に手を伸ばさなかった。
髪と同色の瞳が鋭くレスガルドを牽制する。
「…愚か者が、不躾な態度は変わらずか」
「私を使役することができ、そして平伏するのはレオニア様…、御方お一人です。」
「…無礼者めが。」
ダンの視線にひるんだレスガルドがそう呟いた瞬間、彼の背後の影からの殺気も濃くなった。
その気配を感じ取りながらダンもふっと殺気を滲ませる。一触即発の凍り付くような空気を漂わせ、その場の時が止まってしまったかのようだった。
「…まずは私にただいまの挨拶が先じゃないのかな?」
その時、少し低めの柔らかい声が廊下に響き、辺りを凍り付かせていた空気を霧散させる。
聞きなれた声にダンのこわばっていた体から力が抜けた。
「レオニア…」
「おかえり、ダン。…よく戻ったね」
物腰柔らかく、廊下の奥から出てきたのはこの国、アルベールの現国王。
レオニア=ロンドウェル=レソロア=アルベールだ。
レスガルドよりも一層色素の薄いハニーブロンドにアクアマリンのような淡い水色の瞳がその場を静観する。
佇むだけでこんなにも神々しい…王家から遠く離れた血筋であることも疑わしく思えるほど、このレオニアという男は生粋の「白亜」だった。
目の前のレスガルドの顔がレオニアの姿を目にした瞬間、更に歪みその拳にぎゅっと力が込められる。そこには明確な憎悪と嫉妬が込められていた。
ダンを前にした時よりも殺気が色濃くなり、表情を歪めて従弟であるレオニアを睨みつける。
対してその視線をもろに受け止めても、レオニアの表情は柔らかく崩れることはなかった。
ただ静かに廊下に佇み、冷たい瞳でダンとレスガルドを眺めているだけ。
レスガルドに比べてかなり装飾を抑え、刺繍とシルエットの美しい衣装に身を包んでいるレオニアはたおやかに笑った。
「やぁ、レスガルド…私の大切な従者にどんな用事かな?」
「ハッなに、帰還した従弟の忠犬を労わっていたところだよ。」
「そう…、それはどうもありがとう。では、挨拶が終わったなら私に返してもらってもいいかい?彼から貴重な報告を聞きたいんだ。トニアの動きが活発らしいからね。」
「フン…。そうだな、俺の時間は金よりも高価なものだ。犬ごときにこれ以上構うのは無駄というものだな。」
「…行くよ、ダン」
レオニアの黒賊を蔑むことは、レオニア自身を蔑んでいることと同意だというのにこの男はそれさえも知らない馬鹿なのか、それともレオニアの従兄という立場からくる愚かな自信なのか…。
こんな男を主君として仕えている同業の黒戝をダンは哀れに思った。
優雅に踵をかえしたレオニアにダンは躊躇うことなくついていく。その視線は既にレスガルドから外れており、更に表情を歪ませた彼の顔を見ることはなかった。
「おい、…護衛もつけず、一人で出歩くとは気でも狂ったか?レオニア」
「はぁ…せっかく助けてあげたのに…。帰ってきて早々に小言は勘弁してくれ。」
ダンと共に王の執務室に戻ったレオニアはその身を豪快に椅子に沈める。先ほどまで身に纏っていた気品を脱ぎ捨てたその姿はおよそ”国王陛下”とは思えない。
髪をかきあげ、脱力した体を椅子に預ける様は、王というよりは仕事に疲れて帰った一般市民に見える。
レオニアは脱力した状態のまま右手を挙げて室内にいた侍女、近衛兵を下がらせた。
一人一人に目配せをし、声には出さずとも口パクで「今日もご苦労様」と伝える様は、昔からその姿を変えていない。
そんな王に従者たちも微笑みを返し、すれ違いざまにダンにもぎこちなくも礼をとる。近衛兵からは力強くうなずかれ、侍女には「おかえりなさいませ」と小声でささやかれた。
王も王であればその王に仕える従者もまた、その気質が似てくるようだ。
未だに馴れることのない任務帰りのこの習慣はむずがゆく、ダンには違和感しか感じないものであったが決して気分を害するものでもなかった。
レオニアの執務室では白亜と隷属の差は感じられない。
だからダンはこの部屋が好きだった。自分がまるで一人の人間になれたようで。
「で?トニアではどうだった?」
「…茶番だなあれは。牽制こそすれこちらに本格的に戦を仕掛けてくる気はないようだ。」
「まぁ、いつものことだよね…。」
肩口で切りそろえられた薄い金髪がサラリと流れ、頬杖をついたレオニアはその顔に疲れを滲ませていた。
レオニアも御年32。王位に就いて10年ほど経つが年々、その顔には疲れがたまり影が差してきている。
常に命の危険にさらされている緊張感と、大国であるからこそ、不安定な内政を支え続けなければならない重圧。
このアルベールに暮らすすべての国民の生活と命がこの男にのしかかっているのだと思うと、ダンは自分の境遇よりも時折レオニアに同情してしまう。
「トニアのことはまた宰相と軍部、上院に持ち込んで対処を決めるとして…____、ダン?」
何か言いたそうだね?
執務室の机の向こうから含み笑いを浮かべたレオニアがそうダンに語りかける。
すべてを見透かされたようなレオニアの瞳にダンは一度大きく目を見開き、ゆっくりと閉じた。
(昔からこの男には隠し事ができない。)
何かを言いたそうなダンの表情などお見通しなのか、いつだってレオニアは言葉を呑み込みがちなダンからその言葉を引き出してきた。
レオニアの黒賊になって20年以上、いつの間にかレオニアはダンの微かな表情を見抜く能力を身に着けていた。
「相談が、ある。」
「へぇ…、どういう風の吹き回しだい?」
「___…からかうな。」
「そうだね、ダンが“きちんと“私に相談してくるなんてよほどのことだ。」
口は笑っていても眼だけは真剣みを帯びているレオニアにダンもその姿勢を正す。
「____任務帰りに幼い隷属を拾った」
「…ん??ひろっ??__え?…なんて??」
「だから、推定5歳と思われる隷属の子供を拾った。その子の育成許可がほしい。」
「拾ったってどこで…」
「俺の隠れ家で」
「いつ」
「昨日」
「連れて帰ってきたの?」
「あぁ。」
「____???」
ぽんぽんと単語だけで会話が進んでいく。
表情の変わらないダンと目を白黒させて状況が飲み込み切れていないレオニア。
ゆっくりとダンの言葉を飲み込み理解したレオニアが「はぁあああああ」と大きなため息をつき机に突っ伏した。
「あのねぇ、ダン?犬猫と違うんだよ?そんなペットみたいな…。それにダンが育てるっていうことは…、黒賊にするつもりなんだろう?」
「無論、後々にはレクリュスの黒賊にしたいと考えている。」
「___なるほどね。…そういうこと。」
納得したという顔で机から恨めしそうにその顔を上げダンを見上げる。
____ダンは冗談を言ったことがない。
それは長年の付き合いのあるレオニアに対しても変わらなかった。
「5歳から育てるっていうことは、その子はもう普通の生活はできなくなるんだよ?」
「本人の了解はとっている」
「まだ判断もつかない子供だろうっ!!!!????」
声を荒げたレオニアが勢いよく立ち上がる。
その衝撃で重厚な椅子が倒れたが、ダンは意に介すことなく激怒したレオニアを静かに見つめた。
なぜ、レオニアが激昂したのか理解できないとでもいうように首をかしげる。
「5歳なんて…息子よりも、レクリュスよりもまだ幼いじゃないか…。」
「この世界に隷属として生まれたなら年なんて関係ない。それはお前が一番わかっていることだろう?」
「僕はそれを変えたいんだ…だというのに、レクリュスにもまたその制度を引き継がせなければならないのか?それもレクリュスよりも更に小さな子供の人生を食いつぶしてまで…」
「だが、レクリュスにも黒賊をつけなければ…_____殺られるぞ?」
「っ」
ひゅっと息をのんだレオニアから血の気が引いていく。
レオニアはダンの前では本来の姿、感情を晒す。
彼の一人称が変わるのはダンの前だけだった。
王である以前に一人の親であるレオニアに、「自分の息子」かあるいは「知らない隷属の子供」か…。
非情な選択を迫っている自覚はある。それでもこの主人には決めてもらわなければならない。現国王であるということは次の世代にも責任を持たなければならないことを。
レクリュスを生かすにはレクリュスではない誰かの人生を犠牲にする必要がある。
「______黒賊のあり方を否定するということは、俺を否定するということだ…。」
「ちがっ…!!!」
「レオニア、一代で変えられるような容易い価値観ではないことは…、お前が一番わかっているはずだ。」
「っ…」
レスガルドとの攻防では一切表情を崩れることのなかったレオニアの表情が歪む。
歯を食いしばり何かに耐えるようにきつく目を閉じる姿はここ最近見ることのなかった”苦悩”の表情だ。
強く握られた拳がふるふると震えていたが、やがてふっと力が抜け緩められる。
眉間に寄っていたしわもなくなり、困ったように息を吐いて笑ったレオニアはその視線をダンに向けた。
その表情はダンは昔から見慣れてきたものだ。レオニアはいつも我慢や耐えることを迫られた時、こうして困ったように笑って諦めるのだ。
「…わかったよ。その子の教育をダンに任せる。」
「あぁ…。」
「ただし、その子がちゃんと独り立ちできるまで…一人前になるまで必ずその子を守りきることを約束してくれ。」
僕にとっての君になるんだから…レクリュスにとっては、いなくては生きていけないくらいの存在に…。
そう言って微笑むレオニアにダンは顔を伏せる。
「フィーリにキアラもつける…レイが死ぬことはない」
「レイって言うの?その子…」
「あぁ、俺が名付けた」
「は?」
そう伝えた途端、更に経緯をレオニアに質問攻めにされ、その後2時間ほど執務室からダンが出ることは叶わなかった。