それぞれの思惑
人物名に間違いがあったので直しました。ご連絡くださった方、誠にありがとうございました。
「ここで生きていく、そう覚悟を決めたのね?」
「…はい。」
「2度と戻れないわよ?」
「…わかって、います」
レイの身長に合わせてかがみ、キアラはその銀色の瞳を覗き込んだ。
もう戻れない。
それは表の世界で…日の光の下では生きていけないということを示していた。
黒賊は影の存在。
影としてしか生きられず、光の中歩いていく聖人の幻影。
その中でだけ、息することを許される哀れな存在。
キアラに問われたとき、レイはまだ「殺す」ということに対して実感が持てていなかった。そのせいで、歯切れの悪い返事になってしまう。
けれど、ここで生きていくという決意は固く、視線をそらすことだけはしなかった。
「っ!」
「そう、わかった。なら…生きていく術を教えましょう」
ふっと視線が柔らかくなったかと思うと、キアラはそっとレイを抱きしめた。
突然のことに体が硬直してしまったレイだったが、ゆっくりとキアラの綺麗な背中に手を回す。
キアラの柔らかな髪が頬をかすめて、そして優しく頭を撫でられた。
レイにとっては久しぶりの人の温もりだった。
「よかったな、レイ。改めてよろしくなっ!」
「はい…。よろしく、お願いします。」
後ろで見守っていたフィーリがレイの頭に手を置き、かき混ぜる。
突然の受け入れ態勢に戸惑いながらも、レイは与えられる温もりにただただ身を任せほっと息をついた。
事の成り行きを見守っていたダンはまた深くソファに座りなおし、殺伐としていたこの部屋に確かな温かさが生まれたことを感じていた。
「レイ、休むぞ」
「あ、…はい。あの…ありがとうございました。」
「ゆっくり休みなさい。詳しい話はまた明日。」
「お休みー」
今朝、ダンの隠れ家を出てから、もうすでに夕暮れ。
この世界に来て早くも2日目が過ぎようとしていた。
空腹感はなく、ひたすら慣れない馬での移動だったせいかレイの体は休息を欲して眠いと訴えている。
「とりあえず、俺のベッドで寝てろ」
「…お邪魔、します」
成人男性のベッドに入ることにちょっと抵抗を感じてしまうが、眠りたいという欲求が勝る。
倒れるようにベッドに沈み込み、そのままレイは意識を失うように眠りについた。
「寝たか…」
その様子を同じくベッドに腰掛けていたダンは見届けて、毛布も掛けず眠りこけるレイに苦笑する。
丸まって眠るその姿は子猫さながらだ。
黒いから黒い、子猫…。
キアラとのやりとりでまた子供らしくないところを見せたかと思えば、こんなところは年相応の子供だ。
体力的にも仕方がないのかもしれないが、何の警戒心も無くスヤスヤと寝息を立てるレイにそっとシーツを掛ける。ついでとばかりに形のいい頭を一撫でし、ベッドから立ち上がるとダンは自室を後にした。
「寝ました?」
「あぁ。」
椅子にまたがるように座っていたフィーリがニヤニヤしながら話しかける。その胡散臭い顔を素通りして、着ていた上着を脱ぎ捨てた。
「それにしても本当にどうしたんすか?任務帰りにあんな拾い物すんなんて…」
らしくないじゃないですか?____
怪しく目元を三日月型にし、フィーリはいつの間にか取り出したのか愛用のナイフで器用に遊び始めた。その姿は本来の暗殺者の姿さながらで気味が悪い。まるでいつでもレイを殺せるぞと命令を待っているかのようだった。
暖炉の火にキラキラと反射する刃にダンは目を細め、深く息を吐く。
キアラも受け入れはしたものの納得した様子は未だ見られず、静かにテーブルに手をついてこちらを伺っていた。
「…いつもならサクッとやっちゃうのに。…何で連れ帰ったんです?」
「それを話す必要は、あるのか?」
「レイの口からは聞きましたが、隊長…貴方の考えは聞いていません。」
1人がけのソファにまた身を沈め、2人それぞれの視線を受け止める。
ダンに忠実に付き従う2人だからこそ、今回のダンの行動は不可解極まりなかった。
それほどいつものダンからは逸脱した行動だからだ。黒賊のトップに君臨するダンの行動には常にその理由と結果が伴う。彼の行動には必ず何かしらの意図と理由があって、結果的に全てが上手くいくからだ。
だからこそ任務中に邪魔が入れば女子供だろうと、関係のない一般人だろうと容赦無く目撃者は排除してきたダン。
そんなダンが隠れ家にいた少女1人を生かして、しかも連れて帰って来たなんて…。
気でも狂ったのかと疑うレベルの話だ。
胸ポケットからタバコを取り出し、暖炉の火で火をつけたダンは一口大きく吸ってから目を閉じた。
暗い部屋に妙に怪しく煙が漂う。
目を閉じてタバコを咥える仕草、それはダンが何かを企んでいる時だ。
それを見て長年ダンに仕えている2人はやはり少女を…。レイを連れて帰ったのには意味があると理解した。
だが、そんな身構えた2人を軽く鼻であしらい、ダンはふっと笑みをこぼす。
「なに…、そんなに深い意味はない。…さっき伝えた通りだ。気まぐれが半分と、第二王子であるレクリュスの黒賊に…____仕立てあげようと思ったまで。」
「そのことは先ほども聞きましたが…」
「そりゃまた何で、突然?って話だろうよたーいちょ。」
レクリュスの黒賊としての役目は俺達でも充分、とでも言いたげな2人にダンは目配せをする。
話はまだここで終わっていなかった。
「幼い時から意識させることに意味がある。」
暖炉の火を見つめるダンには表情がなく、照りつける火の光が一層ダンの表情を見えなくさせていた。
これから話されるであろうダンの思惑を静かに二人は待つ。
そしてゆっくりとダンは語り始めた。
そう、幼い時から絶対的君主、主人を持つことで黒賊としての意識を高める。
それだけじゃない、レイが幾つであるかは正確にはわからないが、仮に5歳だとしてその年ならばまだ、「刷り込み」ができる。
主人の為に命を捨てること
主人の命令に逆らわないこと
主人を決して裏切らないこと
主人の為ならば何の疑問も抱くこともなく邪魔者を排除すること
上げればきりがないが、幼い頃から黒賊としての教育を施すことで、決して裏切ることのない完璧な臣下を作り上げる。
ある時には完璧な暗殺者に。
ある時は完璧な従者に。
命を捨てることを躊躇わない人間を作るには大人になってからでは遅い。
ただひたすらに死に対して疑問を抱くこともなく、主君に仕える臣下を作る。
そう、ダンはレイを第二王子レクリュスに捧げるつもりなのだ。
完璧な影として。
それが壮年でもう時期引退、もしくは任務で死ぬ確率が高いダンに残された大きな使命の1つでもあった。
つまり、ダンは己の後継者を作ろうとしていたのだ。
たまたま居合わせてしまったことによってレイはその後継者として選ばれた。
「不運…ですね」
「______そうだな。だが、仕方ないことだ。」
…俺に見つかってしまったのだから。
キアラが目を伏せ、フィーリは時折爆ぜる暖炉の火を眺める。
かくしてレイは知らぬ間にレクリュスの、王族への献上品として見定められてしまったのだ。
しかも確認は取れてないものの、そこらの黒賊よりはるかに魔力が多いと思われる。何なら、白亜よりもずっと魔力量はあるのかもしれない。
何たって彼女の瞳は「銀色」なのだから。
黒賊で銀の瞳を持つイレギュラーな存在。
本人はその希少性をあまり理解していないようだが、黒賊の持つ身体能力と白亜の魔力の組み合わせとなると、うまく育て上げれば、とんでもない怪物になることがバカでも想像がつく。
むしろダンにとって、己が拾えたことが不幸中の幸いであったといえるだろう。
そして、ダンは第一王子セオより第二王子であるレクリュスを次代の王にしたいがために、どうしても強い絆で結ばれた黒賊を用意したかった。
専属でついた黒賊が強ければ強いほど、その主人の生存率も比例して上がり、王族としての地位も上がる。
強い者を従えるということはその者も強いという証明になるからだ。
「第一王子セオ様は差別主義の方だ。レクリュスと覇権争いになることは目に見えてわかる。」
「その為の、レイなのですね」
「あぁ。隷属の未来のためにもレイには…、黒賊になってもらう。」
「あーぁ、…もしかしたら殺されてた方がマシな人生だったのかもなぁ。」
「…。」
今後のレイを思い、フィーリがぼやく。
かく言う2人もキアラは11の時に、フィーリは9つの時にダンに拾われ、しばき倒されてきた。
しかしこの2人はダンの「私兵」にすぎない。2人が忠誠を誓うのはダンに対してのみであって王族ではないのだ。
1人の王族につき黒賊は1人
そういう掟がある為、ダンは「私兵」ならば問題はない。自分の部下なのだからと、無理くりな筋を通して他の王族、上位貴族を黙らせた。
ダンが仕えているのが現国王のレオニアだったことも後押ししているが、一番はダンに逆らって殺されたくない、というのが他の王族の見解とも言える。
王族の間でダンは悪い意味で有名だった。
王族殺しのダン。
レオニアの懐刀。
王の陰に潜む狂犬。
そんな異名が付いてしまうほどにダンは他の王族から恐れられているが、本家筋でない分家の出身であるレオニアが国王になれたのはこのダンのおかげだ。
「これからレオニアのところへ行く。…任務の報告ついでにレイの育成許可をとってくるから、レイのこと頼んだぞ」
「はーい…てか、むしろ隊長にとってはレイの方が本命でショ?」
「さぁな…レイのこと頼んだぞ」
「先日の任務のこと、我々にも後ほどご報告下さいね」
「あぁ。」
吸い終えたタバコを暖炉に放り投げてダンはその腰をソファから上げた。
一度レイが寝ている自室に目を向け、ダンはその部屋を後にした。
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「フィーリ、どう思う?」
「え、ここで俺に振る?」
「私よりもあなたの方が慎重でしょう?」
ダンが去ったのち、キアラがドアから目線を外し再びナイフで遊び始めたフィーリを振り返る。
ネコのような真ん丸な瞳がフィーリを覗き込んだ。隷属にしては色素が薄いといえるオレンジ色の瞳がフィーリの顔を映す。
長く大きなため息をついて、濃い緑色の髪をかき上げたフィーリはそのナイフを懐にしまった。
「どう思うも何も、隊長が決めたことだ。_____俺たちはそれに従うだけだろう?」
「そう、だからこそ隊長の御身に何かあるようなことがあれば______…私は容赦なくあの子を消すでしょうね」
「…キアラ〜?隊長の話聞いてた〜?」
鋭い光を宿した瞳を遮るようにフィーリはキアラの頭を抱き寄せた。
暗く翳っている瞳のまま、「受け入れはするが少しでも不審な動きを見せればの話だ」とキアラが小さく呟く。
煌々と怪しい光を灯していたキアラの目をフィーリがそっと塞いで、落ち着かせるように頭を撫でた。
「彼女のことは、隊長が目を掛ける限り尽くそうとは思う。だけど、もしもその過程で隊長に不都合が生じた時は…」
「キアラ____。」
それはまだわからないことだ。
そうフィーリが宥めれば、若干の殺気が漏れていたキアラの気配が徐々に丸みを帯びる。
昔からキアラはフィーリやダンのことが関わるとよく前が見えなくなる。幼い時ダンに拾われ、キアラと共に育ってきたからこそフィーリはその危うさをずっと見守ってきた。
落ち着いてきたキアラの頭を自分に向けさせその瞳を見つめて幼子に言い聞かせるようにゆっくりと話す。
「キアラ、隊長が…ダンがレイを育てると決めた。お前も生きる術を与えるとレイに言った。それをすぐに違えることはダンの命令を無視することになる」
「…ん」
それは俺とお前の本意ではない。
そう伝えると暗かった瞳に光が宿り、フィーリをゆっくりと見つめ返した。
「俺たちが次は見守る番だ」
再びキアラの頭を抱えなおし、その華奢な背中をさする。
よしよし、とあやすように背をなでればその鋭い気配は身を潜めキアラはおとなしくフィーリに身を預けていた。
(まったく、隊長も拾いモノはほどほどにしてほしいよまったく…)
まだ親離れできない子がここにいるってのに…。
そう思ったフィーリはゆっくりと自分達の過去を振り返った。
フィーリとキアラは良くも悪くも二人きりだった。
ダンに拾われ育てられる中で、その身をダンに捧げることを誓い、技術を磨いてきたが、失うものも当然あった。それはキアラであれば感情の起伏といわれるもので自分たちのことになると見境がなくなる。発達障害に近いかもしれない…。とにかく極端なのだ。
「あの子を守ろう?俺たちで…」
フィーリが身を預けてくれているキアラにそっと問いかければ、また暗い瞳をしたキアラがじっとフィーリを見据えた。
「________お前にはもう、守るべきものがあるのに?」
「っ!!??」
ビクッとキアラを抱えていた腕が震え、フィーリは思わず動揺する。
そしてギュッとさらに力を籠め、キアラを抱きすくめた。まるで目の前の現実から逃げるように…
それから何も言うことなく二人はしばらくそのままでいた。