拾い物の先行き
愛馬のアッシュにまたがり、細い獣道を駆けてどれだけが経ったか。
自分の前に乗せている少女は意外と揺れないことに安心したのか静かに寝息を立てている。
______たいしたものだ、馬上で寝るなど…
そう思いながら自分の半分以下の身長しかない少女を改めて見る。
サラサラと指通りの良い黒髪と、今は隠されていて見られないが銀色に輝く瞳。
もし、髪色も瞳と同色であったなら、とんでもない才能を有し国内外の有力貴族、あるいは王族から引っ張りだこであっただろうと容易に想像できた。
いや、もしかしたら神殿あたりに幽閉されていたかもしれない。
今代の王族でさえも持ち得ていない、あまりにも現実離れした色彩だから…。
銀色の瞳と告げたときかなり驚いているようだったが、あれはどうしてだろうか?
自分の瞳の色など、見慣れているだろうに…
そんなことを思って少女を見てみるが、静かに閉じられている瞳が開く気配はない。
彼女はスヤスヤと穏やかな寝息を立て続けるだけだ。
あの時のレイのリアクションを思い返し、首を傾げながら、不安定に揺れる体を抱え直した。
そして安定させる為にしっかりと己の体にくっつける。
子供特有の高めの体温が布ごしでも伝わってきて、ふっと息を漏らした。
相棒のアッシュも何かを察しているのか、いつもみたくスピード重視の走りではない丁寧な走り方をしている。
________不思議な存在だと思う。
自分しか知らないはずの隠れ家に突如現れた異物。
異物であるはずなのに彼女はひっそりと溶け込み、気づけば王都にまで連れて行くことになってしまった。
任務終わりで荒んでいた気分が、翌日にこんな平穏な心地になったのは初めてだ。
黒賊になってから20年以上、何ににも揺らぐことのなかった心が…、今まで殺す対象でさえあった存在に簡単に入り込まれた。
しかし、入り込んできてもそれは違和感や不愉快さを感じさせるものではなく、自然と溶け込み馴染んで、殺伐とした世界に午後の温かい陽ざしを届けてくれるような…鬱蒼と茂る木々の間からこぼれた木漏れ日のような、冬の良く晴れた日の陽だまりのような…そんな心地よさを与えてくれた。
きっとこれは民が生活していて、ふとした瞬間に感じる心地よさなのだろう。
外で元気よく走り回る我が子を見つめる瞳や、雨上がりの路地の匂い。泣いた子供をあやす母親。
そんな風景がふと脳裏によぎる。
自分には無縁だと思っていた感覚が初めからずっと、己が内側にあったかように壮年の荒んだ男の心を凪いでいった。
(もし、あの子との…、彼女との普通の生活が許されていたのならこんな感じ…、だったのかもしれないな…。)
決して叶うことのない願いが思い浮かんでしまい、慌ててかき消す。
そんな自分の妄想を打ち消す為、瞳を固く閉じた。あり得ないとわかっていながらも想像してしまった自分を恥じた。
______彼女と…あの子との生活を…。
閉じていた瞳をそっと開いて、ゆるく頭を振る。
腕の中の少女を見て、レイを子供に重ねていた自分を叱責した。
それでもなお、1日共に過ごしただけで感じたこのこそばゆいこの気持ちは、長らく忘れていた「愛おしい」というものなのかもしれない。
それは俺が名付け親となって、自分の保護下に置いたから来る気持ちかもしれないし、なけなしの人間性と情がみせた人としての抵抗だったかもしれない。
本来ならば守るべき存在など作るべきではないし、何なら自分に関わった者は、子供であろうと排除して然るべきだ。
何より、今までの俺ならあっさりと手にかけていただろう。
けど、この小さな存在は殺さなかった______いや、殺せなかった、のか…。
少女の澄んだ銀色の瞳を思い出す。
朝の薪割りを終えて小屋に戻れば、どうしようもなく不安げに扉の前でその小さな背を丸めていた。
前に立てばハッとした表情で真っ直ぐに俺を見上げ、俺の瞳を捉えて離さない。
彼女の瞳には恐怖よりも先に安堵の色が伺えた。
午前の陽の光に反射した不思議な光彩に俺は捕らえられ、その場から動けなくなった。
久しぶりに白亜の色を美しいと感じてしまった。
白亜と隷属の間にある、どう足掻いたって埋まることのない深い溝。
お互いがお互いに憎み合い、仕えている王にでさえも時折殺意を向けてしまいそうになる。
そんな業の深い強烈な憎しみ。
そんな白亜と隷属の色を併せ持った不思議な子。
レイの銀の瞳はきっと月夜に照らされれば夜光草のように淡く輝き、オパールのような不思議な色味を帯びるのだろう。
想像しただけでそれはひどく儚く、幻想的なものだとわかる。
それはこの少女、_______レイが持つ子供なのに大人のような雰囲気も後押ししてるのかもしれない。
(本当に…子供らしくない)
自分の記憶がないにも関わらず、冷静にこれからどう生きていくか子供の頭とは思えないほど考えていた。
強者に着いていく、その発想を真っ先にし俺を頼った順応性、判断力、どれを持ってしても5歳の子供とは思えない。
年も覚えていないというのだから、5歳児というのはあくまでも俺の予想だが…
しかし俺は一つ確信を持っていることがある。
(レイは何かを隠している)
どこの誰ともわからない隷属の子、自分のことをそうレイは言った。
自分がどこの誰かもわからない…と。年齢や自分の名前のことはどうやら本当のようだが、生まれた場所を聞けば少し動揺していた。
子供にしてはよく隠していたと思うが、ほんの少し目の動きや口角に瞬間的に緊張が表れていた。
何故、隠しているのか、
レイは何も持たない子供だ。
良くも悪くもあの子は何も持っていない、だからこそ初めて会った男の俺にすべてを託して縋り付いてきたのだ。
どんなことがあって幼い子供があんなにも大人び、そして命懸けで隠し事をするというのか。
どんな思いを持って黒賊になる覚悟をしたのだろうか。
生き延びるために多くを語ってくれた子が、生を託した俺に何か隠し事をしている。
しかしそれは俺に害があることとも思えない。
レイにとっては重要な何かかもしれないがレイなら…____、あの子なら俺に何か害をなすことがあれば迷わず言ってくるだろう。
確かな証拠があるわけでも、それに足る信頼が俺とレイの間にあるわけでもないがそれでも、何となくこの子なら伝えてくると感じていた。
だからこそ、俺が育てるとも決めたのだ。
さて、これをどう国王に説明するか…、素直に拾ったとでも言えばいいのだろうが、万が一捨てろと言われる可能性があることも考える。
(ふむ、何と言えばレイの育成許可を得られるか…。レクリュスの黒賊候補と言えばいいか?)
レイを連れて行けば驚き、困惑した顔をするであろう国王…我が主が想像できる。
俺が生涯仕えると決めたアルベールの現国王レオニアは隷属である俺にも平等に接し、家畜扱いしない珍しい白亜だった。
だからこそ俺は直系の家系から外れ、血筋的には到底王になることなどできないレオニアを国王にする為奔走した。
レオニアの周りにいる邪魔者を裏で手に掛け排除し続ける日々。
全てはレオニアのために、全ての隷属のために…。
そしていつの日か、この理不尽な迫害が無くなればいい、そう黒賊になった時からずっと願っていた。
レオニアが王になれば、その遠い未来にほんの少し近づく。
そのためにレオニアの意思ではない暗殺も繰り返した。もう何人の王族に手をかけたかも覚えていない。その王族に専属でついていた、同胞の黒賊だって殺した。
そんな血にまみれた修羅の道。
その世界に俺の手で小さな少女を引きずり込もうとしている。そのことだけが未だに良いことなのかわからなかった。
「充分に、生きていけますか…か。」
5歳児が自分の将来を考えて発した言葉だ。
一体どこまで想像したんだか…1日、2日先のことじゃない。レイは施設や孤児院に行ったその先まで考えていた。そして、判断したのだ。
生きてはいけない。
と、虫ケラのような生活を送るくらいなら人を屠ってみせると______。
「…お前なら、生きていけそうだがな。」
平穏にそして安らかに。
血塗れで生死のやりとりなんかに晒されることのない、普通の生活。
先ほど頭にかすめた光景が思い出される。
その中で誰かを愛し、いつか、家族を持って________。
そこまで考えて思考を踏みとどめた。
いくら願ったところでレイの意思が揺らぐとは思えない。
あの瞳は一度決めたらもう揺らがない。
冬の静かな湖面のような、キンとした視線を思い出し、とんでもない子供だと苦笑した。
「____大物になるな。」
乾いた笑いが自分の口から漏れ、あわてて口元を引き締める。
すっかり寝入っているレイを起こしたくはない。
(この子が望むなら俺のすべてを授けよう。持てるだけの技術と知識のすべてを…。)
それがこの子を修羅の道へと歩ませることになるのだとしても、この子が…、レイが生きていけるように…。
修羅の道でもものともせず、傷ついても折れることのないように。
ましてや誰かに殺されてしまうことなどないように。
身を守る術、戦う術をすべて与えて______。
ああ、そうだ。それからでもきっと遅くはない。
そしていつかレイを丸ごと守ってくれるような人間と出会えば良い。
それまでは、どんな状況に陥っても俺の懐で生かしてみせよう。
昨日出会ったばかりの子供になぜ、ここまで気持ちが傾いてしまうのか、自分でも理由は分からなかったが、あの瞳は守らなければならない、この子が一人で立てるようになるまでは離してはならないと直感した。
「んぅー…ん?ダン、さん?」
「何だ、目が覚めたのか…?」
しばらく揺すられたままになっていたレイがおもむろにその瞼を持ち上げる。
あの幻想的な瞳が虚ろに自分を見つめていた。
俺が声をかけてもまだ寝ぼけているのか、ゆっくりとあたりを見回している。
「まだ、掛かりますか?」
「…そう、だな。だがもう折り返し地点は過ぎた。じき着く。」
そう伝えると眠ることはもうやめにしたのか、眠そうな目をごしごしとこすり起床モードに入った。
あたりを一層キョロキョロと見回し、流れる風景に目を輝かせる。
時折こういった子供らしい表情も浮かべるから、見ていて飽きない。
心配になるほど大人びていることもあれば、こうして年相応の無邪気な姿も見せる。これは本格的に成長したら相当な手だれになりそうだ。
そこから暫く、レイは馬上の旅を楽しんだ。
「王都に着いたらお前は絶対にその瞳を見せるな。俺の上着を貸してやるから髪も体も全部覆っておけ。」
「??隷属は身も隠す必要があるんですか?」
「白亜は隷属が自分より、物理的に高いところにいても不愉快に感じるんだ。例えそれが、馬上でもな。」
「???…ならダンさんは?」
「俺は現国王、レオニアの黒賊っていうことが知れ渡っているからな…問題はない。」
「なるほど…」
それでも鋭い視線を浴びることになるが、それは敢えて言わなかった。
この国の差別意識は他国と比べても特にひどい。その制裁をレイが受けるのはもう少し先でもいいんじゃないか、そう思ってしまった。
「アルベール国内へ入ったら、そのまま王城に行く。王城に着いたら、俺の部屋にお前を置いていくから、適当に過ごしていろ。部屋には俺の部下がいるはずだから、何かあったら頼るように。俺はお前の育成許可と今回の任務の報告をしてくる。」
「はい。」
「…近日中に国王…レオニアへお前のことを紹介するからそのつもりで。王の謁見までに話は通しておく。それと、王は…、レオニアは良いやつだ。おそらくお前のことも快く受け入れてくれるだろうから、あまり心配しなくていい。」
「レオニア、様?…アルベールの国王様、なのにですか?」
差別意識はないのか、そうを言っているんだろう。
そりゃあ不安にもなるか、これから自分がどうなるかはその王の采配によるのだから。
だからまず俺は王の性質を教えてやることにした。
差別意識が王族のくせに驚くほどないこと、その理由は幼少期に隷属と混じって市井で生活していたこと。だからこそ俺が誠心誠意尽くしていることも…。
それを聞いて安心したのか、張りつめていた表情が幾分か緩まり、レイの体からこわばりが解けていく。
「お前のことはレクリュス第二王子の黒賊候補として紹介する。」
「レク、リュス?、第二王子…ですか?」
「あぁ…ってまさか、それも覚えてないのか?」
「…そう、ですね…」
予想の斜め上にまでレイの記憶喪失は及んでいるらしい。
これは困った。一からこの国そのものについて教育しなければならないようだ。
申し訳なさそうに目を伏せるレイに、この件に関しては責める必要もないので、気にするなと頭を一撫でする。それでも表情が冴えないのはまぁ、もう本人次第だ。仕方ないだろう。
土を踏みしめていたアッシュの蹄の音がパカパカと乾いた音に変わる。
視線をやれば道が石畳で補強された物に変わっていた。
王都が近くなっている証拠だ。
「レイ、王都にもうじき着く。窮屈だろうがこれを被っておけ」
「はい…」
バサリと自分の上着を被せれば、そのままおとなしく中に潜り込んでいった。
レイの体は小さいから傍から見れば俺が上着を乱雑に抱えているだけに見えるだろう。
上を見れば、木々の隙間から少し先にある砦の門がチラチラと見える。いつもより、それは綺麗に見えた。レイの足まで覆い尽くした自分のマントをぎゅっと抱え直し、醜い世界の中に戻っていく。
前と違うのはこの手の中にある温もりと、突然訪れたつかの間の休息だろうか?
これからレイをこの世界に巻き込むことに引け目を感じつつ、そのせいで定まらない曖昧な覚悟を持って、砦の検問に向かった。