非、現実から現実へー2
しばらくして私の嗚咽がやんだ頃、頭や背中をさすっていた温もりは離れ、彼は私の隣に座った。
「____俺はダンだ。」
まずは「自己紹介」ということだろうか?
真意は掴めないが、子供である私を警戒させないために名乗ってくれたのだろう。
けれど、私が次に困ってしまった。だって私は自分の名前さえ覚えていないのだから…
名乗り返す「名前」がない。
「あ…、…ぇと」
「??」
彼が訝しげに眉を顰める。
これは重大なミスだ。
どうしよう、昨日のうちに考えておくべきだったけれど、残念ながらそんな余裕は持っていなかったし…
「…あ、ぁの…な、名前、…が…」
「まさか、____ない?のか…?」
驚愕に見開かれた目が私を見つめ返す。
結構な驚きようだから、ダンさんは私が当然名乗ると思っていたらしい。
いや…でも、隷属として産まれた子なら、名前を持っていなくても何ら不思議ではないような気がするんだけど、意外と今はそんなこともないのだろうか?
歴史書や現状の差別意識を見る限り、そんなことは当たり前の状況だと思っだんだけど…
顎に手を当てて考え始めてしまったダンさんに少し申し訳なく感じてしまって、慌てて取り繕った。
「っあ!だから…、えっと…。その…、正確には覚えていないんです。」
「!!…そう、なのか。」
取り繕いながらも、他にも伝えなければならないことは事前に伝えるべく彼を見上げた。
_______自分の名前は何なのか、
年はいくつなのか、
どうして此処にいるのか…。
ほとんどの事実の中に加えて、そっと一つだけ私は「偽り」を伝えた。
「それから…どこで、生まれたかも…、わからないんです。」
「…。」
この人に嘘をつくのは心苦しくて、でもきっと話しても理解もされなければ、信じてももらえない。
初めてここにきて助けてくれた恩人に、頭のおかしい変な子だとは思われたくなかった。それに…
この世界で一人になりたくなかった。
「…そうか。」
目を合わせられなくて俯いてしまった私の頭にそっと手を置いて、何やら考えごとを始めたダンさん。
「記憶喪失か、いやでも城に行けばあるいは…出自の記録が…あるか?いや、確かあれは白亜しか記録されてないか…。出自もわからないとなると、そもそもアルベールの国民でない可能性も…。」
私の言葉を聞いてからブツブツと難しそうなことを言っている。
もしかしたらこの世界にも「戸籍謄本」のような個人を管理、特定するものがあるのかもしれない。
ダンさんの服を見て中世とかそういった、管理制度もあまり確立していないような時代だと思っていたけれど、意外と先進的で思った以上に国として発展いるようだ。
なるほど、暗色や黒色の人のことを「隷属」と呼び、
淡色、白色の人を「白亜」と呼んでいるらしい。
歴史書には「白き魔女の末裔」としか記されてなかったから、これは新しい情報だ。
「さて…、困ったな、どうするか…。」
「…。」
しばらく考えても答えが出なかったんだろう。ダンさんは眉を下げて苦笑いしていた。
それでも私の頭に乗せられている手は温かい。
私は図々しくもダンさんが拾ってくれないかな、そうならないかな、と期待を寄せていた。
いや、むしろそうなってもらわなければ私はこの先、生きていける気がしないのだ。
例えばダンさんが言うお城?とやらに連れていってもらって私の出自を調べたとしよう。
でも見つかるわけがない、だって、出自の記録があるのはどうやら白亜の人だけみたいだし、そもそも私は「日本人」なのだ。
まず、この世界で私の出自を探すこと自体が馬鹿馬鹿しい。
「っ、そんな顔で見るな。」
「…ごめんなさい。」
すがるような気持ちが顔にも出ていたのだろう。
いや、私はわざとその表情をダンさんに向けている!!
こっちだって生きるか死ぬかの瀬戸際なんだ…ここでダンさんと離れたら本当に死ぬ気がする。
伝われ!
そして私を拾ってくれ!ダンさんと無言で見つめ合うことどれくらいか…。
「______はぁ…」
「!!」
しばらく睨めっこが続き、私はその間、一切顔をそらさなかった。
すると根負けしたかのように、大きくダンさんが息を吐き、頭の上に乗せていた手に軽く力を入れる。キュッと頭を鷲掴まれる感覚に、ほんの少し私も目を瞑ってしまった。
「…俺と来ても何もいいことはない。」
「??」
ダンさんは独り言のように小さくつぶやく。
さっきまでピタリと合っていた視線が逸らされ、どこか遠くを見ているような表情で前を見据えたダンさん。
一体何がそんな表情をさせているのか、わからなくて私は軽く首を傾げた。
「他の隷属よりかはたぶん、生活の保障は…、させてやれるだろうな。だが、俺は…【国の隷属】なんだ。この意味がわかるか?」
_____ああ、なるほど。わかってしまった。
そうか、この人は…
「黒賊…?」
「!!、知っていたか。ああ、…そうだ、俺は【黒賊】だ。だから俺と来る、俺と一緒にいるということはお前も同じ道を辿ることになる。正直、俺は…そうはなって欲しくない。」
「_______でも私は…あなたとじゃないと生きていける気がしません。」
「ッ!!」
分かってくれないか?というような、曖昧な表情を向けてきたダンさんに私はピシャリと言い放つ。そして、頭を撫でてくれていたダンさんの手を取り、自分の額に懇願するように押し当てた。
「____生きていけない」これは本当のことだと思う。
日本という環境下ではあり得なかった人身売買や、命の危機がここにはある。
しかもこの世界において今の私は、人権どころか生きていることすら許されないのかもしれない。
…そしてここは深い森…。
ダンさんが持っている上着をじっと見つめる。
乾いてはいるがベッタリとついた血がここの危険度を知らせているようだった。
私の視線に気づいたダンさんが慌てて上着を背に隠す。
「ここに置いていく訳ではないっ!…城に連れていってそれから…」
「それから私は【充分に】生きていけますか?」
「そ、れは…」
____難しいのだろう。
きっとどこか施設に入ることになって…、そこでしばらく過ごしたらその施設も年齢制限とかで途中で出て行かなければならなくなるに違いない。
そこからの想像は___あまりしたくはなかった。
「____黒賊になる、お前はその意味理解しているのか…」
「…」
「人を、殺すんだ。」
何の容赦もなく、時には女子供にも手をかける。
自分の手を虚ろに見つめるダンの姿はどこか小さく見えた。
残酷無慈悲、悪逆非道、唯一の救いは一瞬の痛みも感じさせない確実な死を相手に約束することだろうか。
自分の飼い主となった王族・貴族の命令にだけ従い、影の世界で暗躍する。
そこに自由は一切なく、理不尽な死と拘束だけが許された暗い人ならざる生の道。
自分が人を殺める姿を想像してぶるりと震えた。
その私の強張りを感じ取ったのか、ダンさんは掴まれていた手を引き抜こうとした。
それでも、それでも…私は_______。
「たとえ…、人を殺すことになったとしても私は_____
虫けらのような運命をたどるよりは…マシ、だと思います。」
「…っ。お前は…っ。」
理解しているのか?
ダンさんの沈黙に込められた意味を噛みしめる。
振り払われそうになるその手を逃すまいと、さらに力を込めて私はぐりぐりと額にダンさんの手を押し付けた。
ちゃんと「黒賊」という役割に関して「理解」はしたつもりだ。
実行できるかどうかは別として、どういった仕事なのか、理屈は分かっている。
ただ、置いていかないでほしい。
1人にしないでほしい。
そんな子供のわがままのような、はたまた意地のような、今最大限できる必死さでダンさんに訴えた。
それに必死になっている私とは別に、この状況を客観的に見る大人の自分が、どういうわけか、日本にいた時には考えられないような思考をもってしまっていた。
_____倫理観の欠如。
一言で言えばそう____。
正直、自分が何不自由なく生きれるのなら、他人を犠牲にしてもいいような気がするのだ。
これは私が「餓鬼」と言われるような残酷な子供になったからなのか、それとも転生と同時に価値観や倫理観がこの世界に合わせてリセットされたからなのかはわからないけれど、人の死に対してあまり抵抗しようと思えなくなっていた。
虚空を見つめたまま自分の心境の変化に驚いていると、隣に座っていたダンさんがおもむろに立ち上がる。そのせいで縋っていた手も必然的に離れてしまった。
あっと声にならない声が口から洩れて、消失感に襲われる。
「っ…。」
_______終わった。
離れてしまった手を見つめてそう悟った。
私はこの先、この世界の最底辺の秩序の中で残りの人生を過ごさなければならないのだ…。
目の前が真っ暗になるような感覚に陥っていると、低く温かみのある声が降ってきた。
「はぁ…仕方ない。覚悟があるなら…付いて来い。『レイ』」
「っ!!へ、??れ…?」
突然呼ばれた名前?に驚き反復して聞き返す。
れい、れい?レイって誰だ?
「今からお前の名前は【レイ】だ。」
「な、んで?…」
「?今後、呼び名がなければ不便だろう。お前自身も不便だろうが何より俺が不便だ。レイナンジストビリウム…、ここら一体に咲いている、『夜光草』の別名から取った。お前の目は、その…、なんだ。…銀色だから…」
「!?」
レイナンジストビリウム、別名【夜光草】。
通常、闇夜に浮かび上がる光は淡い緑色をしているが、遺伝異常か、時折うまく発光できずに白い花びらが月光に照らされて白銀に輝くものが存在する。
夜光草は昼間、陽光に照らされることでそれを自身の中で魔力に変えて、夜になるとその魔力を使って淡く光るのだが、数パーセント以下の確率で魔力生成ができず、光らない夜光草も稀にある…らしい。
それになぞらえての「レイ」という名前。
響きも日本人らしさがあるし、すごく気に入った。
けど、隷属なのに瞳の色は白亜の最上級色。
隷属の中で数パーセントどころか怪奇現象とも言えるような私の存在にはその夜光草、「レイナンジストビリウム」という名前がピッタリだと思ったらしい。
いや、それはいいんだけど…
そんな、豆知識よりも…
待て、私は日本人のはず、…?????
ということは、目の色も「黒」なはずで…アレ____?
銀?銀色の瞳ってそんなファンタジーな…いや、このがすでにファンタジー!なのだが、せめて灰色とか…じゃないの???なんだ銀色の目って…。
この小屋に鏡なんてものはないようなので自分の目の確認もできないが、銀色なんて信じられなかった。
驚きに固まっている私を、名前を貰って驚いていると勘違いしたのか、ダンさんは「本当の名前思い出したらそっちに変えてもいい、だが、思い出さない間は不便だからこの名前だ。」と嬉しそうに私の頭を撫でた。
違うそこじゃない!!
「話は終わりだ。レイ、飯にするぞ」
「え…、あーーー、はい…。」
頭が追いつかないまま曖昧な返事をする。
座ったまま動かない私に痺れを切らしたのか、ダンさんはヒョイと私を持ち上げて床の上に立たせた。
椅子に座ってろ、と私に一言告げると水場に行き、腰についてる小さなカバンから麻袋を取り出した。
あれは、干し肉?かな?
麻袋から出てきたのは多分何かしらの動物の肉で、肉の外側はこげ茶色だから焼くなり、燻製にするなりしたのだろう。
それを手元にあったナイフで薄く削っていく。
おお、中身はうっすらピンク色だ。例えるなら生ハム?みたいな…
ある程度の量を削り終えたところでまたカバンに手を突っ込み次は紙で包装された塊を出した。
あれは?パン???
パンの塊を適当に薄く切り、その上にさっきの削った肉を乗せる。そして頭上の棚から瓶をとって香草のようなものをまぶしてから私の元に戻ってきた。
「昨日の夜から何も食べてないだろう?」
「そう、ですね…。」
そうだ。そういえば、昨日こっちにきてから食べ物を口にしていない。
何なら水も飲んでいない!
言われてみると確かに喉も乾いているし、お腹も空いている。
【異世界に来てしまった】
という衝撃のあまり自分の状態に全く気づかなかったけれど、私は今猛烈にお腹が減っている!
目の前にパンが出されて、しかも香草がお腹を空かせる香りをこれでもかというほど漂わせてくれている。
もう唾液が止まらない…この香りはバジルのような、けれどバジルよりも香りが強いわけじゃなくて、ふんわりとさりげなく食欲を誘ってくる…ああ駄目、無理お腹すいた。
食欲の衝動のままにダンさんが差し出してくれているパンにかぶりついた。
「うぉ!?」
「__っむ!むぅッ!!??」
ダンさんがパンを持ったままだったから驚いてしまったらしい。
いやでもそれどころじゃない…なにこれ、美味しい…。
ガツガツとダンさんが持ったパンをそのままの状態で食べ続ける。最初こそ驚いていたダンさんも、もう私の勢いが止まらないことを理解したのか、何も言わずそのまま私に餌付けを続けてくれた。
最後の一口まで食べ終わり、ダンさんの指についている香草のカケラさえも残すまいと舐めとる。
やめろって怒られたけどそんなことは知らない。
だって勿体無いもの…。
水筒も貰って喉も潤えば私は幸せの絶頂にいた。
「お前は子供っぽいんだか、大人っぽいんだかわからんな」
「…子供です」
いけしゃあしゃあと言ってのけた。
嘘は言っていない。だって見てくれは間違いなく子供だ。
いぶかしげな視線をダンさんが送ってきたとしてもそれは無視。
子供にしてはやけに筋の通っているような話し方かもしれないが私は「子供」を貫き通すぞ。
子供で得られる利益は子供のうちに享受しなければ!!
ダンさんも私にくれた同じご飯を食べ、一息をつく。
そして私に今後のことを説明してくれた。
まず、もう少し休憩したらこの小屋を出てダンさんが勤めるお城に行かなければならないらしい。
ダンさんは何と、今も任務の途中のようなもので帰還して、その内容を報告をしなければならないとの事。
この小屋はダンさんが普段、隣国や同盟国への任務の時に使う中継点の一つで夜を明かすためのものだそうだ。
誰にもこの小屋の存在を教えていないから、私が中にいた時は大層驚いたらしい。
危うく殺しかけたそうで、私はなんて自分が幸運だったのか思い知らされた。
「時間を押している、少し急ぐぞ。」
「よろしくお願いします!」
予定外の私との遭遇により、当初の予定よりも大分遅れてしまっているらしい。申し訳ない…。
そう思いながらもなんとか自分の命が繋げることができた私は足取り軽く、ダンさんの後をついって行った。
外に出てみると小屋の横に馬がつないであって、おとなしく飼い主のことを待っている。
栗毛が綺麗な馬で名前は「アッシュ」というらしい。男の子だそうだ。
当然私は一人で馬に乗ることはできないから、ダンさんに抱えられて騎乗した。
畳まれていた上着をダンさんは羽織ってひらりと私を抱えて馬に跨る。それはそれはすごく様になっていて、日本人だとこうはいかないんだろうな、と変なことを考えた。
太陽に明るく照らされた小屋が徐々に遠くなっていく。
ダンさんに頼んで小屋にあった歴史書とおとぎ話の本だけは持っていかせてもらうことにした。ここに来て初めて自ら手にした物だったし、何となく手放したくなかったのだ。
居心地の良かった小屋から離れることにほんの少し不安が募ったが、背中にある温もりがその不安を頭の外に追いやった。
これから私は「黒賊」としてこのダンさんの後に続かなければならない。
抵抗はないと思っているけれど、実際これから私が人を殺すための技を磨いていくと違和感は出てくるかもしれない。
そうなったら、人を殺める罪に苦悩するのだろうか。
森の中を疾走する馬の上でこれからの分かりもしない今後の事に頭を悩ませた。