黒賊、ダン
目深にフードをかぶった壮年の男が愛馬に跨り、いつもの獣道を通って、いつもの小屋に向かっていた。
もうすでに時刻は黄昏時を過ぎていて、ややスピードを上げなければじきに魔物が徘徊し始める危険な頃合いだ。
普通の人ならばすでに宿をとるなりして、移動を避ける時間だが、この男には関係ない。
フードの隙間から時折見える、黒に近い濃紫色の髪と同色の瞳がギラギラとあたりを警戒する。
殺気立ち、血に濡れたマントを靡かせる男の姿は死神さながらだ。
誰が見ても一般人ではないとわかる出立ちで、何なら今だってこの男は人に手をかけてきたばかりだ。
この男は隷属…。
『黒賊』のダンという。
苗字はなく、ダンという名前も誰がつけたかわからない…
周りが「ダン」と呼ぶから20歳くらいの時に「ダン」と名乗るようになったのだ。それに加えて彼には家族というものはなく、ましてや恋人もいない。
黒に近い色で生まれた者は【隷属】と呼ばれ、生まれた瞬間からこの国では虫ケラ以下、種一粒ほどの価値もない存在として扱われる。
それもこの国、アルベールでは他国と比較しても特に隷属を差別する。
魔力量で階級が図られるこの国において濃色、暗色として生まれた者は最底辺の地獄のような人生を送るのだ。
黒に近ければ近いほど保有魔力は少なく、そのせいでまともな職や階級を得ることもできない。
しかし、その代わりなのか何なのか、隷属達は共通して「何か」に秀でていた。
例えば、暗闇の中でも目が効いたり、身体能力が優れていたり、手先が器用であったり…etc.)
こんな感じに1つの事柄において卓越して秀でているケースが多かった。
それを極め、厳しい試験や儀式を乗り超えると、その隷属は『黒賊』という地位を与えられることがある。
特定の王族専属のボディーガードと表現するのが一番簡単だろう。
そして定められた王族に直接支配される暗殺者となるのだ。
黒賊の由来は、お伽話の悪役「賊」に由来する。
彼らの罪を慈悲深い王子は赦し、その慈悲に感動した賊は生涯、仕え続けると誓ったことが始まりだとか…。
そこから『黒賊』は王族の盾であり、刃の象徴となった。
こうして聞くと格好の良く聞こえるが、実態はそんなものではない。
物語にはそう記されているが、一般市民の間では暗殺者という認識で通っている。
それゆえに、黒賊という存在そのものが忌み嫌われ、王族のそばに仕えているのも許しがたいと、この国…アルベールの国民からの支持は低い。
だがこの国は、大国であるが故に常に諸外国から領地を狙われ、王族には暗殺などの命の危険が付きまとう。
なんなら、こういった外部の障害だけでない、内部の権力争いや派閥争いもあって、その先には必ず「死」というものが付いてくるのだ。
その度重なる危機をいくつも乗り越えてきた歴代の国王の背後には、必ず『黒賊』の存在があった。
彼らには名前がなく
理不尽に死に
そこに墓もなければ
名誉もない
誰からも理解・認知されることもないまま、死後はその存在すら【なかった】ものとされる。
黒賊をはじめとする隷属達はそんな差別を、さも当然のことと受け入れることでこの国は成り立っていた。
国民の約9割が色素の薄い者が占めているということも、差別を助長した原因の1つかもしれない。
迫害され、時にはいたずらに殺されてしまうような隷属達は、常に反抗意識を強く持ち、白い人々との間に物理的にも心理的にも分厚い壁を築いてきた。
しかも一部の隷属は闇に潜み、隙あらば白い人に手をかける。
それがまた隷属への迫害に拍車を掛け、負の連鎖を作り出し、更に立場を悪くしていっているというのに…。
そんなことにも気付かないふりをして、目先の私怨に駆られ誰彼構わず犯罪に手を染めてしまうのだ。
そんな負の連鎖から【黒賊】という地位を獲得し、自身の主人であるアルベールの現国王に仕えるまでになった…エリート中のエリートであり、隷属の英雄と呼ばれる男。
それがこの、「ダン」である。
「…チッ」
けれど、今その英雄はとても苛立っていた。
この国アルベールは他三国に囲まれた中央に位置する大国である。
3国ともに和平など結んでいないおかげで、国境では常に小競り合いが絶えず、いつでもちょっとした戦火にさらされていた。
それに加えて国内外の魔物討伐や権力争いで忙しく、国王の『黒賊』である自分にはしばらく休暇というものが存在しない。
今だって西の隣国、トニアとの小競り合いから帰っている途中で、その道中にある隠れ家で一晩明かしに来たところだ。
日が沈めば一瞬で魔物達の動きは活発になる。
早いところ火を焚いて、少しでも体を休めたい。
それにずっと山道を飛ばしてきただけあって、相棒である馬も疲労感を隠しきれていなかった。息の上がっている馬の首を労わるようにゆっくりと撫で、あと少しの辛抱だと声を掛ける。
そして夜光草が両脇に茂る獣道をまた少し、スピードをあげて駆けた。
暗くなると光ることから名付けられたこの草は、よく道標や誘導光として使われる。この獣道にだってダンが意図的に道沿いに植え、隠れ家までの目印の1つとして使っていた。
淡い緑色に光る花弁が馬の走る振動でゆらゆらと揺れる。光る花粉が辺りに舞い、幻想的な風景を作り出していた。夜道は危険だがこれが見れる間は、悪くないとダンは思う。
夜光草の道が途切れると空き地のような拓けた空間に出る。
鬱蒼と不気味な木々に囲まれていた道から一転、綺麗な空き地となっている場所に静かに佇む古びた小屋。
走ってきた勢いを利用してそのまま飛び降り、馬のお尻を軽く叩けば、心得たように馬は小屋の裏にある自分の居場所へ向かって行った。
ダンはそれを見届けてから急いで小屋の周囲に落ちている枯れ枝を集める。
そして小屋から少し離れた場所に集めた枝を置いて、バッグから親指の爪ほどの赤い石を取り出した。
それを人差し指と親指でつまみ、圧力をかけながらシュッと擦る。
するとボッという音とともに火花が散って小さな火種が生まれた。
この便利な赤い石は「魔石」と呼ばれるもので、あらかじめ媒体となる鉱石に魔力を込め、使用する際に物理的な刺激を与えることでその力を発揮する魔道具だ。用途に合わせて作られ、魔力を持たない者でも簡単な魔法が使えるようにできている。
隷属のダンでは魔力がないために、火をおこすこともこんな道具に頼らざるえない。
きっとアルベールの国民なら物心ついた時にはできるような魔法も、自分を含めた隷属には夢のまた夢だった。
小さな火種を拾い集めた枝に渡し、焚き火を作る。
火が消えてしまわないように時折ふーっと息を吹きかけながら夜の暗闇から抜け出したことに安堵した。
魔物だって生き物の一種だ。
生理的に火という存在を受け付けないのか、焚き火などの大きめな火をチラつかせておけば相当のことがない限り、自ら近寄ってくることはない。
自分が休む時間も取らなければならないことも考えると、小屋の周りを囲むように火を焚くのが一番安全と言えるだろう。
だからダンはいつも小屋の四方に大きめの焚き火を作る。焚き火が燃え盛ったことを確認し、小屋の裏手に回って、馬にやるための水を汲むため井戸に向かった。そうして馬にも水をやってから小屋の中に自身も足早に引き上げた。
「?」
そこでやっと違和感に気づく。
はて、最後に自分がこの小屋を後にした時、こんなに本を綺麗に積み重ねていただろうか?
その他の家具は整然としていて動かしたような形跡はないものの、なぜか書籍だけダンが適当に扱った形で収まっていない。
(誰かがここに入った)
その事実だけでダンの警戒心がグンッと一気に上がる。
任務帰りとは思えないほどの集中力と殺気が部屋を満たし、右手はすでに短剣の柄をなぞっていた。小屋は視線を巡らせれば一瞬で見渡せるほどの小さなつくり。
何かを見落としてないか、他に違和感を感じる場所はないか、瞬きすることもせずジッとあたりを見回す。
机の隅に置かれたランタン。
水場に置かれた数枚の皿とナイフ。
息を潜めてゆっくりと部屋を見渡した時、ダンの瞳が「黒い何か」を捉えた。
いつも自分が寝床として使っている藁の上にそれはいた。
うずくまって眠る真っ黒なそれは、今までに見たどの生き物よりも黒かった。
黒い塊が一定のリズムを持って静かに上下している様を見て、それが呼吸をし、生きているということを伝えてくる。耳をすますとかろうじて聞こえるくらいの小さな寝息が小屋に響いていた。
あんまりにも生き物としての匂いを漂わせない存在に、本当に生きているのかどうかさえ疑いを持つ。
警戒し、力んでいた体から力を抜いて、ダンはそっとその小さな塊に近づいた。
(小さいな)
ふっと息を漏らし黒い塊を覗き込む。
それは腰くらいの長さまである豊かな黒髪を持った少女だった。
黒いワンピースを着ているから遠目から見たら黒い塊にしか見えず、生きている何かという曖昧な見解しか持てなかったが…
どうしてこんなところにいるんだ、とか
どうやってこの場所を見つけたのか、とか
様々な疑問が頭に次々と浮かんでは消える。
だが、今はそれさえも片隅においやって、大切そうに本を抱えて丸まって寝ている少女をまじまじと観察した。
(隷属の子か、珍しい…。)
そう実は隷属の子供はこの国、アルベールではなかなかお目にかかることはできない珍しい存在だ。
しかもここまで「黒い」となると相当辛い目に合ってきているに違いない、とダンは少女の髪を軽く撫でた。
服から出ている少女の体に目立った外傷はないようだが、もしかしたら服で見えないところに傷を負っているのかもしれない、とらしくもなく心配する。
____ダンがこうも気にかけてしまうのには理由があった。
なぜなら隷属の子供が大人になるまでの生存率はこの国では凡そ3割超えないからだ。
というのも隷属として生まれたと分かった瞬間、その子を殺すか、捨ててしまう親が多いのだ。
そう…、決して色素の薄い者同士が愛し合って子供ができたとしても、必ず色素の薄い子が生まれてくる訳じゃない。これは長年謎とされていることで、最早誰も気に掛けることのない常識であったから謎のままなのだが、突然濃色の子が生まれてくることがある。其の逆もしかりで、隷属から色素の薄い子が生まれてくることだってあるのだ。
白が生まれれば幸運、黒が生まれれば災。
そういった考え方がアルベールでは浸透していた。
そのお陰でこの国以外でも度々問題に上がるが、商人や旅人が道中に赤子の死体や骨を見つけてしまうこともよく報告されている。
自分の腹を痛めて産んだ、血を分けた子供でさえもあっけなく捨てることができるほど、この世界において「黒い」ということは罪だった。
ダンも隷属の子供を専門に引き取っている孤児院出身で、12歳になる頃には孤児院を抜け、スラムで暮らしていた。もちろん窃盗や強盗をして生き延びていたのだが…そうでもしなければ水も食べ物も手に入らなかったのだから仕方がない。
自分の生い立ちを何となく思い出しながら藁の上に横たわる長い黒髪をそっとかき分けた。
(綺麗な顔立ちだな)
閉じられたまぶたは今こそ、その奥の瞳を見せることはないが、形もよく目も大きいことが予想ついた。
また同じように形のいい眉と口。
鼻は少し低めだろうか?いやそれも子供らしい幼い顔つきとして許される程度だ。
肉付きも程よく、ぽってりと柔らかそうな子供らしい頬。
もしかしたらこの子は珍しくも、ここまで親にしっかりと育てられてきたのかもしれない…。
自分が考えている隷属の子のイメージとはかけ離れた綺麗な肌や十分な栄養状態に思わず表情が緩んだ。
極まれにいるのだ、ちゃんと育ててもらえる子も。
本当に極少数だが、隷属として産まれてもしっかりと親の愛情をもらって成長する子。
(では、何故こんな危険な場所にいる…??)
ここは市街を守っている砦の外だ。夜になれば魔物がうろつく深い森で…
こんなところを放浪する子供は大抵捨てられた隷属の子だ。しかもここに至っては砦からだってだいぶ離れている。
迷った?にしては慌てて走ったような形跡もなく、何かに襲われたような形跡もない。
まるでここに突然現れたかのような、違和感を発する子供に潜めていた警戒心をダンは自ずと取り戻した。
異物が、ここにいる。
それだけで再度警戒するのには十分だった。ダンはスっと息を吸うと同時に少し殺気を漏らす。
間者なら少しの気配で起きそうなものだが、子供の間者はたまに本当に寝落ちしてしまうような抜けた子もいる。
所詮子供、ということだ。
しかし、そんな子供でも殺気を当てられればその瞬間、反射的に飛び起きたりするのだが…
スーーー、スーーーー
「…」
起きるどころか、髪を持ち上げられている状態で目の前の少女は寝返りをして見せた。
(間者、では…ないな)
ではなぜ、充分に育てられていたであろう子が、ここにいるのか更に謎が深まり、眉間に力が入る。
分からないなりに推測を重ねていた時、
「んぅ…」
「ん?…寒い、のか」
歴史書を抱え込んだまま少女が藁のベッドに潜り込むように身じろぎをした。
どうやら寒いようだ。
(確かに、この森の夜はとても冷える。この子供は薄いワンピースのようだし…
___…疑っても仕方ない、害がないのなら翌日、目覚めた時に出自を聞くまで。)
子供一人では当然自分が寝床にしている藁の上を占領しきれる訳もなく、ダンがまだ寝転がるほどのスペースは十分に残っていた。
自分が着ていた外套を脱ぎ、それを子供にかけてやると、子供は寝たままその外套に器用に潜り込み幸せそうに穏やかな寝息を再度立て始めた。
(…無防備すぎやしないか?)
その姿をまじまじと見たダンは思わず気が抜け、口から息が漏れる。
こんな子供に警戒していた自分が馬鹿馬鹿しく思えてならない。
少女の隣に仰向けに寝転び、ゆっくりと自分もまぶたを閉じた。自分以上に暗い色を持つ隷属の子。名前も年も何も分からない子がスヤスヤと自分の左隣で眠っている違和感を、不思議に思いながら今日の任務の疲れも相まって、ダンの意識も暗闇に溶けていった。
無事、親元に帰してやることができればいい
そう柄にもなく思いながら。