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こころの繭  作者: 飛鳥
3/15

『あの子にだけは、変な目を向けさせたくないの』

 どしゃぶりの雨の中を走り回ったら風邪引いた。

 我ながらずいぶん馬鹿な理由だと思うが、引いてしまったものはしょうがない。

 少しぼんやりした頭のまま体温計の数字を確認すると、平熱を大きく上回っていた。

「軽い風邪ですね、薬を出しておきますよ。幸い今日は土曜日ですし、今日明日としっかり休めば、すぐに良くなります」

 もじゃもじゃにひげを生やした医者からわかりきったことを言われただけの診察を終えると、正面玄関近くのソファーにどっしりと腰を沈ませる。

 風邪程度で病院に来るなんて大げさな気もしたが、薬が切れかかっていたから仕方がない。薬を貰うためだけに病院に来るのも面倒だし、ある意味ついでが増えてよかった。

 せめて注射出来れば病院に来るときの無駄足気分も弱まるのだけど、まあ不満を漏らしてもしょうがない。

 それにしても、と正面玄関の自動ドアに目を傾けてみる。松葉杖をつく子供にマスクをはめた老人。右腕にギプスをはめた若い男や、なんだか()えない顔をした禿(はげ)のおっさん。

 怪我人や病人ばかりドアをくぐってきて、見ているだけで気が滅入(めい)ってくる。

 病院なんだからこれが普通だろうけど……体調不良の状態で病人の群れを見るのは、正直身体によくねえな。

 会計を済ませたらさっさと家に帰って寝る。せっかくの休日を寝て過ごすのは勿体ない気がしたが、身体のだるさは取れていないし、どこかに出かける用事があるわけでもない。

 だからたぶん、寝てしまうのが一番心と身体にいいのだろう。まあ、あの家自体あまり心には良くないが。

 名前を呼ばれて会計で支払いを済ますと、遠くのほうに見覚えのある人影を見つけた。

紺色の長袖シャツに灰色のジーンズ。服装こそ見慣れた制服姿ではないが、あの小生意気そうな長髪と小さな背中は見間違いようがない。

 新堂こころ。あの馬鹿に間違いなかった。ただ、

「あいつ……なんで病院なんかに」

 少し考えて、結局、後を追いかけてみることにした。

 身体のだるさは抜けていないが、昨日の一件がまだ頭に引っかかっていたからだ。後を追いかけてあの馬鹿の謎が解けるかはわからないが、このまま帰れば引っかかりが残ったまま。それなら、無駄足を踏んだほうが多少は気分が晴れるだろう。

 財布をポケットに突っ込み、新堂の背中を追いかける。休日のせいで病院内は人が溢れているから、こそこそ動く必要もない。むしろ、そんなことをしたほうがよほど怪しまれそうな気がした。まあ、最初からそんな面倒をするつもりはないが。

 階段を上がって廊下を突き進み、人ごみが減るどころかほとんど誰ともすれ違わなくなってさらに奥へ。

 どこまで行くつもりだよ……って言うか、この先は何があるんだ?

 そう思い何気なく新堂の頭上を見上げてみると、丁度よく看板がぶら下がっていた。

 この先精神科。

 妙に納得。確かにあいつのあのふざけた性格なら、病気の一つや二つ抱えていてもおかしくない。とすれば、昨日の妙な態度は病気が理由なんだろう。あるいは、普段見せている二面性そのものが病気の症状?

「…………」

 新堂が診察室に入っていくのを目で追いかけて、ソファーに腰掛けたまま、ポスターや張り紙に書かれた文字を適当に読んでいく。別に読みたくて読んでいるわけじゃない。やることがなさすぎて、暇潰しに読んでいるだけだ。

 なにやってんだろうな、俺は。

 正直、時間を無駄にしているだけという印象が強い。あいつに会ってなにかがしたいわけじゃないし、問い詰めても「あなたには関係ない」というお決まりの返事が返ってくるだけだろう。

 けど、ここまで来ておいてなにもやらずに帰るのも面白くない。他人の病気や事情になんて興味ないが、わけのわからない行動や精神科通い。正直、あいつのことが妙に気になっているのだけは事実だった。

 それにしても、遅い……。

 近くに時計がないから正確な時間はわからないが、もう相当の時間が経っていると思う。

少し肌寒さを感じるし、いい加減に帰ろうか。そう思った拍子、

「それじゃあ先生、ありがとうございました。失礼します」

 診察室のドアががらりと開き、中に向かって新堂が一礼をする。そのまま廊下のほうに振り返り、そうして、目が合う。

「よう、奇遇だな」

「……あなた、なんでこんなところにいるの?」

 愛想良く声をかけてやったつもりだが、露骨(ろこつ)なくらいに警戒した目で睨みつけてきた。相変わらず、うぜぇ。

「なんでって、どこにいようとそんなのは俺の勝手だろ」

「……ストーカーというのは、現行犯逮捕が出来たはずだけど?」

「自惚れんな。誰がストーカーだ糞野郎」

「誰がもなにも、客観的視点で見た場合そう思うのが普通じゃない? 違うと言うなら、私を納得させられるような理由をこじつけて見てよ」

 相変わらず、言うことがいちいち回りくどい。第一こじつけるってことは、俺の言うことははなから信用する気ゼロじゃねえか。

「うるせえよ、ごちゃごちゃごちゃごちゃ。そんなことより、ここって精神科なんだろ? なんでおまえがこんな場所に通ってんだよ」

「なんでって、どこにいようとそんなのは私の勝手でしょ」

 もうわかりきっていることだが、相変わらずむかつく奴だ。

「で、その勝手の理由はなんなんだよ。昨日、おまえが取り乱したことに関係してるのか?」

「そんなこと、あなたには関係ないでしょう」

 予想どおりの答え。

「ああ、関係ねえよ。けど、気になるから聞いてんだ」

「関係ないとわかっているなら、わざわざ首を突っ込む必要なんてないでしょう。いいからもう帰ってよ」

 新堂がそう言って俺を跳ね除けたその拍子。白衣を着た、医者らしき女性が診察室から顔を覗かせた。

「どうしたのまゆちゃん。なんだか騒がしいけど、外に誰か……あら? 君、ひょっとして天城君?」

「は? そうだけど、なんで医者の先生が俺のことを」

「天城君! やっぱり君がそうなんだ。うんうん、まゆちゃんから色々話しは聞いてるよ。まゆちゃんが私の他に、唯一事情を説明している子。ってあれ、自分を出してるだけで、事情は説明してないんだっけ?」

 首を斜めに傾ける女性医者の横で、新堂がわなわなと肩を震わせているのが見えた。

「先生。ちょっと、キレてもいいですか」

「あ、あはははは。これはひょっとしなくても失言(しつげん)だったかな? そ、それじゃ私は他の患者さんの診察があるからこれでっ」

 ぴしゃり、と大慌てで診察室のドアが閉じられたかと思うと、内側で鍵の閉まる音がした。篭城(ろうじょう)。というより、新堂から逃げるつもりなのだろう。

 新堂。

 あらためて目の前の女をよく見てみる。生意気そうな顔立ちや小柄な身体。はっきりと開かれた大きな瞳。やっぱり、俺がよく知っているあいつに間違いない。

「なあ、たしかおまえの名前はこころのはずだよな。まゆって言うのは」

「聞き間違いじゃないの。私にはちゃんとこころって言ってるように聞こえ――痛っ」

 この期に及んで御託(ごたく)を並べようとする馬鹿の腕を掴み、強く握り締める。

「おいっ、これ以上はぐらかすな。こっちは訳のわからねえことが続いてイラついてんだ。きっちりはっきり、俺にもわかるように説明してもらおうじゃねえか」

「痛い、痛いって、はぁ……わかったわよもう」

 握り締めた手を振り解こうと必死に腕を動かしていたが、いい加減に観念したのだろう。新堂が諦めたような声をあげる。その声を聞いてようやく手を離してやると、

「けど、絶対に誰にも話さないでよ」

 そう言って、新堂は後ろ髪をぴんっと大きくかき上げる。


「多重人格障害?」

「そう。表に出られる人格は私だけだから厳密(げんみつ)には多重人格とは言えないかもしれないけど、私の症状を既存(きぞん)の病気に当てはめた場合、それが一番相応しいということになるの」

 自動販売機に小銭を入れてオレンジジュースの入った紙コップを取り出すと、新堂はゆっくりとそれを口に運ぶ。

「二重人格ってことか? でも表に出られるのがおまえだけってのはどういう意味だよ」

「言葉通りの意味よ。私の心の中には本来の人格、新堂こころが今も生き続けている。けれど私でもこころと話すことは出来ないし、こころが私を押し退けて表に出てくることもない」

「自作自演とかじゃないのか? おまえ自身がそう思い込んでるだけで、最初から多重人格になんてなっていない。本来の人格とか今の人格とか、そういうのは全部思い過ごしってことも」

「……それは自作自演とは言わない」

 額に手を当て、目の前で露骨にため息をついてくる。

 馬鹿にされてる感じが、すごくうぜぇ。

「ああ、ごめん。つい素直な態度を取っちゃって。ともかく、勘違いや思い込みってわけじゃないの。そういうものとは違う、確固(かっこ)たる証拠があるから」

「証拠?」

「ええ、これのこと」

 そう言って、新堂は手にしていた紙コップをゆらゆらと揺らす。

「こころはかんきつ類に対してアレルギーを持っていてね、少しでも食べたり飲んだりすると体調不良を起こして嘔吐(おうと)。手足にじんましんが出て、軽く発熱をしてしまうの」

「かんきつ類にアレルギー? まてよ、だったらなんでそんなジュースを平気で飲めるんだ?」

「だからそれが証拠だってこと。多重人格障害って病気は別人みたいになるんじゃなくて、文字通り本当に別人になるの。傷や火傷の跡、利き腕や病気の有無。心理学者のロバート・A・フィリップス・ジュニアによれば、腫瘍(しゅよう)まで現れたり消えたりする実例があったんだって」

「別人になるねぇ。言いたいことはわかるけど、いくらなんでもそれはないだろ」

「信じられないって言うならお好きにどうぞ。私は別に、信じてくださいって言うつもりはないもの」

 返ってきたのは相変わらずのつっけんどんな言葉。二重人格なんて馬鹿みたいだと思うが、ここまではっきり言うなら、やはり嘘ではないのだろう。

「わかった。とりあえずは信じてやるよ」

「えっ?」

「なんだよ、なに意外そうな顔してやがる。別に二重人格が嘘ってわけじゃないんだろ」

「う、うん。それはそうだけど……」

 言葉に詰まる新堂の姿というのは珍しいが、意外そうな顔や驚いた理由がわからないと面白くない。

「新堂こころが自分を押し退けて表に出てくることはない。さっきおまえ、そんなことを言ってたよな。なら、おまえはずっと新堂こころの代わりをやってるってことか?」

 だから、新堂の態度は無視してとっとと話を進めることにした。

「うん。ずっとって言うほど長くはないけど一応ね。まだ二ヶ月。ううん、三ヶ月くらいかな」

「三ヶ月? ああ、そういうことか」

 新堂と仲が良さそうだった女は六月くらいに変わったと言っていたから、ちょうどそのころに新堂こころが心の奥に引っ込んだのだろう。

「新堂こころが消えたのはつい最近。ってことは、三ヶ月より前は二人が共存してたってことだよな。そのころはどうしてたんだ? おまえと新堂こころのどっちが表に出るかで相談でもしてたのか?」

「ううん。たぶんだけど、それはないと思う」

「ないって、なんで」

「私が生まれたのが、三ヶ月前のことだから」

「はっ?」

 あまりの言葉に、思わず間の抜けた声をあげてしまう。

「だーかーら。私はまだ生まれて三ヶ月程度しか経っていないの。それより前にもぼんやりとあいまいなものはあったかもしれないけど、自覚出来る、はっきりした意思を持つようになったのはこころが引っ込んだ後で……でも、だからって私という存在を前面に押し出すわけにはいかないでしょ。こころの性格が急変すれば周りの人たちも戸惑うだろうし、多重人格障害なんてものを説明したら、たとえ信じてもらえようと珍しい生き物や()れ物扱い。そんな目で見られるなんて絶対に我慢ならないし、それに近いうちにこころは帰ってくるんだから、一時的な病気をわざわざ伝える必要もない」

 障害、病気。そんな、自分自身を(さげす)むよう言い方をしているのが少しだけ(かん)に障った。自分で自分を否定しているような、なんともいえない気持ち悪さ。

「だったら、なんでおまえは俺の前でこころのふりをしない」

「うん?」

 ただ、だからこそわけがわからなかった。

「腫れ物扱いは嫌なんだろ。だったら、俺の前でも新堂こころを演じ続けりゃいいじゃねえか」

「演じる必要なんてないでしょ。あなたはこころのことなんて何にも知らないんだから」

 ぽいっと、新堂は紙コップをごみ箱に投げ捨てる。

「勘違いしているようだから言うけど、私は別に、自分自身に変な目が向けられるのは構わないって思っているの。障害によって生まれた特異な命。それ自体は、紛れもない本当の事なんだから。私が我慢ならないって言ったのはこころのこと。あの子にだけは、変な目を向けさせたくないの」

「意味わかんね。おまえとこころが同一人物なのは変わらないんだろ。あの子って、なんでそんな言い方をするんだか。だいたいおまえの様子がおかしいって俺が言いふらせば、そんなの全部丸潰れだろ」

 別に言いふらすつもりはないが、弱みを握れるなら握っておくのも悪くない。だから少しだけ脅しをかけてみた。が、

「それは他の人が信じればっていう前提(ぜんてい)の話でしょ。狼少年の言葉が村人たちに届くとは思えないけど?」

「あ? 狼?」

「嘘つきや素行(そこう)の悪さが目立つ人の言葉なんて、誰も信じはしないって事。話の内容が突拍子もなかったりすれば特にね」

「突拍子もないって、そうでもないだろ。だいたい本物の新堂こころを知らない俺からしたら、普段のおまえなんて胡散(うさん)臭くてしょうがねえよ」

「それで結構。他の人とあなたとで認識にずれがあったほうが、私にとっては都合がいいもの」

「……ほんとに最悪な性格してやがるな。てめぇ、絶対ろくな死に方しねえぞ」

「最悪についてはお互い様でしょ。あなたが周囲を傷つけたり授業をふけるような人じゃなければ、私だってこんな事はしなかっただろうし。それじゃあね、天城智也。あなたが知りたがってた事にはこれで一通り答えたはずだから、もう私の事はどうでもいいでしょ」

 そう言って、新堂は明後日の方向にそっぽを向く。いや、新堂じゃないか。

「待てよ。まだおまえの名前を聞いてねえ」

「えっ?」

「だから名前だよ名前。新堂こころってのは元々の人格のことで、おまえとは別人なんだろ。だったらおまえの名前を覚えておかないと最低野郎、糞野郎呼ばわりするときにいちいち支障が出る」

「……そうね。あなたにこころの名前を気安く呼ばれるのも(しゃく)だし、自己紹介だけはしておいたほうがいいか。私はまゆ。でも、学校や人目につくところでは絶対にその名前で呼ばないでね。呼んでも無視するだけだから」

「はいはい。新堂こころのふりって奴だろ。けどおまえが思ってるほど、クラスの奴らも鈍くはないみたいだぞ。少なくとも一人、おまえの様子がおかしいって思いかけてる奴がいる」

「えっ? ちょ、ちょっとなにそれ。だ、だれなの。そんな風に思ってる人って」

 少し不安がらせるつもりで言ってみたが効果てきめん。みるみる表情を青くしてやがる。

「さあな。でも、そいつにおまえのことを話してみたら、結構面白いことになるかもな」


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