『それじゃ、また明日な』
ホームルームを知らせる予鈴の音を聞きながら、隣の席に目を傾けてみる。
真奈美のとこにいって、まゆが自分のことを打ち明けたあの日から、土日を挟んで四日。
まゆは、ずっと欠席をし続けていた。体調を崩したのか、それとも何かあったのか。
多少気になって真奈美の奴になにがあったか聞いてみたが、返ってきたのは心配ないという言葉だけだった。
少し準備をする必要があるから休んでる。体調不良とか、そういうのじゃないから心配しないで。
準備ってなんだよ。
真っ先にそう問いかけたが、『秘密。数日したら、全部分かるから』と、答えをはぐらかすばかりだった。
なにを考えてるか知らねえけど、俺にくらい教えてくてもいいだろうに。
ぱき、ぽき、と指を鳴らしながら欠伸を噛み殺す。
それにしても、眠い。こんなことならホームルームなんてさぼりゃよかった。今日のホームルームはさぼったりせず、絶対に顔を出して。
真奈美からそう釘を刺されたからわざわざ出てきてやったが、よくよく考えてみれば、あいつの言うことを聞いてやる必要なんてねえ。
「よし、全員揃ってるな。突然だけど、今日からみんなと一緒に勉強することになる転校生を紹介する」
どうやって教室から出ようかなんて考えていたら、教室の戸が開いて担任の教師が姿を現した。名前は……忘れた。前にまゆが真田だか雪村だかって言ってた気がするけど、はっきり覚えていない。
それにしても、転校生? 夏休みがあけて結構経つのに珍しいな。
そんなことを思いながら、教室の戸に目を傾ける。がらり、と引き戸が横に動いて、見慣れた制服を着た、見慣れた女が姿を現す。いや、俺だけじゃない。このクラスにいる全員が、突然現れた転校生の顔に見覚えがあるはずだ。
ざわざわと騒ぎ声が響き渡るなか、こつこつこつこつ。転校生の少女は靴音を静かに響かせ、教卓の隣でお辞儀をしてみせる。
「はじめまして、新堂まゆと言います。みなさんのことは姉からよく聞かせてもらっていますが、改めて、よろしくお願いします」
「新堂まゆ? 姉って、妹ってこと?」
「ねえねえ、あれって絶対双子だよね」
「こころに妹がいたなんて聞いたことがないんだけど。というか、こころは?」
あちこちでひそひそ話が賑わうなか。ぱん、と担任の教師が大きく手を叩く。
「よし。とりあえずみんな混乱してるだろうから、俺から新堂さんについて簡単に説明させてもらうな。お前らも察しがついてるだろうが、この子は新堂こころの双子の妹、新堂まゆさんだ。全寮制の学校に通っていたらしいが、新堂こころがアメリカに留学する事が急遽決まって、入れ替わる形で実家に帰ってきたそうだ」
「はーい、先生。新堂さんが留学するなんて話、私たちなんにも聞かされていないんですけど」
「それについては、姉からごめんなさい、と謝りの言葉を預かっています。姉は少し内向的な性格をしていたせいでどうしても打ち明けることが出来なかったらしく、最後の日までみんなと普通に過ごして、そのままの調子で去りたかったみたいで。勝手なことをして本当にごめん、と。それではみなさん、姉の代わりというのも変な話ですが、これから、よろしくお願いします」
転校生、新堂まゆがやってきたその日の放課後。教室で茜色に染まった外の景色を眺めていると、集まっていた野次馬たちからようやく開放されたのだろう。少しふらついた足取りで、まゆが俺のそばまで歩いてくる。
「よう、お疲れ。転校生のくせにずいぶん人気だな」
「人気ではなくて物珍しいだけでしょう。転校生のうえに顔なじみの相手の双子。まったく、私だけじゃなくこころのことまでたくさん聞いてきて、あれだけの質問攻めを受けるとさすがに……」
「その割には嬉しそうだな」
「まあね。こころはどうしたのか、本当は病気や怪我じゃないのか。みんな本気で心配してくれていて、みんなが、心からこころを想ってくれていることがわかって……ギャグじゃないからね」
「んなこといちいち言わなくてもわかるっての。それより、そろそろ聞かせろよ。なんでこんな回りくどいことしてんのか。自分のことを打ち明けろとは言ったけどこんなやり方」
「心配しなくても大丈夫。先生方や両親には本当のことを話してあるから」
「あ?」
「智也が帰ったあと、どうやって打ち明けるかを真奈美と相談したんだけど、やっぱり、私とこころを別人として捉えてもらうのが一番だと思ったの。二重人格なんてことを素直に話せば悪戯にみんなを混乱させるだろうし、物珍しさからくだらないちょっかいを出してくる人もいるだろうって」
「だからそういう奴は俺が全部追っ払うって――」
「そこまで智也に頼りきることは出来ないよ。主に、私のプライドの問題で」
「てめぇ……」
「というのは冗談。本当はさ、嫌だったんだ。私がこころに成り代わるみたいで。みんなの中から、こころを追い出しちゃうみたいで」
「…………」
「私は私で、こころはこころ。矛盾してるかもしれないけど、私はこころと共存したい。異常者扱いされることなく、当たり前に私とこころの両方を受け入れてもらいたい。だから、この方法が一番良いと思って」
「けどな、いきなり沸いて出てきた双子に留学、おまけに転校生だぜ? 留学先やおまえが転校してくる前の学校。そういうのを詳しく調べれば、すぐにぼろが出てきちまうだろ」
「かもね。でも、それはそれで良いって私は思ってるから」
「あ? なんで」
「私やこころのことを詳しく知ろうとする。親身になろうとする。そういう人には、本当のことを打ち明けようと思っているの。留学したからばいばいじゃなくて、それでも関係を保とうとしてくれる。そういう人なら、きっと私を受け入れてくれる。私がこんなまどろっこしいことを理由を、きちんと理解してくれると思うから」
「……なるほどな。ま、おまえ自身がそこまで決めてるならそれでいいや。おまえの猫かぶりの上手さならクラスの奴らとも上手くやってけるだろうし、これで心置きなくじじいどものとこに帰れるってもんだ」
まだ具体的な日付は決めてないけど今週、遅くても来週の終わりまでには手続きを済ませて引っ越せるようにしたほうがいいだろう。
今の状態ならまゆはもう大丈夫だろうし、じじいやばばあをこれ以上放っておくのも良くはない。
「……智也。田舎に帰るって話だけど、考え直すつもりはないの?」
だから、まゆがいきなりそんなことを言い出したときは耳を疑いかけた。
「あ? 今更なに言ってんだおまえ。んなもんあるわけねえだろ。そりゃ俺だって残りたいと思うけど、じじいばばあをそのままって訳にはいかねえよ」
「そのままには出来ないか。おばあさんは、無理に帰って来なくてもいいと言っていたみたいだけど? むしろ、逃げるための口実に使って欲しくはないって」
「……っ。てめ、なんでそれを」
「おばあさんから電話が来たの。智也を引き止めて欲しいって。私らの声は届かないけど、まゆちゃんの声ならきっと、だって。信頼を寄せてもらうのは嬉しいけど、そんな重要なお願いをされるとは思わなかったから、少し戸惑ったのだけどね」
「あのばばあ、なに勝手なことを。だいたい引き止めるって、んなことしたら意味ねえじゃねえか。もともと、まゆの依存を無くすのが目的だったってのに」
「それだけが目的じゃないでしょう。母親と向き合うのが嫌で逃げたかったから。逃げて嫌って、それでも気持ちを引きずって。何時までも同じような事を繰り返す」
「……っ。だからうるせえって、知ったような口聞くんじゃねえ。第一、おまえには関係ないだろ」
「関係ないけど、だからなに?」
「なにって」
予想もしていなかった返事に、思わず声が詰まりかけてしまう。
「関係がないと関わっちゃいけないの? 関係がないと助けようしてはいけないの? もしも本当にそう思っているとしたら、どうしてあの時、こころを失って自暴自棄になりかけていた私に傘を差し伸べてくれたの?」
「…………」
「智也はさ、たぶんお母さんの事を未だに克服出来ていないんだと思う。見切りをつけて考えないようにしてたって言っていたけど、それは嘘。嫌いって言葉で本心を押し殺しているだけ。智也、私に言ったよね。現実から目を逸らすなって。その言葉、少し屈折させて返すよ」
小さく咳払いをして、まゆは、とても低い声で言う。
「現実から逃げるな」
「……っ。誰も逃げてなんかねえよ。おまえに依存症がある以上、俺がこっちに残るわけにはいかねえだろうが」
「おばあさんやおじいさんの体調の次は、私の依存を言い訳に使う。……いいよ。なら、その言い訳も消してあげるから」
そう言って、まゆはポケットから折り畳み式のナイフを取り出す。ぴんっと刃を広げて、おもむろに、それを自分の髪に押し当てる。
「なっ、おまっ、まさか」
「こころ、ごめんっ」
勢いよく手を引いて、長い髪を切り落とす。
髪の毛がはらりはらり足元に落ちて、まゆは、掴んでいた髪をごみ箱に放り込んでいった。
「ばっ、おまえ、なにやってんだよ。なんで髪なんか」
「なんでって、私はこころじゃないから」
短くなった髪を指先で撫でて、まゆは髪を軽く払いのける。
「こころの事は今でも大事に思っているけど、あの子のために自分を偽るような事はしたくない。智也、私をそういう風に変えたのはあなた。だから、あなたにも変わってほしいと思ってる。母親の気持ちや行動一つ一つに振り回されて、それを自分の本心だと思い込もうとする異常性。その依存症を解消してほしい」
「依存してるって、振り回されてるって、馬鹿言うな。なんで俺があんな女に」
「……だよね。智也自身は認めていないし、完全に決別出来てるって思い込んでいるんだもんね。私も、最初は智也の言葉を鵜呑みにしてたからわからなかった。でもそばにいて、一緒に過ごして、何となくわかってきたんだ。結局、智也も見えないものに縛られ続けてるって事が」
「縛られてるって、俺のどこが」
「何が違うの?」
短くなった髪を指先で撫でて、真剣な顔つきのまま、俺の瞳を覗き込んでくる。
「こころが大好きな私。母親が大嫌いなあなた。特定の人が話題に出るたび、我を忘れるぐらいむきになる。そういう意味では、何にも変わらないでしょう?」
「…………」
反論できなかったのは、そのとおりだと思っちまったからだ。嫌いだと思い続けて、姿に怯えて、でも胸の奥のほうでは求め続けてて。それを自覚するのが嫌で、意識すらしたくなくて、だから蓋をし続けていた。一番楽な感情で、一番ぶつけやすい感情で。
「……母親が帰ってくるようなことがあれば、たぶん怒鳴って当たり散らすだけだぞ。学校での態度も露骨になるだろうし、おまえにも相当迷惑をかけると思う」
口に出すだけで恥ずかしくなる。これが自分の本音なんだろうけど、本当に、自分でも情けなくなるくらいの引きずりようだ。
「いいよ、当たり散らしても」
そう言って、まゆは静かに目をつぶる。たっぷり一呼吸分の時間を置いて、ゆっくりと口を開く。
「向き合うっていうのは本当に怖い事だし、平常な気持ちでいられなくなるものだもの。
でも目を背けたり、逃げ出したりするのだけは駄目。そんなことをしても意味がないし、同じ事の繰り返しになるだけだから」
以前まゆに言った偉そうな言葉を、ほぼそのままの形で言い返されている。
それがひどく屈辱的だったけど、不思議と腹が立ってはこなかった。言ってきてる相手がまゆだからか?
「……わかったよ、もう逃げねえ。これ以上、あの女に俺の人生を振り回させはしねえよ。母親が帰ってこようが帰ってこまいが関係ねえ。じじいやばばあは大丈夫って言ってたし、ならいいんだよな。こっちに残ったとしても。わがままかもしれねえけど、離れ離れになるのは嫌だからさ。でも、おまえが俺に依存――」
「安心してよ。私は、もう二度と智也のご機嫌取りなんてふざけた事は考えないから」
両手を胸の前で組んで、ふんぞり返った態度で偉そうに言ってくる。この憎らしい態度、正直素直に喜べねえ……。
「ああそれと、もしも智也のお母さんがあのアパートに帰ってきたり顔を出したりしたとして、智也を連れて行くなんて言い出したら刺殺してでも止めるから」
「さらっと殺人予告すんな」
「なら、お母さんが別の場所でもう一度やり直そう。一緒に暮らそうって言ったら、智也はそれについて行くの?」
「あ?」
一瞬、返答に困った。
勢い任せで追い返しそうな気もするし、追い返しておいて散々悩んだあげく、自分から寄り添ってついて行きたいなんて、そんな馬鹿げた寝言をほざきそうな気もしたからだ。
だから、別の考え方をしてみた。母親のことだけじゃなくて他の、一番大事に思っている相手との比較。
「それは、おまえ次第だろうな。おまえが一緒に行ってくれるって言うなら、ひょっとしたら、またなびいちまうかもしれねえ。どうしても……引きずっちまってるからな」
「智也、それは私に依存してるって事になるんじゃないの?」
「……っ。ちげぇよ、てめえにべったりしてやるつもりなんざねえ。俺はただ一番大事な奴と、一番好きな奴とずっと一緒にいたいって、そんだけだ」
言った瞬間、胸の奥にざわりと悪寒が走る。今更だけど、こんな憎たらしい奴が好きだなんて認めたかねえ。
「智也にべったりなんかされてもぜんっぜん! 嬉しくないから依存症でないというのは認めてあげるけど、これだけは勘違いしないでね。智也の一番大事な人は私かもしれないけど、私にとって智也は二番目だって事を。あくまでも、私が一番大事にしているのは」
「はいはい、一番好きなのはこころだって言うんだろ。依存しなくなっても、相変わらず無駄な熱さは変わらねえんだな」
「はいは一回で良いって前にも言った。それに大事な人とす、好きは別で……」
「あ? なんて?」
「うるさいうるさいうるさい! わすれろわすれろわすれろ! とにかく、私はどこかに引っ越すつもりなんてないんだから、智也もずっとここにいるの! いい!」
「あ、ああ……」
まゆの勢いに圧倒され、思わず後ろにたじろいでしまう。
「…………」
「…………」
顔を見合わせ、互いに赤面。心臓の動きが異常なほど激しくなって、肩や頬、手のひら、腕、足の付け根まで、全身が堪らなく熱くなってきた。
なんと言うか、これ以上ないくらい……気まずい。
「か、帰るか」
「う、うん。もう時間も遅いし、いつまでも教室で騒いでるのは良くないよね。あ、でもその前にほうきで床を」
そう言って、まゆは掃除ロッカーまで駆けていく。
「……おまえ、そんだけ打算的な性格してんだから後先考えて行動しろよ」
「し、仕方ないでしょ。あの時は必死になりすぎて、そこまで頭が回らなかったんだから」
顔を真っ赤にしながら、まゆはそんな風な言い訳をする。しかし、今更だけどこのぼさぼさの髪は……。
「掃除もいいけど、その髪のほうもなんとかしろよ。無理やり切ったから仕方ねえけど、かなり不揃いになってんぞ」
「うるさいわね、いいの。帽子で隠して、家についたら綺麗に整えるから」
「わかったわかった。じゃ、綺麗になったらあらためて見せてくれよ」
「……! そうだね、うん。明日、改めて見せてあげる」
「はっ、期待せずに待っといてやるよ。それじゃ、また明日な」
慌てて鞄を担ぎ、まゆに『今日』の別れを告げる。
短い髪はまゆのストレートな性格に合っていてとても似合ってたけど、それを褒めるのは止めた。そんなことを言うのは柄じゃないし、言おうと思えばそんな言葉、いつでも言うことが出来るからだ。
また明日。
そう、明日になればまた会える。離れ離れになることなんてない。
教室で、学校で、二人きりのときでなくたって、会おうと思えばいつでも『まゆ』に会うことが出来る。
『こころ』は解き放たれたから。だから、『繭』はもう必要ない。
それが俺たちの日常。
俺とまゆがこれから、そしてずっとずっと過ごし続けていく、新しい日常。
(終)
多少ぐだついてしまうところもありましたが、こころの繭 今回で無事に完結となります。読んで頂いた皆様、ありがとうございました!!




