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こころの繭  作者: 飛鳥
1/15

『理由(わけ)なんてわかる事のほうが珍しいから』

 世界に嘘が満ち溢れていると気づいたのは、それを実感したのは東京の高校に転校してからだった。

 祖父が住む東北の田舎に置き去りにされたときも、その後、何食わぬ顔で様子をうかがいに来たときも、俺はあの人を、母親の言葉を信じ続けていた。いや、信じようとしたのほうが正しいかもしれない。

 信じて、裏切られて、また信じて。

 そんなことを繰り返した末の転校。

 だから俺は、まゆの言葉を素直に信じることが出来なかった。

『必要とされたから。だから私はいま、ここにいる』






 1 『理由(わけ)なんてわかる事のほうが珍しいから』


 灰色交じりの青色に、にごった雲模様。

 涼やかな秋風が流れる学校の屋上で、あぐらをかきながらじっと空を見上げてみる。

 空なんてどこも変わらないと思っていたけど、東京の空は田舎とは随分(ずいぶん)雰囲気が違って見えた。

「やっぱり、別の場所なんだな。空の色くらいは同じと思ったけど」

 欠伸(あくび)をかみ殺しながら両足を伸ばし、そのまま、ごろりとアスファルトの上で横になる。このまま昼過ぎまで時間を潰せればいいが、そう都合よくはいかないだろう。

天城智也(あまぎともや)、やっと見つけた。またここに来てたんだ」

 思ったとおり、すぐに聞きなれた女の声が聞こえてきた。と言っても、知り合ってまだ数日しか経っていないが。

「またおまえか。しつこい……」

「しつこいって、そう思うなら大人しくしていて。あなたが変にサボったりしなければ、私だってこんな事をしなくてすむんだから」

「やりたくないならやらなきゃいいだろ」

「委員長って立場上、そうゆうわけにもいかないの。ほら、行こう」

 そう言って委員長、新堂(しんどう)こころは俺の肩を掴むと強引に自分のほうに引っ張ろうとする。

 他の奴なら、新堂の裏表を知らない奴なら人がいい。あるいは世話焼きだな、と新堂の言葉を素直に受け止められるだろうが、

「立場だなんだの言っても、結局は自分の点数アップが目的だろ」

「それはそうでしょ。でなきゃ、誰がこんな面倒な事を」

 謙遜(けんそん)(ひか)えめな気配も感じさせない、本当に、心の底から思っていそうな声。

 肩にかかっていた髪を指で弾く仕草を見ているうち、思わず呆れそうになってしまう。

「おまえさ、ホントいい性格してるよ」

「そう? それはありがと。それじゃ、さっさと教室に戻ろ」

「戻ったら、またいつもどおりの猫かぶりってわけか」

「猫をかぶってるわけじゃないって」

 昇降口(しょうこうぐち)に向かっていた新堂が足を止め、くるり、こちらに振り返る。

「前にも言ったと思うけど、私の素はあっちなの。違うのはむしろ、今あなたと話をしているこちらの方なんだから」

「違うのはこっちって、悪ぶってるってことか? 俺の前でだけ。それこそおかしな話じゃねえか」

「それについては『複雑な事情』で納得して欲しいかな。あなたの前でだけの理由は……あなたが厄介者だから?」

「わけわかんね。何言ってんだか」

 質問したのは俺のほう。なのに疑問で返されて、はぁ、と今度こそ呆れてしまう。

「うん。別に、わかって欲しくて言ってるわけじゃないからね。それに……理由(わけ)なんてわかる事のほうが珍しいから」

 意味不明な言葉を口にして、新堂はじっと空を仰いでいた。さっきまでの気丈な振る舞いは息を潜めていて、その姿にはどこか幼い、赤ん坊のような純粋さが混じっているように思えた。




 親の都合で東京に越してきたのが八月の終わり。最初に引越しの話題が上がったのは八月の中ごろだから、かなりのハイペースで話が進んだものだ。

 自分が望んだ結果だから家での暮らしに文句はないが、学校での生活、扱いには多少の不満が残る。

 サボリ魔に不良、厄介者。

 東京の高校に転校してまだ数日しか経っていないのに、随分な言いがかりをつけられたものだ。

 第一、別にサボるのが好きなわけじゃない。どうせ高校の授業になんてついていけないから、寝やすい場所に移動してるだけだ。それに不良という言いがかりも、あの日の夢を見て気が立っていたところに変な奴らが絡んできて、それを殴り返しただけ。

 たったそれだけで問題視されるのだから、本当にいい迷惑だ。

『ねえ転校生。名前、天城智也であってたわよね』

 教師に目を付けられ始めたころ、そうやって話しかけてきたのが新堂こころ。クラスの委員長を務める、表面上は人のいい真面目そうな女だった。

『あなたの対応に困った雪村先生が、私にさじを投げてきたの。来年は受験もあるし内申を上げておきたいから、あなた、私のためにもう少し大人しくしていてくれない?』

 正直者と言えば聞こえがいいかもしれないが、そこまでストレートに言われると変な奴、歪んだ奴としか思いようがなかった。必要以上に跳ね除けるつもりはないが、ほぼ初対面も同然の相手に腹を割ったことを言われるのも困る。

 もっとも、この新堂こころという女の問題はそことは別にあるのだが。

「あの、天城君」

「ん……」

「眠ってないで、ちゃんと授業に集中して欲しいのだけど……」

 ゆらゆらと揺らされて(まぶた)を開けると、左肩を新堂に揺らされていた。

 机にはメモ用紙が一枚。そこに、新堂の本音が書かれていた。

『大人しくしていろ、私に迷惑をかけるな。そう言っておいたはずだけど?』

 がっしりと肩を握られ、爪が少し食い込む。声だけは猫をかぶったままだが、明らかに地がにじみ出ている。

『寝てるだけなら、別に迷惑になんてならないだろ』

『不真面目な態度をとる事自体が問題なの。あなたを更生させるって名目がある以上、少しぐらいの効果がないと格好がつかないじゃない』

『評価を上げたいなら、まずはその二重人格を直したらどうだ?』

『気が向いたらね』

 それを最後に新堂は筆談(ひつだん)を止め、黒板に視線を向けなおす。俺のことは、もう相手をする気もないらしい。

 声色まで使って自分を(いつわ)り、他人に自分を認めてもらう。

 そんなことをして、なにが楽しいのか。結局どれだけ必死になっても、必要と思われても、ぬか喜びになるだけなのに。

 窓から見える空の色は真っ青で、その綺麗さが、妙に(かん)にさわる。

 表面上だけの綺麗さ。上辺だけの綺麗さ。

 排気ガスに染められた灰色の雲が、隠しきれない『本当』を表しているようだった。


「こころー。ちょっと、さっきの授業でわからない場所があって」

「う、うん。わたしがわかる範囲なら」

 昼食を終えたばかりの昼下がり。まばらに生徒が残っているだけの広々とした教室のなか、猫をかぶった新堂と名前も知らない女のやりとりにぼんやり耳を傾ける。

 人は良さそうでも明らかに頼りなさそうな偽りの姿。口調も何だか弱々しく、引っ込み思案のように見える。

 本当に、何が楽しくてあんなことをやっているのだろう。第一、偽るにしてもあんなキャラを演じる理由がわからない。

 性根(しょうね)はともかく話し方だけは素のほうがしっかりしてるんだから、あれなら素の状態のほうがよっぽどまともに見える。頼りがいのないキャラクターを演じている? 一瞬そんな考えが思い浮かんだが、それでは教師からの評価、内申を強く意識する普段と噛み合わなくなる。

 まるで二人の人間を演じわけているようで、本当に、わけのわからない奴だ。

「よう、天城」

「誰だおまえ」

 妙に馴れ馴れしい声が聞こえ、振り向くと知らない奴が立っていた。

「誰だって、相変わらずひでえなお前。青葉(あおば)一樹(かずき)。前にも自己紹介はしただろ」

「青葉? ああ、いたなそんな奴」

 本当を言うとまったく記憶にないが、とりあえず話を合わせておいた。

「で、なんだよ。面倒だからいちいち相手をさせんな」

「……っ。ほんと(ひね)くれてるよな、お前。それよりさっきから新堂たちの方を見てたけど、やっぱお前でも気になるものなのか?」

「あ? おまえ? てめえ、何様のつもりだ」

「お、(おど)そうとするなよ。だ、だからさ。新堂のことを迷惑そうにしてるけど、本音を言うとまんざらでもないんだろ。そうだよな、あんなに可愛くて性格のいい子に追いかけられて、それを嫌なんて思う奴はいねえもんな」

 しみじみと声を漏らす馴れ馴れしいのが一人。正直非常にうざったいが、その前に自分の耳を疑った。可愛いというのはわからないでもないが、性格がいい?

「おまえ、新堂とは付き合いが長いのか?」

「つ、付き合うって馬鹿。そんなわけねえだろ。そりゃ、付き合えればいいとは思ってるけど」

「うぜぇ。てめえのことはどうでもいいんだよ」

 ごちゃごちゃと関係ないことを喋られても面倒なので、胸倉(むなぐら)を掴みあげることにした。

「いいから質問にだけ答えろ。ガキのころからあいつを、新堂を知ってるのかって話だ」

「い、一応小、中と同じ学校だったから知ってるといや知ってるけど、それほど親しかったわけじゃ。も、もういいだろ。離してくれよ」

「同級生って程度か。まあいいや」

 自分から近づいてきたくせに話を終わらせたくて必死なようだったので、とりあえずは手を離す。

「それで、あいつの言動(げんどう)でなにかおかしいって思ったことはないか?」

「し、新堂の言動? いや、なにもないけど」

「本当にそうか? ガキのころに比べて性格が丸くなったとか、妙な二面性があるとか」

「ないよ、ないない。じゃ、じゃあな」

 そう言って、逃げるように教室の奥のほうに走っていった。他の奴になにか喋っているようだが、特に興味もないので無視。それより気になるのは、新堂の言動がおかしいと思ったことはないというほうだ。

 あいつがいつから猫かぶりをしているかはわからないが、あの言葉が本当なら、少なくとも小学生のころには『今』と同じようなことをやっていたのだろう。

 本当が別にあるのに、いい子ちゃんを気取る。

「…………」

 強い苛立ちを感じたのは、その姿に自分を重ねかけたからだ。

 母親のためにいい子であり続けようとする子供。

 新堂のほうに視線を向けてみると、相変わらず本性を隠したまま、大人しそうなキャラクターを無理やりに演じ続けていた。


       ●          ●          ●


『久しぶりね、智君』

 母親の記憶で最初に思い出すのはその言葉。

「おはよう」でも「おかえり」でもなく久しぶり。

 十六のときに俺を生んだ母親は、周囲の反対を押しきり学生のうちに結婚を強行した。

 交際期間がどれぐらいあったか知らないが、俺が生まれた一年後に父親が蒸発したことを考えると、大恋愛の末というわけじゃなく、若気の至りで勢いに任せ、だったのだろう。

 その証拠に、母親は父親が蒸発した翌年には新しい恋人を作っていたそうだ。ただ子持ちというのは相手に対する印象が悪くなるから、俺は早々に母方の祖父の家に預けられた。

 いや、里帰りしたときに俺を置き去りにしたというのが、一番正確な表現かもしれない。

 前に住んでいたアパートはご丁寧にも解約済みで、たぶん、俺を捨てた足でそのまま新しい恋人の家に転がり込んだんだろう。

 けれど母親のそんな事情を、子供の頭で理解するのはいくらなんでも難しすぎた。

 自分は両親じゃなくてじいさんばあさんと一緒に暮らしている。そこにはなにか難しい理由がある。わかっていたことと言えばその程度。

 でも、暮らしそのものに不満があったわけじゃなかった。ばばあは優しかったし、すぐに怒りはするものの、じじいも俺を大事にしてくれていたからだ。

 田舎だから同年代の友達はほとんどいなかったが、遊び場なら腐るぐらいたくさんあった。

 たとえば、家の裏手にある雑木林。一歩足を踏み込むと枯れ枝や落ち葉を踏み潰す音が靴を通して伝わってきて、クヌギの木の一本一本を覗き込んでは、樹液に集まる虫のなかにかぶと虫が紛れていないか探し回っていた。

 倒れたクヌギを両手でひっくり返し、虫の幼虫を探して素手で土を盛り返し、時々、きつねやたぬきを見つけては必死に追い掛けまわす。

 そんな生活に変化が訪れたのは、五歳になった年の夏だったと思う。

 あのころは昆虫の標本(ひょうほん)作りに夢中になっていて、その日も家の縁側で、虫取り網を片手にひらひら飛び回るモンシロチョウを追い掛けていた。

 真っ白の(ちょう)(はね)を摘んで虫かごに入れようとして、そこで声をかけられた。

 麦わら帽子に真っ白なカーディガン。とても綺麗な人だと思った。でも、それ以上に懐かしい感覚が胸の中いっぱいに溢れてきて、思わず動きを止めてしまった。見とれていたと言ってもいいかもしれない。

 力の緩まった指先からモンシロチョウがするりと抜け出て空に逃げてしまったが、それを惜しいと思うどころか、逃げられたことに気づきさえしなかった。

 それほどまでに、俺は目の前に現れた女性に目を奪われていた。

 一目見て母親とわかったなんてことはない。いや、もう少し時間があれば気づけたかもしれないけど、それよりも先に、じじいの罵声(ばせい)が響き渡っていた。

『いまさら何をしにきた!』

 じじいの罵声や大声は聞き飽きるほど聞いていたが、あの時が一番凄まじかったと思う。

『なにって、親が子供の様子を見に来たらいけないの?』

『お前に親の資格などない!』

 俺が見ているのも気にせず二人は言い争って、それを見かねたばばあが、俺を縁側から家のなかに移動させた。

『見苦しいものを見せてすまないね。静かになるまで、ちょっとここにいておくれ』

 そう言って謝ってきたが、俺はその光景を見苦しいなんて思っていなかった。むしろ母親から自分を遠ざけたばばあに対し、軽い苛立ちを感じたぐらいだった。

 物心がつく前から面倒を見てくれていた育ての親より、息子を置き去りにした母親を求めていたのだから、我ながらずいぶん勝手な奴だったと思う。

 遺伝子とか血。オカルトな言い方をすれば、心とか魂が母親を求めていたのかもしれない。

『それじゃあね、智君。また会いにくるから、それまでいい子にしてるのよ』

 帰り際、母親は決まり文句のようにそんなことを言っていた。

 母親と一緒にいたいと泣きじゃくる子供を引き剥がすための方便。今思うと、あの言葉にはそれだけの意味しか込められていなかったのだろう。

 なのに俺は母親の言葉を馬鹿正直に真に受け、必死にいい子であり続けようとした。

 朝早く起きて、好き嫌いすることなくなんでも食べて、なに一つわがままなんて言わなかった。学校の宿題をやり忘れることもなかったし、友達と喧嘩なんてもってのほかだった。

 いい子にしていれば、またあの人が会いに来てくれる。

 そんな根拠のない自信が、俺をずっと支え続けていた。

 それに母親は、一度だって『会いに来てあげる』とは言わなかった。『会いに来る』と、自分から歩み寄るような言葉を使い続けていた。

 だから、勘違いしてしまったんだ。

 会いに来てくれるのは母親も俺を必要としているから。俺が好いているのと同じくらい、それより何倍も、何十倍も好いているから、だから会いに来てくれる。そんな風に都合のいい解釈をして、それを信じてしまっていた。

 …………。

 当時母親と付き合っていた男がすぐ近くの市外に住んでいると知ったのは、つい最近の出来事だ。






物語が動きがある部分まで連続投稿していこうと思います。

ヒロイン(新堂)が抱えている秘密ですが、おそらく読者の皆様が

思っている通りだと思います。秘密を解き明かしていくようなサスペンス

ものではないので、変に推理することなく読み進んでもらえると幸いです。

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