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この空の下で  作者: kazuha
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第十一章 初デート

 この前小学校を卒業したかと思うと、あっという間に中学校の入学式を迎え、それからもう十日が経った。

 友達もでき、学校にも慣れた。勉強も小学校と比べると、一段と難しくなった。そしてそこからいろいろな経験を積むこともできた。なんと言っても一番の収穫は、あらゆる人が小学校からこの中学校に集まっているので、自分の人生観が大きく変わることであった。

 そして僕は、これからこの長い三年間を、この中学校で過ごすことになった。これからどんな青春が待っているのであろう。楽しみだ。


 入学から二ヶ月が経ち、毎朝が憂鬱になる日々が四日続いた。部屋の中がジメジメするし、変に暑いし、何といっても、通学が大変だ。

 僕はいつも通りに制服に着替え、朝食を食べて、歯磨きを済まし、部屋で少しの時間をつぶした。そして憂鬱なシャワーを浴びに外へ出る。そこには自転車が一台しかない。すでに深雪は朝早くから学校へ行ったようだ。というより、同じ家にいるのに、そんなことに気が付かない自分はどうかしている。そんな時、僕は始めて自分の愚かさに笑ってしまう。そして学校まで、憂鬱なシャワーを浴びて通学するのであった。


 学校に着くや否や、背中から靴下までグッショリぬれていて、かなり気持ち悪い。せっかく傘を差してきたのに、まったく意味がない。

 教室に入り自分の席に着くと、持ってきた靴下に履き替え、背中にべったりとくっついているワイシャツを離した。

 外は相変わらず、滝のように猛烈な雨で、雨の向こうが霞んで見えるほどのすごい大雨であった。

 ボーっと外を眺めながら体にためている憂鬱に浸っていると、昔からの幼馴染が話しかけてきた。

「なぁ、要。今度の休みに映画でも観に行かないか?」

「なんだ、英一。お前ずいぶん暇なんだな」

 僕は英一を見ながら嘲るように笑った。

「はっ。オレは頭がいいからな」

「うぜぇ」

 二人は同時にクスクス笑った。

「それで、行けるのか」

「どうだろ」

 僕は時計をふと見た。

「ほら、もう授業始まるぞ。さあ早く自分の席に戻れ」

 僕がそう言った時、教室のドアが開いた。

 すると教室の中は逃げるアリのように、あわただしく動いた。


「おい、それでどうするんだ、映画。行くのか行かないのか」

 授業が終わったのと同時に、英一は自分の席からすっ飛んできた。

「どうしようかね」

 僕はいかにも、もったいぶった口調で言った。

「みんな行くんだぜ。行こうよ」

「みんなって、他に誰か来るのか」

「来る」

 英一はいやらしい顔でにやけた。しかし僕は、いかにも興味ないような顔をした。すると、思ったとおり、英一はかまって欲しそうな顔に変わった。

「なんだよ。知りたくないのか」

「別に」

 僕は興味がない人を演じ続けた。

「張り合いがねぇな。じゃあ、もうぶっちゃけ言うけど、幸恵とだ」

「はぁ、あのじゃじゃ馬とか」

「誰がじゃじゃ馬よ」

 口が達者だからそう言っているんだ。いくら黙れと言っても黙らないからそう言うんだ。僕は心の中で、できる限り大きな声で叫んだ。

 そして幸恵の話が始まった。

「で、行くのか行かないのかはっきりしなさい。というより、私的には、アンタには来て欲しいとは思ってなくもないわ。だけど、アンタが決めることよ。早く決めなさい。こいつはアンタが行かないんだったら、他の人を誘わなきゃいけないのよ。だから早く決めなさい」

 終わった。こいつの話はとりあえず長い。これ以上、幸恵の話は聞きたくなかった。それに、これ以上抵抗したところで、幸恵に勝てるわけがない。

 僕はついに骨を折った。

「分かったよ。行くよ」

「そう、じゃ」

 幸恵はうれしそうな顔で教室を出て行った。そして英一は苦笑した。

「悪いな。半ば強制で」

「強制だよ」

 僕は外を見た。

 外はまだ滝のように降り続け、帰りまでにやみそうにない。おかげで、今日の体育は中止だ。今日は憂鬱デー。明日はどんな日が待ち構えているのであろうか。

 チャイムの音は構内を響かせたが、だんだん雨の音にかき消されていった。


「深雪、お前、どっか行くのか」

「うん、じゃ」

 深雪は今にも雨の降りそうな曇天下に出た。

 それを見届けた僕は、自分の部屋に戻った。そして支度をする。今日は五日ぶりに雨がやんで、絶好の日和まではいかないが、涼しくてとても過ごしやすい日であった。しかし今にも雨が降りそうな天気で、出かけるのが嫌になる。そんな僕を雨空は、嘲笑っているかのように見えた。

 そして五分後、僕も深雪に続いて外へ出た。


 風は冷たく、唸りを上げて体中を走り抜けた。葉はそよめき、僕の行く手を妨げるかのように散り荒れた。

 その中を一生懸命にペダルをこいだ。待ち合わせの時間までに遅れそうだ。今日はものすごい向かい風で、歩いた方が早いかもしれないくらいであった。

 待ち合わせのスーパー前まであと少しの距離を、僕は風を切るように自転車を進めた。


「で、なんでお前がいるんだ?」

「それはこっちのセリフよ」

 深雪は鋭い眼光でこちらを睨んだ。

「で、アンタは何でここに?」

「オレは英一と幸恵に誘わ…」

「はぁ?」

 深雪は眉間にしわを寄せると、小さなため息をした。

「まさかお前も?」

 僕も下をうつむき、大きなため息をついた。

「…やられたな」

 二人は呆然と自転車にまたがっていた。ただ、風は二人の間を駆け抜けて、閑静と沈黙を運んできた。

「で、どうする、これから」

 いまだに変わらぬ深雪のしかめっ面は、悔しさで詰まっていた。

「どうするったって…せっかく来たんだし…行くか?」

 深雪は一瞬戸惑った表情を見せたが、すぐに照れくさそうに言った。

「…うん」

「じゃ…行くか」

「うん」

 二人の自転車はゆっくりと進み始め、風はそれを後押しするかのように吹いた。

 そして僕らのデートは始まった。長い一日になりそうであった。


 風と共に、僕らは進む。

 そういえば、女子と自転車で並列に走るのは初めてであった。しかし、全然ドキドキしないのはなぜだろう。普通なら、初めて異性と並んで走る時、胸が高鳴り、今まで感じたことのないような思いでいっぱいになる。そして話の切り出しに困るはずである。

 このまま何も話さないのも悲しいので、とりあえず話題をつくることにした。

「ところで、最近、どーよ」

「何、最近って」

「学校はどうだ、ってことだよ」

「あー、そうね…まあまあじゃん」

「それじゃ、会話終わっちゃうじゃん。もっと話題広げようよ」

「私、話下手だから」

 意外な返答に、僕はたじろいだ。

「女子って…みんな話し好きなのかと思ってた」

「それは間違いね。人それぞれよ、やっぱり。私は静かな方が、比較的好きかな」

「ふーん」

 やはり人それぞれなのであろうか。深雪の一言で、持論は見事に崩れ去った。しかしあまりショックは受けなかった。深雪のおかげで、少し人について知ることができたと思ったからだ。

 僕は話を続けようとしたが、深雪の、比較的静かなほうが好きだ、という言葉に抑圧されて、何も話すことができなかった。

 沈黙と共に、車輪は回り続ける。僕らを妨げる風は、すでになかった。


「何がいい?」

「そうね、私は…何でもいいわ」

「じゃ、早い時間帯のやつにするか」

「うん」

 僕はタイムスケジュールを見た。そしてチケット売り場へ二人は向かった。

 チケットを買う際、売り場の女性は、微笑ましいものでも見るような顔でこちらを見ていた。僕はその顔を見ることができず、急に背中が熱くなるのを感じた。

 チケットを買うと、僕は急いでいるように深雪の手を引っ張り、その場を後にした。深雪の恥ずかしそうな声が聞こえたが、僕はもっと恥ずかしいことを知っていた。


 暗い劇場の中、僕らは運よく真ん中の席を陣取り、ようやく落ち着きをとり始めていた。さすが創立記念日で、客は少なく、居心地は最高であった。

 しかし映画を見ていると、そんな気持ちも吹っ飛んでいた。さすがにホラー映画は恐い。僕は急に落ち着かなくなった。

 そういえば、ホラー映画を観るのは初めてだ。今年中学に入ってから、映画に興味を持ち始めたのだが、ホラー映画には一切、手をつけていなかった。

 序盤から中盤に変わってくると、恐怖は増大してきた。自分は見える恐怖なのだが、映画の中の住人は見えない恐怖に襲われている。その恐怖が僕らに伝わってくるのは、人が殺される瞬間だ。ほら、後ろ。そう思って振り向くたびに、絶叫、そして目の前が真っ暗になる。

 そして終盤。恐怖はピークを迎えた。

 いよいよ最後の一人にされた主人公が殺される瞬間、それは惨殺で、観るにも観ることができなかった。言葉にも表せない、まさに絶句であった。

 人に言うのは少し恥ずかしいが、一時目をつむってしまった。そしてその一瞬のことであった。僕は脇の手すりに手を置いているのだが、その右手に何かが包み込んできた。生暖かい。深雪の手であった。その瞬間、僕の体は化学反応が起こったように、急に熱くなった。同時に心臓の鼓動が、徐々に速くなるのを感じられた。何だろう、この気持ち。

 僕はゆっくりと目を開け、深雪の方を見た。深雪は歯を食いしばり、目には映画と恐怖が映っていた。毎日この横顔を見ているはずなのに、なぜだか胸の響きは大きくなっていった。

 もう映画なんてどうでもいい。こんなところを早く出たい。僕はそう願いながらも、映画を観続けていた。


「どうだった?」

 深雪は束縛から解放されたたような顔をした。

「…緊張した上に、なんか、すごく疲れた」

「そうだね」

 楽しそうな顔をする深雪をよそに、僕の心は今の空のように雲が覆っていた。

「なんか食べてく?」

「…うん」

 立場がすっかり変わってしまった。映画が終わった今でも、僕の胸の鼓動は、変わらず高鳴っていた。


「おい、英一。お前、はめたのか?」

「え、何が」

「とぼけんなよ。何で、映画に来なかったんだ」

「あー、あれね。行ったよ」

「え、どういうことだ」

「どういうことって、オレはちゃんと幸恵と行ったぜ。しょうがなくだけど」

 英一は苦笑いを見せた。そして英一は続ける。

「というより、お前も来なかったじゃん、映画に」

「は?」

 まったく意味が分からない。僕らは確かに映画に行った。なのになんで英一らも映画に行った、なのだろうか。

 僕はその真相を知りたくなった。

「ちゃんと映画に…」

「分かった」

 英一は満面の笑みだ。

「分かったぞ。良かったな、これで解決だな」

「何が」

「映画の件だよ。教えて欲しいか」

「ああ」

「じゃ、百円な」

「なんだそりゃ」

 チャイムは高く、教室中に鳴り響かせた。


 あとで気付いたのだが、この辺りには同名のスーパーがある。それで、一方のスーパーに集まった英一らと、もう片方のスーパーだと思って集まった僕らは、絶対に会えるはずがない。しかも、僕らは彼らを待とうとせず、さっさと映画館に行ってしまったのだが、英一らはある程度、僕らを待っていたと推測すると、映画館の中でも会えるはずがない。まして映画館に行ってすぐに観始めた僕らとは、絶対に会うことはない。


 あー、こんな不思議な巡り合わせがあるだろうか。このことに、深雪はいまだに気付いていない。というより、あえて教えていない。



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