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この空の下で  作者: kazuha
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第十章 卒業、そして別れ

 桜の花がぽつぽつと開き始め、陽気な気候となりつつあるこの頃、いよいよ小学校生活最後の一ヶ月になった。

 この月になると、卒業式の練習だの、卒業制作だの、小学校の全課程は終わったが、予定は卒業式まで詰まっていた。そんなことに、みんなはあまり乗り気ではないようだ。いくらもう勉強しなくていいとしても、やはり遊びたい心は止められない。休み時間に入ったら、男子達は勢いよく太陽が照らす外へ飛び出す。これが毎日毎日、変わりの無い生活が続いた。そしてそんな日が一週間ほど過ぎたある日のことであった。いつもどおりに卒業制作を進めているある日中のことである。突然、先生が黒板の前に出た。

「ちょっと作業やめて」

 先生が声を張り上げると、みんなはすぐさま手を止め、先生の方を見た。

「もしこの卒業制作が早く終わったら…学級対抗で、何かレクリエーションをやりたいと思います」

 みんなはすぐさま飛び跳ねた。まさか先生の口からこのような話が出るとは思わなかったようであった。というより、こんなことはもっと早く言ってくれればいいのに。

 当然のことだが、その後はみんな、仕事の効率は良くなった。そしてあと一週間かかりそうだった作業が、なんと二日で終わってしまった。恐るべきみんなの力。こう見ると、今までのみんなのやる気の無さがにじみ出てくる。しかし、早く終わって良かったことに越したことがない。先生たちも、この驚異的な勢いには驚いたらしく、これから何をしようか頭を抱えていた。

 そしてレクリエーションの内容は、各々のクラスで決められることになった。


「どうする。これは…多数決でいいですか?」

 学活の係が声を張り上げて言った。そして目立ちたがり屋の男子が、いいですと答えた。そう答えなくても、結局は多数決になっていたことだろう。しかしこう言ってくれた男子のおかげで、早くことが進んだ。

「それじゃ、多数決にします。では、これから何をしたいかを考えてください。時間はですね…五分です。席を離れて話し合っても構いませんので」

 係は教卓を離れた。


「で、何にしようか」

 幸恵は机に乗り出して言った。

「私的にはどれでもいいんだけど…聖子はどう?」

 私は前に座っている聖子に問いかけた。しかし、聖子はガラスの向こうを見つめたまま動かない。

「聖…子?」

 聖子の横顔は堅く、なんだか物寂しげな雰囲気を漂わせていた。そして目には、暗い空が映っており、さらにその奥には、人生に嫌気がさしているようであった。もう、こんな人生は歩みたくない。聖子の容姿には、そんな強い意思が見られた。こんな聖子の姿を、四年ぐらい前に一度だけ見たことがある。しかしその時はただ、雰囲気だけを感じることしかできなかった。その時はまだ、人の心を読むことだなんてできなかった。しかし今は違う。聖子のおかげで、だいぶ人の気持ちや感情が分かってきた。

「ちょっと聖子、聞いてる?」

 幸恵は無神経だ。しかしこの無神経さも、時には人を元気付ける糧ともなったことがある。

 聖子はようやく振り向き、表情をほぐした。そしていかにも元気そうな声で言った。

「何、何か言った?」

 聖子の空元気はいつまで続くことか。私はそれだけが心配であった。

「何って、レクの競技、何やるかに決まってんじゃん」

「そうなの…何でもいいわ」

「何だそれ」

 幸恵は頭を落とした。

「何か、一人で舞い上がってると、悲しくなってくるし」

 私は笑ったが、聖子は微笑んだだけであった。そして聖子は前を向いて、再び外を眺めた。

 そしてその後は、私と幸恵だけで相談した。いくら呼んでも聖子は、いい、と一点張りであった。

 窓際の席で、聖子の背中は寂しそうに何かを物語っていた。何と言いたいのかは何となく分かっているつもりだが、聖子の本音は心の奥底にあることであろう。私には一生あがいても知れない聖子の本音を、私はそっとしておくことにした。


「で、なんで私がこんなところにいるの?」

 聖子はぶっきらぼうに尋ねた。

「まぁまぁ、いいから気にしないで」

「気にしないで…じゃないわよ。なんで騎馬戦の大将なのよ」

「聖子が話に参加しなかったから。ドンマイ」

 聖子は幸恵と私と曾我部さんが組んだ手の上に乗っている。しかし聖子はまだ喚いていた。

「別に私じゃなくてもいいじゃない。なんで私なの」

「アンタ、意外と運動神経いいじゃん。しかも、何かやってくれそうだし」

「何それ。私、大して…」

 喚いている聖子をほっといて、始まりを告げる、ホイッスルが鳴った。

 いよいよ始まった。

 それぞれの馬は勢いよく前進し、これから戦場になるであろう、グラウンドの中央へ走った。皆、ものすごい形相、血眼、野生に目覚めた心を持ち、そのおかげでこれから交戦するのが嫌になってくる。赤と白の帽子が宙を舞い、その下で馬から落とされる者や、手で一生懸命にあがいている者がいた。

 そういえば、私たちと側近の一組はまったく動いていない。大将がいなくなれば、騎馬戦は終わるので、動かない方がいいという、側近の前原さんから聞いた戦略である。しかし、動かないというのもつまらない。

 そんなことを考えているうちに、中央の戦いは終わり、こちらに敵が向かってきた。相変わらずの形相であったが、交戦でかなり疲れている。しかし敵は大将を入れて、残り三組であったので、こちらが絶対的に不利なはずだ。

 こんなところで待っているのは意味がないので、私達の馬と前原さんたちの馬は、ゆっくりと前へ出た。

「古葉さんたちは左をお願い。私たちは右の二組をくい止めるわ」

 そう言うと、前原さん達の馬は左へと向かった。こんなところで抵抗してもしょうがないので、私達はその指示通りに動いた。

 そしてこちらは一対一になり、地面をさみしく風がこする一方、左方では激しい抗戦の砂煙が舞っていた。

 前触れもなく突然、相手の馬はこちらに突っ込んできた。

「うそ、どうすればいいの」

 聖子は度肝を抜かれたような顔をした。そして生まれたばかりの雛のように、辺りをきょろきょろした。

「帽子を捕ればいいの。がんばってね」

 相変わらずの調子で幸恵は答えた。

 こんな切羽詰った状況でも、私は左方で抗戦を繰り広げている前原さんの馬を見た。するとその時、前原さんの馬は突如崩れ、砂が舞う地面に騎馬は落ちた。これで三対一。非常に不利な状況だ。

 しかし、正面の相手の馬は勢いが治まらないまま、こちらに向かっていた。

「よし、もうやるわよ」

「そうそう、その意気」

 気合を入れる聖子をよそに、楽しんでいる幸恵がいた。こんなので大丈夫であろうか。私はかなり不安に思った。

「来るわよ。かまえて」

 その一言で、馬の士気は急激に上がったが、聖子はものすごい形相になった。そして馬を相手側に傾けた。

 相手の騎馬は、聖子の帽子を奪おうと手を伸ばした。そして私たちの馬と相手の馬は勢いよくぶつかった。相手の騎馬は前に乗り出し、聖子の帽子をつかもうとしたが、聖子は体をそらしてかわし、そしていとも簡単に相手の帽子を捕った。それと同時に、相手の馬は崩れた。

「よし、あと二つ」

 聖子はまた気合を入れ、馬を残りの二組の方に向けるよう指示した。

 しかし、相手の帽子を捕らずに、ホイッスルがグラウンドを響かせた。

「え、何で」

 すると他の二組の馬は崩れ、皆、悲しそうな表情に変わった。そして、前原さん達がこちらに駆け寄った。

「望月さん、やったわ。私たち、勝ったのよ」

 前原さん達ははしゃいでいたが、私たちはボーっとしていた。一体何が起こったのか、まるっきり私たちは理解していない。しかし、私はすぐに気付いた。大将がいなくなれば、騎馬戦は終わる。その言葉は、頭の中で何度も繰り返された。そしてやっと実感が湧き始めた頃、聖子をゆっくり下ろし、聖子に抱きついた。

「聖子が捕った子、あの子は大将だったのよ」

「え、そうなの」

 聖子は少し恥ずかしそうであった。背中が熱かったのですぐに分かった。

「ね、もう、深雪」

 聖子は照れていたが、その声には少しうれしそうな感情がこもっていた。

 幸恵は前原さんと遠くの方ではしゃいでいるようであった。


「ねぇ、深雪。ちょっと話があるんだけど…」

 騎馬戦を終えた後、グラウンド付近に設置されている水飲み場で手を洗っていた。

「え、何、話って。聖子から話すなんて珍しいね」

 大抵の人は教室に戻り、水飲み場では私と聖子の二人だけとなっていた。幸恵はというと、前原さんたちと先に行ってしまった。

 突然辛い顔をした聖子は、ゆっくりと静かに話した。

「私…私立の中学校に行くの」

「えっ」

 私はあまりにも突然のことに驚いた。まさか彼女の口から、こんな言葉がいきなり出てくるとは思わなかった。私はただ、唖然としていて、頭は真っ白であった。

 そして聖子は目を真っ赤にした。

「もう会えないかもしれないけれど、私、深雪のことを一生忘れない」

 聖子の感情とは裏腹に、私の心の奥底で、彼女に対する小さな怒りが芽生えはじめていて、気持ちも高ぶっていた。

 そして、今まで人にはぶつけたことがない憎しみと怒りを言葉にして、聖子にぶつけた。

「…何で…何で、そんなことを言うの?」

 単純で短い言葉であったが、聖子の表情は一変した。眉間にしわを寄せた彼女の表情は、驚きではなく、怯えでもなく、戸惑いが感じられた。こんな時、私はいつも口をつぐむのだが、この時だけは違っていた。

「私達って…いつも一緒じゃないの?」

「…うん」

 聖子はそれを言ったきり、下にうつむいたまま私と目を合わせようとしなかった。

「もう一生会えないような言い方はやめて。また会おうと思えば会えるじゃない。いくらでも会えるじゃない」

 聖子は涙目のまま、顔をすっと上げた。涙を見せないためであろうか。しかし今の私には関係がなかった。

「自分だけだと思わないで…私だって、聖子と離れたくなんかはないんだから」

 知らずのうちに、私の目からは涙が滴っていた。光に照らされ、水晶玉のように輝いている涙は、地面に向かって落ちるたびに、ガラスのように割れた。

 その時突然、聖子は私を抱いた。そして聖子の顔は緩んだ。

「私…深雪と友達でよかった…」

 聖子は、私がいままで見たことがない笑みを見せた。そして涙をこぼしながら優しく微笑んだ。

 私も涙を流していたが、聖子の涙をハンカチで優しくぬぐってあげた。


「広仲 紗枝」

「はい」

 卒業式が始まり、もう三十分が経つ。

 いくら自分たちのためであって特別な式であっても、さすがに退屈だ。しかも、おしりも窮屈になってきた。もう限界に近づいている。早く式が終わって欲しい。なぜ式というのはこう長々と行うのか、私はいつも不思議に思う。

 しかしこうしている間も、何かと暇なわけではない。周囲を見渡せば、いろいろな人の癖や動作が分かる。貧乏ゆすりをする人。頭を頻繁に動かす人。手を背中に回す人。これらを見るだけで楽しくなってくる。意外な人があんなことをやっている、と思うだけで変な優越感を味わった。

 そんなことを続けていくうちに、いつの間にか自分のクラスが、卒業証書授与の番になっていた。

 そして、自分たちのクラスの番になったと思うと、時間が流れるのはあっという間で、すぐに自分の番になった。

 その後は頭が真っ白になって、まったく覚えていない。いつの間にか自分の席に戻っていて、右手には卒業証書があった。

 イスに座り、再び人間観察を始めようとすると、聖子の名前が読み上げられた。

「望月 聖子」

「はい」

 聖子の声にはまったく迷いがなく、きれいに透き通っていた。

 そして、聖子は壇上に向かって歩き出した。その背中には、もうあの時のような彼女はなかった。そこには、堂々としていて、未来を見つめる、今を大切に、ひたすら生きる、一人の少女が会った。

 もう、彼女は一人ではない。彼女は周りに支えられ、知らずのうちに大人になった。そして今、彼女はこの学校を飛び立つ。そう、私たちと共に。


 卒業式は終わり、記念撮影が始まった。こんな日は学校も特別で、カメラの持込を許している。私も友達に混ざって、それを楽しんでいる。

 しばらくすると、教室内は突如さびしくなった。残っているのは私と聖子だけで、幸恵は打ち上げへ行ってしまった。私はその打ち上げには行かないつもりだ。別に楽しい楽しくないというわけではない。ただ、今日はずっと聖子と過ごしたかっただけであった。聖子も打ち上げに行けばいい話なのだが、一人でいたい気持ちは、私には心が痛むほど分かる。

 窓際に立っている彼女は、外をじっと見つめていた。その横顔は、やはり寂しいものがまだ残っていた。

「聖子、そんな顔してどうしたの。帰ろ」

「…うん」

 その彼女の一言は、どれだけの重みがあったかは、私には分かる。その言葉を言った時の彼女の表情は、天使のように微笑んでいた。その上、左頬が光に照らされて、柔らかさを感じた。

 そして私たちは、自分たちの荷物を持って、教室を出るのであった。


 学校から家までの道中、それはあっという間で、もう三本の分かれ道に来てしまった。

 そして、私達は向かい合い、互いの顔を見つめ合った。そして、いつの間にか、彼女の心と通じ合っていたのが、今ここで分かった。

 彼女の感情、欲望なんかが分かるのではなく、彼女の心中が分かる。

 今は友達としてではなく、共に生きる一人の人間として認めている。友達とはただの付き合いの上で成り立つものではない。一生を生きるうえで、重要になる人ではない。自分の欠点を、満たす人でもない。ただ、一緒にいるだけで、安心できる人だ。友達とは、使い捨てのカメラではない。私はそう思う。

 そして別れ際に、私達は握手も抱き合いもせずに、互いの目を見て言った。

「じゃあ、また会う日まで」

「うん、また会う日まで」

 そして聖子は、自分の家に向かって、一本の道を走っていった。しかし、すぐに足を止めると、こちらに振り向いて、大きな声で叫んだ。

「これからもずっと一緒だかんね」

「分かってる」

 私は叫んで答えると、聖子はうれしそうに微笑み、また自分の家に向かって、全速力で走って行った。その姿は後に、大人になるまで見ることはなかったが、寂しくなんかはなかった。聖子はいなくならない。いつも一緒にいる。私が私の心でそうつぶやくたびに、聖子は答えてくれた。

 そして私は、聖子の背中をじっと見つめていた。

 聖子の走る道は、希望と未来の光であふれていた。


 こうして私たちの六年間は幕を閉じた。

 思い返してみれば、この六年間の間に築いた仲間と思い出は、一生忘れることはないだろう。辛いことや悲しいこと、楽しいことや嬉しいことは、写真という名の記録用紙に思い出として残された。

 私の部屋の壁には一枚の写真がある。その写真はみんながつまんなそうな顔をしている集合写真である。しかしその中で、一人の少女は輝いているように見えた。



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