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鉄と草の血脈-天神編  作者: 超時空伝説研究所


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第三十一章:月読の里受難

 弔いは沈痛であった。子供が死ぬ事は、珍しくない時代ではあった。だが、其れにしても長太は幼く、其の死は突然に過ぎた。

 長太は里長の孫である。大切に育てられ、健康だった。其れがあの様に無惨な姿になろうとは。

 弔問に訪れた者達も、言葉少なく、目を伏せる者が多かった。突然の不幸に、遺族に掛ける言葉が見当たらなかった。

 長太の母は、里長の娘であった。一刻程、亡骸に取り縋って泣き叫んでいたが、半分失神した様になり奥の部屋に連れて行かれた。流石に父親である娘婿は気丈に振舞っていたが、憔悴は隠せなかった。

 里長は、一切の表情を亡くし、村人の弔問に無言で頭を下げた。貌には深い皺が刻まれ、固めた土の如く血の気がなかった。日照りの大地を撫ぜる風の様に、慰めの言葉は只通り過ぎて行った。

 一夜が明けて、長太の亡骸は里長家の墓地に埋められた。

 吾が子が土の下に入る光景を見たくなかったのであろう。母親は姿を見せなかった。

 小さな土饅頭ができ上がると、里長は其の前に座り込み、盛り土に手を当てた。そうして、孫の頭にしてやった様に、優しく掌で撫でてやった。

 幾度も、幾度も。

 やがて里長は立ち上がると、集まっていた里人に対して一夜ぶりに声を発した。

「皆の衆、長太を弔うて呉れて多きに有難う。さあ、是にて弔いは仕舞じゃ。其々引き上げて呉れ。済まんが、佐吉と治助は残って、家の者が水路を直すのを手伝うて呉れ」

 重苦しい葬儀の終りを告げた。


 決壊した水路の修復は、簡単ではなかった。初め小さかった綻びが、水の力によって広がり、大きな傷跡と成っていた。

 里長は畦に立ち、修復の段取りを指図した。

 先ず水門を塞ぎ、水を止めた上で、土嚢を積んで穴を塞ぐ事から始めた。

 土嚢運びは重労働である。十人程の人数でも、半日掛かりの仕事であった。土嚢を運んでは積み上げる単純作業に、里の人々は悲しみを振り捨てて、専念した。

 漸く工事が完成に近づいた夕刻、遠くから蹄の音が響いて来た。

「あれは、まさか?」

里長が眉を(ひそ)めて窺っていたのも束の間、一昨日里を襲った右兵衛の一団が、再び水路に押し寄せた。

「おのれら、何をしておる!」

 騎馬武者の頭が、里長に鞭の先を突き付けながら叱咤した。

 里長は、怯む気配もなく、僅かに目を細めて馬上の武者を見返した。

「堤を直しております。御下がりあれ」

「おのれ、潜上な。御前こそ下がれ、下郎!」

 騎馬武者は、顔を朱に染めて叫んだ。

「堤の修理など許さぬ! 直ちに立ち退かぬ者は成敗致すぞ! 良いか!」

 後の言葉は、水路の修復作業に当たっている里の衆に向けて放たれた。

「皆の衆、下がっていなさい」

 里長は落ち着いて命じると、騎馬武者に向き直った。

「此処月読(つくよみ)は、天神の里に御座います。北野天満宮の神領にて、何人の差配も受けませぬ。大納言様の御指図といえども、里での狼藉は許しませぬぞ」

 騎馬武者は引かなかった。

「里長風情が(さか)しらに物申す。天神が何やらと知ったことか! 大納言様の命に背かば、里ごと成敗するのみ。御前から仕置きして呉れようか?」

 其の声に応じる様に、騎馬武者の後ろから現れた従者達が、「天満大自在天神」の幟をばらばらと里長の足元に投げ捨てた。

 里の入口に掲げてあった幟である。

「こんな物が里を護って呉れると思うのか? 目障りじゃ!」

 そう言うと、武者は馬を進めて、蹄で幟を踏み付けさせた。

「祟りがあるなら、祟ってみよ! どうじゃ!」

 里長は一歩も引かずに、騎馬武者を睨み返した。

「天神様の祟りは此の世の物ならず。貴方様どころか、大納言様も身を滅ぼす事に成りますぞ」

「五月蠅いわ! 遣れる物なら、遣ってみよ!」

 騎馬武者は馬を寄せると、里長の顔に鞭を振り下ろした。

「うっ……」

 里長は顔を抑えて、一歩よろめいた。すると、里長の後方から一人の人間が駆け寄って、里長を支えた。

 里長の娘婿、喜八であった。

「おとう、大丈夫か?」

 顔を抑えた掌を伝って、血が滴って来ていた。

「儂は大事ない。大丈夫じゃ」

 里長は気丈に言い放ち、喜八の手を払った。

「長太を蹴殺しておいて、まだ足りんか!」

 怒りに顔を真っ赤に染めた喜八は、馬の轡を捉えて押し返した。

「何をする! 離さぬか!」

 兵衛の武者は喜八を蹴散らそうとしたが、鼻面を抑えられては、馬が言うことを聞かなかった。鞭打とうとしても、馬の前に立つ喜八には届かない。

 焦れた武者は、思い切り手綱を引くと、馬腹を蹴って、乗馬を棹立たせた。馬は頭を振って喜八の手を払い除けた。

 其のまま武者は、喜八を押し潰す様に馬を進めた。

「ああっ!」

 ごつんという鈍い音を立てて、蹄が喜八の頭を踏み付けた。意識を失った喜八は、木偶(でく)のように地面に崩れ落ちた。

「見たか、下郎!」

 騎馬武者は頭蓋の割れた喜八の体を、残酷にも更に馬に踏み付けさせた。既に喜八は絶命しており、蹄に掛けられても無反応であった。

「喜八!」

 声を上げて駆け寄ろうとする里長に、里人がしがみついて引き留める。

 武者は声を張り上げて、宣告した。

「良いか、抗うても無駄じゃ! 大人しく、大納言清貫様に従え! 里の寄進状を、早々に御屋敷まで持って参るのじゃ、良いな?!」

 血走った眼で里人を睨み回すと、騎馬武者は走り去っていった。


 里人達は、呆然としつつ、戸板を用意して喜八の遺骸を里長の家まで運んで行った。


 只ならぬ気配に起き出して来た長太の母は、我が夫の変わり果てた姿を見て、声も立てずに失神して倒れた。三日の内に、我が子と夫を無惨に殺されたのである。正気でいられた物ではなかった。

 寧ろ気を失って呉れた方が、周りの者にとっては有難かった。

 里長の家では、又も葬儀の支度に追われる事に成った。誰もが暗い顔で、動きも鈍かったが、其れでもする事があれば僅かの間でも悲しみを忘れる事が出来た。

 弔いとは、明日からも生きて行かねば成らぬ、生者の為の行いであった。

 里長は傷の手当てを受け、寝かされていた。顔の傷は裂けており、五針ほど縫わねば成らなかったが、程なく血は止まった。

 ずきんずきんと疼く痛みに耐えながら、里長は屋根裏の梁をじっと見つめていた。


 つい眠り込んだのであろう。里長は、屋敷の内の騒がしさに目を覚ました。

既に夜の帳が下りて、部屋の隅に灯明が点されていた。

 床から起き出し、廊下に出てみると、台所の方から差し迫った声が聞こえて来る。

「どうかしたか?」

 里長はおぼつかぬ足を台所に踏み入れ、近くの下男に尋ねた。

「あっ、もう動いて良いので?」

「儂の事なら大丈夫だ。其れより、此の騒ぎは何じゃ?」

 男は、居心地悪そうに眼を背けながら、里長に答えた。

「あの、若奥様の行方が知れませんので……」

「どういう事じゃ?」

 問い立ててみると、宵に入って食事をと奥に声を掛けに行った所、部屋に籠っていた筈の里長の娘が姿を消していたというのであった。

 四半刻程前の事だと言う。

 碌に食事も摂らず、三日も寝込んでいた体である。遠くまで歩いて行ける筈もない。里の何処かを彷徨っているのか。

 近くにいると分っていても、夜の事である。其の日は闇夜で、一寸先も見えない。

 娘は薄明かりがある間に家を抜け出たのであろうが、既に陽が落ちている。灯りなしでは、身動きが取れなく成っていよう。

 松明を手に、里人が手分けをして探したが、結局其の夜は娘を探し出す事が出来なかった。

里人達を家に帰した其の後も、里長は囲炉裏の火を見つめたまま、長い夜を明かした。


 東の空が白み出す頃、里長は独り屋敷を抜け出ていた。足取りに迷いはなく、脇目も振らず歩みを進めた。

 里長には、ひとつの予感があった。娘は屹度あそこにいる。

 里長が足を留めた時、辺りは薄っすらと明るく成っていた。

「――みわよ」

 皺嗄(しわが)れた声で、娘の名を口にする。己が驚く程、声は小さく弱々しかった。

 里長が佇む其の場所は、孫と義息が続け様に命を落とした水門の前であった。里人が積んだ土嚢が切れた堤を支えており、水路は役目通り田に水を運んでいた。

「長太よ、かか(・・)は何処じゃ?」

 水路に沿って里長は歩き始めた。やがて、丘の傾斜に突き当って、水路が行く手を変える所に遣って来た。

「かかは何処におる? 此処まで来たか?」

 水路が向きを変えてから五間程進んだ場所で、見慣れた着物の柄が水底に揺れていた。


「御屋形様!」

 屋敷に戻った里長に、下男達が駆け寄った。

 里長の背には、娘のみわが背負われていた。手も足も真っ白に生気を失っており、一目見ただけで命がない事は分かった。

 何より、髪も着物もずくずくに濡れており、今も手足から水が滴り落ちていた。

 下男達の手を振り払い、里長は自分の背で娘のみわを屋敷に運び込んだ。

 汚れた足を拭いもせず、みわを背負ったまま息子夫婦の部屋まで進む。

 下女の一人が慌てて調えた夜具に、濡れそぼったままの娘をそっと横たえた。

「着替えをさせて遣って呉れ。濡れたままでは不憫じゃで」

「御屋形様の御着替えは?」

 下女は里長を気遣った。濡れた死骸を背負ってきた里長の背も、水を吸い込んでぐっしょり濡れている。

「儂は良い。気遣いない」

 里長は小さく首を振ると、自室へ向かった。

 部屋に入ると、着替えもせず、片隅の文机の前に座る。暫く瞑目していたが、やがて筆を取ると短い文を認めた。

 文の墨が乾くのを待ち、細く折り畳むと、其れを懐にして部屋を出た。

 一旦母屋を出て、屋敷裡を歩き出す。向かった先は、鳥小屋であった。

 鶏を飼う小屋の一部を仕切って、鳩の棲む一角が設えてあった。一羽を選ぶと、懐から文を取り出し、足管に納めた。

 鳩を抱えて小屋を出た里長は、空に向かって鳩を放った。


「主様、お助けを」

 上空をめざす鳩を見送り乍、里長は両手を合わせて瞑目した。

 皺だらけの其の貌は、嘗て菅原道真に大宰府まで同行し、其の最期を看取った葛彦の物であった。

「儂の体はもう動かん。御前に頼むしかないんじゃ。頼む、頼む……」

 里人の前で決して弱みを見せた事のない葛彦の目から、止め処ない涙が溢れ出していた。

「来て呉れ、鳶丸!」

 鳩は、一文字に空を割いて飛び去って行った。

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