幼年期の思い出://02
私は自らの身に起こったことが理解できずに、暗闇の中、呆然と立ち尽くしていた。
存在しないかのような軽やかで、
傷も、痛みもない体。
闇の中を映し出す瞳。
かすかな虫の羽ばたきさえも捉える聴力。
私の体のどこかで燃え続ける、緑の炎。
そして、そこから溢れてくる感じた事のない、力、熱量、活力。
現実を理解しきれない頭が、「私は死んだのだろうか?」
という考えに至ものの、
体に溢れる充足感、踏みしめる足下の確かさ、そして何よりも鋭くなった感覚全てがここは現実と告げていた。
それでも幼い私の許容量は溢れ、
私はひとり、暗闇の中立ち尽くしていた。
どれほどそうしていただろうか。
月の位置も大きく動く程時間が経過したころに私の聴力は異音を拾った。
人の悲鳴、怒声だ。
家人のものではない。
何故なら背後にある屋敷ではなく、前方にある裏の森から聞こえてきたからだ。
私は、ふらり、と森に向かって歩を進めた。
心のどこかで、近づくのは危険と理解していたが、許容量を超えてどこか麻痺した私の心は危険なくらい鋭い現実というのを求めていた。
気がつけば、私は全力で森の中を走っていた。
否、疾走というべきだろう。
私の周りの景色は、完全な像を捉えることなく、次々と背後へと回り、川のように流れてゆく。
まるで、馬で駆けているいるような景色。
私は笑った。
漲る力が、私の心から歓喜を引きおこし、無敵になったかのような高揚感を覚える。
暴走する感情とは裏腹に、思考の一部は冷静に先ほどの音源を探っていた。
人の悲鳴に、獣のよう鳴き声、そして木が折れるような、激しい破壊音。
一体、何がおきているのだろうか?
興奮状態は未だ続いていたが、警戒の念が生まれる。
人の悲鳴に破砕音など、尋常ではない。
しかし、私はその時、純粋な好奇心以上に強く惹かれるものを森の奥に感じ、その恐怖に耳を貸さなかった。
早く、早く、早く、側に行きたい。
それは、餓死寸前の体が食べ物の匂いに惹かれるかのように強い魅力を放つものだった。
早く、早く、早く!
どれくらい駆けただろうか?
かなり森の奥まできた筈だが、私の呼吸は全く乱れず、汗一つかいていなかった。
ふいに、強化された私の目が人影を捉えた。
なぎ倒された木々の中に剣を持った傷だらけの男達が3人、そして馬のよう何か。
初めて見る、生物だった。
基本部分はとても馬に似た生き物なのだが、大きさは普通の馬の2倍はあるかのように見える。その背中からは白い白鳥のような大きな羽根が生え、本来馬の首がある場所には、狼の顔に毛深い人の上半身を混ぜたような奇怪な姿をしたものが据えられていた。
狼の体毛に覆われた腕のその先には私ほどの年頃の少年が、首を締められ、吊るされていた。周りの男達はその少年なんとか助け出そうと奮闘しているようだが、まっ
たく刃がたたない。
私は、少年に視線を向けた。
この異常な状態以上に、惹きつけるものが、彼にはあった。
同じ年頃の少年というのは初めて見たが、姉達とそんなに変わらないように見えた。
ただ、女性ではありえない栗色の短い癖っ毛が彼が男なのだろうと私に思わせた。
その時、苦しげに目をつぶっていた彼と唐突に視線があった。
私が視力を強化し、遠方から彼ら見ていたのにも関わらず、彼は確かに私を捉えたのだ。
開かれた瞳は優しげで、
不思議な燐光を放つ緑色だった。
瞬間、私の中で燃え続けていた緑の炎が弾けた。
私は、先ほどより一層加速し、彼らとの距離を一気に詰めた。
剣を持った大人達が、私に気づく程に距離を縮めた時、体が“なにか”を通過した違和感を感じたが、私は減速せず、その勢いのまま、地を蹴り馬モドキに飛び蹴りを放った。
加速をつけた蹴りは、飛び蹴りというよりは、すでに暴走馬車の追突のようなもので、激突された馬モドキの肩は弾け飛び肉片をまき散らしながらちぎれ飛び、同時に少年は馬モドキから解放され地面に投げ出された。
鼓膜を破るような馬モドキの絶叫をききながらも私は普段では考えられないような平衡感覚と力を発揮し、両腕のみで着地、回転しながら体制を崩した馬モドキをさらに蹴り落とした。
蹴りは首にきまり、ゴキリと首の骨が折れた音が私の足に響いた。
馬モドキは泡を吹きながら、轟音と共に崩れ落ち、2、3の痙攣とともに動かなくなった。
私は、怪物が動かなくなったことを確認すると、辺りを見回した。
傷だらけの男達は突然現れ、化け物を倒した私を呆然と見ていたが、私は彼らの視線を無視し投げ出された少年を見つめた。
少年は、咳き込みながらもふらりと立ち上がり、そして私を見据えた。
その、緑の瞳。
さきほど、どれだけ暴れてもけっして乱れなかった私の心臓は、なぜか早鐘を打ち出した。
彼は、はっとした表情で私に駆け寄り、そして、刃を抜いた。
振り下ろした剣は、緑色の光を放ちーーー私の背後に突き立てられた。
背後からは馬モドキの断末魔の叫びとともに白い光の粒が弾け飛び、私の髪をあおった。
「《統主》がとどめをさす前に気を抜くなんて・・・君、《連者》失格だよ?」
少年はかすれた声で、なぜか困ったようにそうつぶやいた。
白い光に照らされ出す幻想的な闇の中、私はただただ、彼を見つめ続けた。