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大人のための異文童話第15 久遠の花

作者: 天野久遠

『老い花や 散り際の夢いま終えて 水の流れを慕いて閉ずる』



私がいつも通る、小川の側の細い畦道。

その水際には、名前も知らない朽ちた木が、今にも折れてしまいそうなほどに、項垂れて立っていました。


そしてその木には、四季の移り変わりに関係なく、不思議といつも一輪だけ咲いている花がありました。

その花は何かを待つように、もう何十年と咲いているということでした。

そうして咲き続けて疲れからでしょうか。

とても咲き誇るという形容はできないほどに、老いてひっそりと、そう、まるで眠っているかように咲いている花なのでした。


村人たちはと言います。

その花は昔々のいつかの年に咲き、何故かその時から夢見たままとなり、散ることもできず、閉じることすら忘れてしまったのだと。

そうして咲き続ける一輪の花を見て、いつしか誰から言うでもなく村人たちは、その花のを久遠花、或いは夢想花と呼ぶようになっていました。


そんなある日のこと、私がいつものように夢想花の側を通ったときのことです。

これまで色褪せて、張りのなかった花びらは、その日に限って見違えるように、活き活きとした様子だったのです。

そして夢想花のほかにも、違った様子に見えたものがありました、それは小川の煌めきでした。

その日の小川は、まるで山肌からこぼれ落ちる清水のように、水面をキラキラと輝かせながら流れていたのです。


そして夜。

私が母から頼まれた用事を済ませ、再び小川の側の細道を歩いている時のことでした。

辺りはすっかりと暮れていましたが、きれいなお月様が闇を照らしていました。

だから夜だといっても暗さは差ほどなく、月明かりに照らされた水面は昼間以上に煌めいていました。

そんな情景の中で、私はハッキリと見たのでした。


幾年も咲き続けていた夢想花が、まるで咲き誇ったまま落ちる椿の花のように、その身を紅蓮に変えた途端、小川の煌めきに誘われるように、ゆっくりと落ちて行ったのを。

その光景を目にして、私は知らず知らずのうちに、緩やかに流れる水面と、そこに浮かぶ夢想花を追い掛けていました。


きっと夢想花は汚れた小川ではなく、このように清らかな流れの中に、最後の身を置きたかったのでしょう。

月明かりに照らされて煌めく水面は、まるで生まれたばかりの清らかさを讃えているよう。

そしてそこに浮かぶ夢想花は、先ほどまでの紅蓮の花びらをいまは淡いピンクへと変えて、楽しそうに水面を舞っているようでした。


緩やかな流れに舞って、時には浅く沈み、時にはゆったりと揺られて。

それはまるで、小川の流れと夢想花の慈しみのよう。

見ている私には、そのように思えたのです。


流れの速度は一見して緩やかに見えても、それこそ千差満別に変わるもの。

きっと浮かぶ夢想花は、それぞれの流れの中に身を置いて、様々に悦びを感じているのかも知れません。


その悦びは小川の流れにも伝わっているのでしょう。

月明かりに照らされた水面の輝きと煌めきは、夢想花が舞うたびに違った光を返しています。

私はそんなふたつの戯れに夢中になって、いつまでも後を追います。


あれほど老いて見えた夢想花、あれほど淀んで見えた小川。

でも、今ここにはそんな姿などなくて、互いの隆盛の時を再び取り戻しているようでした。


宵月が照らしていた空が白々と明ける頃、とうとう小川の流れも終わりとなります。

それまでの楽しい時間を過ごしていた小川の流れと夢想花は、時間を止めようとするかのように、ゆっくりとその動きを止めようとしていました。

小川の流れはそのまま、大海へと羽ばたいて行きます。


そして夢想花は・・・

いつの日にか咲いてこれまで何十年も、閉じることのなかったその花びらを、そっと閉じながら、小川の流れがまだ小川と呼べる場所に、その身をゆっくりと沈めて行ったのです。


そして不思議なことに、沈み行く夢想花が閉じようとする、その花びらの周りには、いつからついたものか花びらを抱くように、たくさんの気泡が包んでいました。


私はそれを見て思うのです。

夢想花と呼ばれた名もない花は、終らぬ夢がいつ頃か始まって、その終わりを求めて老いてもなお咲き続けていたのだと。


そうして夢の終わりに安堵を与えてくれる、清き水面の流れをひたすら待ち、今宵やっと出会えた。

そして精一杯の最後の精気をもって、我が身を紅蓮に染めて清き水面の輝きに言い寄り、結ばれたのだと。


そうすることできっと、それまで止められた夢の続きが動き始めたのでしょう。

再び燃え上がったその想いで、恥ずかしそうに身を淡い色に染め、小川の流れと体を合わせては共に慈しむ。

浅く深くと何度も身を入れ替えては交わり、心地よい肌に酔いしれたように揺らめいて、安らかな眠りの中で長かった夢を終えたのだと。


何も知らない私には、それは今宵一夜の出来事。

しかし、ひたすら咲き続けていた夢想花と、常に流れ続けていた小川の水面には、きっと一夜も刹那。

とはいえここまでの道のりを思えば、とても長く至福の時を過ごしたようにも思えるのでした。


BGMにケイト・ブッシュのアルバム“レッド・シューズ”を聴いて欲しいですね。

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