第二話:対立――二人の強すぎる男の「拒否」
「君には、彼との婚約を解消してもらい、私と結婚してもらうよ」
エリオット第二王子の優雅な宣告は、夜会に集うすべての貴族たちの動きを一瞬で停止させた。誰もが息を呑み、最強の騎士団長ノアヴァルトと、王国の太陽王子グローリアスという二つの巨大な権力の衝突を見守る。
リリアーナは、自分の血液が一瞬にして冷えていくのを感じた。
(最悪だ。やはり、この王子は非日常だ。そして、彼はただの政略ではなく、レイヴンを失脚させるための、最も卑劣な手を選んできた……!)
王子の提案は、彼女の望む「平凡」とはかけ離れた、王国中を巻き込む大事件だ。彼女は即座に反論しようとした。この婚約は、あくまで侯爵家とノアヴァルト家の取り決めであり、王子の口を出すことではない、と。
しかし、その声を発する前に、リリアーナの腰に回されたレイヴンの手が、圧倒的な力で彼女を引き寄せた。
ドンッ、という音と共に、リリアーナの体はレイヴンの黒い制服に完全に押し付けられる。彼女の顔は彼の胸に埋まり、周囲からは彼女の表情さえも見えない。
レイヴンは、王子からの公然の婚約解消要求に対し、一切の言葉を発さなかった。
ただ、抱き寄せたリリアーナの頭を顎で押さえつけ、その漆黒の視線だけを、対峙するエリオット王子に向けた。
それは、まるで凍り付いた氷河の奥底から放たれるような、純粋な殺意の光だった。
エリオット王子は、レイヴンの冷酷な銀灰色の瞳に射抜かれてもなお、その太陽のような笑顔を崩さない。笑顔の裏の青い瞳は、騎士団長の圧倒的な威圧感を冷静に分析していた。
張り詰めた沈黙の中、ついにレイヴンが口を開いた。彼の声は、周囲の貴族を震え上がらせるほど冷たく、そして明確だった。
「――婚約解消?」
彼の口元が、わずかに、しかし明確に、軽蔑を込めて歪む。
「ありえない。彼女は、私のものだ」
その一言は、王族に対する敬意も配慮も完全に欠いた、ただの所有者の宣言だった。
レイヴンは、腰を抱き寄せる力をさらに強め、リリアーナが痛みを感じるほどに圧迫した。
そして、銀灰色の視線から一切の感情を消し去り、王子に向けたのは、王族の威厳さえもねじ伏せるほどの殺意だった。
「私から彼女を奪おうとする者は、たとえ王族であっても容赦しない」
それは脅迫ではなく、断言だった。この場に集まった全員が理解した。この騎士団長は、自らが定めたルール、すなわち「リリアーナは自分のものである」という絶対的な前提を崩す者に対しては、本当に武力を行使するだろう、と。
エリオット王子は、一瞬だけ、その顔から笑顔が消えたように見えたが、すぐに優雅な笑みに戻った。
「そうか。それは残念だ、レイヴン。だが、君の力は王国にとって必要不可欠だ。君が私に協力さえしてくれれば、リリアーナ嬢の未来の安泰は保証されよう」
王子はあくまで友好的な態度を崩さず、その言葉は周囲の貴族への「私は理性的な交渉者である」というアピールに他ならなかった。
(この男……! レイヴンが最も嫌う、非情な策謀家!)
リリアーナは、騎士団長の胸に顔を埋めたまま、内心で叫んだ。王子はレイヴンを失脚させるために、彼が最も守りたい「リリアーナの安泰」を交渉材料に使ってきたのだ。
彼女のささやかな平穏な日常は、この瞬間、完全に終わりを告げた。
強大な武力と独占愛でねじ伏せる騎士レイヴンと、笑顔の裏で巧妙な陰謀を張り巡らせるサイコパス王子エリオット。
二人の強すぎる男に挟まれたリリアーナは、もはや「騎士VS.王子」という非日常の渦の中心に立たされてしまった。
そして、その渦から抜け出すための道は、どこにも見当たらなかった。




