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『グラズヘイム異界譚:羽音の王国』  作者: 南蛇井


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第六節:羽音覚醒 ― 生命の共鳴

その夜、満月は森の天蓋を白銀に染めていた。

 枝の間を縫うように光が差し込み、羽音庵の屋根を淡く照らす。

 風はなく、葉は一枚も揺れない。ただ、空気だけが――水面のように、静かに波打っていた。


 レイラは外に出て、夜の森を見上げた。

 光虫たちが星のように漂い、息づくように瞬いている。

 まるで森そのものが夢を見ているかのような、穏やかな静寂だった。


 ……だが、違和感があった。

 耳の奥に、金属をこすり合わせるような不快な振動。

 それは自然の羽音とは異なる、“切断の波”だった。


 レイラは息を止めた。

 光虫たちが一斉に散り、森の奥が低く唸る。

 土の匂いの中に、焦げた魔素の臭気が混じる――それは、遠く離れた戦場の空気と同じだった。


 そして、黒い霧が現れた。


 木々の間を縫って、影のように広がるその霧の中から、三つの人影が歩み出る。

 黒衣に覆われ、瞳だけが赤く光る。肩には金属質の羽根を持つ魔獣カラドリス

 その羽ばたきは、森の空気を切り裂く刃のようだった。


「……感じるか?」

「ああ、間違いない。ここだ。未知の波動――“羽音の源”だ。」


 低い声が霧の中で交わる。

 彼らの周囲では、草も虫も沈黙し、ただ月光だけが冷たく照らしていた。


 レイラは庵の柱に手を添え、静かに囁いた。


「この森に……来たのね。」


 返答するように、周囲の虫たちがわずかに羽音を震わせる。

 その震えは、恐怖でも敵意でもなく――警告。


 満月の光がさらに強くなり、森の影が長く伸びた。

 黒い霧と銀の光が交錯し、空気がきしむ。


 やがて、森の沈黙が弾けるように破られた。


「見つけたぞ――“光る蝶”を。」


 魔族の声が響いた瞬間、羽音庵の上空で光虫たちが一斉に舞い上がった。

 夜が、息をのむように震えた。

侵入者たち


 森が、息を止めた。


 月光の下、黒い霧が音もなく流れ込む。

 その中から三つの影が現れた――すべて長身、全身を黒衣で包み、顔の半ばを鉄仮面で覆っている。

 肩には鋭い金属の羽根を持つ魔獣カラドリス

 その羽ばたきは、風ではなく、音を切り裂く刃の音だった。


「この森に“何か”が生まれた。」

「王も恐れた波動だ。捕らえろ――光る蝶ごと。」


 低い声が、霧に沈む森の中で響く。

 それは命を持たぬ者の声のように冷たく、湿った夜気を震わせた。


 彼らの足が踏みしめるたび、草が黒く焦げていく。

 大気に微かな魔素の粒が舞い、木々がざわめいた。

 その瞬間――森の奥から、微細な羽音が応えた。


 甲虫たちが幹の影で蠢き、蜘蛛が枝から糸を垂らす。

 光虫たちは一定のリズムで点滅を繰り返し、まるで互いに信号を送り合うようだった。


 森全体が、“警戒”という名の呼吸を始める。

 羽音が次第に強まり、風のない空間で波のように押し寄せる。


「……聞こえるか?」

「ああ、羽音だ。生き物のざわめきじゃない――何かが命令している。」


 魔族の一人が剣を抜いた瞬間、無数の小さな影が周囲の木々から一斉に飛び立った。

 翅が光を反射し、闇に微かな虹を描く。


 光虫、甲虫、羽蟻、蛾――。

 そのすべてが、ひとつの意志に導かれるように空を舞っていた。


 森が見ている。

 森が聴いている。


 そして、森が――怒りを孕んで、目を覚まそうとしていた。


森の怒り


 地の底が、呻くように鳴った。


 最初に反応したのは、羽音庵を囲む甲虫たちだった。

 硬い殻が擦れ合う音が連鎖し、土の中から無数の影がうねりを上げて浮かび上がる。

 丸太ほどの顎を持つ重甲虫が前列に並び、その背を薄青い光が走る。


 森が、怒っていた。


 その“怒り”は言葉ではなく、波だった。

 羽音のリズムが変わり、やがて鼓動のように脈を打つ。

 空気が震え、木の葉がざわめき、森全体が一つの生き物のように呼吸を荒げる。


「……やめて!」


 庵の戸が勢いよく開き、レイラが飛び出した。

 白い寝衣の裾が風に舞い、満月の光が彼女の髪を銀色に染める。

 彼女の声に、光虫たちが一瞬だけ光を弱めた――が、すぐにまた激しい点滅を始めた。


「待って! 戦わないで――!」


 叫んでも、届かない。

 虫たちの羽音はすでに“感情”を越えたところにあった。

 それは警戒でも恐怖でもない。

 守護本能。

 レイラを中心とする生命圏を脅かすものに対する、原始的な怒り。


 地面がうねり、甲虫が突進する。

 蜘蛛の群れが糸を放ち、闇の中に罠を張り巡らせる。

 光虫が空中で編んだ光の網が、敵を照らすように広がる。


 レイラは両手を広げて立ちはだかった。

 だが、羽音は止まらない。


 その音は彼女の胸を震わせ、心臓の鼓動と重なっていく。

 ――怒りのリズムが、彼女の内側にも共鳴し始めていた。


レイラ(心の声):「どうして……私の声が、届かないの……?」


 空気が熱を帯び、森の奥が淡く光を放つ。

 虫たちの意識が、一つの意思に集まり始めていた。


 それはまるで、森そのものが立ち上がる予兆だった。


暴走


 炎が夜を裂いた。

 魔族の斥候が詠唱を終えると同時に、紅蓮の弧が森を貫いた。

 乾いた爆音。

 熱風が押し寄せ、木々が悲鳴のように爆ぜる。


 その瞬間――森の羽音が、悲鳴に変わった。


 光虫が焼け焦げ、甲虫が殻を叩いて鳴き叫ぶ。

 糸を張っていた蜘蛛たちが慌てて退き、地を這う蟲が混乱の波を生む。

 空気全体が震え、森が“痛み”を訴えていた。


レイラ(心の声):「――これは……悲しみ?」


 次の瞬間、胸を掴まれるような痛みが襲った。

 熱ではない。感情の奔流。

 虫たちの恐怖、怒り、痛み、喪失――すべてが、レイラの神経を焼くように流れ込んでくる。


「彼らが……泣いている……」


 膝が崩れ、土に手をつく。

 涙が零れ、焦げた地面に落ちて蒸気を上げた。

 心臓が乱打する。

 羽音が、それに呼応する。


 ドクン、ドクン――

 彼女の鼓動と、森の鼓動が、狂ったように重なっていく。


 風が逆巻き、魔力が渦を巻いた。

 光虫の光が一斉に点滅を始め、翅の震えが空気を裂く。

 マナが、音となって暴れ出す。


 ――羽音の嵐。


 それは音でありながら、物理を超えた衝撃だった。

 魔族の斥候たちが悲鳴を上げるより早く、彼らの周囲の魔法障壁が音波の刃に切り裂かれる。

 炎が吹き消され、代わりに青白い光が森を満たした。


 レイラは両手で胸を押さえた。

 止めたい。

 けれど止まらない。


レイラ(震える声で):「やめて……お願い、止まって……!」


 その願いすらも共鳴の一部となり、音の渦がさらに広がっていく。

 羽音が天を貫き、森のすべての命がその波動に吸い寄せられていく。


 森が、ひとつの巨大な“心臓”になっていた。

光蝶の羽化


 轟音が止んだ。

 それは破壊の終わりではなく、始まりの静寂だった。


 次の瞬間――羽音庵の上空で、蒼い光が爆ぜた。

 眩い閃光が夜を切り裂き、天を覆うほどの光の繭が膨張する。

 風が巻き、炎の残滓を吹き払う。

 その中心で、一匹の蝶が――ゆっくりと羽化した。


 《ルミナ・モルフォ》。

 かつてレイラを導いた、あの蒼き蝶。

 今やその姿は無数に分かれ、光の粒となって夜空へと舞い上がっていく。

 ひとつ、ふたつ……百、千――。


 光蝶の群れが天空を埋め尽くすと、森全体が青白い光に包まれた。

 羽音が波のように広がり、やがて旋律へと変わる。

 低く、優しく、そしてどこか懐かしい――まるで母が子を抱くような歌声。


 レイラはその光の中心に立っていた。

 髪が風に舞い、頬を撫でる光の粉が涙を拭う。

 胸の刻印――翅の紋章が強く脈打ち、全身を魔力の流れが駆け巡る。

 身体が熱い。

 けれど、その熱は恐怖ではなかった。


レイラ:「……もう、怖くない。」


 唇が、自然と動いた。

 呼吸するように。

 命を歌うように。


「この命の声を、私は――受け入れる。」


 その瞬間、森が応えた。

 木々が震え、虫たちが鳴き、羽音が星空と共鳴する。

 夜空の蝶たちが螺旋を描き、レイラの周囲に降り注ぐ。

 彼女の背に、一瞬――光の翅が揺らめいた。


 それは人でも、虫でもない。

 “共に生きる者”の姿。


 森の中で、誰も知らぬ新しい生命の形が、静かに誕生していた。


羽音覚醒


 夜が、鳴いた。


 森の奥から轟くのは、風でも雷でもない――生命の咆哮だった。

 地が震え、木々がしなる。

 満月の光を吸い込むように、森の中心から巨大な光の竜巻が立ち上がる。

 それは炎でも嵐でもなく、命そのものの振動。

 鼓動の渦が世界を包み込んでいった。


 その中心に、レイラは立っていた。

 両の腕を広げ、風と光を抱きしめるように。

 瞳は虹色に輝き、胸の刻印が脈打つたび、羽音が彼女の呼吸と同調する。

 虫たちの翅が、彼女の心拍とひとつになった。


 ――ドクン。

 ひとつの心臓が、森全体に宿る。

 それはレイラのものでもあり、森のすべての生命の鼓動でもあった。


レイラ:「共に――鳴いて。」


 その声は命令ではなかった。

 祈りであり、呼びかけであり、共鳴の約束だった。


 羽音が応える。

 千の翅が震え、万の声が歌う。

 森がひとつの楽器のように響き、音が空間を震わせる。


 ――波が、広がる。

 見えぬ衝撃が森を貫き、侵入していた魔族たちの影を吹き飛ばした。

 黒き霧が弾け、炎の残滓が音の波に飲まれて消えていく。

 金属の鎧が砕け散り、魔獣カラドリスの咆哮すら羽音に溶けた。


 やがて光の竜巻は静まり、代わりに光の雨が降り注ぐ。

 それは灰でも炎でもない、命の粒子。

 焼け焦げた大地に触れた瞬間、芽吹きが生まれる。

 焦土が、緑へと還っていく。


 レイラの背に揺らめく光の翅が、ゆっくりと折りたたまれた。

 その姿は――まるで神話の再演。

 **異端の魔女ではなく、“生命の調律者”**としての覚醒だった。


レイラ(微笑みながら):「……これが、守るための力。

 こんなにも、美しいなんて。」


 羽音が、答えた。

 それは感謝の旋律。

 森全体が、彼女の名を知らぬままに、祝福の歌を奏でていた。

余韻 ― 羽音の静寂


 風が止んだ。

 光の渦が収まり、森に再び静けさが戻る。


 レイラはその場に膝をつき、胸に手を当てた。

 息が荒く、全身がまだ震えている。

 けれどその震えは、恐怖ではなく――生の余韻だった。


 森を覆っていた魔族の影は、もうない。

 黒い霧は跡形もなく消え、地には光の粒が舞い落ちていた。

 それは灰ではなく、命の欠片。

 森が、再び自らの呼吸を取り戻していく。


 倒れかけた木の枝から、甲虫がそっと這い出してくる。

 翅を震わせ、彼女の頬に触れる。

 まるで「大丈夫か」と語りかけるように。


レイラ:「……守るための力。

それが、こんなにも美しいとは。」


 その呟きに応えるように、夜空へと蝶たちが舞い上がる。

 《ルミナ・モルフォ》の群れ――光の羽が、月光を受けてきらめいた。

 蒼白の軌跡が幾筋も重なり、まるで天と地を繋ぐ橋のように見える。


 彼女が見上げるその足元に、淡い紋様が残っていた。

 土と草が、自然に円を描く。

 中心には、翅の形をした光の文様――生命の陣形。

 それは、森そのものがレイラを「仲間」と認めた印だった。


 風が吹く。

 羽音が微かに揺れる。

 それは祈りでもあり、感謝でもあり、共鳴の証。


 レイラは静かに目を閉じ、微笑を浮かべた。

 虫たちと、森と、夜のすべてと――ひとつに溶け合うように。


「その夜、森は再び呼吸を始めた。

一人の契約者が、命と共鳴した夜。

それが、“虫王インセクトクイーン”誕生の

第一の羽音である。」


 満月の下、レイラの影がゆらりと揺れた。

 その背に――光の翅が、静かにきらめいていた。




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