第五節:外界の影 ― 王国の動き
王都。
月光を弾くように輝く白亜の塔群が、夜の帳の中で静かにそびえていた。
その中心、天蓋で覆われた巨大な円形広間――王立魔導院の最上層、《中央魔導会議堂》。
七つの席に、七人の魔導官が集う。
青と金の法衣が月光を反射し、冷たい光が床の紋章を照らしている。
天井から吊るされた魔導装置《観測円環》が、低く唸りながら淡い光を脈打たせていた。
その光は、まるで心臓の鼓動のように周期的――だが、どこか不規則。
波が乱れ、光が震え、魔力の流れが軋む。
「報告します。」
若い観測官が魔導盤を操作しながら声を上げた。
「南東の魔力観測線に、未知の波形を検知しました。
既存の魔族系統にも、王国系の術式反応にも一致しません。……“第三の循環波”です。」
広間にざわめきが走る。
老人の魔導官が椅子の肘掛けを握り、皺だらけの指先に魔力の微光が灯る。
「第三の……? ふざけたことを。魔力の系統は二つしかないはずだ。」
観測盤の水晶が明滅を繰り返す。
波形は、規則を持たないようでいて――どこか、呼吸のような律動を帯びていた。
強く、弱く。止まり、また脈を打つ。
「まるで……」
ひとり、低く呟いた声があった。
それは、円卓の右端に座る青年、バルド・アーケンシュタインのものだった。
「まるで、生きているようだ。森そのものが……呼吸している。」
その瞬間、観測円環がひときわ強く光を放ち、
会議堂の床一面に淡い羽のような紋が広がった。
七人の魔導官が息を呑む。
そして、その静寂の中で――確かに聞こえた。
風でも機械でもない、微かな“羽音”が。
まるで遠い森の彼方から、世界の端を震わせるように。
王立魔導院・観測塔――夜半。
巨大な水晶柱が静かに唸りを上げていた。
その透明な中心に、淡い蒼光の脈が走る。
波紋のように広がるその光は、やがて装置全体を包み込み、低く震える音を響かせた。
観測士が慌ただしく魔導盤を叩く。
「魔力波、北方からの連続反応を確認! 振動周期、不安定……これは――」
報告の声が途切れた。表示された波形は、既知のどの魔族系統とも一致しない。
次第に、塔の空気そのものが揺れはじめる。
深い呼吸のような、間隔のある脈動。
まるで、誰かがこの空間全体を“肺”にして息をしているようだった。
「……自然震か? それとも魔族の術式兵器か?」
年配の魔導官が険しい声で問う。
別の者が答える。「いえ、魔力値は安定しています。ただ、波形が……どこか有機的で――」
沈黙の中、一人の青年が足を踏み出した。
銀髪を束ねた若き魔導官、バルド・アーケンシュタイン。
彼は光を映す水晶柱に手をかざし、眉を寄せる。
「この波……違う。」
囁くように言葉が落ちる。
「これは破壊や侵蝕の反応じゃない。……どこか、“生きている”ようだ。」
周囲の官僚たちが顔を見合わせる。
バルドは続けた。
「魔力の脈動が、一定の周期を持っていない。
けれど確かに“リズム”がある。……呼吸のような、命の波形だ。」
沈黙。
《マナ・レゾネータ》が再び淡く光り、塔の壁に羽のような影が揺らめいた。
その瞬間、誰もが――
風のないはずの空間で、微かな“羽音”を聴いた気がした。
王都――白亜の塔の最上層、円卓の間。
七つの水晶柱が立ち並び、天蓋には魔導の紋章が淡く輝いていた。
その中央に座すのは、王立魔導院の最高権威、《大導院長ヴァルドレン》。
銀糸の法衣をまとい、冷徹な双眸で報告書を一瞥する。
「――“未知の波動”だと?」
低く響く声に、会議室の空気が凍る。
報告官が小さく頷いた。「北方の森より。周期は不安定ですが、魔力密度は非常に高く……」
ヴァルドレンは椅子の肘掛を軽く叩く。
「高密度、周期不明……まるであの女の実験記録と同じだな。」
一瞬、室内の者たちが顔を見合わせる。
その名は誰も口にしない。
レイラ=フォン=グラズヘイム。
かつて異端とされ、国外追放された“魔導生物学の徒”。
沈黙を破ったのは、黒衣の男――審問官。
「……報告によれば、波動の中心には“生命反応”がございます。
おそらくは、追放された魔女が森で何らかの儀式を行っているのでしょう。」
その言葉に、会議の空気がざらつく。
「魔族の加護かもしれん」「呪術結界の暴走では?」
そんな声が上がる中、ヴァルドレンは重く言い放つ。
「異端の再発だ。」
その一言で、結論は決まった。
「民には“新たな魔女”が現れたと伝えよ。
信仰を守るために、警戒を怠るなとな。」
セルヴァンがうすく笑い、恭しく頭を下げる。
「はは……恐怖こそが、秩序を保つ薬でございますゆえ。」
その頃、バルドは沈黙を守っていた。
彼の視線は机上の地図の一点――北方の《深界森》。
「……異端、か。」
小さく呟いたその声は、誰にも届かない。
会議の終盤、ヴァルドレンが冷ややかに命じる。
「王家には報告を上げるな。
ただちに、探索部隊を派遣せよ。森の奥に潜む“魔女”を探り出すのだ。」
その命が下された瞬間――
遠く、観測塔の水晶が再び震え、かすかな羽音が響いた。
だが、誰もそれを“命の鼓動”とは気づかなかった。
チャット の発言:
夜風が塔の尖端を撫で、無数の魔導灯が遠くの街並みに点々と瞬いていた。
王都の最上層、観測円環――《アーク・スフィア》。
七つの魔力水晶が宙に浮かび、淡い蒼光を放ちながら空間に波紋を描いている。
その中心に、ひとりの青年が立っていた。
王立魔導官。
淡い金髪を夜風に揺らしながら、無表情のまま円環に手をかざす。
魔導装置が低く唸り、光の線が宙を走った。
彼の視線が、その波形を追う。
――脈打つような光。
規則正しいが、どこかに“息”のような揺らぎがある。
「……これは、単なる魔力振動じゃない。」
彼は囁くように言い、測定盤の符号を並び替える。
光の波が次第に形を成す――
それは、“音”のようなパターンを持つ波形。
上昇と下降、静寂と脈動。
まるで何かが呼吸している。いや――呼びかけている。
彼の胸が微かに震えた。
「……共鳴だ。誰かが、“何か”と響き合っている。」
風が吹き抜け、塔の窓を叩く。
バルドは無意識に、記憶の底に沈んでいたひとりの面影を思い出した。
――白衣を纏い、虫の羽根を透かして笑う少女。
“魂と生命の共鳴”を夢見て、同僚から嘲笑されても決して諦めなかった、あの瞳。
レイラ=フォン=グラズヘイム。
「まさか……彼女なのか?」
思考が胸を締めつける。
しかし理性が、否、と告げる。
彼女の理論は封印され、全ての記録が抹消されたはず。
王国の手で、徹底的に。
だが、目の前の波形がそれを否定するかのように脈打つ。
蒼い光が円環を巡り、まるで“羽音”のような響きを残した。
バルドはそっと目を閉じた。
「……もしこれが、彼女の声なら。」
その先の言葉を、彼は胸の奥に沈める。
風が再び吹き抜け、夜空の星々が淡く瞬いた。
遠く北の森から届く“呼吸の波”が、静かに王都を揺らしていた。
魔族領――《ナハトグレイン山脈》。
闇と霧が永遠に漂うその地の中心、黒曜石で築かれた神殿の中に、蒼白い光が灯っていた。
天蓋に吊るされた巨大な水晶《冥界石》が、低く脈動を始める。
地の底から響くような音。
ゴゥ……ゴゥ……と、まるで大地そのものが呼吸しているかのよう。
長老たちは静かに集まり、黒い法衣の裾を擦らせながら石の周囲を囲んだ。
古き言葉が囁かれる。
「……また来たか。あの波が。」
「間違いない。“羽音の律動”だ。三千年ぶりに世界が鳴いている。」
魔族の大賢者《ザルグ=ヴェルネ》が杖を突き、蒼光に目を細める。
「この波……人の魔法ではない。だが、我らの呪も違う。
これは――世界そのものの鼓動。」
側近の魔導士が震える声で尋ねた。
「まさか、預言にある“再生の律動”……?」
長老の一人が、ゆっくりとうなずく。
「そうだ。滅びを終わらせ、新たな命を呼ぶ波。
『羽音の目覚め』――神話の言葉が、現実となったのだ。」
その瞬間、神殿の外で風が唸りを上げた。
黒い夜空の向こう、北の森の方角から、微かに蒼い光が流れ込む。
それは雲を裂き、大地を撫で、虫の翅のような細波を描きながら消えていった。
「……聞こえるか?」
誰かが囁く。
羽音のような低い振動が、確かに石床を伝っていた。
それは遠い世界――人間界で、同じ瞬間に鳴り響く“共鳴”と重なっていた。
人と魔。
二つの敵対する文明が、知らぬうちに同じ旋律を聴いている。
それが、のちに“世界再生の前兆”と呼ばれる現象の、始まりだった。




