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『グラズヘイム異界譚:羽音の王国』  作者: 南蛇井


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禁術の芽生え ― 「黒羽音(ネクロ・レゾナンス)」の始動

沈黙の荒野。

風が鳴らない。砂も、灰も、ただ沈み、朽ちた音の残骸だけが漂っていた。


かつて羽音郷と呼ばれたこの地は、今や“無響の穴”の西域――

封印戦で命の波が焼かれ、音そのものが死んだ場所だった。


黒灰の大地に、わずかに揺らぐ光。

それは光ではなく、負の波――死の律の残滓だった。

空気が微かに震え、耳の奥に届かぬはずの“羽音”が響く。


その中心に、一つの影が立っていた。

黒衣をまとい、顔を覆うフードの下から、淡く光る瞳。

男――ロア・ノクターン。


かつてレイラと並び、群律の未来を語った学者。

今はその理を裏返し、死の調律者として蘇った存在。


ロアは膝を折り、灰の地に手を触れた。

指先が黒く染まり、触れた地面が震える。


ロア(低く呟く):「まだ、響いている……

 この地は、沈黙を拒んでいる。

 生も、死も――ただ、波として在り続けようとしている。」


風が通り抜ける。

音は無い。だが、確かに“脈動”があった。


彼の掌の下から、黒い羽虫が一匹、ゆっくりと這い出してくる。

羽音も鳴らさず、ただ空中に浮かび上がる。

そして、彼の肩に止まると――まるで主に帰依するように、

微かに震えた。


ロア:「……いい子だ。

 やはり、命は消えない。波が途絶えぬ限り、死はただの“変調”にすぎない。」


彼は立ち上がる。

黒衣が風に揺れ、灰が舞う。


沈黙の大地に、再び“音”が芽吹こうとしていた。

それは生の調べではなく――

**死を謳う羽音、黒羽音ネクロ・レゾナンス**の胎動だった。


地の底から、かすかな振動が響いた。

長い沈黙を破るように、灰の大地が脈を打つ。

その中心で――かつて封印されたはずの男が、ゆっくりと目を開けた。


ロア・ノクターン。

死者のはずの彼は、もはや“人”の形ではなかった。

皮膚の下には、光でも血でもない黒い脈が走り、

その一本一本が、かすかに羽音を立てていた。


肉体は、反羽音群の残滓と融合していた。

細胞は波となり、思考は律動と化す。

その姿は生と死の狭間に在る“律者”――闇の指揮者そのものだった。


ロアはゆっくりと立ち上がる。

砂が足元で弾け、無音の波が空気を震わせる。

声を発した瞬間、その響きさえも人のものではなく、

まるで世界そのものが語っているかのように重く、深く、共鳴した。


ロア(独白):「死は消滅ではない……

 それは、生の“裏拍子”。

 この世界はまだ、片側の旋律しか知らぬ。

 ならば――私は、そのもう一つを奏でよう。」


彼は指を伸ばし、枯れ果てた大地に触れる。

その指先から、淡い波紋が広がった。

灰の下がわずかに動き、黒いものが這い出す。


一匹の羽虫。

だがそれは、光を持たず、影のように透き通っていた。

翅を震わせるたび、空気の層が“逆相”に歪み、

まるで命の音を“喰らう”ような振動を放っていた。


ロアはその羽虫を掌に受け止め、ゆっくりと微笑む。


ロア:「ようやく現れたか……“第三の羽音”。

 生でも死でもない、均衡の調べ。

 世界の理を、もう一度――組み直そう。」


その瞬間、荒野の底で波が跳ねた。

無響の地が微かにうねり、風が逆流する。

世界の深層に、再び“音”が芽吹く。


それは、

滅びのあとに訪れる――**新たなる律動ネクロ・レゾナンス**の始まりだった。

荒野に、黒い風が吹いていた。

その中心――かつて封印戦の焦点となった“無響の穴”の縁に、

いくつもの魔導装置と音律測定機が円を描いて並んでいる。


ロア・ノクターンはその中央に立ち、無数の記録石を前に静かに息を吐いた。

彼の背後では、黒い羽虫たちが低く鳴動し、空気を波立たせている。

それはもはや生き物というより、“律動する器官”のようだった。


封印戦で得た莫大な観測記録――

群律と反羽音の交差点で生じた異常波形を解析しながら、

ロアはひとつの結論に辿り着く。


ロア(独白):「生命と死の波が等位に響くとき、存在は完全な均衡へ至る。

 どちらかが上回れば破壊が生じる。

 だが、両者が重なり合えば――それは滅びではなく、“永遠”になる。」


彼の指先が空間をなぞる。

その軌跡に合わせて、音の粒子が光を帯び、魔導陣が浮かび上がった。

名称:《黒羽音ネクロ・レゾナンス》――

“生”と“死”を反転・重複させるための、禁断の反位相陣式。


ロアは捕らえていた小動物を陣の中央に置く。

そして詠唱を始めた。


ロア:「波の裏側を、波へ返せ。

 生の律よ、死の声を映せ――黒羽音・起動。」


空気が裂けた。

光が瞬き、音が逆流する。

次の瞬間、小動物の身体は崩れ、塵となった――はずだった。


しかし、そこには“音”が残った。

かすかな羽音。

姿はなく、影もない。

けれど確かに、“存在”がそこに在る。


ロアは目を見開く。

音が空間の形をなぞり、かつての小動物の輪郭を描いていく。

それは音だけで構築された生命――“虚音の生物”。


ロア(息を呑みながら):「見える……これが、“存在波”だ。

 肉体を持たず、しかし消えもしない。

 魂と物質の境界を超えた、純粋な存在の律……!」


彼の口元に、静かな笑みが浮かんだ。


ロア:「この波こそが、《神の構築アルケウム》を完成させる鍵。

 生も死も、区別のない世界。

 “音”だけが真実となる――完全なる調和だ。」


荒野の上で、音が揺れる。

それは風でも声でもない、“生と死の中間”に生まれた震え。


黒羽音――

その誕生が、再び大陸の律を狂わせていくことを、

その時のロアはまだ知らなかった。



灰の荒野から数週間後。

ロア・ノクターンの姿は、王都近郊の学術院地下区画にあった。

闇に沈むその部屋には、音波測定器と魔導式共鳴筒――

かつて封印された群律研究施設の遺構が静かに息づいていた。


テーブルの上には、封印戦以降の“群律観測記録”がずらりと並ぶ。

そしてその中央に、新たな論文草稿が一枚。

題名は《黒羽音理論 ― 生命波と死波の位相共鳴による律動補完》。


ロアはその原稿を封筒に収め、ゆっくりと机に置く。

――宛先は、「王国学術院・理律課長官」。


ロア(独白):「これは破壊ではない。

 世界を“閉じた調和”へ導くための、もう一つの旋律だ。

 生命の音が片翼なら……死の波は、もう一つの翼となる。」


数日後、密やかに届いた王国使節が、ロアの研究所を訪れる。

暗い礼服に身を包んだ官僚の男は、原稿を一瞥し、低く呟いた。


使者:「……実に危険な理論だ。

 生と死の境を操作するなど、神域への冒涜に等しい。」


だがその声には、恐怖ではなく――興味が混ざっていた。

ロアは微かに笑みを返す。


ロア:「冒涜ではない、完成です。

 死を拒むのではなく、死を含めて生を奏でる――

 それこそが、真の群律。」


使者はしばし沈黙し、やがて書類を閉じた。


使者:「……君の理論は危険だが、有用だ。

 “死を操る群律”――王が求めぬはずがない。

 これを兵器体系に転用できれば、戦は終わる。」


ロアの唇がわずかに動く。

その瞳は冷たくも、美しい確信に満ちていた。


ロア:「私の望みはただひとつ。

 生命と死が、同じ楽章で奏でられること。

 王がどう使おうと、それも“均衡”の一部に過ぎない。」


使者が立ち去った後、静寂が戻る。

机の上では、黒羽音実験機が微かに震え、

その内部で、目に見えぬ“音の生命”が呼吸を始めていた。


ナレーション:

「かくして、“失われた群律の補完理論”は、

王国の軍略に取り込まれ――

やがて“死者共鳴兵計画”という、

第二の禁忌を生み出す礎となった。」


西の荒野――封印跡の最深部。

地表を覆う灰は風に舞い、かつて森であった場所は、

今や“音の墓場”と化していた。


その中心、崩れた魔導陣の残骸の中に、

黒衣の男――ロア・ノクターンが立っている。

手には音律符を刻んだ漆黒の指輪。

その輪が震えるたび、空気が低く唸り、地中の何かが応じた。


ロア(静かに):「さあ……目覚めの時だ。

 君たちは、死を恐れぬ群れ。

 生の終わりを超え、音そのものへと昇る種族だ。」


大地の下から、無数の“声なき羽音”が漏れ出す。

それは虫の音でも、風の響きでもない――

魂が音へと還元される“反共鳴”の震えだった。


黒い波動が円を描き、封印陣の線をなぞるように走る。

そして、荒野の空がゆっくりと歪んだ。


光が消え、闇の中に輪が浮かぶ。

――黒い光輪。

それはまるで、世界そのものが“逆位相”の律に囚われたようだった。


ロアの周囲には、形なき影が集う。

人でも虫でもない、透明な音の群れ。

彼らは微かに共鳴し合い、存在そのものを“音”で語る。


ロア:「そうだ……その波こそが、黒羽音ネクロ・レゾナンス

 肉体は不要だ。魂は、音へと帰る。

 お前たちは“反共鳴群・第零式プロト・ネクロス”――

 私の調律が生んだ、最初の“音の民”だ。」


彼が両手を広げると、黒い光輪がゆっくりと回転を始めた。

音のない風が吹き、灰が浮かび、空間そのものが脈動する。


そして、世界は一瞬、音を失った。

どこにも羽音も、風のささやきも存在しない。

ただ、静寂が鼓動のように揺らいでいた。


ナレーション:

「その日、世界はもう一度、音を失った。

 だがそれは沈黙ではなく――“死の調律”の始まりだった。」


その闇の中、黒い光輪の中心に、

新たな律――“死の旋律”が確かに生まれていた。


後年――王国学術院、最深層の禁書庫。

封印の鎖で閉ざされた黒鋼の扉を抜けた先に、

一冊の書が沈黙の中に佇んでいる。


題名は、血のような紅で刻まれていた。


――《禁術資料篇・黒羽音録》。


その紙面は煤に焼かれたように黒く、

書かれた文字すら音を吸い込むかのように沈んでいた。

だが、わずかに浮かぶ刻文が、淡く銀の光を放つ。


黒羽音ネクロ・レゾナンスとは、

 生と死の波を等化し、魂の共鳴を外界から切り離す術である。

 それは調和にして断絶――

 生命を“音の存在”へと還す禁断の律。』


筆跡は、明らかに人のものではなかった。

震えるような波形文字が、音の揺らぎそのもので記されている。


『奏者は“神の代弁者”にもなり得る。

 だが同時に、世界の律を壊す“沈黙の創造者”ともなる。』


最後の頁には、ひとつの印章が押されていた。

それは、三重螺旋を描く黒い羽――

ロア・ノクターンの“群律印章”だった。


ナレーション:

「この記録を読む者よ。

 もし黒羽音を解せば、世界は二度と沈黙から帰らぬ。

 それは神をも喰らう、**死の調律ネクロ・コード**の書。」


そして書の表紙が、ひとりでに閉じる音が響いた。

――まるで、書そのものが、いまだ呼吸しているかのように。



焦土――。

焼け落ちた樹々の間を、風が静かに渡っていく。

その風に乗って、かすかな羽音が交錯した。

白い光の群れと、黒い影の群れ。

生と死、二つの律が、夜明け前の空で最後の旋律を奏でていた。


──その下、かつて「羽音庵」と呼ばれた場所。

崩れた机、散乱した記録石、割れた魔導器。

その中に、ひとりの影が座している。


レイラ。

かつて“命の指揮者”と呼ばれた女。


彼女は膝の上の古びた書――《群律原典》をそっと閉じた。

灰の舞う空気の中、その音だけがやけに鮮明に響いた。


レイラ(心の声):「羽音は、命の律だった。

 けれど――人はそれを、武器に変えた。」


風が吹き抜ける。

焦げた翅が一枚、ひらりと舞い上がり、光と闇の狭間に消えていく。


ナレーション:

「群律は、調和の理にして、戦の法ともなった。

 この夜から、羽音は“祈り”ではなく、“命令”となる。」


空がゆっくりと暗転。

残響のように羽音が遠のき、画面に静かな光が浮かぶ。


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