表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『グラズヘイム異界譚:羽音の王国』  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/28

群律防衛戦 ― 命の陣形

黎明の羽音郷。

夜明け前の光はまだ森の奥へ届かず、代わりに緋色の霧が低く漂っていた。

湿った風が黒い根の間を這い、遠方では獣の咆哮が反響する。

それは――魔族の軍勢が動き出した音だった。


重装魂獣〈ソウル・ビースト〉の足音が大地を揺らすたび、

地中に沈んだ魔力が鳴動し、森の空気が震える。

空を見上げれば、反羽音群の影が雲のように蠢き、

そのたびに木々の葉がざわめき、無数の羽が光を失っていく。


だが、地上では――沈黙の中に整然たる律があった。

虫たちが群れをなし、光を帯びて並び立つ。

ひとつひとつの翅が微かな音を奏で、

それらが重なり合ってひとつの旋律を形づくっていた。


その中心に立つのは、レイラとマリア。

二人の周囲を無数の魔導光が巡り、

森全体へと広がる巨大な陣式の光脈が走る。


レイラの瞳が淡く輝く。

彼女の唇がわずかに動き、命の波が森中に流れ出す。


レイラ:「――群律陣式、起動。」


大地が応じ、空気が唸る。

虫たちの羽音が一斉に高まり、森全体が呼吸を始めた。

それは戦いの号令ではなく――生命の調律だった。


マリアが横で魔導盤を確認し、低く呟く。


マリア:「同期率、上昇中……全群体、律動開始。

森そのものが、楽器みたいに鳴ってる……!」


レイラは静かに頷く。

その眼差しは、迫りくる闇の軍勢の向こう――

かつて共に理を探した友、ロア・ノクターンの方角を見据えていた。


レイラ(心の声):「あなたが“死の律”を選ぶなら……

私は、“生の音”で応える。」


彼女が両手を掲げると、森全体の光が一斉に脈動する。

緋色の霧が押しのけられ、空へと放たれた音の波が朝を呼び込む。


黎明前の羽音郷――

その瞬間、森はひとつの巨大な魔導陣として、命の陣形を完成させた。


北の地平が、ゆっくりと黒ずんでいった。

その黒は夜ではない――進軍する魔族軍の影だった。


かつて焼き尽くされた黒塚の地帯から、

幾千もの魔族兵が整然と進み出る。

鎧に刻まれた紋章は、すでに原形を留めていない。

代わりに、その身体からは黒い霧が噴き出し、

まるで魂そのものが腐蝕しているかのようだった。


その上空を、異様な群れが覆う。

ロア・ノクターンが生み出した“魂反転群ソウル・リバース・コロニー”。

それは虫でも、亡霊でもない。

ただ、命の模倣物――“死んだ羽音”の群れ。


空気が鳴動する。

反羽音が空を裂き、森の木々がざわめき、

葉の表面を覆うように黒い波紋が広がっていく。

その波は、まるで世界の“律”そのものを食らうようだった。


マリアは観測盤を睨み、息を呑んだ。


マリア:「群律波が乱されてる……!

彼ら、音で地形を“食べてる”!」


森の生態音が次々と途絶していく。

虫の羽音、風のさざめき、根の下を流れる魔力のざわめき――

すべてが“反位相”に飲み込まれて消えていった。


レイラは静かに目を閉じ、

その波の向こうから聞こえる“意志”を感じ取った。


レイラ:「……ロアの仕業ね。

彼はまだ“実験”を続けている。」


遠く、黒塚の方角に薄く光る波が見えた。

それは音ではなく――沈黙の閃光。

世界が、再び“二つの羽音”を奏でようとしていた。


黎明の空は、まだ灰色を帯びていた。

しかし、その灰の奥で――光が生まれ始めていた。


レイラ・グラズヘイムは両手を掲げ、静かに目を閉じる。

その周囲に集う無数の光虫たちが、彼女の呼吸に合わせて揺れた。

小さな羽音が波紋を描き、森全体へと伝播していく。


マリアが補助端末を操作しながら、

まるで指揮者のように杖を振り上げる。


レイラ:「全群体、律動位相・第七層――起動!」

マリア:「了解! 同期率94%、まだ上げられます!」


瞬間、森の空気が震えた。

地表から、木々の間から、そして空から――

数百万の光虫たちが一斉に飛翔する。


彼らの軌跡が描くのは、幾重にも重なった円陣。

それは生きた魔導陣であり、命そのものが奏でる“群律”。

螺旋が広がり、空一面に光の波紋が咲く。

まるで空に咲いた巨大な花のように――その中心で、命の鼓動が響いていた。


レイラ:「……群律、共鳴域へ!」


その音が放たれた瞬間、

魔族軍の前線にいた**魂獣ソウル・ビースト**たちが悲鳴を上げた。

その肉体が、構成する魔力単位ごとに“解音”されていく。

牙が塵となり、黒炎が霧散し、

残されたのは――音に還元された灰だけ。


マリアは息を詰めたまま、戦場の光を見上げた。

森が歌っている。

生命のすべてが、ひとつの旋律として繋がっていた。


ナレーション:

「その朝、森は歌った。

命が武器となり、音が刃となる――

それは、群律の調べが初めて“戦いの形”を取った瞬間だった。」


森が震えた。

地中の深奥――根のさらに下、かつて“沈黙の夜”を生んだ黒層から、

再び光が噴き上がる。


それは光ではなく、負の輝きだった。

黒く、重く、そして粘りつくような波動が地表を覆う。


群律の調べがわずかに乱れた瞬間、

空を飛んでいた光虫たちが一斉に軌道を崩し、

いくつもの群れが“音を失って”墜ちていく。


マリアが咄嗟に制御杖を掲げたが、

彼女の魔導端末が黒いノイズを吐き、警告符が連続して点滅する。


マリア:「先生、彼らの音が――歪んでいく……!」


レイラは唇を噛んだ。

耳に届くその“羽音”は、もはや生命の旋律ではなかった。

規則を持たない波、悲鳴のような共鳴。

それは、魂の奥底から漏れ出す――叫びの音。


レイラ:「あれは羽音じゃない。魂の叫びよ。」


地中から這い上がるように、黒い群れが姿を現す。

彼らは虫でも魔族でもない。

“反羽音”の成れの果て――魂反転群レヴァナント・コード


その体表には無数の紋様が走り、

周囲の生命波を吸収するたび、形を変えて肥大していく。

触れた木々は音を失い、葉は灰となって崩れた。

森全体の律がねじ曲がり、響きが**乱流タービュランス**へと変わっていく。


レイラが指先を震わせた瞬間――

空間の裂け目から、かすかな声が届く。


ロア(幻影として):「見えるか、レイラ。

これは“命の循環”の完成形だ。

生も死も、ただ同じ旋律の裏と表に過ぎない。」


その声には、感情の起伏がなかった。

だが、響きの奥に宿る“確信”が、レイラの心を冷やす。


レイラ(心の声):「……ロア……あなた、どこまで堕ちるの……」


森は再び呻き、地平が黒く波打った。

空を覆う羽音が、悲鳴のような不協和を奏でる。

群律と反羽音――二つの音が溶け合い、

世界がまた、“沈黙”へと傾き始めていた。


空が――鳴った。


群律陣が崩壊寸前の閾に立った瞬間、

レイラは迷わず陣の中心へと歩み出た。

彼女の足元に描かれた魔導紋が、波打つように揺らめく。


マリアが息を呑む。


マリア:「先生、無理です! それ以上は……!」


レイラは振り返らなかった。

両の掌を地に当て、静かに目を閉じる。

その頬に流れる光は涙ではなく、律の粒子。

淡い金色の音が肌から立ち上り、彼女の髪を光の糸のように揺らす。


レイラ:「――命は、響き合うためにあるの。」


その言葉が風に溶けた瞬間、

レイラの身体が柔らかな光に包まれた。

陣の中心の光虫たちが一斉に反応し、

波動の形を持つ羽音が天に昇る。


生命波が彼女を媒介として全群体へと伝導していく。

虫たちの意識が重なり、森全体の鼓動がひとつに統合される。

音が層を成し、律が渦を描き、

世界が“ひとつの生き物”として呼吸を始めた。


ナレーション:

「その瞬間、森のすべてが一つの意識になった。

それは人の理を超えた“生命の指揮”――

虫王覚醒クイーン・コンダクト。」


レイラの瞳に映るのは、もはや戦場ではなかった。

彼女の視界の中で、森も虫も風も、すべてが旋律へと変わる。

群律の光が螺旋を描き、空へと駆け上がった。


黒い波がそれを呑み込もうと押し寄せる。

だが、レイラの波動が先んじて包み込み、

“命の和音”が“死の律”を中和していく。


反羽音群の躯が崩れ、音を失って砂のように散る。

闇の律が森に沈み、静寂の底に吸い込まれていく。


マリアはその光景を見上げながら、涙をこぼした。

それは恐怖でも悲しみでもなく――祈りの涙だった。


マリア(小さく):「……先生、あなたが……森そのものに……。」


群律が頂点に達し、音の花が黎明の空に咲く。

森全体がひとつの楽器となり、命の調べを奏で続けた。

そしてその中心で、レイラは微笑んだ。


彼女の声は、もう“個の声”ではなかった。

森の声、群れの声、生命の声。


レイラ(意識の奥で):「――響け。命の証として。」


その瞬間、黒い波は完全に封じられた。

森の律は再び安定を取り戻し、黎明の光が静かに降り注ぐ。


空を裂いていた黒い波が、ゆっくりと沈黙へと溶けていく。

封印陣の中心――レイラが立っていた場所に、いまは光だけが残っていた。


その光は淡く脈打ち、まるで森そのものが息を整えているようだった。

けれど、響くべき羽音はもうなかった。

音が消え、風が止み、緑の大地が静かに灰へと変わっていく。


マリア(泣き声で):「先生……! 森が……消えていく!」


マリアは崩れ落ちるように膝をつき、

周囲に散らばる光虫たちの亡骸を抱きしめた。

翅の欠片が彼女の掌の上で崩れ、

音もなく霧のように空へと還っていく。


その肩越しに、

封印陣の中心から淡い光が滲み、

そこにレイラの姿があった。

輪郭は光と風に溶けかけていたが、

その微笑だけははっきりと残っていた。


レイラ(穏やかに):「消えるんじゃない……眠るのよ。

いつか、新しい音が生まれるまで。」


彼女の声が、風に乗って森の残響へと広がっていく。

そのたびに、枯れた樹々がわずかに揺れ、

まるで最後の返歌を送るように葉を鳴らした。


封印陣が静かに閉じていく。

光がひとつ、またひとつと消え、

やがて中心には――**“無響の穴”**が残った。


それは音の一切を拒む、完璧な沈黙の領域。

風が通っても、葉が落ちても、

何ひとつ響かぬ“世界の裂け目”。


マリアはその前に立ち尽くし、

両手を胸の前で組んだ。

涙が地に落ちた瞬間、無響の穴が一瞬だけ波紋を描いた。


ナレーション:

「封印は成功した。

しかし森の命の半分が、音の代償として消えた。

羽音郷の中心に生まれたその沈黙――

それは、世界が再び律を取り戻すまでの永い眠りの証であった。」


そして黎明の光が差し込む。

その光が、焼け落ちた木々の間を抜け、

静かにマリアの頬を照らす。


彼女は微笑を返すように目を閉じ、

囁くように呟いた。


マリア:「先生……次の音を、きっと見つけます。」


その言葉を最後に、森は完全に沈黙した。

ただ、光だけが――

音の代わりに、世界を照らし続けていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ