第32話未来を見通す力 フィルナ公国でのひととき
フィルナ公国に滞在して三日目。
僕はライガと一緒に、リュシアさんの部屋へ呼び出されていた。
「リュシアさん、来ましたよ」
「わかったわ、入ってー」
扉を開けると、いつも通りリュシアさんが椅子に腰掛けていた。
「今日は来てくれてありがとうね。さっそくなんやけど……君たちのおかげで、この国に蔓延っていた悪をすべて排除することができたんよ」
その言葉に、僕とライガは思わず背筋を伸ばす。
「い、いえ、滅相もございません!」
「いや、本当のことやからね。――まず蓮くん、君がおらんかったらこの悪党どもの場所がわからんかった。
それにライガくん、君がおることで兵の士気が上がるし、僕も安心して背中を預けられた。
だから、二人のおかげでこの国の平和が保たれたんよ」
真っ直ぐな言葉に、僕たちは照れくさそうに顔を見合わせた。
「ありがとうございます……!」
「それで、まだこの国にはおるの?」
「あと二日くらいは滞在しようと思ってます」
「そうなんや。――そういえば、あのアンシャっていう子。蓮くんの彼女さんやろ?」
「え!? あ、はい……そうです」
「やっぱりなぁ。ほんなら残りの二日間、好きな場所で遊んでええよ。
観光も食事も全部タダにしとく。もちろんライガくんも、それに君らの仲間もや」
「えっ、本当にいいんですか!?」
「もちろんや。この国のために働いてくれた人たちやからな。それくらい当然や」
深々と頭を下げ、僕たちは部屋を出ようとした――そのとき。
「あ、それと二日後な。僕もヴァルセインに行くつもりやから、蓮くん、連れてってね?」
「わかりました。それじゃあ、二日後に」
そう言ってリュシアさんと別れ、僕たちは宿へと戻った。
アンシャとエレナさんに事情を説明すると、二人とも満面の笑みで――
「じゃあ、出かけようよ!」
と、まるで子どものように喜んでいた。
こうして僕たちは、ようやくフィルナ公国の観光を楽しむことになった。
***
まず向かったのは、広大な牧場だった。
そこには牛や馬、羊など、たくさんの動物がいた。
「わぁー、あの動物かわいいね!」
アンシャが指さしたのは、丸々とした豚だった。
「あれは豚ですね。前の世界では、あの肉を食べたりしていました」
「え、あれ食べれるの!?」
「はい、食べることはできますよ」
驚くアンシャを見て、思わず笑ってしまった。
さらに進んでいくと、今度は牛がいた。近くでは絞りたての牛乳を販売している。
すると――裾をちょんちょんと引っ張られた。
振り向くと、アンシャが少し恥ずかしそうにこちらを見上げていた。
「あれ……飲みたい」
その表情があまりにも可愛くて、思わず頬が緩む。
「わかった。それじゃあ買いに行こう」
この世界に来て初めて飲む牛乳だった。
蓋を開け、二人で一口ずつ。口の中に広がる濃厚な甘みとコク。
「ん〜っ、これ、とても美味しい!」
アンシャが嬉しそうに笑った瞬間、ふと気づく。
彼女の口元に、白い牛乳が少しだけついていた。
「アンシャ、口に牛乳ついてるよ」
そう言ってティッシュで拭いてやると、アンシャは顔を真っ赤にして――
「あ、ありがとう……」
と小さくつぶやいた。
***
次に訪れたのは、自然の中に作られた大きな公園。
中央には噴水があり、水面がきらきらと光を反射していた。
「あの噴水、綺麗だね」
「うん、とても綺麗……」
そう答えるアンシャの顔が、なぜか少し曇っている。
「どうしたの、アンシャ?」
「……私以外のものばかり綺麗って言うから。
私のこと、可愛くないのかなって思って」
少し拗ねたような声に、思わず笑ってしまう。
「そんなわけないよ。僕は、アンシャのことが一番可愛いと思ってる」
「じゃあ、この場で証明してよ」
そう言われて、一瞬言葉を失った。
けれど、ふと一つだけ思いつく――ちょっと恥ずかしいけど。
「……アンシャ、少し目を瞑って」
「? わかった」
アンシャが素直に目を閉じた瞬間、僕は彼女の頬にそっとキスをした。
「っ――」
アンシャの顔が一瞬で真っ赤になる。
「こ、これで証明できた?」
「う、うん……ありがとう。とっても嬉しかったよ」
その笑顔は、今まで見た中で一番柔らかくて、心の底から幸せそうだった。
***
観光を終え、二人でご飯屋さんに入った。
この国の料理はどれも美味しそうで、目移りしてしまう。
「僕は生姜焼き定食にしようかな」
「うーん……この唐揚げ定食かラム肉定食、どっちにしよう……」
「おすすめは唐揚げかな。ここのやつ、すごく美味しいらしいよ」
「じゃあ、それにする!」
食事が運ばれてきて、二人で一口。
香ばしい香りと肉汁の旨味が口いっぱいに広がる。
「うん、すっごく美味しい!」
満足そうに微笑むアンシャを見て、僕も自然と笑みがこぼれた。
***
家に戻ると、ライガとエレナさんがいた。
ライガは疲れ切った顔をしている。
「大丈夫か? ライガ」
「エレナのやつ、酒に酔ったせいで大変だったんですよ。今ようやく連れて帰ってきたところです」
「そうか。ライガはもう休んで。エレナさんは僕がどうにかするから」
「すいません、蓮の兄貴……!」
ライガが部屋を出ていくと、僕はエレナさんの元へ行った。
完全に酔っていて、呂律が回っていない。
アンシャと二人で支え、ベッドに寝かせて部屋を出る。
そのあと、僕とアンシャは二人きりになった。
「蓮って、いつエレナさんと知り合ったの?」
「僕がこの世界に来て、最初に出会ったのがエレナさんだったんです。
その頃は記憶がなくて、自分が誰なのかも分からなかった。
でも、そんな僕を見てエレナさんがヴァルセインに連れて帰ってくれた。
そして名前も、蓮って名付けてくれたんです」
「なるほどね。でもエレナさんでよかったね。
多分、他の人だったらその場で殺されてたかも」
「はい、僕もそう思います」
そんな話をしているうちに、眠気がやってきた。
「そろそろ寝ようか」と立ち上がると、アンシャに呼び止められた。
「あの……一緒に寝てよ」
「本気で言ってる?」
アンシャの瞳は真剣だった。
「……わかった。じゃあ、入って」
ベッドに横になると、アンシャがそっと抱きついてきた。
「どうしたの、急に」
「この前ね、怖い夢を見たの。だから、今日は一緒に寝たかったの」
「そっか。――大丈夫だよ。僕がついてる。安心しておやすみ」
そう言ってアンシャの頭を撫でながら、静かに目を閉じた。
二人の間には、穏やかな夜の空気が流れていた。




