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Mission2:おじさん、魔物に襲われる

アーデハルト王国の広大な領土を繋ぐ街道は、首都ルナラムを起点として、蜘蛛の巣のように各地へと伸びている。

その一つ、南へと続く道は、最果ての地ドナヘーラへと至る長大な旅路だった。

幌馬車に揺られても二週間以上を要するその道程には、旅人の疲れを癒し、物資を補給するための宿場町が、点々と存在していた。

まるで、長い糸に結ばれた数珠玉のように。


デュナン・メンデスは、今、その最初の数珠玉であるヘトの町を目指して、一人、馬車を駆っていた。

ルナラムの喧騒を後にして数時間が経っていた。


空はどこまでも高く、澄み渡った蒼穹が広がっている。

乾いた土の匂いと、道端で風にそよぐ名も知らぬ草いきれの匂いが混じり合い、鼻腔をくすぐる。


街道筋には、時折、同じように旅をする商人や、農作業に向かう人々の姿が見える程度で、今のところ、凶暴なモンスターや、旅人を狙う盗賊の影は見当たらない。

穏やかで、ある意味では退屈な旅の始まりだった。


「しかし、本当にドナヘーラまで行かなきゃならんとはな......」


手綱を握りながらデュナンは思わず空を見上げて呟いた。

この抜けるような青空の下、いつもなら彼はルナラムの活気あふれる市場を駆け回り、帳簿の数字と格闘し、丁々発止の交渉で商談をまとめ上げていたはずだ。

そして夜になれば気心の知れたカリオト商会の仲間たちと馴染みの酒場に集い、エールを酌み交わしながら一日の労をねぎらい、他愛のない話に花を咲かせていた。


そんな当たり前だと思っていた日常が、早くも遠い昔のことのように感じられ、恋しくてたまらない。深い、深いため息が漏れた。


ブヒヒンッ、と馬車を引く馬が、まるでデュナンの感傷を笑うかのように大きく鼻息を鳴らした。


「なんだ、お前まで俺を馬鹿にするのか。......まあ、無理もないか。こんな仕儀になってしまったんだからな。俺も、いよいよ終わりかもしれん。」


自嘲気味に呟き、デュナンは掴んでいた手綱で、軽く馬の尻を叩いた。

ぱちん、と乾いた音が響く。

叱咤された馬は、特に気にする様子もなく、むしろ少しだけ歩調を速め、軽快に蹄の音を街道に刻み始めた。

その規則正しいリズムだけが、デュナンの孤独な旅路に寄り添っているかのようだった。


しばらく単調な街道を進むと、やがて道は鬱蒼とした森の中へと分け入っていった。

それまでの開けた景色が一変し、空を覆うように木々の枝葉が茂り、昼間だというのに辺りは薄暗い。

風の音も鳥の声もぴたりと止み、支配的な静寂が、まるで重い毛布のようにデュナンを包み込んだ。

ひんやりとした空気が肌を撫で、言いようのない不安感が胸の内に広がっていく。


「......嫌な感じがするな。」


デュナンは眉をひそめ、己の中に眠る、ただ一つの特異な力に意識を集中させた。

そして、彼が生まれながらにして持っていた能力――【五秒先の未来(ゴールデンアイ)】を発動した。


その名の通り5秒先を見る事ができる力。

なぜ自分がこのような力を持っているのか、その理由はデュナン自身にも分からない。

しかし、幼い頃から不意に飛んでくる石を避けたり、相手の言葉を先読みして会話を有利に進めたりと、日常生活の些細な場面でこの力は彼を助けてくれていた。


冒険者を目指した若き日には、この力が戦闘で役立つのではないかと期待もしたが、悲しいかな、彼の身体能力は平凡そのもので、ギルドからはあっさりと門前払いを食らったのだった。

以来この力はあくまで日常の補助として、人知れず使うに留めていた。


意識を研ぎ澄ますと、脳裏に数秒後の光景がまるで水面に映る像のように浮かび上がった。

瞬間、デュナンは息を呑んだ。

視界の端、前方にあるひときわ大きな樫の木の、その濃い影から、緑色の醜い小鬼――ゴブリンが、棍棒を手に飛び出してくる姿が見えたのだ。

しかも、一匹ではない。


「っ!まずい!」


デュナンは反射的に手綱を強く引き、嘶きと共に馬を急停止させた。馬車がガタンと大きく揺れる。


(やばいぞ......本当にモンスターが出やがった! しかも複数......! 俺は戦えないんだぞ、どうする!?)


心臓が警鐘のように激しく脈打つ。

冷や汗が額を伝うのを感じながら、デュナンは震える手で腰に下げたままのお守りがわりの武器へと手を伸ばした。

それは魔力を込めた弾丸を発射する、旧式の魔導銃(デュエルガン)だった。


剣術はからきし、魔法に至っては微々たる魔力しか持たないデュナンにとって、これが唯一にして最後の護身手段。

しかし、実戦で使った経験など皆無に等しい。

過去に何度か人気のない場所で試し撃ちをしたことはあったが、その命中率は悲しいほどに低かった。

十回撃ってようやく一回、的に当たるかどうかというレベルだ。それでも、今はこれに頼るしかなかった。


そして、未来視で見た通り、きっかり五秒後。

樫の木の影から低い唸り声と共に三匹のゴブリンが姿を現した。

ずんぐりとした体に不潔そうな緑色の皮膚、そして手には粗末な木の棍棒や、錆びた短剣を握っている。

彼らはデュナンと馬車を認めると、何やらギャアギャアと汚い声で言葉のようなものを発しながら、じりじりと距離を詰めてきた。

何を言っているのかデュナンにはさっぱり理解できない。

おそらく獲物を見つけた喜びか、あるいは縄張りを荒らす者への威嚇なのだろう。


「お、おい、待て! お前ら! 落ち着けって!」


デュナンは必死に叫んだ。


「俺はしがない商人で、金目のものなんてほとんど持ってないぞ! それに、見ての通りのおっさんだ! 食ったって、ちっとも美味しくないからな!」


言葉が通じるはずもないと頭では理解していながら、恐怖に駆られた口は勝手に言葉を紡いでいた。

ゴブリンたちは、デュナンの叫びなど意にも介さず、相変わらず何かをわめき散らしながら、ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。

その濁った目に宿る敵意と貪欲さが、デュナンの背筋を凍らせた。


もう、後がない。

デュナンは意を決して、腰から引き抜いた魔導銃(デュエルガン)をゴブリンに向け、両手でしっかりと構えた。

震えを抑えようと歯を食いしばる。


「い、いいか! それ以上近づいたら、本当に撃つぞ! 容赦しないからな! 絶対に、撃つからな!!」


声が上ずる。

必死の警告も、やはりゴブリンたちには届いていないようだ。彼らは歩みを止めない。

先頭の一匹が棍棒を振り上げようとした、その瞬間。


ドゥゥゥーーーーン!!!


デュナンはほとんど反射的に魔導銃(デュエルガン)の引鉄を引いた。

轟音が静かな森に響き渡り、硝煙の匂いが鼻をつく。

しかし放たれた魔力弾は、狙ったゴブリンのはるか頭上を飛び越え、近くの木の太い枝を数本、派手にへし折っただけだった。


「しまっ......!」


最悪の事態だった。

中途半端な威嚇射撃はむしろゴブリンたちの凶暴性を煽る結果にしかならなかった。

弾が外れたのを見たゴブリンたちは、一斉に奇声を上げ、怒りに目を血走らせながら、猛然とデュナンに向かって駆け寄ってきたのだ。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!! 話せばわかる! 落ち着いて話し合おうじゃないか!!」


もはや命乞いに近い悲鳴を上げながら、デュナンは咄嗟に運転席から飛び降りようとした。

だが、焦りが判断を鈍らせた。

足をもつれさせ、彼はバランスを崩し、無様にも地面に顔から突っ込む形で転倒してしまった。


「ぐっ......!」


打ち付けた鼻と額に鈍い痛みが走る。視界の端で、土埃と、すぐそこまで迫ってくるゴブリンたちの汚れた足が見えた。

棍棒が振り上げられる気配。


(終わった......。こんな、辺境へ向かう道半ばで......。俺の人生、ここで終わりか......)


諦めと絶望がデュナンの心を完全に覆い尽くした。

彼はぎゅっと目を瞑り、来るべき衝撃に身を固くした。

カリオト商会での日々、仲間たちの顔、そして叶わなかった冒険者への夢。短い走馬灯が脳裏を駆け巡る。


しかし、予想された棍棒の一撃はいつまで経ってもデュナンの頭上に振り下ろされることはなかった。

代わりに、すぐ近くで甲高い金属音と、ゴブリンのものと思われる断末魔の叫びが響いた。


「......ダンナ、大丈夫かい?」


不意に、頭上から凛とした、しかしどこか快活な響きを持つ女性の声が降ってきた。

恐る恐る、デュナンは顔だけを上げた。


そこに立っていたのは、燃えるような、鮮やかな赤い髪をうなじで一つに束ねた、美しい女性だった。

歳の頃は、デュナンよりもいくつか下だろうか。

旅慣れた様子の軽装鎧を身に着け、そのすらりとした体躯には不釣り合いなほど巨大な両手剣――大剣を、軽々と構えている。

そして、その白銀に輝く剣の切っ先からは、今まさに斬り飛ばされたのであろう、ゴブリンの一匹の首が、地面に転がり落ちるところだった。


「あ......、あ、ありがとうございます......」


呆然としながらデュナンはかろうじて礼を口にした。


「礼は後でいいさ。危ないからそのまま転がってな。大振りだから巻き込んじまうかもしれねぇ。」


そう言うと女性はデュナンを一瞥し、すぐに残りのゴブリンへと向き直った。

獰猛な獣のような鋭い眼光を放ち、彼女は再び大剣を振りかぶる。

それはもはや「斬る」というよりも、凄まじい質量と速度で「叩き潰す」と表現するのが正しいだろう。

ゴブリンの一匹が回避する間もなく大剣の一撃を受け、くしゃりと嫌な音を立てて近くの木に叩きつけられた。

その胸には鎧ごと断ち割られたような、深い刃の痕が生々しく残っている。


最後のゴブリンは仲間たちの惨状を目の当たりにして、完全に戦意を喪失したようだった。

恐怖に引きつった奇声を上げると、一目散に森の奥へと逃げ去っていった。


静寂が再び森に戻ってきた。

ただし先ほどまでの不気味な静寂とは違う、血の匂いと安堵感が入り混じった、生々しい静寂だった。


「はぁ......。助かった......。本当に、死ぬかと思った......」


転がったままの姿勢で、デュナンは大きく息をついた。

全身から力が抜け、手足がまだ微かに震えている。


「ふぅ。まったく、危ないところだったね、ダンナ。あたしが通りかからなかったら今頃どうなってたことか。」


女性は大剣についたゴブリンの血糊を軽く振り払うと、デュナンに屈託のない笑顔を向けた。

その表情には先ほどの戦闘での凄みは微塵も感じられない。


「ああ、本当に......。君がいなければ、俺は今頃......。感謝してもしきれない。」


デュナンはゆっくりと体を起こすと、服についた土埃を払いながら立ち上がった。

そして改めて目の前の命の恩人に向き直り、右手を差し出した。


「俺はデュナン・メンデス。カリオト商会の者だ。改めまして、本当にありがとう。」

「あたしはアリス。」


赤髪の女性は、デュナンの手を力強く、しかしどこか温かい感触で握り返した。


「見ての通り、旅する冒険者さ。よろしくな、デュナン。」


ニコリと笑うアリスの茶色の瞳には、強い意志と、どこか掴みどころのない魅力が宿っていた。

ゴブリンの襲撃という最悪の事態から一転、デュナンの孤独な旅路に、予期せぬ出会いが訪れた瞬間だった。


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