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第8話

 なんか通販番組で見たことがある。刃の模様?で、切った肉とか張り付きにくいってやつ。薄暗い踊り場でも、光を微妙に反射してギラついている。

「遠野?」

「あのね、お願いがあるんだけど」

 遠野が包丁を握り締めて一歩近付いてきた。じり、と俺も一歩下がる。

「すごく変なこと言っちゃうんだけど、いいかな?」

「落ち、着いて」

 遠野の白い頬がうっすら桃色に染まり、目が包丁と同じくらいキラキラしている。そっと階段を窺うが、この時間に6階に誰かがいるはずもない。階段を上った先の窓の外には、すっきり晴れた空が広がっている。じり、じりと下がっているうちに、踊り場の壁際まで追い詰められた。遠野がシャツをスカートから引っ張り出して、白いお腹を曝け出した。呼吸に従ってぷく、と膨れるそこに包丁の刃先を向けて、柄を俺の手に押し付ける。

「食べて」

「……え?」

「お腹を開いて、食べてほしい。まだ動いてるうちに、心臓を」

「遠野、ちょ、え」

 包丁の柄を俺の手ごとぎゅうっと包み込んで、遠野が体を近付けてくる。手を引こうとしても引けない。すごい力だ。柔らかく白い肌に、鋭い刃先が触れた。俺を見上げる遠野の瞳がうっとり潤んでいる。

「────ッ」

「きゃっ」

 声にならない悲鳴を上げながら夢中で遠野の肩を突き飛ばすと、軽い体はあっけなく尻もちをついた。きょとんとした表情の遠野を置いて階段を駆け上がる。誰もいない6階の廊下をダッシュして中央階段まで辿り着いて後ろを振り返るが、追ってはこないようだった。息があがって喉が痛い。気が付くと右手にはまだ包丁を握ったままだった。捨てようとして思い直し、迷った挙句に教科書で挟んでバッグにしまう。持っていたくはないが、廊下にこんなものが転がってたらそれこそ事件だ。

 周りを警戒しながら靴箱に辿り着き、履き替えて駅までの道を急ぐ。何が起きたのかよく分からないけど、とにかく今は離れた方がいい。

 何だあれ。

 悪い夢を見ているんだろうか。全てに脈絡がなくて、現実に起きていることとは思えない。遠野のあの行動。包丁。俺が昨日遠野にしたこと。惚れ薬だか何だかよく分からない薬を手に入れたこと。あの変な女。

 そうだ、あの女。そもそもあそこから現実だったのか?昨日どれだけ探してもあの女の店は見つからなかった。毎日同じ道を通っているのに、あの日以外であの女は見かけなかったし、あんな店に気付いたこともなかった。いくらなんでもおかしい。

「あれ、また会ったね」

 いつの間にか雑居ビルの裏道に入り込んでいた俺に、後ろから声が飛んできた。ゆるゆる振り返ると、派手なゴールドとアッシュを混ぜこぜにしたような髪が目に入った。シンプルなシャツにユニフォームっぽい赤のエプロン。銀色がかった爬虫類みたいなカラコン。今日はラメ入りのエメラルドグリーンの唇。

「なんか、疲れてるねー」

 呑気な声色で、あの女はニィッと笑った。

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