1980年 古きよき時代のバイク浪漫
1980年代、日本のバイク産業は最盛期を迎えました。ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキの4大メーカーがしのぎを削り、次々にワークスマシンを開発し世界中のオートレースを席巻しました。レーサーレプリカが爆発的に売れ、空前のバイクブームが起こります。そんな時代をオマージュして書きました。
見て。きれ~い。ほら、あそこ海がすっごく綺麗、キラキラ光ってる。
そろそろ行くぞ。
陽子は、名残惜しそうに「はぁい」と少し甘ったるい声で返事を返した。
朝日に包まれた展望台を離れ、階段を数段降りた小さな駐車場に、青のVΓ|《VΓ》と赤のTZR、2台のオートバイが寄り添ように、ひっそりと並んでいる。
風が吹いている、太陽の方向からオートバイへと。春を感じさせる一陣の風が陽子の長い髪をなびかせた。まるで無重力の中にいるように、ふわりと左右に広がる。真っ赤な朝日に照らされ金色に輝く。進は、思わず陽子の横顔に魅入った。しばし視線が止まる。動かせない。美しい少女の笑顔がそこにあった。
「進《しん》なにしてるの? 早く来ないと置いていくよ、もう」
彼女は今年の春、大学に入学した。小脇に抱えたヘルメットを被り、イグニッションを捻る。
少し、ふくれっ面をした陽子の微笑に、進は、はっとさせられた。二人は自他共に認める恋人同士という関係になってから、6年目を向かえる。陽子は進の通っていた中学校の一つ下の後輩で、有名私立の女子高校へ進学した。その間も、2人の交際はずっと続いており、まるで昨日結婚したばかりの新婚夫婦のようですらあった。そして、今年の2月、陽子は、進の通う大学に見事合格したのだ。
陽子の笑顔に、進は時々、さっきのようにハットさせられることが最近、頓に多くなった。いつもと変わらぬ陽子なのだが、年下の妹のように可愛かった彼女が、少女の殻から抜けだし可愛らしさの他に綺麗さも加わったと進には思える。自分が愛している陽子は、こんなにも美しかったのかと、今更ながらに気づかされる。
進が先にバイクに跨がりキックペダルを軽く踏み込む。2本のチャンバーから白煙が上がる。2~3回アクセルを噴かす。2ストロークの小気味よいカラカラとした排気音が、周囲の静けさを打ち消した。
陽子が右手を挙げて、発進の用意ができた事を進に告げる。二人だけの合図。進はそれにクラクションで応えると、シールドを下ろし、青のΓを滑るように発進させた。2台のバイクが駐車場から離れていく。進の青のΓが前を走り、その後ろを、陽子の赤のTZRが続く。右に左にと変化する峠道を2人は、無理にバイクを寝かすことなく、腰を落とすこともなく、リーンウィズの姿勢で、まるで渓流の水が流れるように滑らかに走って行く。周りの景色が、徐々に流れを速くする。道路の両側にある木々が、次々に後ろに飛ばされていくように感じられる。
2台の2ストロークバイクが徐々にスピードを上げていく。決っして攻めるのでなく、オートバイと一心同体となって峠道を上っていく。陽子もそのあとにピッタリと続く。前方に四輪のテールランプが光った。2人はすぐに四輪の後ろにつくと、前の車は、左ウィンカーを出して進路を譲ってくれた。それをなんなくかわし、後ろを走る陽子が左手を挙げて感謝の挨拶をする。四輪をあっと言う間に引き離して行く。この区間は、白の点線の横に黄色の実線が引かれている。
二人は一旦、山頂の高山植物園の駐車場にバイクを停めた。ここからが本番だ。シールドを上げ、アイコンタクトでスタートの合図を送った。
連続したタイトコーナーを過ぎると、カーブの角度がやや大きくなる。高速コーナー群に突入する。高速コーナーと低速コーナーの区切りにあたるヘアピンカーブに進がさしかかった時、ライムグリーンのKRが猛烈なスピードで、イン側から進と陽子を抜いていった。キリコだ。そう進が思った瞬間、陽子も進をパスする。今度は、進が陽子に続く。彼女は明らかに前方のKRを狙っている。
バイクに乗る者達にとって、鈴鹿がメッカなら、ここは聖地と呼ばれる山である。この山の峠で腕を磨き世界へと羽ばたいて行ったライダー達も数多くいる。毎年、春先から秋の終わりまで、何百何千、あるいは何万というライダー達が、ここへやって来る。ある者は、ツーリング目的で、ある物は見物に、またある者は腕試しに。
毎週、晴れた日曜日の日の出前になると、どこからともなく一台また一台とバイクが現れては、サーキットさながらのバトルを演じる。その台数は多いときには、2百台以上だ。そして日が昇り、一般車が走り出す頃になると、来たときと同じように、一台また一台と去っていく。
現在、聖地の絶対王者は、泉のトリコロールカラーのNSRがナンバー1。続いてナンバー2がキリコのライムグリーンのKRである。そして進のΓがナンバー3だ。
キリコと陽子にヘアピンで抜かれた進は、コーナーへの進入速度の違いから、立ち上がりで2人にかなり遅れを取った。峠道での速い遅いは、ある程度の段階を越えた者達にとっては、すなわち高速コーナーが速いか遅いかで決まる。
進の高速コーナーのライディングは、峠仲間たちからも定評があり、ナンバー2のキリコにも決して劣るものではなく、むしろ勝っていると言っても過言ではない。
右、左、右と単調なようでも、1つ1つのコーナーは曲がり方が異なっており、奥に進むにつれて複合になっている場合も少なくない。
TZRとKR、進のΓが他者を寄せ付けない圧倒的なスピードで走り抜けていく。陽子がシートから腰を半分ほどづらした。立てた膝が路面を擦る。陽子の履いているジーパンは、恐らく穴が開いてしまっただろう。しかし、そんなことはお構いなしに、さらにバイクを傾けて、キリコを猛追する。進が徐々に追いつき、珠々繋ぎ状態になった。
陽子という少女は、元来かなりおとなしい性格で、兎に角く目立つ事が大嫌いである。授業中に発表をするだけでも、顔を赤らめ、上がってしまい、たまにどもることさえある。極端な恥ずかしがり屋さんである。進と家族以外の男性とは、ほとんど口を利くことはない。少し陰気とも思えるほどだ。しかし、その女の子らしい素直な性格と可愛らしさのおかげで、男子の間から絶大な人気を得ていた。そんな彼女であったから、ジーパンを履くことはおろか、バイクに乗るなど、その姿を見た者ですら、にわかに信じがたく、話を聞いただけの者に至っては、信じることは、まず不可能であった。
彼女のたった一つの例外的な行為として、オートバイに乗ることがあり、そのかたわらには、例外的な異性として進がいる。
進が陽子の背後にせまった。しかし彼は抜くことはしなかった。また、陽子も進が抜いてくるとは思ってもおらず、防衛のためのライン取りは取っていない。陽子と進の距離が詰まった分だけ、キリコと陽子の距離が広る。
陽子は、キリコに付いていくのがやっとだ。まだまだ勝つどこではない。進とキリコの関係は、高速コーナーならば進が互角以上、少なくとも高速でキリコに離されることはない。進がキリコの後ろについたときは、やや不利である。
進は得意な高速コーナーで陽子をパスし、さらにキリコに迫る。
片道一車線の狭い峠道では、相手を抜かすには相当な技量の差がないと不可能だ。結果として抜くのではなく、前後の僅かなタイム差、あるいは距離差で勝敗が決する。
進は去年まではナンバー4だったが、今シーズン、自分の師匠を抜きナンバー3になっている。
森林公園の駐車場から出発し、牧場の駐車場まで競い合う。
最後まで読んでくれて、ありがとうございました。