アリストテレス、アレクサンダー解説
アリストテレスとアレクサンダー三世は、師弟関係にありました。その関係性は極めて良好で、かの王は『アリストテレスに善き生き方を教わった』とまで、明言しているほどです。
言葉や宣言のみにとどまりません。本編で描かれたように、アレクサンダーが征服した土地で発見した、新しい動物や植物の標本を、遠路はるばるアリストテレスに送っていたそうです。現役の学者だったアリストテレスにしてみれば、とても知的好奇心のそそられる出来事でしょう。
今の学者でさえ……新種の動物や植物の発見し、そこから観察と研究には心が踊る。遥か異国の地で暮らす、未知の生物の標本が手元に来る……現代でも学者なら、メモと顕微鏡の準備を始めるでしょう。アリストテレスが大変喜んだ事は、想像に難しくない。
そして返礼とされていますが、個人的には『弟子に世話を焼いている先生』の印象なのですが……アリストテレスは、アレクサンダーに自分で書いた本を送っていたようです。
実は、アレクサンダーの統治は、当時としてはかなり独特な物でした。古代ギリシャ……紀元前の時代では、征服した土地は植民地。人も土地も侵攻した側が好きにする物。住んでた人を奴隷にして売り払って当たり前……みたいな価値観でした。
が、アレクサンダーは……一部例外はあるのですが、征服した地域の文化を蹂躙していないのです。基本的に、その地域の風習や文化は荒らさない。本編であったように『エジプトでファラオを襲名した』のも史実です。
さらにさらに、配下に地域を任せるにしても……『不法や横暴を働けば、王の法によりきっちり処罰する』政策を取っていました。あくまで人は人であり、必要以上に痛めつけたり、恨みを買うような事はするなと。
これは……個人的な意見ですが『アレクサンダーなりに、師の教えを実践したのではないか?』と考えます。
アリストテレスの教えの中に『人は知を愛する』というモノがあります。これは……難しい書き方をしていますが、多分『新しい情報や意外な知識を得る事を、人は楽しいと感じる』って事を言いたいんじゃないでしょうか。そして、知識や知恵を楽しみ、そこから学びを得る事を良しとした。
この教えを……『征服地でアレクサンダー大王が実践した』のではないでしょうか? 彼は軍を進め、次々と敵軍を打ち倒し、大帝国を築き上げます。その道すがらで出会う、新しい人々、新しい文化、新しい生命、新しい世界を――存分に楽しんでいたのではないでしょうか? 彼はそこにある『ありのままの世界』を味わい、そしてその楽しみを『征服地』にも共有した。とも思えます。
――先ほども述べたように、アレクサンダーの統治は『当時の常識で考えると、非常に特殊なケース』でした。征服地に圧政を敷かず、むしろ不公平や不公正を働けば、統治側の人間であろうと罰せられる。
この状況は、戦争で敗北した側からするとこう映った事でしょう。旧体制を武力て打ち倒した、遥か遠い世界からやって来た王が敷いた新政府は――旧体制を倒された地域にとっても、決して悪政ではなかった。と。むしろ身構えていた分、安堵さえ覚えたかもしれません。敵対した王政に対しても、時と場合によっては温情があったようです。
(ただ、交渉の使者を首を切って返した国家に関しては、陥落させたと同時に全住民を奴隷として即座に売り飛ばした……って話もあります)
これはちょっと信憑性が取れなかったのですが……なんと征服された後の方が、よっぽど不正が減ったり、懲罰も正しく行われたので、むしろ支持されたとか、されてないとか。
そうなるとですね……『あれ? この人たちそんなに悪く無いんじゃね?』ってなるわけです。アレクサンダーの敷いた、大帝国の植民地なのにです。そして良感情を持ち、信用できそうだ……となると、今度は人や物だけでなく文化や美術、技術などの交流が始まるわけです。今までは外国同士で、敵対関係でにらみ合っていたので、異文化交流なんて出来ないのですが……一人の大王の下、一つの国として併合されたことで……国境の壁が取り払われた。
今まではそこで『支配・被支配』の関係性が生まれ、その仕打ちの差から禍根が生まれたものですが……アレクサンダーの統治は、憎悪の壁も薄かった。
よって――征服地同士でしたり、古代ギリシャ圏までの巨大帝国の領土内で、お互いに文化交流が行われたのです。圧力の無い、純粋な『異文化』の交流……今の日本であれば、インターネットで外国の変わった文化や風習を知れますが、当時は自分の国以外の世界は、ほとんど知ることが難しい。が、かの王が広大な地を治めた事で、人々は他の国を『知る』事が出来た……
とここまでは調子良いのですが、この統治……実はえげつねぇ難点が一つあります。 それは部下側の評判が、あまり良くなかったのですよ。『征服する側』の旨味が少ないのです。
何せ『法を守れ』と、きっちりルールを敷くので……戦争行為に加担し、前線で血を流し戦った兵や将にとっては、正直ガッツリ法で縛ると肩身が狭い。当時は『支配地域は植民地化、奴隷化して当たり前』な文化圏でしたから……
つまり、今までの当たり前にやっていた『既得権益』が、かなり少ない政策でした。となれば部下から不満が出てしまう。アレクサンダーの統率力とカリスマでもっていましたがね……
そしてそんな状況が、アレクサンダーの手紙に書かれていたのかもしれません。アリストテレスは彼の悩みや手紙に対して、わざわざ本を執筆して送っています。
彼らの関係性は……アレクサンダーが倒れるまで続きました。遠方遠征で各国を回り、師であるアリストテレスに標本を送る。そして師もまた、王のための本を送り続けた。
中々尊い関係性だと思ったので、今回作者は投稿させていただきました。かの大王については、他にも魅力的な逸話や伝承がいくつもあるので、興味を持てた方はぜひ調べてみてくださいね!