アリストテレス解説
アリストテレスは、万学の祖と呼ばれる哲学者であり、今の科学の理論立てや証明の方法論も、彼が基礎を打ち立てたのです。
彼の思想は、プラトンの思想形態とはおおよそ真逆でした。彼の『イデア論』は、この世界が影絵のような物であり、真実のある上層世界があると論じました。真にソクラテスの言う通り、美しい生き方と善が肯定される世界があると。
ですがアリストテレスは、この世界の現象や生物について観察する事から、始めるべきだとしました。仮説を立て、実験し、観察し、実証する。現実への検証を繰り返す事で、真実や知恵、真理へと近づけると考えたのです。
これは……『この世界は幻や影絵のようなもの』『真実は別の世界にある』としたプラトンとは、完全に真逆と断言できます。
アリストテレスの哲学は『この世界について観察や実証を行う事で、知恵を重ねて真実を得る事が出来る』と言うモノ。
プラトンとアリストテレスも何度も言葉を交わしたそうですが、互いに激論になったとか、ならないとか。
両者の理論は水と油。顔を合わせるのも嫌になりそうな物ですが……実はアリストテレスは、プラトン設立の学園出身者なのです。故に生徒と教師として、顔を合わせたり、言葉を交わす機会はいくつもありました。しかも自前で独自理論や、動物や植物などの研究まで進めていたので、学園の優等生だった……と言えるでしょう。
にも関わらず彼は、まるでプラトンの『イデア論』を真っ向から否定するような哲学を主張した。学園で学び、知恵を得たのに何故か?
前回と前々回の、考察が前提のお話になりますが――アリストテレスは何かのきっかけで、プラトンの憎悪と絶望に気が付いた。彼が主張する『イデア論』の感情の底に、美しく散ったソクラテスと、この世界への絶望との対比がある。その事に気が付いたアリストテレスは……プラトンの『イデア論』を破壊し、恩師を過去の絶望と憎しみから、自由にしたかったのではないのでしょうか。
そう……プラトンは学院の設立者であり、アリストテレスは生徒です。故にその関係性は、アリストテレス目線で『恩師』の立場になります。だから『恩師を否定する』発想に至るには、何か特別な感情かきっかけが必要だと思うのです。
先述しましたが、イデア論は当時でも『過激思想』認定を食らう物でした。ですがそれでも、プラトンが裁かれなかったのは『政府側が落ち度を認知していた』からだと思うのです。自分たちの誤った裁判が、ソクラテスを殺めてしまった。プラトンが狂気めいた思想に陥るのもやむなし。その責任の一旦は、自分たちにもある。と。
このプラトンの絶望と狂気は、誰も止めようとしなかった。その失意に真正面から立ち向かったのが、アリストテレスだったのではないでしょうか。
『起きた現実が、受け入れがたい物であり……イデア論と言う幻想に囚われるのも無理はない。けれど自分は、プラトンの活動によって知見を得た。もうその幻想から覚めて、現実を受け入れて欲しい。過去の絶望と憎悪から、師には自由になって欲しい』
アリストテレスの根底には、師への恩義があった。だからこそ、憎悪と絶望から始まったプラトン哲学を、どうにかして解きほぐそうとしたのではないか? 概念に偏ったプラトン哲学から、現実の観察と検証を行ったアリストテレスの活動は……誰が見ても逆方向でしょう。
そして恐らく……プラトンも薄々ですが、アリストテレスの感情を理解していた。
プラトンは、真っ向から自分の積み上げた哲学を、他ならぬ愛弟子の一人から否定されている訳ですから、心中穏やかではないでしょう。これが普通の人間ならギクシャクしそうな物ですが、プラトンは自分を否定しに来るアリストテレスを、拒絶する事はありませんでした。
何故断言できるのか? 答えは『プラトンはアリストテレスを、学園から追放しなかったから』です。よくある話ですと『弟子に否定的な事を言われた師匠』が『弟子を破門にする・追放する』事が多い。ですがプラトンはやっていません。顔を合わせればお互いに激論を重ねて、バチバチに論争をおっ始める。なのに弟子の事を追放しないのは……薄々ながら『アリストテレスの感情』を、プラトン側も認知していたのだと思います。
が、プラトンは折れなかったし、アリストテレスは完全に『イデア論』の一部を、否定しきる事が出来ませんでした。
『イデア論』の『根源はこの世界の外側、上の世界にある』の発想ですが……アリストテレスなりに検証した所、彼はこのような結論に達しています。
「あらゆる物や生物、物質の生まれを遡っていくと……最終的に『概念』に行き着く。すべての『始まり』は物質ではなく……概念的、抽象的な『何か』が根源である」と。
――この文言、ある作品群……いえ、ある会社の作品に親しんだ人ならピンとくるでしょう。すべての始まりの混沌。始まりの一は、この世の物ではなく未知のモノ――作品の言葉を借りるなら『根源の渦』と呼称されるモノです。
古代ギリシャの哲学者たちは、この概念に辿りついていた。アレは……現実にも『在る』と思います。現実への観察を積み重ねたが為に、アリストテレスもこれだけは否定できなかった。
ですが、アリストテレスの知への探求や、プラトンとの論争で得た知識は無駄ではなかった。その評判を耳にして、ある手紙がアリストテレスに届く事になります。
差出人は『アレクサンダー二世』――彼の息子にして、後に大帝国を築く王『アレクサンダー三世』の家庭教師をしてほしいと、アリストテレスに書簡を送ったのです。