姉上の華麗なる離婚話〜一途を添えて〜
短編集にまとめておきます
誤字脱字、変なところがあれば教えていただければ……
注意!不妊描写があります、ご注意願います
楽しんでくれたら嬉しいです
2022/09/13 誤字報告適用しました。本当にありがとうございます!
栗色の腰まである長い髪と可愛らしい顔立ち、そして嫌でも目に入る青く美しい瞳を持った女性が首を傾げた。
「わたくし、別に貴方の事は愛してはいなくてよ?」
階段の踊り場から玄関ホールを見下ろしている彼女は我が一族の主。名前はケイテ。
裾が地面に着くのを極端に嫌い、公の場以外は膝丈よりもほんの少しだけ丈が長いワンピースを好んでいる彼女は、茶会も開かず、基本的に領地に引きこもっている。屋敷内の人間や領民以外には会う事は滅多にないのであまり問題はない為か、本日もその格好をしていた。杖としても使用している白い日傘は今日は背後のメイドが手に持っている。今年の春に三十になったのだが少女のような純粋さを持ちながらも実年齢の妖艶さを醸し出すちぐはぐな人。
対する見下ろされているのは美しい顔をした男性、ロドヴィコ。金色の髪と翠の瞳が特徴的な彼女の旦那に当たる人物。この家より家格は落ちるが国内の伯爵家で五本の指に入る家柄の元次男坊だが学もなければ運動もあまり得意ではない義兄。それでも唯一社交だけが取柄であった彼は、他人と交流することが得意ではない当主に丁度良いと自分を売り込み彼女は承諾。侯爵家の婿に入る事が出来たのはそういった理由があった。そしてその腕にしな垂れてみせる妖艶な女性は旦那の愛人という名の浮気相手。残念ながら名前は知らない。
「う、嘘を言え!事あるごとに愛していると言い寄って来ていたではないか!」
「えぇ、だってそう言ったら貴方様は喜んでわたくしを抱いてくださるでしょう?お互いいい年齢でしたし子どもが欲しかったんですもの。形振り構いませんでしたわ」
「俺を種馬か何かと思っているのか!?いけ好かない、やはり離婚だ。これ以上お前と共にこの屋敷に居ると思うと反吐が出る!」
嫌悪感を隠さずに彼は自身の嫁に文句を吐いた。浮気相手も目に見える嫌悪感が見て取れる。僕も正直なところ苦笑しかでない。何かやらかすとは思っていたが今日このタイミングでか。
だが特に何も思う事がないと言わんばかりに彼女は再び小首を傾げ少し考え込む。
「あら、そうですの。残念ですわ。ちゃんと誠意は持っていたと思っていましたけれど。わたくし、そんなに人としてなっていないかしら?」
ねぇ、どう?と目線を階段を降りてすぐ下、一段目に足をかけている僕を見下ろして問うた。姉との血の繋がりが直ぐに分かる程に似ている顔つきではあるけれど、基本的に僕は母親譲りの垂れ目のせいか少しばかりのんびりしたようなに見える。だが見た目に反し思った事を素直に言葉にしすぎるので側にいると寿命が縮むと社交界での友人に言われることが多い。
この家の長男ではあるが年功序列を基本としている家の為、僕は早々に平民になるかどこかの入り婿となる運命であった。幸運にも受け入れてくれた家があったので喜び勇んで婿入りし、現在は王都の方で居を構え、妻の事業を手伝っている。
「はぁ、姉上は少々過激な『一途さ』がありますから。人としての欠点があるのは不思議ではないかと」
「うふふふふ、相変わらず正直者ですね。愛しい弟。後でチョコレートをあげます。好きでしょう?」
「好んでいますが僕はいつまでも子どもではありません。僕の分は息子や妻に渡してください。喜びます」
「えぇ、愛しい甥に一族では無くても貴方と結婚してくれた愛しの義妹。……一店分でいいかしら?」
「多いです」
チョコレートも、愛も。
「では馬車半分のチョコレートと、そうね、果物と紅茶を贈りましょう。義妹は林檎を好んでいましたね。わたくしの領地で取れた林檎を美味しい美味しいと三つも食べていたこと、昨日の事のように覚えているわ」
「えぇ是非ともそうして下さい。ですが、できれば紅茶はご遠慮させて頂きます」
「あら、義妹はわたくしの仕入れた隣国の紅茶をとても好んでいるのよ?自分で飲むのも、わたくしの嫌いな貴族に少し高く売りつけるのも」
「やはり姉上の仕業でしたか。後者の方はこの間厳重注意しました。前者の方は、妊婦に紅茶は良くないと聞きましたので」
「まぁ!だから今日彼女だけは遊びに来てくれなかったのね。悪阻が酷いの?ではなにか別の物を贈りましょう。紅茶は売ってくれて構わないわ。ばあやであれば適切なものを選んでくれるはずね。以前からそうしていたもの」
穏やかに微笑む姿は心から妻を心配してはいるが、新たな命には嬉しそうで背後の怒りで震えている義兄は既に眼中にないらしい。
そんな空気に耐えきれなかったのは、義兄ではなく浮気相手の方が先だったらしい。悲劇のヒロインが如く床に倒れ伏し、姉上を見上げた。
「奥様!どうか、どうか彼を自由にしてくださいまし!心無いお言葉でどれだけ彼か傷ついているか、私に逃げなければならなかった理由を作られたのは奥様ですのよ!!」
瞳に涙を溜めて訴えている間にこちらをちらちら見るのは止めてほしい。あからさまに次の乗っ取り先を決められているようで頭が痛くなる。
姉上が微笑むことを止めることはない。
「あぁリージー、君は俺を本当の意味で想ってくれている。君があの時声を掛けて来てくれた時から僕は君に夢中さ!他の女なんてもういらない、君だけだよ!!」
「私もよ!傍にいてくれるだけでいいわ……」
抱き合う二人はどこかの舞台のようで物凄く絵になっていた。終盤で悲劇の恋人達がハッピーエンドに向かうようで、反吐が出る。
姉上の眉が少し動いたが微笑ましそうにしている。
そんな姉上が自分を引き留めると思っていたのだろうか。義兄も何度も僕や姉上を見る。何のアクションも起さない事に腹を立てたのか、声高らかに宣言した。
「俺はお前と離婚する!理由はお前からの精神的苦痛、及び私の事業の邪魔をしたことによりお前が有責であるのは一目瞭然。慰謝料を要求する。そうだな、お前が所有する鉱山で手を打ってやろう。それとこの屋敷だ。お前と過ごした憎き屋敷ではあるが、立地もデザインも俺好みだ。不動産として所有しよう」
「……まぁ」
「うわぁ……」
「だがそうなるとお前が宿無しになるな。ならお前はこの屋敷に住み続ける事を許可する。その代わり俺に賃料を払え。そうすれば財産分与は諦めてやる。最後の最後にいい夫でよかったと泣き喚くといい」
「なんてお優しいこと!私、奥様に嫉妬してしまいますわ」
「もう嫉妬する必要すらなくなるさ。俺たちはこんな田舎臭い所もう出て王都で暮らそう。当面の金は手に入ったんだ!」
僕の目には義兄の鼻が高くなっているように見える。鉱山に、この屋敷か。財産をもう既に手に入れた気でいるようでなんておめでたい人なんだろう。そして姉上から微笑みが無くなり、碧眼の色味が強くなり深海のような青色になった瞳が冷えるような視線を放っている事にも気づいていないらしい。
「わたくしの愛しい弟……一緒にお茶の予定でしたが、わたくしは今から書類を何枚か作成しなければならなくなりました。愛しい甥には晩餐……いえ明日の昼食の席で会いましょうと言付けをお願い。では、後を頼みますね」
「……承知致しました」
「準備してくれたお菓子は中庭から客間へ移動して。それとわたくしには紅茶を。銘柄は、そうね……任せるわ。ウルリカのとっておきでお願い」
「はい、お嬢様」
「それからロドヴィコ様、この屋敷は譲渡出来ません。胸にしっかりと刻み込むように。……誰のおかげで今までのうのうと生きて来られたか貴方の低俗な脳では理解できないでしょうがね」
汚泥まみれの下等生物を見ているかのように姉上は冷たい瞳をして階段を上がっていく。背後に控えていた姉上付きのメイドのウルリカも一瞬だけ穢らわしい物を見たかの様な視線を向け去っていく。どうやら執務室ではなく自室に向かうようだ。確かに執務室にはない書類が姉上の自室に厳重に保管されている。今回はそれを使うのだろう。
ギャーギャー喚く義兄、否、元義兄は姉上では話が通じないとやっと分かったらしい。標的をこちらに変え大きな足音を立てながら迫って来たと思ったら肩に手を乗せてくる。首は姉上の上って行った方角を見ていたが、体を元・義兄側に向けていた為自然と向かい合う様になってしまっている。浮気相手も側に寄って来て上目遣いをしてくる。やめてほしい。
「クリス!!貴様は長男でありながらこの家を、侯爵家を継ぐことが出来ないことが腹立たしいとは思わないのか!?あんな女に良い様に使われて、本来ならばお前が継ぐはずだ!」
姉上が無視するなら僕に野心を持たせた上、侯爵を乗っ取らせ謝礼金という名の金銭をふんだくる事に路線を変更したらしい。諦めが早いことはいい事ではあるが、今回はそれは悪手である。後唾を飛ばさないで欲しい。
「口に気をつけろロドヴィコ。姉上から捨てられたお前などもう離婚したも同じ。爵位も無い平民が僕に意見なんて自分の状況を本当に理解できていないらしい。こんな男が姉上の婿だったなんて残念な男だ。慕っていた昔の僕を殴ってやりたい」
「お前、何を!、っっっ!!!」
まさか僕からこんな台詞が出るとは思っていなかったらしい。だが腐っても伯爵家の元次男。ご不満があったらしいが話が進まないので今回は口を噤んで頂く。僕は人差し指を立て自分の口元に持っていく。これだけで魔法が発動してくれるのだから本当に不思議なものだ。彼自身も抗おうと必死に魔力を回しもがいでいるようであるがそれは無駄な足掻きだ。
「驚いたか?当たり前だ。僕は今の今までお前には魔法を使う所を見せたことすらなかったし、こんな事が無ければ見せることも無かっただろう。そういえばお前はよく社交界で僕を『魔力なしの長男』と蔑んですんでいたんだったかな。まぁ些細な事であるし、事実僕の魔力量はコップ一杯分にも満たない。だからその魔力を薄く薄く引き伸ばしやっとの思いで使えるようになったのが『任意の人物の口を閉ざすこと』だけだ。お前の方が魔力量が多いのに解くことが出来ないのは単純に魔道具に頼っているから」
元義兄は突き刺すように睨みつける。今にも飛びかかって来そうなので慈悲として一応知らせておく。
「今この瞬間もう一つの魔道具も発動させた。僕を害そうとするとその分しっぺ返しになるから。痛いのは嫌いだろ、お互いに。ま、それはいいとして」
「な、なんですか!?」
ちらりと浮気相手を見れば脅える様に震えつつもどこか僕に媚びる様にしている。この女はこうやって数多くの男を渡り歩いていたのだろう。慣れているように見える。
「僕は一人しか口を閉ざすことが出来ない。できるだけ大人しく黙っておけ」
「っっっ!」
姉上を真似て睨めば自然と口を閉じてくれる。素直か。
「まず慰謝料についてはこちらは払う義務は発生しない。この屋敷を明け渡す事も無ければ鉱山も譲らない」
「……それは、随分とふざけていらっしゃいますね」
「早速口を開くか……まぁいい。僕は当然の事を言ったまで。精神的というよりも肉体的苦痛は、姉上のほうが貴方に与えられただろうさ。あの姉上が何年か前から妻に相談をしていてな。お前と寝る日に限って驚くぐらい早くに眠ってしまうとね。おかげで営みができないと悩んでいたんだ」
「……っ…………!!」
少し顔色が青くなる。こんな事如きで表情を変えるなんて本当に貴族の男なのだろうか。
「原因はすぐに分かったよ。というかそれしか考えられなかった。姉上はらしくもなく考えつくことができない程追い込まれていた様だったね」
本当に簡単な事。彼が婿入りした際に実家から連れてきた従僕が、ベッドに入る前に淹れたハーブティー、の中に入っていた睡眠薬のせいだ。強力な効き目ではあるが遅効性故計算されて飲まされていたとのこと。そして運悪く、その睡眠薬は効果と対をなすような酷い副作用をもたらしていた。
「その睡眠薬を知らずに服用し続けて、その弊害にあってしまった。……姉上にもう子どもは見込めない。医者にも言われてしまったよ。僕の妻なんて一縷の望みにかけて伝手を使って王族の侍医を引っ張って来るぐらいだったけど、ダメだった。姉上の落胆も強かったけど妻がもうこの世の終わりの様に泣いてしまってね。逆に姉上が妻を慰めていたぐらいだよ」
姉上の膝の上で号泣する妻にオロオロするばかりの姉上には正直に言ってびっくりした。僕はこんなにも人間らしい姉上を見たのは初めてだったから。
そして残念なことにこの男は気がついていない様だが、その日以来一度も夜の音沙汰もなければ『愛している』の一言もないということに。
「だから逆に此方から訴えさせてもらうよ。この家の当主に薬を長期の間盛り続け子を望めない身体にしたこと」
「そ、そんな!そんなものロドヴィコ様が指示したなんて証拠ないじゃない!言いがかりです!!」
浮気相手に賛同する様に頭を振り続ける元義兄。確かに従僕が勝手にやった事と言えばどうとでもなるか。
「じゃあ次だ。事業の邪魔、だったか?というか僕もつい最近までお前が何か商売をしようとしていたなんて知らなかったよ。まぁ随分と外道な事だったらしいけど」
「勝手な事言わないで!この領地を盛り上げようと、仕事の無い人に出来そうな仕事を斡旋しただけ。確かに奥様の裏方のような仕事ではあるけれど立派な事よ!」
「聞くだけなら誇らしい仕事だよな。何個かあったけど一番目を引いたのは、夫に先立たれた未亡人に事故により障害が残ってしまった人。子どもを養えない親、裏路地の孤児それに、他所の領地から教会に送られて来た何かしら問題を持っていた元貴族。『仕事を斡旋』したと言ったが行方不明になっていたな。その全体の八割が女性だった。……何処にやった?」
「…………」
「答えは奴隷商人。この国は奴隷は違法だ。他国に売り付けさせたか、法の目を掻い潜っているこの国の貴族に売り渡したか。ああ、言わなくていい。両方なんだろう?ちなみにだがお前が売り渡した人達は保護している。だがこの国ならまだしも、他国で既に売買されていた者達は行方が掴めない。姉上は憂いていらしたが奴隷商人に貴族達もとっくに捕まっているから見つかるのも時間の問題だろう。捕まった奴らは、人間を奴隷として売買する奴らだ。叩けば別の埃も出てきたからそっちの罪を優先的に罰している最中さ。お前は運が悪いなとしか思っていなかったようだがな」
次に売りつける予定だったであろう子ども達も姉上の私兵が既に発見、保護しており今は無事に親元に帰されている。
「他にも姉上がお前に任せていたいくつかの麦畑、観光地、それと国王陛下より命令されていた王都からこの領地を繋ぐ交通整備の資金や携わってくれる者たちの給金。納めるべき税諸々、随分と横領していたようだな。あぁ安心しろ。横領となる前に支払うべき税は事前に姉上が支払っているし、未払いになるところであった給金も渡してある。資金はもとよりお前が摘むと分かっていたそうだ。だからもとより資金は別の責任者達に渡してある。お前が貰っていたお金は、そうだな……姉上からの臨時のお小遣いといったところか」
「っ、っ、!!……!!」
今度は顔を真っ赤にして怒っているようだ。地に落ちているプライドでも今以上に汚れればそれなりに憤慨するらしい。今にも僕に飛び掛かって来そうである。
「お前の事業の邪魔をした、そうだな、うん合っている。だが世論は一体どちらの味方をするんだろうな。領地を盛り上げると綺麗事を口にして非人道的な行動で私腹を肥やす旦那に、その邪魔をして正義を成した嫁。子どもでも分かることだな。因みに此方が訴える間もなく人身売買だけでお前は刑罰が確定している。税は姉上が正しく納めていたと言っても、国王陛下は今回の事は相当お冠だからな」
「そ、そんな……!」
浮気相手も体の力が抜けるように、へたり込む。それでも自分は助けて欲しいと言わんばかりに僕に媚びようとする視線を投げつけるのを見ると、良くも悪くも強かな女らしい。
「そしてその浮気相手について。表面上じゃ分からないだろうけど、姉上はそれに大層怒っていらっしゃる。ああ、勘違いしないで欲しい。あくまでその女の事だけ。他の女は別に良いらしい」
「他の、女?」
「知らないで付き合っていたのか?そいつにはお前の他に五人の愛人がいるんだよ。これでも減った方であと何人いたかな?片手では数えられなかったはずだけど」
「……なんですって!!」
驚きのあまり硬直する女に、頭をこれでもかと言わんばかりに横に振る男。『他の女なんてもういらない』って姉上の事だけだと思っていたらしい。どんだけ都合のいい頭だ。
「じゃあこれは知っていたか?減った愛人たちは子どもが出来たって理由で市井に放たれた。可哀そうにな、金品一つ渡されずに放たれたんだ。死んだっておかしくない」
真っ青になる男は口をパクパクとさせている。残念ながら読唇術は会得していないので何を言っているかは分からない
「言っておくが姉上はお前の愛人の事もご存じだ。そして認めている。お前が確認を怠った身元もしっかり確認しているし、愛人もそれを承知の上でお前と関係を持っていた」
「何よそれ、そんなの知らない……」
「お前が捨てた母子は姉上ご自身が保護している。母親は育児が落ち着けば就労場所を与える予定。福利厚生もしっかりとしているから今後も暮らしていけるだろう。勿論子どもは母親と一緒だ。姉上が後見人となっているから学校にも行ける。才能があれば高等教育も受けさせても良いと言っていた。望むなら侯爵家の縁戚に奉公に行くことも、出来が良ければ養子になることも可能だろう」
侯爵という高い地位に婿に入った男の血を継いだ子どもなど、本来なら冷遇、否、殺されてもおかしくないのに、よくもまぁ生かせるものだ。
「一番上の子どもはもう六つだったか。母親は運良く農夫の男と結婚して、今は親子三人、仲良く農園で林檎を作って暮らしている。地頭がいいらしく姉上から贈られていた本を何冊も読んでいたよ。このままいけば学校に入ったらいい成績を取る事が出来るだろうから、母親も御当主様には感謝しかないと言っていたね」
「……!!」
思っていた以上の高待遇に驚いているようで目を白黒させている二人。
僕もここまでする必要はないと思うのだが、姉上は決めたことは何か特別な事がない限りは絶対に覆す事はない。
「愛人を何人も侍らせておいてその維持費は何処から捻出していたんだろうね。十中八九、横領金だろう。そんな事を含め、お前は慰謝料を要求出来ないし、逆に此方から要求させて頂く。お前に払えずともご実家に内容証明を送らせてもらおう。軽く本一冊分の内容さ」
自身の負けを確信してしまったのか、腰を抜かしたかのように尻もちをつく元義兄に呆れる。元とはいえ貴族の矜持というものは本当に持ち合わせていなかったらしい。
さて、最後の仕事をするとしよう。
「……我が姉上は今まさにその手の書類関係を王宮へ送ろうとしている間際なのだが、お前達はどうするのが正解だと思う?」
「っ!!!!」
よろよろと立ち上がった元義兄は力を振り絞って階段を駆け上って行く。浮気女もポカンとしていたがすぐにその後を追って行った。
最後の最後まで何かやらかすらしい。姉上が後日にっこりと深い笑みで事後処理を頼んでくる姿が頭に浮かんだ。胃が痛い……。
「本当にお粗末な者だな。さよならロドヴィコ。悲惨で瑣末な末路だけど、良い旅路を」
もう二度とお目にかかる事はないだろう。
□
僕と息子の乗る馬車で姉上からの土産を持って実家から王都の自宅へ帰れば、妻が元気に玄関から現れた。その背後から嗜めるメイドが二人。大方仕事へ向かおうとする妻を引き留めようとしているのだろう。今日も我が家は賑やかで良い。
「あらお帰りなさい、クリス、クロード。御当主様はお元気だった?」
「母さん!ただいま!」
「ただいま。ああ、君が来ていないと落胆していたけど、事情を話したら納得してくれたし喜んでくれたよ。後ろの馬車を用意してくれたぐらいさ」
「え?えっ、えっ!!何これギッチリ色々と……林檎も!?私領地の林檎は蜜がたっぷりあって大好きよ!!」
喜んでくれたようで何よりである。
「ごとーしゅ様は母さんの為にお布団持って来るって!」
「え?」
「近々姉上は登城しなければならないから、ついでに顔を見に来るらしい。その時に領地で開発中のアヒルの羽毛を使った布団を持ってくるって」
開発中とはいいつつ既に王家や高位貴族の間では取引がある布団である。そんなものが我が家、子爵家にくるらしい。目を点にする妻の顔は面白い。
「また手紙を出すそうだよ」
「本当!?やだどうしよう!御当主様がいらっしゃるなら色々と予定組み直さないと。何時頃かは決まってる?」
当たり障りのない話をしながら妻を家の中へ誘導していく。メイドたちもホッとした様に家の中に。息子は疲れたのか部屋に戻り昼寝をするとのこと。確かに今日は昼の間には着く様に朝早くに立ち寄った村を出立して来ている。疲れは溜まるだろう。
「で、実際のところはどうだったの?」
夫婦の部屋で二人きり。執事もメイドも席を外してもらっている。
「当初の予定通り姉上と義兄のいざこざに巻き込まれて、説明役に徹して、後処理の手配をしていた怒涛の三日間だった」
「当事者のケイテも大変だっただろうけど貴方も貴方ね。お疲れ様」
元よりこれが実家に帰省した理由であった。多分この日位に何かが起きるから帰って手伝ってほしい旨をまさか行商人経由で伝えてくるとは。信頼している行商人だとしても、怖いものなしとは姉上の事を言うと思う。本当に止めて頂きたい。
だが、まさか帰省初日に修羅場が待っているとは。息子がお菓子に夢中だった事をいいことに客室に置いてきて良かった。あの修羅場は少々早いし、刺激が強すぎる。
「それで、愛人の事実は本当に知らなかったの?」
「ああ。姉上と愛人たちは互いに関係を認めている事だけは伝えたけれど、それ以上の事はこの先も知らない方が彼の為だ。僕からの最後の慈悲って奴だよ」
「本当に、ある意味豪胆というか策士というか。どちらにせよ、この事実は永遠に闇に葬った方が良いと思うわ。ケイテの為にも、生まれ落ちた子ども達の為にも」
あの男も知らない、愛人達に関するもう一つの真実。
今まで愛人として侍らせていた者達は全て姉上が認めた者、というのは少々違う。姉上自らが選別した者達である。家庭に事情があったり、没落してしまったり、明日食べるパンが無いと困っていた、薄くとも侯爵家の傍系の血を継ぐ者達で集められた契約者達。
当初姉上は元義兄に面と向かってあてがおうとしていたが流石に止めさせた。プライドだけは高い男なので素直に愛人にするとは考えられない。なので女性達は偶然を装って元義兄の前に現れ見事愛人としての地位を得た。勿論だが双方(この場合姉上と愛人)の合意の上だ。月に給金が出るし、場合によっては仕送りとして直接家庭に送金もしてくれる。避妊はするがもし子どもが出来れば姉上自ら後見人となり母子の生命は保証される。
だがあの女は違う。姉上の目の届かないところから連れてこられて来ていた、正真正銘の浮気女だ。侯爵家の血が一滴すら入っていない、『赤の他人』である。その為姉上は顔には出さずとも激怒した。侯爵家の血が入っていない女が自身の所有物を奪おうとする事に。
「私だったら、そうね、私の親類縁者が貴方と関係を持ったら迷わず貴方と相手を殺す」
「そんな日は絶対に来ない、君だけを愛しているのだから。……姉上は、侯爵家の血が入っている者達は皆自分自身であるって思っているからな。なんというか、度を超えた自己愛?ナルシシズムが入っている?」
「言葉にするのが難しいわね。あの子やっぱどこか私達とは違うのよね。見てる世界が違うというか、生きてる世界ごと違うというか」
窓の外の景色を見る。王都に構えている家なので通りには沢山の貴族や平民達が行きかっている。笑って泣いて日々の営みを享受している姿は輝かしい。その姿を見るたびに自身と妻に貴族として課される責任を実感してしまう。
「それ以外にもクロードが君に林檎を採ってあげたいと言ってね。農園に視察も兼ねてちょっと」
「どうだった?」
「件の子と相性が良さそうだった。頭もいいし両親や姉上からの了承も取ったからこのままいけばクロード付きの従者になってくれそう」
途中から採るのを止めて二人で広い農園を駆け回っていた姿を思い出す。息子は無邪気だったが、元義兄の愛人の子は追いかけながらも息子の事を気にかけていた。今までの環境がそうさせているのもしれないが一人っ子の割に既に他人を気にすることが出来るらしい。
「クロードの件は喜ばしいけど、ケイテは……?」
「あの人は何一つ変わらず。いざこざの次の日もいつもと変わらない顔だった。まぁ、流石に姉上の食事内容は野菜とスープ中心だったけどね」
「……それでクリス、話は変わるけど、どうするの?貴方は爵位は絶対に継がないって言ってこの子爵家に来てくれたんだけど、侯爵家の為に、貴方が継ぐの?それともクロードかお腹の子を養子に出すつもり?」
やはりそこが一番気にかかるところらしい。妻の顔には絶対に僕とは別れないし子どもも渡さないという強い意志も感じる。やはり僕と妻は同じ気持ちであることに喜びを隠しきれない。
「しないよ。僕は兎も角、少なくとも子ども達が望まない限りは。それに姉上も無理矢理養子にしようなんて思わないよ。あの人は一族の悲しむ顔が一番嫌いなんだ」
「そう……分かっていたことだけど、本当にケイテは家の事が一番ね。昔、一年だけ同じ学園に通っていたけれど、そのときから話の内容は貴方と領地の事ばかりだった」
「そのおかげで僕は君に会えたけど」
「そうね。あの時の衝撃は今も忘れられないわ。でもね、それを許しちゃって行動に移すぐらいに貴方や領地が心の底から大好きなんだなーって」
「……『大好き』って言葉じゃ足りないくらいだよ、本当に」
幼少期、姉上と過ごしていた時からどこか浮世離れしていた人だった。
昔からそうだったわけではないけれど、実家に長年仕える老執事が言うには、前侯爵である母が亡くなってから顕著になったと。富も権力も己自身も、利用できるものは利用する。全ては侯爵家を次世代に繋げる為に。
「あの人は狂っている程愛しているのさ。あの侯爵家、いや『ノイマン家』を」
全ては姉上の計画通り。だけど一体いつからがその『計画』だったのだろう。愚鈍な弟は残念ながら姉上の手の中ではただの駒でしかいられないらしい。
□
「わたくしはわたくしなりに彼のことは好いていたの。でも言葉が届かないって寂しい事ね。利害を優先した罰……ウルリックはどう思うかしら」
「御当主様のお言葉通りかと」
「……貴方の悪いところはわたくしの言葉を全て肯定するところね。ウルリカは間違っていたらしっかり反論してくれるのに。さて、お目覚めですねロドヴィコ様、ご気分はいかがかしら。貴方の元妻、ケイテ・ブランディーヌ・ノイマンですよ。あぁ答えられないのは分かっていますわ。椅子に縛り付けたのはわたくしの指示です。貴方が私の部屋に許可無しに入って来られたのでウルリックが貴方の鳩尾に拳をプレゼントをした事は覚えていらして?ノックと言う概念を知らないからそうなったのです。反省してください。そういえば猿轡って意外と痛いでしょう。口が裂けるような感覚、いたしません?ウルリカにそうするように縛り上げてもらいましたから。上手いものでしょう?」
「お褒めの言葉嬉しいです、お嬢様!」
「貴方はいつまでたってもわたくしを『お嬢様』と呼びますね。わたくし、もうそんな歳ではないのよ」
「お嬢様は見た目よりお若いのですから。ですのでいつまでも『お嬢様』と呼ばせてくださいませ!」
「ふふっ、逆にこちらが褒められているわね。あらごめんなさい、ロドヴィコ様を仲間外れにする気はなかったのですよ?ちょっとこちらで話に花が咲いてしまっただけ」
「御当主様、椅子をご用意いたしております。お掛け下さい」
「ふわふわのクッションもご用意しております!」
「ありがとう、では失礼するわね。……さて、ロドヴィコ様、今貴方が置かれている状況は分かりますか?簡潔に説明するならば罪人に与えられたモラトリアム期間、でしょうか。本来なら貴方は王都の留置所に連行され、裁判を受けます。そして刑を執行される。嗚呼、安心してください、貴方に無実という救いは存在しておりません。でも国王陛下は貴方に時間を使う事が勿体ないとの事です。貴方の御実家の現当主である貴方の兄君も、貴方に関する全ての方々が一切の関係を持ちたくないと。わたくし、予てより陛下から書状を頂いているの。貴方の事よ。ここから貴方を移動する費用が面倒なんですって。だからもうここで済ませる様にって。片付けるこちらの身にもなってほしいものです。分からない?ロドヴィコ様、貴方は今日この場で死んでいただきたく存じます。ウルリカ」
「はい、お嬢様。こちらを」
「ありがとう。ウルリカ、奥の部屋からここにお連れして。でも貴方の心優しい妹君はわたくしに嘆願してくれたのです。……せめて楽な死を、と。送ってきて下さったのは自害用の毒、それも貴重品です。昔、魔王が部下が苦しまずに死ねるようにと自害用に作ったとかなんとか。毒を作る事に魔王の慈悲があるかはさておき、眠るように死ぬことが出来る、『白雪の毒』。本当にお優しい妹君ですね。わたくし、貴方の兄君は嫌いでしたが妹君は気に入っていたのですよ。例えば……幼い頃貴方方兄弟に虐待されたため一生残る傷を負い、縁談に支障をきたしていたので、わたくしの親戚で信頼のおける伯爵に嫁がせるぐらいには。あら、初めて聞きました?」
「御当主様、それは内密にとのお話でした」
「あらごめんなさい。でもいいわよね……だってもうこれまでの命なのだから」
「それもそうですね」
「でもどうしましょう。陛下からは死んでしまった無垢な国民達が安寧の眠りを出来る様にと書状の隅に書かれていましたの。この『白雪の毒』を使えば貴方は眠るように死にに逝けるけれど、死んでしまった民はどうなるのかしら。絶対に心穏やかに神々の元に行くことが出来ないと思うのです。ならウルリック、どうしたらいいかしら」
「この場で惨たらしく殺してしまうのはどうでしょうか。亡くなってしまったこの地の民たちは等しく玩具のように拷問されたり凌辱されたり。あまりにも惨い有様でした。同じように拷問し、その後首を刎ね晒せばよいかと」
「迷いどころね。正直苦手なんです、この手の処理は。あまりにも血を流せば私の気分がわるくなります。死体も弔う必要はないからと既に受け取り拒否されていますし、困ったものです」
「お嬢様、お連れ、というより持ってきました」
「早かったわね。ロドヴィコ様そんなにも目を見開いて……もうお分かりですね。えぇ貴方の愛人で浮気相手です。たった数時間でこんなにやつれてしまって。何をしたか気になりますか?肉体的拷問は加減が分からないから得意ではないけれど、精神的拷問は得意なんです。わたくしの瞳。魔眼もどきでちょっと幻を見せたのですよ。死んでしまった民達がその身に受けた仕打ちを。『痛い』も『苦しい』も『怒り』も死ぬ間際に解放される感覚を。わたくしたちが確認している百三人の救えなかった命の、捕まってから売られ死んでいく瞬間を先ほどまで体験して頂いていたんです。……可哀想に、でもわたくし貴方のこと少し尊敬しますわ。こんなにもボロボロなのに、貴方は生の執着から離れようとしない。死にたくない、生きてわたくしに一泡吹かせる……ですか?図太いですね、でもそこがいい」
「お嬢様、あと一時間程で日が昇ります」
「いけない、手早く致しましょう。少しでも寝ないとクリスが私のこと心配しますからね。とりあえず、彼女から。ウルリカ、口を開けて差し上げなさい」
「承知致しました」
「貴方のその精神、最期にわたくしのお気に入りになりました。よって慈悲を差し上げましょう。お飲みなさいな、『白雪の毒』を……」
「ガッ、カハッ……アアアアアアアアア!!!!!!」
「やっぱり、これ『白雪の毒』ではなかったわね。見るからに『怨嗟の毒』かしら?口も喉も臓器も焼けるように痛くて苦しいわね。ふふふふ、ロドヴィコ様、貴方の妹君はわたくしが思っている以上に貴方のことお恨みになっていらっしゃるのね!」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!ぐる、じ、ごろじ、で!!!!」
「えぇいいわ。殺して差し上げます。ウルリック、傘を」
「お抜き致しましょうか?」
「抜いてわたくしに手渡して頂戴。ロドヴィコ様には内緒だったのですが、この日傘は剣を仕込んでいるのです。ノイマンの魔力に呼応して抜けるようになっているんですよ。……えぇ、このウルリックもウルリカも薄くはありますがノイマンの血族。だから抜くことができます。……さてお待たせしましたね。今殺して差し上げます」
「……心臓をひと突き。お見事でございます」
「さすがお嬢様!」
「押さえてくれてありがとうウルリカ。慈悲が慈悲とはならなかったお詫びに貴方はわたくしが弔って差し上げます。共同墓地ですが許して下さいね。それではロドヴィコ様……あらあら、粗相をして。お子様ですわね、緊張されています?ご安心下さい。そうだ、わたくし今思いつきました!やっぱり死ぬなら愛する方と同じように死にたいと思うのではないかしら!ねぇ!ウルリック!」
「御当主様はお優しいお方です。そこまでこの男に恩情を与えるとは」
「うーん、お嬢様、それは人それぞれという奴では……ま、いっか!」
「うふふふふ、ですから名も聞けなかった彼女と同じように『怨嗟の毒』を用いることに致します。でもわたくしは貴方を弔う気はありませんので死体は獣にでも食べさせましょう。大丈夫、森の奥の方に行けば獣の巣があります。寒くなり始めると人を襲うこともあるので処理に困っていたのです。冬に我が領地に観光に来て下さる方も少なくは無いので。妹君が贈られた『怨嗟の毒』。その毒は貴方の身体を蝕み死んでもなおその身に残り続ける。その肉を口にすれば、獣もただでは済まないでしょう。ご安心なさって!『怨嗟の毒』にも解毒方法はあります。この方にも、その魔物にも同じように解毒しましょう。誤って誰かが魔物の肉を口にしても絶対に死なせないようにしなくてはいけませんからね。……さぁロドヴィコ様、最後の最期で領民たち、ひいてはこの国の民たちの役に立つ事、大いに喜びなさい」
ケイテはその後再婚せずにノイマン家を盛り立て続けます。
一応再婚の話が王家から来ますが自身の不妊を理由に首を縦に振る事はありませんでした。
弟、クリス一家にいろいろと貢ぎつつ……結果、クリスの孫に当たる人物が侯爵を継ぎます。
彼女の三代後がメリナのお父さんになります。
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