第四十二話「分かってはいたけど」
第四十二話「分かってはいたけど」
足を釣った俺は、プールサイドで体育座りをし、みんなが楽しくはしゃいでいるのを眺めていた。
宇和島先輩と黒木さんが肺活量勝負と素潜りの時間を競い、城戸と須山さんがまったりと泳いでいる。
「サークー君」
ぼんやりみんなを眺めている俺の背後から加美川先輩の声がかかる。
それと同時にピタリと俺の頬へ冷たいものが当てられ、俺は驚き「びゃぁっ」っと素っ頓狂な声がでてしまった。
(な、なんだ!?)
防衛本能が働いたのだろう、やられた頬に手を当てると、よく冷えたペットボトルがそこにはあった。
「先輩、驚かせないでくださいよ」
「大会の時のお返しよ」
加美川先輩はクスクス笑いながら、俺の頬からペットボトルを離し、改めてこちらに渡してきた。
「ありがとうございます」
俺は加美川先輩からペットボトルを受け取り、蓋を開け、口をつける。
冷たい水が喉を通る。
吹き出しそうだったいろんなものが胃の中に収まっていく。
どこかで読んだ『尋問する相手には水を与えてはいけない。なぜなら物を飲む行為は心理的に言葉を飲みこむことにつながるからだ』と言う話を思い出した。
(あれは本当だったんだな)
実感し、ほうと一息つく。
あのバグのような体調は一旦落ち着いたようだ。
「隣、座っていいかしら」
「え、はい」
そんな俺の様子を見ていた加美川先輩は、なにを思ったのか、俺の右隣にタオルを敷き、その上に俺と同じように体育座りで座った。
少し距離が近い。
触ろう思えば彼女の髪に触れる程度には。
「足の具合どう?」
こちらを向く加美川先輩と目があった。
じっと見ていたつもりじゃないが、彼女を見ていたことを隠したくて、俺は少し慌てた。
「いや、まだ、違和感はありますけど、歩くぐらいなら大丈夫です」
俺は面目ないと誤魔化すように笑おうした。
うまく笑えているだろうか。
よく分からない。
俺の言葉に加美川先輩は「よかった」と肩の力を抜いて息を吐き、その後、丸まった背中を伸ばすように腕を天井に向けて持ち上げ、体を伸ばした。
しばらく二人で、プールで遊んでいるみんなの様子をみる。
宇和島先輩と城戸がクロールで競い合い、須山さんと黒木さんはどこから持ってきたのか、ビニールのボールでバレーのようなことを始めている。
室内プールは音が響いたが、人が少ないためか静寂の中に水の音や、はしゃぐ声が切り取られて置かれている。
ゲームでいうところのBGMがなく、その上で効果音ががなる演出のようだと俺は足を抱えたままボンヤリとその光景を眺めていた。
「ねえ、サク君」
加美川先輩の声。ちらりと隣に視界を向けると、先輩は、彼らを見ながら、膝を抱え、どこか遠くを見るような表情をしていた。
「私ね。君にお礼が言いたかったの」
「お礼……ですか?」
「そう、覚えてる? サク君が初めて私の小説を読んだ時のこと」
「覚えてますよ。小説読んで泣いたのあれが初めてだったんですから」
忘れるわけがない。
先輩と出会って、後を追いかけ、たどり着いた文芸部。
入部を希望するなり、突然、印刷された紙が飛んできて、読まされて、そこに書かれた物語に泣かされた。
誰も死なない、みんな幸せになる話だった。
あの時からフィクションを探すのやめて、フィクションを作る人になろうと俺はそう決めたのだ。
「あの話を書くまで私、バッドエンドばかり書いてたの。読み手を傷つけるような後味の悪いものや不条理な物ばかり」
初耳だった。
王道のような恋愛小説をメインに手広くいろんな作品を書いているものだとばかり思っていた。
実際に加美川先輩はそう思わせるだけの数を執筆している。
「思えば文章で読み手を泣かせたら勝ちとか、小さいことに囚われていたんだと思う」
「加美川先輩にもそんな時期があったんですね」
「サク君は目下進行中じゃないの」
「次回からキャラクターは大切にするつもりですよ。色々勉強になることもありましたし」
先輩が「本当かしら」と疑いのまなざしでこちらを見てくる。
今、真正面から彼女の顔を見てしまうと先ほどの二の舞になりそうで、俺は視線をそらした。
彼女はどんな表情をしているのだろう。
ため息が聞こえ、先輩また顔をプールに向けたようだ。
「……あの話は、本当気まぐれで書いたのよ。たまにはバッドエンド以外も書いてみようかなと思って書いたのがあの作品。サク君に読んでもらったらボロボロ泣いちゃうんだものびっくりしたわ」
「あの時は俺もビックリしました。まさか言葉だけで涙がでるとは思いませんでしたよ」
「でも、それで分かったの。これもいいんだって。バッドエンドを書き続けてたら一生、分からなかったかもしれない」
ガラスの向こうにある海を見ているのだろうか。それとももっと先の何かを見ているのだろうか。
俺は先輩の視線の先を追ってみたが、あるのはやはり海だけだった。
「悲しみだけが人の心に残るわけではない。それに気がつかせてくれたサク君には本当に感謝している」
「そんなとんでもーー」
俺は加美川先輩の言葉に返そうと、隣の彼女へ振り向き、言葉を飲んだ。
彼女はこちらに顔を向け、柔らかく微笑んでいた。
いつか見た夢を追う人の表情だった。
「ありがとう」
そういって先輩は立ち上がった。
ガラス越しの海を背景に佇む先輩は、誰も止めなかければ、今にでもあのガラスを超えて文章の海へと行ってしまいそうだと、あまりうまくないたとえが頭をよぎった。
分かっている。その海に出なければ先輩は自分の夢を叶えられないのだ。
――俺がその邪魔をしてはいけない。
「サク君、そろそろ入らない?」
一度、こちらを振り向き、加美川先輩は一緒に来ないかと訪ねてくる。
俺は目をゆっくり瞑り視界を一度閉じた。
軽く手を振って俺なら大丈夫と言い聞かせる。
「もう少し休んでからにします。水、ご馳走様です。ありがとうございました」
ふとTRPGの判定の話が頭を過った。
どんな絶望的な判定でもクリティカルが出れば成功できる。
確率は十分の一だ。振ってみればいい。案外出るかもしれない。
(できるわけないじゃないか……)
ああ、そうか、よくわかった。
ーー俺はただダイスを振る勇気がなかったのだ。
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