第三十四話「夏休み プロローグ」
第三十四話「夏休み プロローグ」
俺は部室から窓の外を眺めた。
夏らしく馬鹿でかい雲が遠目で見える。
(終業式が終わってこれから夏休みか)
彼女ができたり、別れたり、シティアドベンチャーに挑戦したり、失敗したり、加美川先輩が野球部員に告白されたり、俺がジャンピング土下座告白したり。
思い返せば、TRPGに関わってから、何かとイベント続きである。
だからだろうか何事もなく夏休みに入れることに俺はぼやっと平和を享受し惚けていた。
キャンペーンの続きは夏休みに入ってからということになり、八月の頭に黒木さんたち演劇部の予選、中ごろにプール、終わりにTRPGのセッションをするために集まろうという話でスケジュールはまとまった。
実家への帰省やら、予備校やら、黒木さんたち演劇部に至っては予選が始まるまで学校に通い続け劇の最終調整を行うらしい。
そう夏のスケジュールを思い出しつつ、俺は意識を現実に戻した。
ここは文芸部部室、いつものように長机の先には加美川先輩。
彼女は部室のノートパソコンを開き、緩く結んだ三つ編みをくるくるいじりながら、何かを読んでいた。
「……落ちたわ」
そう呟き、パイプ機椅子に体を預け、天井をみあげる加美川先輩。
自然と胸が張り、強調される。俺はなんだか見ているのは悪いと目を逸らした。最近の先輩は少し無防備な気がする。
頬杖をつきながらゆっくりと、あくまで自然を装いつつ、視界から先輩を外ずし、壁を見る。
壁に貼り付けてあったポスターが目に止まった。
『山水鳥社小説大賞 締め切り5月30日、一次審査7月20日、二次審査8月20日、大賞発表9月10日』
(まさかな?)
前回二次審査を超えた先輩のことだから流石にそれはないだろう。
となると、「落ちた」とはなんだろうと俺は考えを巡らせる。
ヒントはネットで確認でき、落ちるとがっかりするもの、そして夏。
そうか、わかったぞ。
俺は壁から視界を動かさず、先輩に声をかけた。
「サマージャンボ宝くじでも買ったんですか?」
「どこからその発想になったの。教えてもらいたいわ」
体を戻しながら先輩は言う。
物凄い呆れた声だ。
俺は自分の推理を披露した。
「サマージャンボ宝くじは夏特有のもの、宝くじは高校生でも買え、外れるとがっかりする。そして当選番号はネットで確認できる」
「とんだ見当違いよ。落ちたのは大賞の話。……今回はダメだったみたいね」
はぁぁと大きくため息をつく先輩。四月から二ヶ月間、物凄い戦いだったが、その結果がこれならば落ち込むだろう。
本当、怒涛の二か月だった。
あの光景は、はっきりと思い出せる。
エナジードリンクとコーヒーが床に散乱し、鬼気迫る勢いで恋愛小説を書きあげていく加美川先輩。言うなればあの時の先輩は小説修羅とも言うべき存在だった。
あのまま放っておいたら先輩倒れていたんじゃないだろうか……。
(だけれども、俺が邪魔になってしまったのだろうか)
そんな忙しい時期ではあったが、色々と作業前に馬鹿みたいな話をしたり、今書いている文の書き方がわからない場所を教えてもらったり、俺の小説の添削や校正も手伝ってもらった。
その時間を先輩が自分のことに使えていたらもっといいものが書けていたかもしれない。
加美川先輩なら何とかなっていると、俺は勝手に決めつけていたのだ。
後悔と罪悪感が体の中でごった返す。
俺は先輩の夢を邪魔してしまったのだと。
「えっと……」
俺はなんと言っていいのか先輩にかける言葉を探す。
謝罪する、励ます、笑いを取って誤魔化す。
その全てが、間違いな気がして一度却下し、俺は言葉を選んで先輩に声をかけた。
「それで、次は何を書くんですか?」
消去法で、言葉を探してそれしか出てこなかった。
加美川先輩は目を瞬かせたあと、ニコリと笑う。
あ、やばい、絶対地雷踏んだ。
いつの間にか右手には類語辞典、左手には広辞苑、文芸部二大武器ブックを手に、先輩は立ち上がった。
「サク君、それは傷心している先輩にかける言葉かしら?」
「いや、めちゃくちゃ笑顔じゃないですか! 待って、類語辞典は待ってくだ――うおおい!」
飛んできた類語辞典を椅子から転げ落ちつつ、回避する。
床の上を一回転し、膝をつき右腕は床につき体を支えて、左腕は広げポーズを決める。気分は緊急回避を成功させたアイアンマンだ。
が、そこにすかさず飛んでくる広辞苑。
「それは洒落にならないヤツーー!」
直撃した、物凄く痛かった。
当たったところがおでこで、本の面の部分だったのは幸運だと言っていいだろう。
ただ予想以上の衝撃に俺はアイアンマンのポーズのままひっくり返った。
(何もそんなに怒るらなくても)
その後俺はネチネチとデリカシーについて先輩から講義を受けた。
加美川先輩に、涙を流しそうになるほど怒られたが、いつもの調子になってもらえて少しホッともした。
その後、俺たちは各々の文化祭で発表する会誌の準備などを進めた。
窓に茜色が流れ込んできた頃、今日の部活動はここまでということになり、俺と先輩は部室を出ることにした。
「それじゃあ、サク君これを」
部室を出て、珍しく部室に鍵をかけた加美川先輩から、今しがた使ったばかりの鍵を手渡される。
受け取った鍵は先輩の熱を吸ったのか少し暖かった。
「部室の鍵、どうして?」
「次期部長にそろそろ引継ぎよ」
「俺が、部長、ですか?」
不相応な肩書を渡され、思わず疑問の言葉が飛び出る。
それと同時に自覚した。
ああ、そうか。
来年はもう一緒ではないのだ。
それどころか、三年生は夏休みが終わりしばらくしたら自由登校に切り変わる。
それが最後。きっとその後は卒業式まで先輩とは会えなくなってしまう。
(まあ、それが普通なわけだけど)
寂しさなのだろうか。
なんだか力が上手く入らず、無理やり鍵を握ってしまい手が震える。
加美川先輩はそんな俺を見て何を思ったのかニコリと笑った。
「今から緊張していたら、三年になったときに体持たないわよ」
「はは、そうですね」
貰った鍵をポケットにねじ込む。
ふと頭の中で後何回こんなやり取りができるのだろうかと計算している俺がいた。
何故、そんなことを考えたのかはわからない。
きっと分かってしまうと俺はもう先輩と会えなくなってしまうから。
夏休みはもう始まってしまった。




