7、説明してよ
喜六君と買い物に出掛けた翌日の事である。
寝坊したのか朝イチの授業に遅刻してきた彼はいつもより元気がないように見えた。
気にはなったものの普段以上によく眠る彼を起こす気にはなれず、理由を聞けぬまま一日を過ごしてしまった。
そして放課後、たまたま教師に呼び出されて残っていた私は思わぬ事態に遭遇する。
「もう知らないって言ってるでしょ! 放っておいてくれるかしら!?」
「えー、でも……」
「もう二度と話しかけないで!」
ひと気の少ない階段の下にて、まさかの修羅場である。
それだけでも結構な衝撃なのに、よりにもよってその一人が喜六君とはこれ如何に。
予想外すぎて我が目と耳を疑った。
とりあえずバレないように息を殺して物陰に身を潜めとこう。
今すぐ姿を消せる魔法薬が欲しい。
「……なんでそんな事言うの?」
いつもより若干低い声の喜六君が女の子に一歩近付く。
何があったか知らないけれど、ブチ切れてる女子にそんな態度取ったら──と心配した瞬間だった。
「寄らないで!」
バチン!
響き渡る平手打ちの音。
「話しかけられても無視するから!」という言葉を吐き捨て、彼女は去って行った。
ひぇぇ……
彼女の去った方を見つめたまま呆然と立ち尽くす喜六君の姿が見ていられず、私はそっとその場から離れた。
◇
「はぁ……」
「ラズリー、今日ため息多くない?」
翌日になっても二人の会話が頭から離れない。
困ったものである。
「おはよう喜六君」
「……おはよー」
やはり彼も元気がない……気がする。
昨日の彼女は見た事がある子だった。
同じ一年生で特進クラスの特待生。
名前は確か、ヒュベルダさん? だったかな。
儚い系の美人で優しく、絵に描いたような高嶺の花の優等生と評判の子だ。
そんな彼女がなぜ普通科クラスで平均以下をキープし続ける喜六君と修羅場ってたんだ。
ハッ!
あれか。
世に聞く平凡男子と美人幼馴染みってやつか。
気心知れてるっぽかったし、十分あり得る。
「はぁ……」
というか何で私が落ち込んでいるんだ。
余計な事で悩んでないで授業に集中しよう──
そう姿勢を正した私は今更になって異変に気が付いた。
「嘘……」
現在、クソつまらないと評判の古代史の授業中。
喜六君が……起きていた。
他の生徒達もチラチラと様子を窺う程に珍しい光景である。
一体どうしちゃったんだ喜六君。
思い当たるのは昨日の喧嘩しかない。
きっと彼女に嫌われた事と叩かれた事が尾を引いて、今頃どうやって仲直りしようかと悩んでいるのだろう。
彼が眠れない程思い詰めるなんて相当だ。
ハラハラしながら見守ること数時間。
喜六君はお昼休みになるまで一睡もしないで授業を受けていた。
これは一刻も早く何とかしないと寝不足で倒れてしまうかもしれない。
「あの、喜六君……」
「あー、リーアヤードさん。良かったらお昼いーい?」
「えっ!? あ、うん!」
お昼を一緒に食べようって事だろう。
いつもなら嬉しい筈のお誘いなのに、今は胸がモヤモヤする。
本当は例の彼女とお昼休みを過ごしたかったのかな、なんて嫌な考えが頭をよぎる。
「えーと、喜六君、元気ないようだけど何かあった?」
「んー、ちょっとねぇ……リーアヤードさんも元気ないねー。何かあったぁ?」
「わ、私は何も……」
「そっかぁー」
話が弾まない。
中庭のベンチに並んで黙々とお弁当を食べる悲しい図の出来上がりである。
寝ぼけながら食べるという喜六君の奇行も見られない。
いや、常識的に考えればそれが普通なんだけど。
「眠れないの?」
随分と早く食べ終えてしまい、気まずさのあまり少しだけ踏み込んだ事を聞いてしまった。
彼は少し考えてから静かに首を横に振る。
「今は寝たくないんだー」
「っ、何で?」
気になるけど聞きたくない。
もし「彼女の事で悩んでるから」なんて言われたら──
「……喧嘩しちゃってねー……イライラしすぎて、気持ち悪くてさぁ。今寝たら絶対嫌な夢を見るから寝たくないんだぁ」
「そう……」
やっぱり、あの喧嘩した彼女の事で悩んでたのか。
「その内仲直りしたいけど、僕もまだ腹立ってるし……思い出すだけで本当ムカつくんだー……こんな気分じゃ相手ブチのめす夢しか見れないよー」
そうか、夢に見る程、ってちょっと待って。
「ニ、喜六君? なんか今、君らしからぬ不穏な発言が聞こえた気がするんだけど?」
「そう? 割りとよくあるよー……きょーだい喧嘩なんてそんなもんでしょー?」
「え? 兄弟喧嘩?」
「そー。中々起きなかったのは悪かったけどさぁ、遅刻したの全部僕のせいにするのは違うと思うんだよねー。火魔法で枕燃やすのもやり過ぎだしさぁ」
あれれーっ、何か思ってたのと違う話になってる!
行き場を無くした私のモヤモヤはさておき、不機嫌に顔を顰めながら目を擦る彼は睡魔と戦闘中のようだ。
「んー、やっぱ眠い。寝たくないけど、寝たい……」
「ジレンマが凄いね」
とはいえ私に出来る事は何もない。
そう思ったけど、ふと閃いてしまった。
「あのさ、やっぱり少し寝てみたら? 嫌な夢見て魘されてたら私が起こしてあげるよ」
今日は天気も良いし、昼休みはまだ三十分も残っている。
私にしては名案じゃないか。
喜六君は重たい瞼をどうにか開いて私を見た。
「……いーの?」
「良いよ。昼休み終わる頃には起こすから安心してね」
いつも隣で寝ているくせに、今更何を遠慮してるんだか。
「ありがとー……じゃあ寝るねおやすみぃ……」
「は!? え、ちょっ!」
右肩にズシリと重みがかかり、それが何かを理解するより早く変な声が出てしまった。
え、何で喜六君てば私の肩に頭乗せてるの!?
ベストポジションを探しているのか数回グリグリされるが、こちとら身動き一つ出来ない状況である。
フワフワの癖毛が頬にかかって擽ったい。
「ちょ、ニコ、」
「……すぅ……すぅ……」
早い。知ってた。
お日様のような匂いがする気がするのも、かつてない近さの寝顔も、何もかもが私の胸をかき乱す。
心臓の音で喜六君が起きてしまうのではと不安になる程だ。
まぁあれだけ長く起きてた訳だし、絶対起きないだろうけど。
あどけない寝顔が実に憎たらしい。
「(ひぇぇ~!)」
このまま三十分とか拷問だろうか。
極力小さな声で悲鳴を上げる位は許されて良い筈だ。