第4輪 花の支配者からの贈り物
「よい。私だ」
扉が開くとほぼ同時に、今度はピュナとフェリフェとは正反対の低く迫力のある男性の声が響く。
その声と、応対しなくてもいいと言われた事により、僕はそれ以上の事はしなかった。
「あ! おかえり。父さん」
現れた人の名はグラルシ・ヒーツ。
僕の父さんであり、ここの店主だ。
相変わらず細身で背はすらりと高く、厳格な顔つき。前よりも口ヒゲの長さは長くなった。
そしてどの季節でも変わる事のない、黒のマントを羽織っている。
季節感がないと一度言ったことがあるのだが、どの季節でも通用するのだから、ある意味季節感があると言える……と、謎の返答をされて以来、つっこんではいない。というかもうその時点で、堂々巡りが確定しているし。
いまだ現役かつ前線で活躍する花樹士であり、フロレシアの中で最も有名な花樹士として君臨している。
最近の仕事内容では、恋人へのアプローチ花束サービス{別料金で父さん直筆のレターが付く}という余計なものが増えた。
それ目当てのお客様はほぼいないけど世界中の人が、昔と変わらず父さんを頼ってここにくる。
確か、家を出ていったのは深夜だった気がするんだけど……。
仕事を一切断らず、世界を転々としているから、この人は分身しているんじゃないかと本気で思っていた時期があった。
……今でも、少し思っている。
そんな父さんは植物のことを、植物よりも知っている。
そのため僕が花樹士を目指している間に「花の支配者」とまで呼ばれるようになった。
と、そんな大それた称号を持っているけど、別に支配とか本気で考えるような人ではない。
自分の行動は『全ての花が笑って咲く世界』という目標の為だと言い切る、優しい人なのだ。
僕もその考えに共感して、背中を追いかけ頑張ってきたんだ。
「グラルシさん。こんにちは!」
「おじゃましてます! グラルシ様」
「ただいま。ピュナ君にフェリフェ君。いらっしゃい」
被っていたシルクハットを取り、マントを翻してドアを閉め、父さんはこちらに向かって歩いてくる。
不思議と花達が父さんに向かって頭を下げているようにみえる。
「ふむ。花とは違う良い香りがすると思えば……。これはすごいな。フェリフェ君が作ったものかい?」
「全く。そこに座っっている息子と同じで、最初に私とは言わないんですね!」
父さんはクッキーを見ながら、フェリフェに聞いた。
はなからピュナが作った可能性を全否定してきた事に、すかさずピュナが食らいつく。
支配者にすら恐れず向かうこの態度こそ、支配者なんじゃないだろうか。
「はっはっは。先日、カナリアから聞いたのだよ。またうちの子が鍋を焦がした、くたばれってね」
「げー。確かに盛大に焦がしたけど、そこまで言わなくてもいいじゃんね……。それにそれをご近所さんに言わなくても、いいじゃんね……」
父さんが笑いながらいう事にピュナはすぐに返す。
内容はかなり危ない事を言っているが、やっぱりコミカルに聞こえる。
「でも、ご近所さんに響く程、爆発させる時もありますし……」
「皆まで言わないでよ! 最近は上手くなったんだし! だから、こうしてクッキー焼けたでしょ!」
父さんは大笑いしているけど、それとは裏腹にピュナはふてくされていた。
実の母にくたばれと言われるとは、どれだけ焦がしているんだよ……。
確かにフェリフェの言う通り、時々ボーン!とお祭りでもないのに花火のような音が真昼間から鳴る時がある。
平和の所だから、多分周りの人も「カナリアさんの雑貨屋は、今日も景気が良いな」くらいの気持ちで見守っていることだろう。
「でもね、グラルシさん。聞いてください。今回はちゃんと自分でキッチンに立って、フローゼ様のために、作ったんです。本当です」
「ほう……?」
「でも半分以上、私が手伝ってますけどね。もはや半分以上やってますから、私が作ったのかも?」
「うーるーさーいー!!」
「……なんていうか、お前たちはいつも通りだよな」
こういう掛け合いも、日常になりつつある。
僕も父さんも、自然と笑みが浮かんだ。
「今日も平和だな、フロレシアは」
「父さん。この二人を平和の指標にするの、そろそろやめない?」
「いいではないか。世界は均衡を保つ。この二人がここで小さく争うことで、世界のどこかに小さな平和が訪れている……かもしれん。そう考えるようにしたら、この声量にも耳が慣れてきた」
「あぁ、父さんも苦労してるんだね」
まぁスケールが大きすぎる上に意味は分からないけど。
父さんは頭が良すぎて、詩的な言い回しになる時があるのが玉にキズだ。
しかしこの空間に限って言えば、和やかであると言える。
「さて、このクッキーが用意されている意味を、私もまず口にしないとな。誕生日おめでとう、フローゼ」
「おぉ、ありがとう。父さん。いつも誕生日をあんな風に言うから、祝ってくれるなんて驚きだよ」
「その見方は変わってない。それにお前が花樹士の勉強をし始めた事、仕事が忙しかった事、色々重なり満足に祝えない年ばかりだったからな。だが、今年は絶対に祝いたい年なのだ」
父さんは少し申し訳ないと頭を下げる。
花屋の仕事の忙しさは、僕も良く分かっている。長い間、ここにいないことも多々ある。
僕は主に、このお店でしか今は活動していないけど、父さんはフロレシア中を駆け巡っている。
花樹士ならば仕方ないこと。それがこうしてここにいるということは、時間を作ってくれた証拠だ。
そう、父さんは大事な時は必ず来てくれる。
そして、今年は必ずという父さんの決意は、僕も感じるところがあった。
「今年で、お前も18。これで、フロレシアで成人と認められる歳となった」
「うん!」
僕は力強く頷いた。
そう、今日から僕は世間から成人として扱われる。
……とはいえ、昨日までの自分と今日の自分の違いは、全く分からないけど。
しかし、決まりとしては色々制約がとれるようで、例えば、大人の同伴なしで街の外にでて、別の国に行くことが出来るようになるのだ。
仕事で外に出る際、これからは僕一人でも遠方の仕事ができるようになる。
他にも、出来る事が増えたと思うと、大きな変化の始まりの日なのだ。
「中身はまだまだ子供だけどね」
「そうかもしれないけど、お前にだけは絶対言われたくないぞ」
「え!?」
「え!?」
ピュナは僕の言葉を聞いて、目を丸くする。その拍子に少しクッキーのかけらをお皿の上に落とす。
そんな驚くことじゃないだろう……。
同い年で共に育ってきて、悪いが一度でも自分がピュナより子供だと思ったことはない。
「カナリアから18歳児って言われているそうじゃないか」
「そうです、そうです」
「あわわわ。なんでお母さん、全部グラルシさんに話しているのよ……」
父さんのまた意外なアシストが、ピュナを慌てさせる。
近所だし、お得意様でもあり、そして仕事上の取引相手でもあるから、むしろ情報が入ってこない方が珍しいと思うけど、そんな事まで話しているんだな。
僕もびっくり。
その情報のせいで、ここまでちっとも威張れていないのが面白かった。
「まぁ、冗談はさておき、二人とも本当に立派になったものだよ」
「納得いかないわね……。この気持ち、どう晴らすべきかしら」
ピュナは鼻の上に、これでもかってくらいにシワを寄せる。
こんだけ不満をいいつつも、カナリアさんや父さんの前では無力なのが、悲しいところだな。
「さて、フローゼ。その記念に渡したいものがあるんだ」
「おぉ! プレゼントですね!!」
フェリフェが手と叩き、嬉しそうに言った。
実を言うと、これまで父さんから誕生日プレゼントをもらったことはない。
もちろん忙しかったというのもあるけど、僕も特に何か物を求めたこともないのだ。
他の人からみればおかしいと思うかもしれないけど、花樹士としての充実した日々が、何よりの贈り物。
そう、思っている。
父さんがいなければ、花樹士にはなれなかったし。
逆に何がもらえるのか。期待が膨れ上がっていく。
「わー、なんでしょう! すごく気になる!」
「ちなみに今年の私は、お母さんから『カナリア様の肩を叩ける権利書』をもらったわ。もちろんその場で破いてやったけどね」
「期待しているとこに、そんな話をするなよ……」
「そうですよ!! そんなこと言って『カナリア様の肩を叩ける権利書』がまた出てきたら、どうするんですか!」
「最悪だなそれ。多分、僕も破り捨てるかも」
何度でも蘇る肩叩き権利書に、未知の恐怖を覚えるわ。
せめて、父さんの肩を叩く権利だよな……それでもちょっと誕生日にもらうのはちょっと嫌だけど。
普段の感謝があったとしても?……うん、嫌だな。
「安心しろ。流石にそれを渡すくらいなら、仕事を優先してる。私だってそんな暇じゃあない」
カナリアさんと父さんの仲を考えれば、何か仕組まれて渡してくるというのは、ないと言い切れない。
とりあえず肩たたきは否定してくれたので不安は解消される。
父さんはリビングの端に置いてある棚に向かう。
そして、その棚の一番上の引き出しを引こうと手を伸ばした。
「そこは……」
「うむ。あの日以来絶対に開けてはいけない。そう、約束したな」
取っ手の所が白い薔薇をあしらったリボンで軽い封印が施されている引き出し。
そうあの日……僕が将来を両親に誓った日。その、数日後だった。
最初の頃こそ、中身が気になっていたと思うが、その感覚を忘れるくらいには年月が経っていた。
そこにずっと、成人の記念を入れていたのかと思うと感慨深い。
約束した時の好奇心に負けて、開けなくて良かった。
父さんは解いたリボンをシャツのポケットに大切にしまうと、引き出しから一枚の封筒を取り出した。
それは時の流れを感じさせないほど白く美しいもので、ただの紙でないことが遠目からでも分かった。
「それは一体……?」
「中を見てみなさい」
父さんから封筒をとレターナイフを受け取り、僕は慎重に封をはがす。
よく見ると、金で葉っぱやツルの模様が描かれ、封もかなりしっかりしている。
緊張で少し指が震える。
まさか……父さんはああ言ったけど『カナリア様以下略』が入っているなんてことは。
恐る恐る、中を取り出すと、半分に折られた一枚の便箋のようなものが入っていた。
これも高級感が溢れ、手触りがいい。
正直、この紙と封筒のセットがプレゼントでも喜べる。
「なんて書いてあるんだろう……」
僕はそっと、便箋を広げる。
ピュナとフェリフェは、僕の背中から覗き込んでいる。
便箋にはこう書かれていた。
『貴殿をサンデラの花霊士に推薦する。推薦者ミュリ・ヒーツ。推薦者後継カナリア・エイシス。グラルシ・ヒーツ』