プロローグ 偉大な父と母
空を見上げればどこまでも澄んだ青が広がる。
きらめく太陽の輝きはそれはそれは美しく、周りの風景をきらびやかに飾る。
雲が浮いてるのも、どこか楽しそうに見える。
地上に目をやれば、外周を高々に生える木々に囲まれ、内は鮮やかな緑の絨毯を一面に敷いた自然豊かな広場がある。その草が風に吹かれて優しく揺らぐ姿に、心地よさを感じた。
そこに大きな輪を描くように大勢の人が並んでいた。
圧倒的な人数ではあるけど、皆それぞれがきちんと整列している。
そのおかげで、敷地の中央は余裕がある。
人々の歓声はすさまじく、音が空気を伝わっているというのを全身で感じるようだった。
大きな波となっている叫びの中には、嬉しさや楽しさが込められている。
それもそのはず。
今日は、僕が暮らすサンデラ国の王様が、60歳になる誕生日なのだ。
サンデラの国花が牡丹ということで、牡丹王と呼ばれ国民に親しまれている。
国全体を上げてのお祝い、そして歳の節目ということもあり、王様の住むお城の敷地が一般開放され、集まった人たちのテンションは最高潮に達しているのだ。
貴重な機会だけに、サンデラだけではなく、おそらく世界各地から人々が集っていることだろう。
僕も無論、そのうちの一人。生まれて以来、最も大きな胸の高鳴りを感じている。
それはもちろん、誕生日立ち会う喜びもあるけど、王様には大変申し訳ないが、それより個人的に楽しみにしている事がある。
まず、僕の大好きな父さんとこの時間を過ごせるという事だ。
今、隣にいる父さんは背が高く細身で、いつも黒い燕尾服をきっちり着て、シルクハットをかぶっている。
おしゃれとしてステッキを持っていて、さらにモノクルをつけている。鼻の下にちょこっと髭を生やしているのが、一番のチャームポイントなんだとか。
見た目は超がつくくらいの紳士だ。
最近は白髪まじりになってきたことを嘆いているけど、同時に年の功が出てきたと喜んでいる。
もちろん、中身もとても尊敬できる。
厳しさと優しさを併せ持つ、自慢の父さんだ。
「ほえー! すごい人だな。こりゃこの場所の使用許可を出してくれた牡丹王に、あとで感謝の気持ちを伝えないといかんな」
父さんは僕には高すぎる位置にある手すりに腕をのせて、身を乗り出しながら言った。
僕らが今いるのは、広場を見渡せるお城のバルコニーだ。
流石はお城の設備といったところ。
僕と父さんしかいないというのもあるがかなり広い。テーブルと椅子、それに白と黄色が交互になったパラソルがいくつも設置され、プランターで仕切られている。
下の広場でも窮屈にはならないけど、満足に式典がみれるかと言えば無理かもしれない。特に僕のようなまだ子供にはきついだろう。
それに比べて、ここは特等席。この日であっても、本来は城の中まで開放されていない。
ではなぜ、僕らはここにいることができるのかというと。
……決して、不法侵入したわけじゃない。
理由の一つ。それは父さんが世界的に有名な『花樹士』であり、その立場上、王様とも繋がりがあるからだ。
花樹士とは草花を育み、必要とする人に提供したり、庭の整備などを請け負う人を指す。もっと単純にいうとお花屋さんだ。
しかしその仕事範囲は多岐にわたり、近所のお庭の剪定から、異性へ花をプレゼントする際の相談というお客様密着のものから、街道や街並みの装飾などの指揮や大口の仕事まで、幅広い活躍が求められる。
この眼下に広がるお城の庭の手入れも、今は父さん一人で請け負っているのだ。
過酷ではあるけど、花樹士を志す人は多い。僕も憧れている。
というのも、この世界『フロレシア』は『ユグドラ』という大樹の力によって創られたという伝説や昔話があるため、植物を慕う文化が根付いている。
まさに、この世界の花形職業なのだ。
しかし、花樹士になるのはとてつもなく険しい。あまりに試験が難しいのだ。
そんな植物を扱うこの仕事は、人格や確かな知識を求められる。
僕には幸い、身近に花樹士がいるからまだ目指しやすい環境にはいるけど、一から始めるとなるとかなり厳しいだろう。
そのため、世界を見渡しても貴重な存在であり、一人が担当する仕事量はかなり多い。
父さんレベルになると世界各地でひっぱりだこになるため、家で満足に過ごせない事が多い、
だから、今日こうして二人で過ごせる時間が、僕にはとても嬉しかった。
こういう日や家族の記念日でないと、父さんは暇を得ないのだから。
「フローゼ、満足に見えるか? ここはゆっくり周りを気にせずに鑑賞できるのはいいが、この柵、無駄に高いからな。本来はここに子供がくることをあまり想定してないゆえ、仕方ないが」
「うーん。なんとか工夫して柱の隙間から見えるんだけど……」
豪華なのは認めるし、こうして大きく建てることが威厳を表すというのもわかる。
でも、ちょっと子供には優しくない。柵を支える柱はきれいな白い石を加工して作られていて、手で触れるととても心地が良い。
それでも石は石。柱を僕は幅を広げようとするも当り前だがびくともしない。
別に状況を把握するのに困りはしないけど、もうちょっと見やすい方法があるなら、それに頼りたかった。
ジャンプすればなんとか柵から目線を出すことができるけど、それでは足がもたない。
父さんは試行錯誤する僕を見て少し笑うと、背後に立った。
「どれ、久々に持ち上げてみるか」
「……わっ!」
父さんは僕の脇から両手を入れて軽々と持ち上げた。
仕事柄、力仕事は多いので、普段から鍛えているのは知っている。
服装や立ち振る舞いが筋肉質にみえないけど、安定感があった。
それでもいきなりだったので、僕は慌てて手足を動かし、手すりを掴もうとした。
父さんがまさかそんなことをすることはありえないけど、ここはお城の3階相当にあたる場所。
高さの恐怖を感じるには十分だ。
「おっと、暴れるな。私ごとおちてしまうだろう?」
「え!?」
まさか僕だけじゃなく、父さんまで落ちるといわれるとは思わず僕はぴたりと動きを止めた。
冷静とまではいかないけど、それから手すりを確実に掴む。
時々、こういう事を言ってくるのが、怖いんだよなぁ……。
「ほうほう。少し重くなったんじゃないか。子の重さは成長している証だな。父さんは嬉しいぞ」
「そ、そうかな」
父さんの微笑みと成長を褒められたことに、僕は少し照れてしまった。
あと、こうして抱っこされるのが、とても嬉しかった。
自分ではどこかもう子供じゃないと生意気な気持ちを持っていたつもりだけど、すんなり喜んでしまうあたりまだまだだと思う。
抱えられながら見る風景は、自分一人で見れる限界だったものとは全然違った。
地平線の彼方、そして大陸の中心にそびえるユグドラの影まで、僕の目に飛び込んでくる。
あまりの雄大さに、この時ばかりは一瞬、周りの声が耳に届く事はなかった。
フロレシアやサンデラの雄大さや植物の美しさを改めて感じる。
それらは思わず呼吸を忘れてしまうほどの驚きだった。
「すごいや……。とてもきれいな風景」
「……だろう。私は大好きなんだ。花や緑が輝くこの世界がな。仕事を通して、様々な国に行っているが、どこもこうして素晴らしい風景だよ。気候の違いで、生える植物も変われば、人々の生活文化も違う。でもそれが個性になって唯一無二の場所になる。巡っていて飽きる事がないぞ」
父さんは饒舌に語った。
僕はまだサンデラから外の世界を知らないけど、父さんは仕事が終わった後、よく世界の事を僕に話してくれる。
それを聞いて、僕は生き生きと生える植物たちと、まだ見ぬ世界を想像することを楽しみの一つにしていた。
今日、その一端を初めて目に見えた気がする。冒険心がくすぐられる感覚。
遠くまで広がる山の先まで、例え体はここから動かせないとしても、僕は思いを巡らせていた。
「私がお前くらいの年の頃は植物の図鑑などを読み込み、空想に浸ったものだ。それが功を奏して花樹士になれたが、まだまだ私の知らない世界や植物がある。だからこそ生きている間に『全ての花が笑って咲く世界』がみたいのさ。どうだ、ワクワクするだろう。もちろんできるなら、この手で全てを世話してみたいんだがね」
全ての花が笑って咲く世界、というのは父さんがいつも語る目標だ。
ユグドラの創造した世界ならば、どこに咲く植物も笑顔であると僕は思う。
しかし父さんは、この身をもって知りたいのだと、語る時の熱量は尋常ではない。太陽かと勘違いするくらいだ。
僕が勉強している時や、庭で遊んでいる時など、隙あらば何かと植物の話題を持ち出し、自分の目標に無理やりつなぎ合わせて来る。正直、やかましいと感じる時もある。
しかし、それを語る父さんはまるで夢溢れる少年のような純粋な目をする。
なかなか叶えるのは難しい壮大な目標だと思うけど、その分僕もロマンを感じる。
今はまだ本の世界でしか知りえない事を、この目で確かめたい。
この血のたぎりは、父さん譲りなのだろうと思う。
「だが……今はお前と自慢の妻ミュリがいるからな。二人と共にし、世話をすることが一番の幸せだ」
「また……。もうやめてよ……誰もいないからいいけどさ。恥ずかしいよ」
「何を恥ずかしい事か。はっはっは!」
急な話の転換に、上げていた目線をを伏せざるをえなかった。
折角、ロマンを描いていたのに……!
父さんは完璧な人ではあるけど、唯一の欠点?がこの行き過ぎた家族愛だ。
いつでもどこでも母さんに対してラブ全開なのだ。
最初こそ仲が良い親でいいなと思っていたけど、だんだんと恥ずかしさの方が勝ってきている。
特に母さんの事は、そろそろ人前や外ではやめて欲しいと思う。
しかし、本人は全く気にしない。それどころか、年々余計に見せつけてくるまである。
「それに、どちらかというと、世話されているのは父さんでしょ」
「むっ。それは聞きずてならんな。この際、はっきり言っておくが……」
やばい!
つい本音を言ってしまった。
一家の生活は母さんが一手に引き受けている。
それは変えられない事実であり、父さんもその部分に関しては頭が上がらない。
それでも妙にプライドが高い父さんは、よく引っかかってくる。
はぁ、結構ネチネチ言ってくるんだよなぁ。
こんな清々しい気候なのに、ハエトリグサにおちたハエになった気分になってしまう。
「そ、そうだ。もう少ししたら母さん出て来るかな……」
僕は慌てて楽しみにしていたもう一つへ誘導する事にした。
それは、今回の式典の栄えある開会宣言を母さんが担当している事だ。
僕らがここにいる一番の理由である。
「……おぉ。そうだったな」
父さんの思考もそれが一番優先されるようで、僕への問い詰めをすぐにやめた。
この役目に母さんが推薦された時は、決まった本人が緊張すると言っている横で、僕と父さんは両手を広げて喜んでいた。
『きっと、お父さんの活躍の影響で、私が推薦されちゃったじゃないの! バカバカ!』と母さんがあたりちらしたのに対して父さんは、
『花樹士にできるありとあらゆる手練手管を利用し、その姿を目に焼き付ける!』と、聞く耳を一切持たなかったのは、なかなかの反応と言えよう。
このやり取りからは想像できないが、改めて考えてみると、父さんも母さんも僕にとって偉大な人たち。いや、こんな大役を任せられたり、活躍があったりするのだから世界から見てもそうなのだろう。
息子として、世間や家族からかかるプレッシャーを少なからず感じる時はある。
でも、それ以上に今は憧れの気持ちが強い。
僕は早く見たい一心で、広場に向かって左へ右へと首を動かした。
「大丈夫。ぬかりないぞ。もうすぐだ」
父さんはポケットから懐中時計を取り出し、時刻を確認する。
母さんからのプレゼントらしく、かなり古いものなのだが、傷一つないうえに、眩しいほど磨かれている。
文字盤に描かれている絵は、二本の薔薇が互いの茎を絡めながら、12時と6時の方向にそれぞれ花を咲かせているもの。
この部分は色があせてきてしまっている。
12時の方を向いているのは白だと分かるが、もう片方は薄い黒になっている。かすかに元の色が残っているような感じで濃い色……見る角度によっては赤や青の可能性があるような含みがあった。
総じて装飾の美しいものである。
人からもらった物を大切にするのは大切だけど、背景を嫌というほど知っているとなんとも言えないけど。
「あっ! ほらほら、あれ! 母さんじゃないかな!」
しばらくして、お城の方から広場に向かってゆっくりと歩く女性の姿が見えた。
白を基調としスカートやリボンの部分に所々黄色が使われているドレスを身にまとい、足元がスカートの部分で隠れているのもあって、まるで浮いているかのような優雅な足取り。
そして腰まで伸びる金髪を包むような白いベールは風を受けて舞う。まるで花嫁のようだ。
その神秘的な雰囲気に一瞬、近寄りがたいというか、人ならざるものというか、不思議な印象を覚える。
本来の母さんは気さくで、そんな雰囲気を一切まとっていない人なので、偽物かと思ってしまった。
しかし、その女性は広場の中心に行く前に、僕らの方へ振り返ってくれる。
その顔は間違いなく優しい母さんだった。
微笑みながら、僕に向かって手を振ってくれる。
「わー! 母さんだ! 頑張ってーー!!」
僕も高い場所にいることを忘れて、思いっきり手を振った。
少しでも大げさに振って、母さんに喜びを伝えたい一心だった。
「ミュリ! 綺麗だぞー!」
父さんも母さんへエールを送る。
それに対して母さんは、舌を出して不満そうな顔をしている。
よっぽど父さんが、ここにのうのうとしているのが気に食わないのだろう。
気持ちは痛いほど分かる。
「見たか、あの態度。相当緊張してるんだな。可愛い奴め」
「あれをそう思えるなんて、ほんと幸せ者だよね……」
母さんの必死の抵抗も、父さんには無力だった。
確かに緊張はしているだろうけどさ。
母さんはそれでも最後は笑って気を取り直し、広場の中心に向かう。
こういう所が、父さんツボにはまるのかもしれない。
広場に集う人たちの声が、母さんの歩みに合わせて少しずつ静かになっていく。
完全に静寂になると、ここにいても母さんが歩く時に踏む土の音が伝わってくるようだった。
雑踏にまぎれていた緊張を、僕も感じるようになる。
固唾をのんで見守る。
父さんもいつの間にか真剣な顔で、母さんの背中を見つめていた。
「……お集まりの皆様! まもなく牡丹王の生誕祭が始まります。私はこの度、初めて開会前の舞を披露します、ミュリ・ヒーツと申します!」
母さんが広場の中心に到着し挨拶をする。
そしてお辞儀をすると、拍手の波が巻き起こった。
「む、これでは満足に拍手ができんな。フローゼ、私の右手を叩いてくれ。左手でお前の足を持つ」
「わかったよ」
父さんは僕を片手で抱え持ち、右手を僕の左手へ向けた。
それを僕はペチペチと叩いてあげた。
……これで満足ですかね。
「ありがとうございます。毎年、生誕祭前に行われるこの儀式は、サンデラの建国より脈々と受け継がれてきたものでございます。その偉大さに比べれば拙く、そして短い時の舞ではございますが、暫しの時をお楽しみくださいませ」
それから歓声と拍手が止むまで、母さんはそのまま待機していた。
そして、静かになった頃合いに両手を空に掲げた。
「……我が心に咲く一輪の花に命ず。純潔を紡ぐ白の翼を広げ、この地に清浄の加護をもたらさん! 舞い現れよ! 白薔薇の花霊 イヴっ!」
次の瞬間、母さんの手の先に白い光の球が現れる。
最初はボールくらいの大きさだったのが、あっという間に大きくなり辺り一帯を光で包んでしまう。
太陽をみるような眩しさはない。むしろずっと見ていたいと思う優しい光だった。
やがて光が晴れると、母さんの前にもう一人の人影がいた。
空中で膝を抱えながら浮いている。その周りには、白い花びらが羽のようにいくつも舞い散っている。
現れた人は十代後半の少女といった風貌で、髪は真っ白のロング。髪とほぼ同色のノースリーブにミニスカート、背中には大きなリボンがついていて、その布は地面スレスレまで伸びている。
足には白のタイツを履き、ヒールの高い靴。今の母さんに負けないくらいのおしゃれさん。
腰には白銀の鞘を身につけている。
イヴと呼ばれてでてきたその少女は、しばらくしてから足と手を伸ばし、まるで綿のように静かに着地する。
そして周りの雰囲気を一切気にすることなく、母さんへ頭を下げた。
「うむ……何度見ても不思議なものだな」
「……そうだね」
天下の花樹士、植物の事ならどんとこいの父さんすらも不思議と言わせるイヴ。
彼女は母さんが言った通り、花霊と呼ばれる存在だ。
それはフロレシアの植物に宿る精霊みたいなもので、ユグドラが特定の植物に新しく与える命なのだと言われている。
普段はもちろん植物の姿をしているが、人と特別な関係になるとイヴのようになるんだとか。
そして、花霊を従わせる母さんのような人は『花霊士』と呼ばれ、花樹士と並び、フロレシアの人々に称えられている。
イヴが剣をぶらさげていることからわかるように、花霊は戦う術を身につけている。
また、それ以外にも、人には到底マネできない強大な力を秘めている。
それらを活用した活躍は多岐にわたり、日常生活の困ったことを解決したり、都市や街道の安全を守ったり、一般の人ではなかなか相手にできない怪物の素材を取ってきたりと、僕らの生活を支えている。
その性質上、危険な場所に赴く事もあるが、花霊との生活を夢見て志す者は、花樹士同様に多い。
と、ここまでが一般的な常識の範囲。
どうすれば花霊士になることができるかとか、花霊の力の詳しい事とかなど、核心にせまることは、花霊士が認めた人でないと話してはいけないらしく、母さんに聞いても、まだ幼いからねとはぐらかされる。
こっそり父さんが知っている事を色々話してくれるけど、許可なくあまり話しすぎると、父さんすら消されてしまうのだとか。
父さんは自分の専門分野である花樹士について詳しく話してくれる分、比べてしまうと残念に思う。
それでも、こうして栄えある式典の舞を担うなんて、自分の事のように嬉しいのだ。
この役割は最低条件として花霊士でなければならず、さらに王様の推薦を得なければならない。
母さんの実力や、どこまで影響があるかは知らないけど父さんの功績を考えれば、いつ選ばれてもおかしくない状況だった。
それが今回、還暦という一つの大きな節目に初お披露目。
父さんいわく、『フロレシアの秘密兵器』というわけだ。
どういう扱いでも、僕は母さんも尊敬している。
花樹士と花霊士は間違いなく、フロレシアにおける二大巨塔といえよう。
どちらも身内にいる僕の境遇は、自分が牡丹王なるという事に匹敵するレアケースと言えるし、その特別さを大切にしないといけないと思う。
「よし、始まるぞ……。なかなかミュリは人前で力を見せないからな。この特等席で、イヴの力を目に焼き付けておくのだぞ」
自然と手すりを掴む僕の手にも力がこもる。
まばたき一つ許さないと自分に課して、じっと母さんとイヴを見た。
「それでは参ります!」
母さんはそう言って、指を鳴らした。
すると、どこからともなく図鑑くらいの大きさの本が現れ、母さんはそれを左手で掴む。
表紙はイヴや母さんの服装同様に真っ白で、縁には薔薇の茨を模した銀の装飾がついている。
一見、分厚く、重そうに見えるが、母さんは軽々と片手で持ち、もう片方の手を横に払い、一気にページをめくった。
あの本は花霊に指示を出すのに使うものらしい。
風に吹かれているかのようにページはめくられていき、ある所でぴたりと止まった。
すると開かれたそのページから、フリスビーのようなものを一斉に何枚も空中に飛び出した。
十は優に超える数のフリスビーは白と黄色の二色で、飛び交う様子だけでも綺麗なものだった。
それらの軌道はすぐに落ちることなく宙を舞う。
ただ、これだけ大きな広場の中心では、まだ迫力には欠けるかもしれない。
「顕現せよ! 逃げ惑う者の背中を穿つ必中の茨矢達! 『エクスシアフェイルノートッ!』」
その掛け声がかかった瞬間、イヴは鞘から素早く剣を引き抜き、まっすぐ空に掲げた。
白銀の剣が太陽の光を受け、白く輝き始める。
その輝きが膨れ上がると、いくつにも分裂し拡散する。その後、各々フリスビーに向かってものすごい勢いで飛んでいく。その途中で光は矢の形になり、まるで植物の蔓が幾重にも重なっているかのように軌道を描いた。
普通の矢の挙動ではあり得ないような曲線や一度通りすぎてから戻るなどの遊び心を宿し、矢が次々とフリスビーに当たる。
その正確さは圧巻のもので、一つも逃すことなく、全てのフリスビーをいともたやすく撃ち抜いてみせた。
するとそれらは花火ように弾け、白からは白薔薇、黄色からは牡丹の形を象った光の粒が現れる。
ここから見ても大きいと感じるくらい、立派なものだった。
景気のよい音と共に、何も無かった空中に、母さんの花霊とサンデラを象徴する花が咲き誇る。
ここまでほんの十秒ちょっとの出来事。しかし、あまりの情報量の多さに、それよりも長く感じる。
その圧倒的な光景に、しばらくは開いた口が塞がらなかった。
きっと見ている人、全員が同じような態度になっているだろう。
「どうだ、フローゼ」
「……はっ! すごくかっこいいよね」
いけないいけない。父さんに声をかけられるまで、全ての意識がその美しさに奪われていた。
父さんは僕の反応を見て、ただ頷いてくれる。
「それだけではなく、慣れない人前で噛まずに開始から詠唱まで言えるとは。うーむ、噛むことに賭けていたんだが……奴め、緊張してるとかいうのは全部嘘か?」
「……なにしてんのさ」
本当にしょうもないことをしている僕の両親である。
それを聞いた後、母さんの姿をみると、どこか勝ち誇っているように見えなくもない。
歩いてる時は少し縮こまっていたようにも感じたけど、今は堂々と背筋を伸ばして立ち、周りから溢れる大きな歓声に、応えていた。
「皆様。もう少しお付き合いくださいませね!」
母さんの方はどうやらエンジンがかかってきたらしく、ややノリノリになってきた。
いやもしかしたら、本当は緊張していて、限界をこえておかしなことになってるのかもしれないけど。
普段、ませね! なんて言わないんだよね。
イヴの方はあれだけの力を見せつけたにも関わらず、表情一つ変えずに、母さんの指示を待っているようだった。
「おっ! どうした。どうした。緊張するから撃ち抜くやつだけやってすぐ帰るって、昨日泣きわめいていたのに」
「えぇ……そんなの聞かされたら、母さんの威厳が減っちゃうよ」
もちろんそんなことで幻滅はしないが、なんていうかギャップが激しすぎて驚きを隠せない。
続きがあることを父さんは知らなかったみたいで、僕を下ろそうとした動きを中断させる。
でも、これは母さんにとって、父さんに一矢報いたと言えるだろう。
あのいつも一歩先を考えてクールでいる父さんが、ここまで狼狽えるのはなかなか珍しい。
初めからやるつもりだったのか、それとも噛まずにここまでできたからやろうと思ったのかは、分からないけど、どっちにしてもこれから披露するのは母さんの強い覚悟なのだろう。
ならば、しっかり見届けるのが僕の役目だ。
母さんは一呼吸おいたあと、本を胸に抱え、イヴに向かって両手を組み祈るような体勢をとった。
「汝に思い出の空翔る白薔薇の翼を授けん。羽が地に落つる時、その一枚一枚が我が生きた証を刻むだろう。飛翔聖剣技『サンダルフォンマルミアドワーズ!』」
「な、なんだって! あの大技をッ……?」
「ちょいちょい、父さん!! 僕が地に落ちちゃう!」
この超かっこいい{僕と父さん基準の裁定}の詠唱。
僕も父さんも好きなのだけれど、特に父さんのテンションは爆上がりだ。
危うく振り落とされそうになる。
「おっとすまない。私としたことが。ごほん」
「気をつけてよ……。ヒヤヒヤする」
全く、本当に盲目なんだから。
気を取りなおす。
母さんの声に呼応したのはイブの体だ。
一瞬でイヴの背中に純白の翼が生える。その姿は、本物の天使が降臨したといっても過言ではない。まるで一枚の絵画の世界に飛び込んだようだ。
翼を動かすと羽がいくつも飛び散る。白薔薇の翼というだけあって、羽は薔薇の花びらを模していた。
それらはひらひらと舞い落ちて地面についても消えることがなかった。
「おぉ……」
会場もその美しい姿に息を漏らす。
何度か翼を軽く動かした後、イヴは剣を引き抜き、飛びあがった。その速さはすさまじく、あっという間に僕らと同じくらいの高さまで上昇した。
鳥のように自然でありながらも、人型が空を飛ぶという驚異が混在する。
途中、イヴは観客の所まで飛んでいき、手を振ったり、タッチしたりと交流をとりつつ、その上を飛行してみせる。なんともサービス精神旺盛なものだ。
飛んだ跡には、剣筋が残り、煌めく雫のようなものが降り注ぐ。観客たちはそれに手を伸ばして、一瞬の光景を楽しんでいた。
一回り、広場を巡るとイヴはこちらに気づき、真っすぐと飛んできてくれた。
「グラルシ様、フローゼ様。楽しんでくれていますか?」
イヴは優しく問いかける。
顔だちは凛として、そこそこキツめなのだが、声は幼く可愛らしい。
「うん! とても楽しい!」
「それは何よりですわ。あとマスターより、グラルシ様に伝言が。賭けに勝ったので、例のものを買ってこい、と」
「ふっ、心配するな。貴重な花霊の舞をみせてくれたのだ。その謝礼と思えば、悔しくなどない」
「父さん……手が震えているけど?」
「黙るのだ……。否、決して懐の痛いことではない」
なぜかちょっと怒られた。
イヴはそれを聞いて笑い一礼すると、母さんの元に戻っていった。
「もう、素直じゃないんだから」
「わざわざ、勝利宣言を伝えにここまでイヴをよこしてきたんだぞ。これを悔しいと思わずにいられるかっ!」
果てして、そこまで悔しがるほど、何を要求されているのやら。
それよりも、僕は先ほどイヴがいた所に残っている光に興味があった。
僕もそれを両手ですくおうとする。
触れても感触は全くないし、僕の手をすり抜けて消えてしまう。
でも不思議と心が温まる感じがする。例えるなら母さんの温もりだろうか。
消えてしまったことを名残惜しく思いながら、まだ残る光を目で追うと、既にイブは母さんの傍にいた。
「今日が、ここにいる皆様にとって、記憶に刻まれる一日になる事を願って!」
母さんとイヴが揃ってそう言うと、何発もの花火が撃ちあがった。
それに少し遅れる形で、大歓声と拍手が鳴り響く。
僕らもそれに負けないくらい惜しみない声と拍手を送った。
……もちろん父さんの手を叩いてます。
感動のあまり、涙がでそうになる。確かに時間こそ短かったかもしれないけど、夢のような体験だった。
そしてふと、我に返った時、こう思う。
「なんかさ……」
「どうした、フローゼ」
「今日の主役より目立ってない? 大丈夫かなこれ」
今日は牡丹王の誕生日であることを忘れかけるサンデラ民であった。
この記憶の刻まれ方は、間違いなく母さんのイヴのものになる。
そんな気がした。
「問題ない。毎年、これは感動するものなのだよ。これくらいで拗ねるような王ではない……。ないよな?」
「僕はわからないよ。でも、身内ってことを差し引いても、この盛り上がりは衝撃的だよ」
「まぁな。……大丈夫だろう。還暦を迎えてそんな嫉妬をするなど……いや、これが原因で税金上げられる可能性が……? あとで祝い金を増やしておくか……」
そんな心配を他所に、母さんとイヴは観客に向かって丁寧にお辞儀を繰り返した後、歓声を背中に受けながら退場していった。
しかし、会場のボルテージは冷めることはなかった。ここにいる分にはほどよい盛り上がりに聞こえる。
「拗ねていなければこれから10分後に、真の主役の登場だ。気にしてもどうにもならんし、それまではしばらく歓談といこうじゃないか」
父さんはそう言って僕をそっと下ろしてくれる。
僕は近くにあった木の椅子に座る。抱えてもらって助かったけど、その分ちょっと疲れもあり、しっかりと腰を下ろしたかった。
外に置いてあるものなのにも関わらず、柔らかな座り心地。さすがは高級品だ。
父さんはそのまま手すりに体を預け、パイプを取り出した。
「常々悪いとは思っているんだがこうやってゆっくり話せる機会はそうそうないからな」
「いいんだよ。気にしないで」
本音を言えば、寂しい時だってある。
しかし、花樹士の立場は理解しているつもりだし、何より家族の為に務めを果たしてくれている。
その中でも、こうして節目に時間を取ってくれるのだから、責める理由はない。
「ありがとう。お前は優しいな。まだ幼いと思っていたが、身も心も気づかないうちに成長しているんだな。時の流れは早い。この年になると余計にそう感じる。だからこそ、聞いておきたい事がある」
「何? 改まって」
父さんは自分で噴かした煙を見つめながら言った。
「お前は将来、父さんと母さん。どちらのようになりたい?」
「どっちにもなりたい!」
「ごほっ!……予想よりも返答が早いな。もうちょっと悩め、そこは。そういう空気だろう」
父さんにとっては予想外だったらしく、自分で吸った煙でむせている。
この質問に対する答えはもう決まっている。
空気の読めない返答速度だったかもしれないけど、僕に迷う理由がなかった。
「一応、私はどちらかと聞いたのだが……。念のためにもう一回聞くが、どっちかというと?」
「どっちも!」
「そうか……まぁ、そう言ってくるとは思っていたけどな。花樹士にも花霊士にもなりたい。その気持ちを持ってくれている事はとても嬉しいぞ。私たちはちゃんとお前に、立派な背中を見せれたってことだからな」
父さんは僕の頭を優しく撫でてくれる。
僕は決して父さんや母さんに気を使ったわけではない。本心からそう思っている。
父さんと同じ様に、世界を駆け巡って植物に携わる仕事がしたい。
母さんと同じ様に、花霊と一緒に冒険したり世界を支えたりしたい。
その両方ができる、人間になりたい。
良いとこどりかもしれないけど、それが今日までの両親を見て僕が育ててきた将来の夢。
そしてこれからの両親の姿を見ても、その気持ちは揺るがないだろう。
「しかしだ。よく聞くがいい」
父さんは撫でるのをやめると、少し険しい表情になる。
「もしも、この二つを名乗るのであれば、花樹士の訳わからないくらい難しい試験を突破できるだけの才能と頭の回転や商才、花霊士の素質をもつ精神と心の強さ、それらが一つの肉体に宿っていなければならない。この二つを両立した人間は今の所、私の認知する限りフロレシア広しといえどこの世にはいない」
「そ、そんなに難しいの……?」
言われてみれば、父さんも母さんも両方は名乗っていない。
憧れだけで言うには、厳しかったかもしれないと思い始める。
そのせいか、自然と顔が俯きかける。でも、それくらいでは諦められないという気持ちが完全に俯くのを阻止してくれる。
そして目が合った時、父さんは話をつづけた。
「……お前がなりたいと言ったことの難易度を分かりやすく説明してやろう。植木鉢を一つ頭に思い浮かべるんだ。浮かべたか?」
「うん」
「まぁ私は実際、頭に植木鉢を持っているんだがな」
父さんはシルクハットを脱ぐと、そこから一つ、シンプルな形状の茶色い植木鉢を取り出した。
頭上に植木鉢を携帯している人に、植木鉢を頭でイメージしろと言われるのは、形容しがたい複雑な気分になる。
「昔は重くて敵わんかったが、今は軽い植木鉢が開発されているから、便利になったものだよ」
「……そういう問題じゃあないよ」
父さんは自分はおかしくないと思っているみたいだけど。真実を知るために他の花樹士に会って確認したかった。
主にオフの父さんといる事が多いせいか、この植木鉢をスペアとして使用しているところを見た事がない。
財布から落とした硬貨が転がってしまった時に、被せていたのは見た事がある。
……そのシルクハットでやれよって思ったのは、内緒だ。
「何を言うか、花樹士を目指すなら、植木鉢はハンカチと同じと思え」
さすがに感覚がズレすぎてるだろとは思いつつ。反抗するとさらにうるさくなりそうなのだで、黙っておくことにする。
「話が少し反れてしまったな」
父さんはそう言って、取り出した植木鉢を僕に渡した。
もちろん土などは入っていないうえに、父さんのいうように本当に軽かった。
それでもこうして植木鉢を抱えると、妙な安心感を覚える。
家に帰れば大量の植木鉢があり、一種のぬいぐるみのように抱いていたものだ。
なんだかんだ、僕もそれなりに染まってしまっているのかもしれない。
「その植木鉢に、これから二種類の花の種を植える。一つは暑い地方で咲く花。もう一つは寒い地方で咲く花だ。どうだろう、一切枯らさずに、同時に美しい大輪の花を咲かさせる事ができるか?」
「うーん、植木鉢が一つだからなぁ。二つだったらそれぞれに植えて、適した環境に分けて育てればいいと思うけど」
「駄目だ。お前の体は分裂せん。お前は一人だろう」
なるほど、植木鉢を人、花霊士と花樹士を花と考えれば、この例え話の意味が見えてくる。
それだけ同時になろうとする事は難しいのだと言いたいのだ。シンプルであるがゆえに、難しい。
僕はしばらく、植木鉢の底を見つめてイメージを続ける。
「熱い場所に持って行けば寒い花は芽すらださず、逆も然り。もし中途半端な温度ならば、一番悲惨だ。両方とも枯れるだろう。さぁ、フローゼ、どう考える?」
そこまでいうと、父さんはまた一服しはじめた。
無理と言うのは簡単だろう。
でもそれだけは口が裂けても言いたくなかった。
しばらく沈黙が続く。
父さんは不敵な笑みを浮かべていた。
くっ……悔しいな。
「いたいた! おーい!」
「あ、母さん!」
悩みに悩み、思考が迷宮に入りそうになった時、そこに光を差しこんでくれるような優しい声が耳に届く。僕はすぐに立ちあがり、植木鉢を持ったまま、声がする方へ駆けて行った。
そこには母さんが、舞を演じた時と同じ姿で、僕を迎えるように両手を広げてくれた。
遠慮なく、僕は母さんに抱き着く。
香水の良い匂いに、柔らかな抱擁。一瞬で僕の心は満たされた。
「ヨシヨシ! 私の可愛いフローゼ。今日の私とイヴの活躍、どうだった?」
「すごく良かった!」
「ふふっ。ありがとう」
母さんは僕の背の高さに合わせて屈み、満面の笑顔で撫でてくれる。
「お疲れ様、ミュリ」
「えぇ。ほんっと、誰かさんのせいでね」
「まだ言うか……」
「冗談よ。でも、イヴからも聞いていると思うけど、賭けの結果だけは忘れないでね。自分でもびっくり、大番狂わせよ。これもフローゼが見ていてくれたおかげかしらね」
「むぅ」
さっきから父さんの問いに悩まされている僕にとっては、母さんの言葉で良い気分になる。
その喜びを隠しきれないせいか、父さんに睨まれる。
それに対して僕はキラッキラの微笑みで応えた。
「ねぇねぇ、イヴは?」
「あれだけの力を使って、しかも大勢の前だったからね。少し休んでいるわ。そっとしておいてあげてね」
母さんは胸に手を当てながら、優しく言った。
「そっか。わかった!」
「ちゃんと感想は伝えておくから」
イヴにも直接一言、労いを言いたかったけど仕方ない。
間近まで飛んできてくれた時には分からなかったけど、あの時でも相当お疲れだったのかもしれない。
「それにしても、なんであなたは植木鉢なんか持ってるの? まぁ、出所はあの人の頭の上からでしょうけど」
「あ! そうだった!」
植木鉢の事を指摘され、思考を巡らせていたのを思い出す。
「聞いてよ母さん。さっき父さんと将来の夢について話してて、僕、父さんのようにも母さんのようにもなりたいって言ったんだ。そしたら、これを渡されて……」
「なるほど……暑い場所の花、寒い場所の花の話ね」
「そう! 母さん、知っているの?」}
母さんは一息ついたあと、父さんの隣に立つ。
そして母さんがチラリと父さんの方を見て、それに父さんは何かを察したようにうなずく。
「……その質問はね昔、この人もある人から受けたものなのよ。あの時は、私との結婚とあなたの花樹士としての目標を同時に達成することを例えていたっけ」
「そうだ。忘れもしないさ。フローゼの悩む姿を見ていたら、若かった私を思い出したよ。私も最初は悩み、お前と同じ考えもしたものさ」
父さんは少し照れくさそうにしていた。
僕はこの質問が父さんのオリジナルだと思っていたけど、まさかの受け売りだったらしい。
と言う事は、頭にマイ植木鉢を持っている父さん以外の人間がいるのかな……。
こんな奇人は一人でいいのに。
「そのままフローゼにぶつけるなんて、よっぽど気に入っていたのね。もしかして、質問文以外もパクったの? 『場所に持って行けばうんたらかんたら』」
「ば、ばか言え! ごほん!」
「ふふっ。必死なんだから。気持ちは分かるわ」
力関係は完全に母さんの方が上なのが良く分かる。
体格では父さんの方が圧倒的に大きいのに、今じゃ母さんよりも小さく見える。
心折られすぎて、少しは可愛そうに思えてきた。
「あまりいじめると拗ねちゃうかしらね。じゃあ褒める所もいってあげましょう。その時、この人が力強く答えた事はね、今でもちゃんと守ってくれているの。立派な花樹士で、私たちの頼れるお父さんでもある。そうでしょう?」
「うん!」
「お、そうかそうか! もっと崇めてもいいぞ」
母さんの問いを否定する理由は全くない。
さっきまで小さかった父さんも、水と肥料を得た植物のように、ぐんぐん大きくなっていく。
あまりに単純構造だとは思うけど、思わず笑ってしまった。
「崇めはしないけどね。でもこの質問は私たちにとって覚悟を示す大事なものなの。だから、もしフローゼが私たちみたいになりたいって想いを込めて、その質問を答えられるなら中途半端にならないって信じられる。私は安心して花霊士にすることを認められるし、花樹士になる事だって絶対叶えられると思う。まだフローゼには早いかもしれないけど……自分の気持ちに素直に向き合ってみて?」
「僕の……気持ち」
僕は母さんの言葉を想いながら、自分の気持ちに向き合ってみる。
もう一度、植木鉢を覗いてみると、鏡のようにもう一人の自分がこちらを見ている気がした。
どちらにもなりたい、これは揺るがない。
しかし、それはまだ憧れでしかなく、知識や行動ではまだ示せない。
そういう意味では中途半端なのかもしれない。
でも、未来はまだ分からない。その中途半端さを乗り越えられる可能性は……ゼロじゃない。
諦めずにできる覚悟はある。
難しいと不可能と同じではないのだから。
目の前に叶えた人がいる。
逆に、この質問を父さんがしてくれたという事は、乗り越える期待を抱いてくれているからかもしれない。
答えは……決まった。
「その表情。ミュリの言葉から感じるものがあったようだな。では、もう一度問う。お前ならどうする?」
「……父さんはこう言った。中途半端な温度ならどちらも枯れるって。それならもしかしたら、どちらも咲くことができる温度があるかもしれない。それを見つけるまで……そして咲いた花をいつまでも大切育てる。僕は絶対に諦めない! だから僕は頑張る。花樹士にも花霊士にもなるんだ!」
気づけば両手の握りしめ、力いっぱい訴えていた。
言葉だけではなく目力や気迫、自分の主張に重みをつけられるようにできるかぎり振り絞った。
それでも心臓の鼓動は大きく鳴り、足は少し震えている。反抗とまでは言わないけど、今まで両親にここまで強く言ったことはなかったからだ。
二人は、そんな僕の小さな主張を聞いて、顔を見合わせる。
そして揃って吹き出し笑った。
「な、なにかおかしかった?」
「いいえ。ごめんなさい。そのポーズや言い方がそっくりで」
「やれやれ、血は争えぬとはよく言うが、こんなとこまで似るものか。末恐ろしいな」
「えぇ……」
基本的に父さんと似ていると言われるのは嬉しいけど、これには嫌な恥ずかしさを感じる。
でも、少しは父さんや母さんに近づけた気がする。
「しかし! 内容は違ったけどな。そこは流石に私の方がスケールが大きかった」
「むっ! じゃあ父さんはなんて言ったのさ」
「それは秘密だっ」
「ケチ!」
「まぁまぁ。お父さん、変な所で張り合わないで。フローゼは自分なりにちゃんと言えたのですからそこは褒めてあげましょ。お母さん、感動しちゃった」
母さんは目に涙を浮かべながら、僕の手を優しく握ってくれた。
その手に僕は父さんと母さんの間に導かれる。
もう片方の手を、父さんは力強く握ってくれた。
三人並んで空を見上げる。
「牡丹王にも将来、いい報告ができるだろうな。お前がいればサンデラ、いや、フロレシアの未来はこの空のように明るい」
「……お父さんは褒め方が絶望的に下手ね」
「聞こえているぞ」
硬い褒め言葉ではあったけど、褒められただけで僕は嬉しかった。
「お前の情熱は伝わったよ。それならば私たちもこれからは本気で色々教えるぞ。朝から晩まで勉強だ! 私の働く姿を見る時も、楽しそうで終わるのではなく、学びとるのだ。覚悟はいいな?」
「も、もちろんだよ!」
これが脅しで済むのならどんなに良い事が。
本当にそういう生活をしないと、花樹士にはなれないだろう。
僕はそれに応えるように、父さんの手を強く握り返した。
「花霊士になる事は一旦置いておいて、しばらくは花樹士のお勉強に集中しなさい。花霊士になった時に役に立つことが多いですし、花樹士の方が時間を要しますからね。その頑張りを見て、成るべくときを見極めますから、安心しなさい」
「わかった!」
いつもうやむやにされていた花霊士のこと。
どこか僕を花霊士にしたくない雰囲気を感じていた。
確かに、やる事は危険が多く、心配な側面が強かったのかもしれない。
それこそ生半端な覚悟では、駄目なのだ。
でも今日初めて、僕は母さんと面と向かって花霊士については話すことができた。
「……最後に一つ、約束してくれるか」
「なに?」
父さんはそう言うと、膝を折り、僕に目線を合わせる。
そして僕の肩を掴み、父さんと向き合うように向きを固定した。
その目はいつもよりも鋭く、思わず背けたくなってしまう。
けど、ここは我慢だ。
これだけの誓いを宣言したのだ。もう何を言われても約束してやる!
「お前が二つの道を歩み始めたのなら、必ず私たちを超える存在になってくれ。花樹士としても、花霊士としてもな。追いかける背中がどんなに大きくても、見えなくても、足を止めないでほしい。そしてそれを乗り越えてほしい」
「父さん……」
僕はすぐには返事をすることができなかった。
なることしか考えていなかった僕にとって、追い抜く事などはまだ頭の中になかったからだ。
いつまでも親として、師として慕うつもりだった。
超えるなんてなんと恐れ多い事だろう。
しかも、それはなった後の話であり、さらに先が遠く感じた。
片や世界をまたにかける花樹士。
片やそれに負けず劣らずの力をもつ花霊士。
本来なら仮に出来ない、無理だとしても、はい! と即答するのが望む返答なのかもしれない。
父さんの表情や手からは、僕の口からそれを聞くまで離さないという無言の意思を放っている。
何度も父さんに怒られた事はあるけど、そのどの時よりも今の方が怖い。
頭では分かっていても、なかなか口にすることができずにいた。
「大丈夫よ、フローゼ。あなたならできるわ」
その時、後ろから母さんが励ましの声をかけてくれた。
それだけで、固まっていた体が芯からほぐれていき、呼吸すらも忘れていたことに気づく。
「だって、あなたは私たちの子ですもの。私はお父さんじゃないし、お父さんも私じゃない。でもあなたなら……私たち二人の血を持つあなたなら、今はまだ小さな蕾でも、私たちよりも大きな花を咲かせることができるわ。さっ、お父さんに向かってコテンパンに言ってあげなさい」
母さんは僕の背中を軽く押してくれた。
すると、まじないか何かにかかったかのように、父さんへの恐怖心が一気になくなった。
そして僕はその力の正体に気づく。
二人の良いところを合わせていけば、超えられる。
そう思った瞬間、体の内側から何か熱い情が湧き上がってきた。
僕は改めて、父さんをまっすぐ見据えて言った。
「必ず追いついて……超えてみせるよ」
「……分かった。お前の『情熱』。確かに受け取ったぞ」
そう言うと父さんは、やっと僕の肩から手を放してくれた。
そして空に向かって大きく体を伸ばす。
「生きる楽しみがまた一つ増えたよ。今日からお前とは同じ誓いを守る者同士だ。私もまだまだ負けられん。ああは言ったが、私とて簡単に追い抜かれたくはないからな」
「すぐそうやって張り合うんだから。大人げないわよ」
「いいんだ、母さん。僕も負けないよ!」
「あらま。じゃあお母さんも本気出して、もうひと花咲かしちゃおうかな?」
「おい、それこそ大人げないだろう。私は本気とまでは言ってないぞ」
「ははははっ!」
僕たちは揃って大声で笑い合った。
それに合わせて、トランペットやシンバル、スネアドラムなどの演奏が響いてくる。
「お! ついに牡丹王のおでましだな」
その音を聞いて父さんはまた僕を抱えてくれる。
広場につながる通路を見ると、奏者たちが行進していた。皆が白いブラウスに薄黄色のベスト、黒のスラックスを身につけている。
牡丹を意識した配色はとても格好良く、遠くからでも見てもかなり目立っていた。
その人数はゆうに何百人といる。音の重層感もあって、圧巻の風景だった。
彼らは演奏しながら行進し、広場へと入っていく。
行進、足の動かし方、細部にいたるところまで、一糸乱れぬ統率だ。
「明日からは今まで以上に忙しくなるぞ。だから今日一日は、思いっきり楽しんで祝い、あの鳥たちのように羽を伸ばそうじゃないか!」
地上とは裏腹に、空では沢山の鳥たちが自由に飛び回っていた。
中には僕らの前を飛んでいく鳥をいる。
そこから僕の元へ、羽が舞い散る。その羽は黒とも白とも言えない色をしていた。
普段なら捨てていただろうけど、なぜかこの時は何か記念だと思い、ポケットにしまった。
そしてこの日は僕にとって、確かに忘れられない日となった。