6.因縁
「シンのグループは特区が作られた当初からある。まだ隔離特区が出来て、秩序もそれなりに存在した頃には、少数だが一応の集団として存在したと聞いたことがある」
少し離れて先頭を行く綾乃に聞かれないよう、こっそりと凛が尋ねてみると、風丸は快く答えてくれた。
「しかしのぅ……」
「何かあるのか? さっきの二人組もヤバいとかなんとか言ってたし、綾乃の奴も、妙に気にしてるし」
「神久どのは、以前シンのグループと何かトラブルでもあったのだろうよ。その辺りのことは、本人から聞くと良い」
ようするにそういうトラブルの中心となる連中として、今のシンとその取り巻きたちは警戒されているらしい。
「人を人と思わぬ――こんな隔離特区なぞを作った政府も同じであろうが――シンとその周囲に居る者たちは、治外法権も同様で何をやろうとも罰せられることが無いと分かった時点から、タガが外れたように暴れはじめた」
食糧を始めとした物資の強奪から始まり、他グループの強引な吸収、果ては対立したグループや抵抗する個人の殺害など、暴力を背景にしてやりたい放題だという。
規模の大きなグループは他にもいくつかあり、特区内全てがシンのテリトリーであるわけではないが、次第にその勢力は増大している。
「それだけの実力がある。シン本人がどのような能力を持っているかは知られておらぬが、側近の中には瞬間移動ができる者がいるとのうわさも聞いた」
「そりゃあすごいな。瞬間移動か」
「いずれにせよ、あまり近づかぬ方が良かろうよ。拙とてシンのグループとはあまりお近づきになりたいとは思わぬ」
「何をこそこそ話しているか知らないけれど、シンの話ならやめてよね。噂をすれば影、ってことになったら目も当てられないわ」
急に振り向いた綾乃から、風丸は視線を逸らし、凛は笑ってごまかした。
「まったく、もう……」
「まあまあ。それより、これからどうするんだ? 綾乃の目的ってのがあるんだろ?」
「そうね。こうなったら、話しておいた方がいいでしょう」
風丸の案内で目立たないように近くの道場跡に入り、話をすることにした。
板張りの剣道場はそこまで古くなった印象は無く、床板もまだしっかりしていた。多少黒ずんでいたり、割れた窓があったりはするが、寝床にすることもできそうだ。
残っていた椅子を引いて来て腰を下ろした綾乃と向かい合って、凛も座った。
「警戒役が必要であろう。拙が見回りをする故、ゆっくりと語らうと良い」
「でも……」
「良いのだ。拙は所詮、一時的に合流した身。凛どのとは今後も行動を共にするつもりなのだろう? であれば、腰を据えて話をしておくべきではないか?」
綾乃は凛との行動を十日間と限定していたが、風丸は心境が変化していることに気付いているらしい。
「何を目的としているかは知らぬが……」
風丸は凛に聞こえないように声量を押さえた。
彼女の声は、不思議と小さくても聞き取りやすい。
「凛どのの能力は戦闘に関してかなり“有利”。共に行動するには頼りになる」
「……それは、判ってるわ。でも彼女自身がどう思うか、それ次第よ」
「ふむ。目標はそれほどに困難で、危険が伴うものかね。あるいは、ごく個人的なこと……復讐とか」
風丸が推察する内容にどう感じたのか、綾乃は沈黙で返した。
「無理に聞きたいとは思わぬよ。ただ、凛どのに話をするなら、包み隠さず伝えてしまうのが良かろうよ。彼女は自分を信じる者を信じるように見える」
出会ったばかりでこんなことを言うのも妙だが、と風丸は目を細めて「では、周囲の警戒は任されよ」と言って出て行った。
「ええ、お願いね」
風丸が出て行ったあと、取っておいた缶のコーラとオレンジジュースを取り出した綾乃は、凛の目の前に突き出した。
「長い話になりそうだから、一つあげる。どっちが良い?」
「オレンジジュース」
「意外ね」
「炭酸苦手でさ」
「ふふっ……」
お互いになんとなく缶を打ち合わせて乾杯し、まず一口を飲んだ。
「なんだかなぁ。こんな普通の缶ジュースでも、ここだと貴重なんだろ?」
「そうね。配給所で手に入れることになるけれど……大体はエリアを掌握している有力なグループが押さえているから。物々交換するか、倒して奪い取るかの二つね」
「綾乃は強いから、勝って手に入れることもできるか。でも、どうして今まで一人だったんだ? どこかのグループに入るか、自分で作るとか」
問われて、綾乃はしばらく視線を逸らしたあと、一度だけ下唇を舐めてから凛の方を見つめ直した。
「……昔、グループを作ったことがある」
へえ、と凛は顔を綻ばせたが、綾乃の方は渋い顔をしている。いや、沈痛と言った方が適当かも知れない。
「でも、シンのグループに潰されたわ」
「さっきの話で出た奴か……ん? 確かあの二人組が何か言ってたな」
「飼われていたって話のことね。……これを見て」
綾乃がスカートをたくし上げ、下着が見えないギリギリの場所。そこに『SIN』の文字をデザイン化したらしき刺青が見える。
「一応聞くが、お前が自分でやったわけじゃないよな?」
「そんなはずないでしょ。無理やりやられたわ。シンのグループ……連中はSINと自称するグループの、所有物の証明として」
綾乃が作ったグループは、戦闘に向いたメンバーは少なかった。天候を正確に予想できる中年女性や、触れている物の温度を多少変化させられる少女などで、自分たちの身を守る為に寄り添いあうように集まっていた。
戦えるメンバーが少なかったことはグループの雰囲気を柔らかくしていたが、同時に数少ない戦闘メンバーの負担を増やすことになった。
当時、隔離特区の中は多くのグループが規模を大きくする動きを始めた時期で、暴力的な方法による物資の奪い合いも増えてきた。
グループのリーダーであり、主力であった綾乃は連日戦闘が続いて、疲労困憊になっている時、SINの襲撃を受けた。
「他のメンバーが気を使ってくれて、私は一人で拠点に入って休んでいたのよ。そこを狙われて、あっという間に私のグループは壊滅したわ」
メンバーのほとんどがその場で殺され、多少戦える者たちの中で一人だけが逃げおおせたらしいが、どこにいるのか、まだ生きているのかはわからない。
「それから、私は文字通り飼われていたわ。首輪を付けられて、見世物みたいに扱われた。シンのペットとして」
特区にいるのは全員が女である以上、性的な暴行は“ほとんど”受けなかった。ただ、屈辱的な扱いを受け続け、食事も碌に与えられず、理由も無く暴行される日々が続いた。
「隙を見て逃げ出すまで三ヶ月。どうにか身体が回復するまで一ヶ月、ずっとずっと、逃げて隠れて、夜だけ移動するような日々だったわ。SINの追っ手に見つからなかったことが奇跡みたいね」
「……そうか。じゃあ、綾乃の目的ってのは……」
「今やりたいことは二つあるわ」
指を二本立てた綾乃は、一本ずつ折り曲げて語る。
「まずは、逃げてくれたメンバーを探すこと。そして、新しく仲間を集めて、戦えるグループを作ること」
「グループを作って、どうするつもりだ?」
凛の問いに、決まっている、と綾乃は吐き捨てるように言った。
「シンを殺すわ」
決意の固さは、語気の強さで充分すぎる程、凛には伝わった。