3.訓練・実戦
結局、数百メートル離れた場所で無人のアパートを見つけ、二人は交代で眠った。
できそこないや他の住人からの襲撃は無かった。初日である凛は緊張でうまく眠れないなどということもなく、綾乃が呆れる程にあっさりと眠りに落ち、熟睡できたらしい。
「豪胆ね。ある意味羨ましいわ」
初日から数日、疲労の限界が来るまで眠れなかったこと思いだし、綾乃は嘆息した。
夜が明けて、二人は水のシャワーで身体を流すと、そっとアパートを後にした。
「もう一度、昨夜の力の再現をしてみましょう。室内でやるには危なすぎるから、どこか適当に広い場所を探すわよ」
「おう。楽しみだなぁ」
すでにグローブを付けていた凛は、にやにやと笑って両手をぶらぶらと揺らして準備運動代わりにしていた。
「能力を過信しないことね。それで慢心して命を落とした人もいるし、相性の悪い能力が相手だといくら強力な能力でも負けることだってある」
使いこなせるようになるのも重要で、能力によっては癖が強く、直接の戦闘には向かないものも存在する。
「なるほど。でもオレの力は純粋なパワーだろうから、そこはいつも通りの喧嘩と同じでいいんじゃないか?」
「怪力JKゴリラ……」
「何か言ったか?」
「いえ、何も」
歩きながら綾乃が持っていたパンを齧って朝食にした二人は、そんな話をしながら近くの公園を目指していた。
「ここなら」
綾乃は公園に入る前に中の様子を慎重に確認している。
「周りもひらけているから誰かが近づいて来てもすぐにわかるし、多少暴れたところで迷惑は掛からないでしょう」
「近所迷惑とか考える必要あるか?」
運動公園として使われていたのだろう。
草は伸びているが、綾乃が言った通り広いスペースが公園の中央にあり、ベンチやゴミ箱が残ってはいるが、いくつか破壊された跡が見えた。
「以前は決闘だとか言って、この場所で一対一やグループ同士の戦闘をやっていたみたいよ」
「決闘かぁ、いいね。以前はってことは、今はやってないのか?」
「多分ね」
隔離特区の人口が増えるにつれて、能力者同士の戦いは他社が見守る前での決闘からルール無用の殺し合いに変化していった。
「構成員が百近いグループもいくつかできたから、そのせいでもあると思う」
他のグループを吸収して大きくなっていった能力者集団は、能力やカリスマによって統率するリーダーの下で縄張りを広げ、守っている。
「なんちゃってギャングみたいなものね。能力が低い人は大きなグループの庇護下に入ることで自分を守っているけれど、抵抗して殺されたり、捕まって奴隷のような扱いを受けている人もいるわ」
「詳しいなぁ」
「……色々あったのよ」
自分のことに話が及ぼうとすると綾乃はすぐに話題を変えた。
「さあ、ここで昨夜の再現をしてみて。そうね、相手はあのゴミ箱で」
綾乃が指差したのは、広場の中央あたりに転がっていた鉄製のゴミ箱だった。
「よぅし、見てろよ?」
ゴミ箱を立ててた凛は、拳を握りしめ、大きく息を吐いた。
「行くぞ!」
腰を落とし、膝を突くかという程に低い体勢になった凛の攻撃は、正拳突きだった。
頑丈なゴミ箱の縁、分厚い金属の輪になっている部分を横から思い切り殴りつけた直後、ゴミ箱は大きく跳ねて倒れた。
「……うん?」
やや離れて見ていた綾乃は、その光景に疑問を持った。
重さ数十キロはあるだろうゴミ箱が数メートル跳ね飛ばされて凹むのは威力として申し分ないように見えるが、本来SickS患者が発言する能力がこんな程度では無い。
もっと理不尽で、科学的説明がつかないような力が発動するはずなのだ。
綾乃の疑問は、すぐに解決した。
「いってぇ!? なんでだ?」
「能力の発現に失敗。地力でこれってことね。やっぱりゴリラだわ」
ナックルガード仕込みのグローブを付けていたおかげで怪我はしていないらしい。手首や腕にもこれと言ったダメージは無いようだ。
「頑丈さもナチュラルに高いってことね。できそこないと真正面からやりあったのも納得だわ。でも、これじゃ無理よ」
「くそーっ、なんでだよ」
どこかでスイッチが入るようなイメージがある、と綾乃は説明するのだが、どうあがいても本人の感覚でしかないので、こればかりは教えようがない。
「とにかく、周囲に人はいないようだから、続けましょう」
「続けるって?」
「あなたのイメージは肉弾戦なのでしょう? だったら繰り返すしかないじゃない」
綾乃は転がったゴミ箱を指差した。
「思う存分殴って蹴って、何かを掴むしかないんじゃないかしら?」
「マジかよ……」
それから一時間ほど、凛は思いつくままゴミ箱を暴行し続けた。
殴る、蹴る。
時には持ち上げて放り投げ、飛び上がって踏みつけ、転んだ。
「いってぇ!」
「わかりきったことを……。真面目にやってよ」
やってるよ、と凛が顔を上げた瞬間だった。
綾乃の後ろに近づいてきた人影を目にして、倒れた姿勢から弾き飛ばされたような勢いで凛は走り出した。
「あぶねぇ!」
「えっ?」
綾乃は気付くのが遅れたようで、凛の様子に驚いた様子で振り向く。
「おそいよぉ」
「きゃっ!?」
凛も間に合わず、綾乃は背後から近づいた女に攻撃を受けて飛ばされてしまった。
草を撒き散らしながら転がる綾乃の身体は、五メートルほど転がったところでようやく止まる。
「綾乃!」
「うぅ……」
呼びかけに反応し、立ち上がろうとする綾乃を見て、凛はとりあえず気絶していないことで安心したが、怒りは燃え上がったままだ。
「てめぇ、ふざけんなよ!」
「ふざけてんのは、お前だろぉ?」
攻撃したのは、長身で痩せた女だった。
ジーンズにだぼだぼと袖だけが妙に長いパーカーという格好で、フードの下にはニヤニヤと笑う口元と眼つきの悪い小さな瞳が覗いている。
「見ない顔がぁ混じっていだから観察してたのにさぁ。お前さぁ、碌な能力ねぇんだなぁ」
間延びした話し方でゆらゆらと左右に振れるような歩き方で凛の前に近づいてくる。
大して、凛は軋む音がするほど歯を食いしばっている。
「能力なんてのはどうでもいいんだよ! とりあえず殴らせろや!」
「殴るぅ? 無能がぁアタシを殴れんのぉ?」
「てめぇ、ぶっ殺すぞこら!」
挑発するように首を振る女の顔面に向かって、凛の拳がまっすぐに突き出される。
「当たらぁないって」
嘲笑と共に、拳から顔を逸らした女はごろりと後転。距離を取った。
「逃げるな!」
「逃げないよぉ。……丁度いいところまで下がっただけよぉ」
「はぁ?」
凛よりも相手が背は高いが、リーチは大差が無いはずだった。
彼我の距離は三メートル程度まで離れているが、女はそれで丁度いいと言う。
「だって、届くからぁ」
「ふざ……」
言いかけた凛の顎を、下から打ち上げるような拳が捉えた。
言葉の続きを放つこともできず、凛は上空へと打ち上げられてしまった。
「きゃはぁ、顎を砕いたつもりだけれどぉ、顔はぁ無事ね。結構頑丈だなぁ」
もろに攻撃を受けた凛は、気絶を免れて空中で姿勢を整えて着地した。
しかし脳を揺らされたダメージは相当で、両手を突いてどうにか身体を支えているという状態だ。
「……ちっ!」
「頭ぁぐらぐらするでしょぉ? アタシの攻撃は振動が激しいのよぉ」
「あんだけ離れてどうやって……うおぅ!」
目の前に何かが迫って来るのに気付いた凛は、正体はわからないままで横に転がって辛うじて回避に成功した。
「あらぁ、元気な奴だなぁ」
「うわっ、お前、それ……」
改めて相手に目を向けた凛は、異様な光景を目にして絶句する。
「便利でしょぉ? だから離れて丁度いいって言ったんだよぉ」
女がケラケラと笑う。
その両手はパーカーの袖からずるりと出て来て、そのまま軟体生物のようにずるりと伸びていた。
その先がどうなっているかはわからない。草むらの中に隠れてしまっているのだ。
「能力がぁ使えないならぁ、アタシに勝てるわけ無いじゃぁない」
だから、という言葉と同時に、草むらの中から飛び出した拳が凛の鳩尾に付き込まれた。
「ぐえっ……」
「死ねよ、できそこない」
唾を吐きながら、それでも立ち上がる凛に向けて、笑みを消した女が冷たく言い放った。