2.目覚めの切っ掛け
隔離特区は三方を山岳地帯と高い壁に囲まれ、西部のみが開けた海岸となっている。
もちろん、海岸は合っても警備は厳重であり、数十メートル沖合には監視ブイがずらりとならび、定期的に巡視船が行き交っていた。
「元は原発を中心にした地方の町だったのが、十五年前に施行されたエネルギー転換法に基づいて廃炉になったせいで、これといった産業も無くなって人口が激減していたらしいわ」
主要な高速道路が通過するわけでもなく、鉄道路線も行き止まりになる陸の孤島であったことから、隔離特区を設置するのに都合が良かったらしい。
一時は七千人以上が住んでいたエリアだったが、わずか百数十人にまで減っていた住民は全員移住させられ、今は放置された建物が虚しく並んでいる。
「エリアの外縁以外に監視は居ないわ。ただカメラがあちこちに仕掛けられているだけ。メンテナンスもロボットがやっているの」
食事はあちこちにある配給所で手に入れることができ、そこで希望すれば衣料品や多少の嗜好品は手に入る。
だが、特区の中は無法地帯そのもので、気軽に配給所に近寄れば、どんな被害を受けるかわからない。女ばかりと言っても、強い能力を持った者を中心にグループが出来ていて、食糧なども奪い合いが発生している。
「食べ物が足りていないわけじゃないけれど、内容には偏りがあるし、なにより自分たちの安全を守るためにそうしているって感じね」
「じゃあ、お前もどこかのグループに入ってんのか?」
「……いいえ」
外を歩きながら説明を続けていた彼女は、凛の質問に表情を曇らせたかと思うと、顔を逸らした。
凛が眠っていたのは廃病院の一室だった。特区に運び込まれた凛は、当初壁の近くに寝かされていたらしい。それを偶然見つけた女の子が運び込んだそうだ。
「目的があるの。それには味方が欲しかったのだけれど……」
ちらりと凛をみた彼女の視線は、落胆の色が浮かんでいた。
「どういうわけだか知らないけれど、できそこないにもならず、能力も目覚めない。ひょとしてあなた、本当は感染していないんじゃないの?」
「それなら最高だけどな。ほれ、見てみろよ」
凛は自分の目を指差し、藍色と黄緑の二色が半々の瞳を見せつけた。
「こんなの、あの病気じゃないとありえねぇだろ?」
「カラーコンタクトじゃないの? あなた不良なんでしょう?」
「どんな偏見だよ……」
とにかく、と女の子は立ち止まる。
「これ以上は付いて来ないで。変に目立ってまたできそこない達や厄介なグループに見つかると面倒だもの」
「待ってくれよ。お前の目的が何かは知らないけれど、ここは協力しようぜ。一人じゃおちおち寝てもいられないだろ? オレだってこのままでもそこそこ戦えるし、お前が起きる時間を稼ぐくらいはできるし」
凛の顔をじっと見て、女の子は小さくため息を吐いた。
「……条件があるわ」
「なんだ?」
「期間は十日間。それまでは私の指示に従うこと。そして能力に目覚める努力をすること」
「おう、わかった。でも、もう一つ約束する」
首を傾げる女の子に、凛はニッコリと笑ってみせた。
「能力に目覚めてもそうじゃなくても、お前の目的達成を手伝う」
「何を言っているの。私がやろうとしていることが何かも知らないのに。誰かを殺すとか、何かを壊すとかの悪いことかも知れないのに?」
「うーん。なんとなくだけど、お前がそういう奴じゃないってのはわかるから」
だって、と凛は自分より少しだけ背が低い女の子の前に立ち、頭を撫でた。
「オレが能力に目覚めなかった時点で見捨てて逃げても良かったのに、戦ってできそこないを倒してくれただろう? 今もこうして色々と教えてくれてる」
「……勝手になさい」
「おう、よろしくな」
頬を膨らませてのしのしと歩き出した女の子は、ふと立ち止まり、振り返った。
「私の名前は神久綾乃。あなたは?」
「麻木凛。凛と呼んでくれ」
「凛、ね。わかった」
綾乃は少しだけ肩の力を抜いて、右手を差し出した。
その手を握りながら、凛は首を傾げた。
「今気づいたけれど、綾乃の目は黒っぽいな。なんでだ?」
「良く見なさい。私の瞳は濃い赤なのよ」
「へえ、恰好いいなぁ。あ、そういえばさっきの」
凛が刀を振るような格好をして見せると、綾乃は嫌な予感がして顔を顰めた。
「それについての言及は……」
「『赤い業火で罪深き者たちに安らかなる眠りを!』だっけ? なんだあれ。格好良かったなぁ。あんなふうに叫べば、オレもなにか出来たりするのか?」
「お願いだから、あれは忘れて頂戴」
頭を抱えながら、綾乃はか細い声で後で説明するから、と呟いた。
☆
夕暮れが訪れたころ、放置された一軒屋の一つに入り込んだ凛と綾乃は、まだ比較的きれいな状態で残っている部屋を見つけて今夜の宿にすることに決めた。
「風呂入りてぇ」
「朝まで我慢なさい。夜は音が響くから、大きな水音は立てない方が賢明よ」
「言ってみただけだけど、水が出るんだ」
電気や水といったライフラインは生きている。
ボンベの交換が必要なプロパンガスは流石に無いが、都市ガスを引き込んでいる建物なら問題無く使えることが多いらしい。
「国が何を狙っているのか知らないけれど、生かさず殺さずで観察しているのだと思うわ。隔離特区内で誰かが殺されてもお咎め無しだけれど、別に罰則は無い。禁止事項はただ一つ、脱走しようとすると“処分される”ってことだけね」
スタッフが襲われることを懸念して、内部に誰かが入り込んでメンテナンスを行うわけではないので、街全体は古くなりつつも生きている。
商店街あたりは夜になると灯りが広がり、比較的穏やかなグループが物々交換や情報のやりとりなどを行っている、と綾乃は聞いたことがあった。
「でも行ったことはないわ。複数のグループで監視し合っているような場所だもの。ぼっちが一人で出向いても、身ぐるみはがされるか殺されるだけだと思うし」
畳の部屋。
薄いマットを敷いて腰を下ろした綾乃は、凛にも座る様に指示した。
「それよりも、あなたの能力についてよ」
「うん、それを早く聞きたかった」
「こればっかりは本当に人それぞれだから、参考程度に聞いておいて」
そう前置きした凛は、SickSという病気から目覚める能力についての説明を始めた。
周りに見つからないよう、遮光カーテンがあっても照明は常夜灯しか点けず、日が沈むにつれて暗くなってきた部屋の中は、まるでこれから怪談話でもするかのようだ。
「私が知る限り、能力は本当にさまざま。私のように武器を生み、その武器に何かの力が付与されている人もいれば、そのまま火炎や風を操るひともいる」
中には空を飛ぶと言った自分だけに影響がある能力や、鋼鉄のように頑丈な身体を持つという見た目から変化する場合もある。
「その発言も様々。普通はステージ2を過ぎて目が覚めた時に自然と頭に浮かぶものだけれど……」
綾乃の視線を受け、凛は首を傾げる。
「これと言って、何かを思いついた感じはなかったかな。そうそう、捕まった時のことを思い出して、とにかくぶん殴りたいと思ってた」
「野蛮ね」
「しょうがねぇだろ。綾乃だって、ここに来たときはそうじゃなかったか?」
「私は自分の意志でここに来たもの」
「はあ? 何だってそんな……お前の目なら、そう簡単にはSickSだって気付かれないのに」
そんなことより、と綾乃は首の後ろに手を伸ばし、髪の中から刀を抜いた。
綾乃が作り出す日本刀は、刃渡り二尺四寸五分のやや反りがある一般的な打ち刀で、きっぱりとした直刃の刃紋は、実用一点張りの無骨さを思わせる。
「私の時は、刀を生み出すイメージが先行して、いざ生み出した刀を握った時に思い出したのよ。……小さい頃に見ていた、アニメの台詞を」
一人の時、試しに呟いてみたところ、刀に炎を纏わせることに成功した。
「それから実験と訓練を繰り返したわ。大きな声で宣言した方が炎も大きくなるし、威力も上がるのよ。だから、少し恥ずかしいけれどあの時みたいにしているの」
「なるほどなぁ。……なら、オレも何か頭に残っていることがきっかけになるかも知れないんだな」
大きな怪我や大好きな作品、人生に少なくない影響を与えた強烈なイメージが能力に繋がるのではないか。それが綾乃の結論だった。
「うーん。そうだなぁ……オレ、漫画とかは読むし熱いバトルとか好きなんだけど、人生に影響をとなると、これくらいだな」
立ち上がった凛が再びポケットから指ぬきグローブを取り出して、ぴったりとサイズが合うそれを装着。拳を握る。
「昔、まだ親父もお袋も、じいちゃんもばあちゃんも居た時、みんなでヒーローショーを観たんだ」
いつもの粗野な笑みでは無い、優しく、それでいて寂しげな笑み。
「凛、あなた……」
「楽しかった! 今でも憶えているぞ、変身前でも主人公がめっちゃ強くて、こんなふうに拳を握りしめてポーズを決めてさ」
凛自身は気付いていないようだが、彼女の目からは涙がこぼれていた。
「派手な必殺技も良いけどさ、こう、普通のパンチとかキックだけでもすげぇ格好いいんだ! こんなふうにさ!」
腰が入った右ストレート。
それはテレビや映画で活躍するスーパーヒーローばりの動きで、格闘家というよりは役者のようだった。
しかし、結果は格闘家どころの話では無かった。
「……ありゃ?」
凛の拳が叩きつけられた壁に直径一メートル以上の大穴がぽっかりと開いたのだ。
数秒後、遠くから何かが砕ける音が響いた。
「えーっと、どうする?」
問いかけられた綾乃は、首を振って立ち上がると、敷物を畳んで背中に担いだ。
「移動するわよ。こんな大穴があいた場所、開放的過ぎて寝られないわ」
もちろん、と凛も同意し、二人はすっかり日が暮れた中、一軒屋を出て行った。
新たな宿を探さねばならない。




