~暗殺任務~
母さんと妹の墓参りをした後で、俺はあの丘の上に向かうことにした。日が照っているおかげで肌寒さは感じず、むしろ体が少し汗ばむほどの陽気だ。村に戻ることも考えたのだが、あんな寂れた村には極力いたくない。時間を潰せる場所となれば、そこくらいしか思いつかなかった。
いつものように木の幹を背もたれにして座る。青一色の空を眺めて、その空に母さんと由香の姿を思い浮かべる。
「あれっ? 修二じゃん」
声のした方を見ると、誠也が丘を登ってきていた。
「なんだ。誠也か」
「なんだとはなんだ。俺だったらそんなに残念か」
「そういうわけじゃないけど」
「ならいいだろ。俺もここが恋しくなるんだ」
誠也が隣に座ってくる。浮かない表情をしていたので、どうかしたのかと訊こうとした矢先、
「今日、最高の天気だな」
当たり前の内容を、とても喜ばしい事のようなテンションで言われた。
「まあな」
不自然さを感じつつも、相槌を打つだけにとどめる。
「ああ、本当にいい天気だ。天国まで見えそうなくらいに」
感慨深そうに言って、目を細める誠也。
俺もその視線の先を目で追う。
青空がとても眩しい。
誠也が静かに言い放つ。
「俺さ、スパイとして王都に派遣されることになったよ」
穏やかな声はすぐに空気に溶けていった。
「それはあいつの殺害に成功した実績を買われてか?」
あいつ。
王都の暗殺部隊に所属している深田莉奈という女。誠也が殺したい相手の一人に入っていると言っていた女だ。
彼女は殺害した対象の死体を跡形もなく消し去ることで有名だった。骨まで食べているとか、家に持ち帰って一日中眺めているとか、彼女に関する噂は不気味なものばかり。
「俺にも詳しい理由はわからないけど、それも要素の一つではある……と思う」
「他にも要素があるみたいな言い方だな」
「そう捉えるのか。修二のそういうところ俺は好きだよ。俺と同じで、劣等感を抱いてることを隠さない」
「馬鹿言えよ。……俺が誠也に劣等感を持ってるのに」
「それは俺が劣等感を持ってない証明にはならない。むしろ俺は修二以上の劣等感を持ってるよ。劣等感勝負は、俺の勝ちだ」
そう言って白い歯を見せてきた誠也の声はわずかに震えていた。
「そんな意味のない勝負してないから」
このまま言い争っていても平行線をたどる。そう思ったので、かわりに頭の中に浮かんできた疑問を素直に口にした。
「でも、なんであいつがこんな村にやってきたんだろうなぁ」
「修二の父親を殺しにきたんじゃないのか? そして、それが俺にばれて深田は死んだ」
確かに、父さんなら暗殺対象としてあり得る。けれど父さんもバカではないので、表面上は王都に屈服したように振る舞っている。
「そうだとしてもさ、深田ってすごい殺し屋なんだろ? なんでそんなやつが簡単に」
「あいつのことをすごい殺し屋なんて言うな。あるのは人殺しだって事実だけだ」
誠也から殺意が混じっているかのような険しい視線を向けられ、
「……ごめん。俺は別に深田のことを褒めたかったわけじゃないんだ」
思わず謝っていた。そりゃそうだよなと反省する。膝を抱えて座り直して、居心地の悪さを感じている体を縮こまらせる。
「いや……俺もムキになった。悪い」
「これに関しては俺が全面的に悪いから。誠也の気持ち考えてなかった」
そう言いつつも、さっきの自分の失言について少し考えてみる。
どうしてそんなすごい暗殺者が、誠也なんかに見つかるというミスをしたのだろう。誠也がその暗殺者以上にすごい人間であることを認めたくないから、こんな屁理屈を探してしまうのだろうか。そもそも復讐対象の方から近づいてくれるなんて都合が良すぎる。そう考えてしまうことが劣等感の象徴だというのか。
まるで神様が誠也の復讐を手助けしているみたいだ。
やっぱり誠也は、劣等感を抱かれる側の人間だ。
「でも、修二が復讐なんてやめろって言ってたら、俺は深田を殺さなかったかもな」
今はその冗談が冗談に聞こえない。皮肉や嫌味の類と同じように、感情を逆撫でするものでしかない。現に苛立ちを覚えてしまったから、ゆっくりと息を吐いて気持ちを落ち着かせる。
「冗談はよせ。俺が引きとめたって、どうせ殺すリストには入ってたんだろ?」
「まあな」
誠也は薄く笑う。すぐに影のある表情に戻り控えめに呟く。
「深田莉奈は俺が殺さなきゃならなかった。絶対に、他の誰かじゃなく、この俺が」
「深田は誠也になにをしたんだ?」
尋ねると、誠也は予想外といった感じで目を丸くした。
「なにって?」
「そこまで思うってことは、かなりのことをされたんだろ? 深田から」
「ああ……そういうこと」
言いながら目を伏せていく誠也。
「別に憎んでたわけじゃないけど、あいつが暗殺者として生きてると俺の大事に思ってる人が苦しみ続けるから。俺はそれをもう見たくなかった」
「それを憎んでるっていうんじゃないの?」
「確かに。なに言ってんだろうな俺」
自分を蔑むように笑った誠也と目が合う。誠也の瞳の奥はちっとも笑っていない。初めて話したときよりも、目の中が空っぽであるかのように感じた。
「そうなんだよなぁ。本当に……俺の復讐は始まったんだよ。無力な俺の、最後の悪足掻き……どう思う? 修二はこんな俺を見て」
「羨ましいと思ってるよ」
「そっか。羨ましいか」
呟いた誠也の顔から感情が消え去る。
「でも、俺は復讐のためにすべてを捨てる覚悟をした。笑顔も、涙も、親も、すべてを捨てたんだ。そして修二が止めてくれなかったせいで、俺の復讐は始まった」
さっきは殺さなきゃならないと言っておいて、今度は責任を他人に押しつけるような台詞。なにが言いたいのかわからない。
「だから俺が止めるわけないだろ」
「修二の夢は俺が保証するって言ったのにか?」
「答えになっていないよそれ」
「今は答えになってなくても、すぐにわかる日がくる。修二にも復讐を果たす日がくるんだから」
誠也は悪霊に取りつかれたような苦しげな表情になっていった。
「俺は修二を信じたい。だから修二の復讐に対する本当の覚悟を知りたいんだ。俺みたいにすべてを捨ててでも復讐を果たしたいと思うのか、今ここではっきりと聞かせてくれ」
「何度も言ってるだろ。俺は誠也のことを羨ましく思ってるって」
「それを覚悟と捉えていいんだな? 俺が復讐を終えたとき、なにもかもを失っている俺を、独りぼっちの俺は、修二のことを頼っていいんだな?」
研ぎ澄まされた鋭い声と、悲しみを必死で堪えている脆弱な瞳。今の言葉は誠也の心からの言葉なんだと否応なしに思い知らされる。
「俺にだって……」
誠也の覚悟に感化されたわけではないけれど、
「俺にだって殺したいやつがいるんだよ! なにもできないままの、あのときのままの俺じゃ、ダメなんだよ」
体内に充満する憎しみを言葉に乗せた。
情けない自分は、もう終わりにしたい。
「それ聞けて、安心したよ。ごめんな。急にこんなこと言い出して」
誠也の表情が緩んでいく。
「別にいいよ。ってか最近ちょっと誠也おかしかったから、事情がわかってよかった」
本当はよくないけど。その感情が伝わってしまったのか、誠也は気まずそうに顔をしかめていた。
「たぶん俺にも余裕がなくなってるんだよ。王都でのスパイ活動の他に、ある重要な仕事を任されてるから」
「それ、訊いてもいいやつ?」
「暗殺任務。神原克也の」
誠也は食い気味にそう言った。聞いただけで鳥肌が立った。細胞のひとつひとつが憎悪を募らせていく。
「それ……本当?」
「今さら嘘ついてどうするよ」
そう言ってごまかすように笑う誠也。
そんなあっけらかんとした誠也を、俺は睨みつける。言葉を待つ。
さすがの誠也も俺の感情を察したらしく、
「俺が殺しに行きますって、修二の父さんに直訴したんだ。そしたら、やれるもんならやってみろって」
「なんでまた父さんは!」
怒鳴っていた。誰に対してかわからない怒り。父親か、誠也か、神原克哉か、はたまた自分自身か。
「なんで父さんは俺を選んでくれないんだよ」
「それは孝司さんが、修二の父親だから」
「またそれ、もう聞き飽きた」
感情のままにうなだれる。
悔しさが心の底から湧き上がってくる。
「聞き飽きたんだよ!」
あの日、大切な我が家を燃やしたのは、二人で復讐という険しい道を共に歩んでいくためじゃなかったかのか。
「みんなみんな、いつまで俺を弱いままだと思ってるんだよ」
殺したい。神原克也を殺したい。
そう強く願い続けて、どれほどの虚しいときが経過しただろう。
願い続けるだけはもう終わりにしたい。
「誠也。頼みがある。俺も」
「俺も一緒に連れて行ってくれ、だろ?」
言葉を先読みされた。
「そうだよ。いいだろ? 俺も一緒に連れて行ってくれよ」
「暗殺に行くんだ。無理に決まってる」
「どうしても! なんでもするから!」
「だったらその涙を止めろ」
「え?」
「だったらその涙を止めろよ! 復讐のためにすべてを捨てる覚悟を、修二もしたんだろ!」
言われて初めて自分が泣いていることに気がついた。あわてて袖で目をこすって、強引に涙を止める。
「これでいいだろ? 俺も覚悟はできてる」
瞳を覆った涙が零れないように少しだけ顔を上に向けて、唇を薄くしている誠也を見据えた。
誠也はしばらく黙り続けた。やがて立ち上がり、俺に背を向けながら言った。
「ついてきたとしても、俺は修二のことを守らないぞ」
「それでもいい」
「それと、神原克哉を殺すのは、絶対に俺だ」
「……それもわかってる」
神原克哉を殺すのは古谷修二だ。誠也の感情を裏切ることになったとしても、それだけは絶対に譲ることはできない。
真っすぐな雨粒が灰色の空から降り注いできた。
湿った空気が、皮膚に纏わり纏わりつく。髪が濡れ、額に張りつく。
「最後にもう一度言う。もし俺が修二だったら、俺は俺のことを絶対に止めてるぞ」
「誠也だって、俺が復讐に生きるのを止めてない。それに誠也の復讐はもう始まってる」
誠也はなにも言い返してこなかった。灰色の空を黙って見上げている。誠也の見つめる先には、誠也が復讐しようとする理由が広がっていて、線香花火のように淡く光っているのだと思う。