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人形化病 ~ハピネスシンドローム~  作者: 針乃筵
第一章 復讐 古谷修二
8/9

~友達~

 母親と妹が死んでから、一ヶ月ほど経過していた。


 表情固定化症候群。

 別名、人形化病。


 愛梨をはじめとした三十名ほどが、この病気にかかって笑顔のまま寝たきりになってしまった。なんらかの化学兵器が使われたということしかわからない。愛梨の両親のように死んでしまった人と、愛梨のように人形化病にかかった人の違いもわからない。


「俺、決めたよ」

 炎と共に崩れゆく我が家を見ながら、俺は父さんにそう告げた。

 頭上で淡く光る満月は、薄い膜のような雲に覆われている。


「そうか」

 父さんも真っすぐに炎を見つめている。

 我が家に火を放とうと言い出したのは父さんだ。

 その理由は過去を過去として受け入れ、前に進むため。帰る場所を自ら絶ち、覚悟を明確にするため。

 直接父さんから聞いたわけではないが、そうだと思っている。


「うん。だから父さん。俺も反乱軍のメンバーに入れてほしい」

 あの事件以来、父さんが指揮する反乱軍に志願する人間は後を絶たなかった。


「それは心からの言葉か?」

 眉間にしわを寄せている父さんから訊かれる。

「当然。俺は母さんや由香、それに愛梨をあんな姿にしたやつらを許せない」

「そうか」

 父さんは小さく頷いて、黙ってしまった。


 こういう無言は、たいていの場合、否定だ。

 木の焼けるぱちぱちという音だけが、闇夜によく響いている。

「なんとか言ってよ、父さん。俺も戦いたいんだ。仇を、復讐を……俺にも」

「だめだ」

 炎に照らされている父さんの顔は険しかった。


「お願いだよ。俺はあの日の……母さんに守られるだけの自分じゃ嫌なんだ」

「だめだと言っているだろう。母さんが守った意味がない。父さんがやっていることは、人を殺すことだ」

「そんなのわかってる! 父さんは俺を子ども扱いしてるだけだ」

「大人だと自分で言い張る人間が大人なわけがない。そういうことは自分で決めるものじゃない」

「だったら鬼島誠也と俺の違いを教えてほしい」

 けたたましい音と共に屋根が崩れ落ちた。灰が舞い上がって、空気が一瞬にして焦げ臭くなる。


「鬼島誠也は、あれは特別だ」

「同じ十七歳だ! まだ子供だ!」

「あいつは少なくとも自分で自分の事を大人だと言わない。修二はまだ十七歳の、俺の子供だ」

「ずるいよ、その言い方」


 卑怯だと思った。答えようがない。否定して大人だと言い張れば、自分で自分の事を子供だと認めることになり、かといって黙って頷いても子供だと認めることになる。そもそも父さんからすれば、何歳であっても古谷修二という存在が自分の子供であることに変わりはない。


「俺が父さんの子供だから、そういう理由なんだったら、俺はこの感情をどこにぶつければいいんだよ」

「時間が解決することもある」

「それが一番残酷なんだよ。記憶の中で出来事の輪郭が壊れて、ぼやけて、忘れていって……」

 目の奥がつんと冷たくなっていく。氷でできた小さな棘が眼球の中を突き進んでいるみたいだ。

「たとえそうだとしても、恨みはそうやって忘れた方がいい」

「俺は守られるだけの存在じゃ、いられないんだよ」


 お願いだ、父さん。


 そう言って頭を下げる。視界がにじみ始めていたが、涙だけはこぼさないように必死だった

「俺を特別扱いするのはやめてほしい」

「特別扱い……か」

 父さんの呆れたような声。

 顔を上げると、父さんの大きな背中が立ちはだかっていた。


「そういう言い方をしている間は絶対に無理だ。大人になろうとしている子供を加えることはない。無駄死にがいいところだ」

 淡々とした声に怯えてしまう。有無を言わさない風格を前にして、たじろぐことしかできなかった。

「これからは明彦の家で暮らすんだ」

 父さんはそう言い残してどこかへ行ってしまった。


 紅蓮色に包まれた黒焦げの家の骨組みを見つめて、俺はじっと立ち尽くす。怒りや後悔が、目の前で燃える炎よりも激しく、体内で揺らめいている。

「無駄死にでも、かまわない」

 父さんがいなくなってからようやく口が動く。そんな自分が憎かった。

 こんな自分はやっぱり、鬼島誠也より劣っているのかもしれない。


 前に一度だけ鬼島とすれ違ったことがあるが、鬼島は透き通るほど繊細で、それでいて相手を威圧する雰囲気をまとっていた。同い年とは思えなかった。

 鬼島がこの村に現れたのは二週間前。隣のカルダールス村から、反乱軍に入れてほしいとやってきた。父さんは鬼島に会うなり、すぐに反乱軍のメンバーに加えた。

 その事実を知ったときは、驚き、恨んだ。

 父さんのことも鬼島のことも。

 反乱軍は二十歳以上でないと入れないという暗黙の了解があったからだ。


「……火事、か?」

 急に背後から声が聞こえて、誰かに見られていたのかと振り返る。

「消火、はもう無理っぽいな」

 垢抜けない子供のような穏やかな目をした鬼島誠也が立っていた。

「君、大丈夫?」

 優しく声をかけられる。鬼島誠也がゆっくりと近づいてくる。

 俺は、その飄々とした態度が気に食わなかった。


「お前さ、なんて言ったんだ?」

 睨みつけながら言う。

 鬼島誠也は平気な様子で言い返してきた。

「消火はもう無理かなって言ったんだけど」

「そういうことじゃない」

「じゃあ……どういうこと?」


 目の前で立ち止まった鬼島誠也が小さく首を傾げる。なにについて尋ねられているのか見当もついていないといった感じだ。

「だから、俺の父さんになんて言って反乱軍に入れてもらったんだよ!」

「父さん? 俺の、って……」

 そう言った鬼島誠也は顎を手でさすり始めた。鑑定士が品定めをするみたいに、神妙な面持ちでこちらをじろじろと見つめてくる。


「……あ」

 そして、顔が少し緩んだ。


「そっか、そうだよな。ここにいるんだから、そう考えるのが自然だよな」

「さっきからぶつぶつと。お前は結局なにが言いたいんだよ?」

「結論としては、たぶん同じ理由だと思う」

「なにがだ?」

「反乱軍に入れてもらえた理由」

 鬼島誠也の顔に、くっきりと影ができる。

「俺が反乱軍に入ったのは、どうしても殺したいやつがいるから。正直にそう言ったら、入れてもらえたよ」


 思わず唇を噛む。はらわたが煮えくり返る思いだった。

「俺はだめだった。息子だから、特別扱い」

「じゃあ俺から君の父さんに言うってのはどうだろう?」

「えっ?」

「君を反乱軍に入れてほしいって、俺が直接君の父さんに進言する」

 願ってもない事態が起こった。頭の中で鬼島誠也が言ったことを噛み砕いて、じっくりと解きほぐす。

 今、進言してくれると言ったよな?


「ところで君……名前は?」

「古谷修二」

「そっか、じゃあこれから修二って呼ぶから……」

 鬼島誠也は目を閉じ俯く。その動作は、自分の心になにかを問いかけているように見えた。

「修二に一つだけ、俺に誓ってほしいことがある」

「なんだよ?」

 俺は目で早く続きを話せと鬼島誠也を急かす。

 鬼島誠也は小さく頷いてから話し始めた。


「絶対に、復讐したいって思いに偽りはない? 君の家族を殺したやつを心の底から憎み続けられる?」

 背中を冷たい汗がゆっくりと流れ落ちていった。母親に守られ、父さんに抱きしめられていた弱い自分の姿が頭の中を動き回る。

「……当然」

 返す言葉は、それしかなかった。

 夜風が吹いてきて、火照った体を冷ましてくれる。

 鬼島誠也は安心したように笑った。


「いい返事だ。やっぱり俺と修二は似てる。でもそんな俺が言うんだ。復讐なんてやめとけ」

「はっ?」

「だから、復讐なんてやめておけ」

「なにが言いたいんだよお前は!」

 見下された気がして、弄ばれた気がしてならなかった。誠也の襟元を掴んで、顔を近づけて、至近距離で睨みを利かせる。

「やっぱりお前も俺のことをバカにして」

「友達が復讐しようとしてるんだから、止めるに決まってるだろ?」

 誠也は笑顔でそう言った。


「……友達、って」

 その懐かしむような言い方が、声が、頭の中でぐるぐると回り続ける。友達。友達。いつのまにか、心から怒りの感情が消滅していた。誠也の襟元から手を離した。

「俺たち、今日初めて話したばっかだろ」


 友達。


 誰が使ってもなんとも思わない、むしろ好意的に受け取れるはずの言葉なのに、目の前にいる男が使うととてつもなく悲しげな言葉に聞こえる。似合わない、と感じた。と同時に、このかわいそうな人間を助けてあげなければと、友達になってあげなければと、本能がささやいているような気がした。

 誠也は相変わらず笑っている。


「初めて話したとか、そんなことどうだっていい。俺が一方的に修二と友達になりたいって思っただけだから」

 今、自分は狼狽えている。それだけははっきりとわかった。鬼島誠也と確実に目が合っているはずなのに、見つめられている気がしない。その焦点の合っていない虚ろな瞳を見つめていると、この人間は自分と同じ側かもしれないという妙な安心感を覚え始めた。


「でさ、修二は俺のこと止めようと思わないわけ?」

「はっ?」

「友達が復讐に手を染めようとしてるんだよ? それを止めようと思わないわけ?」

「もう一度言う。俺とお前は今日初めて会ったばかりで」

「つまり友達じゃないから止めないと」

「そうは言ってない。……けど」


 思わず口がすべってしまった。

 撤回しようとも思わなかった。


「俺はたとえ友達でも、復讐を止めたりはしない。だってそいつが一番望んでるなら、友達として止めないのが当然だろ」

「へぇ。そっか」

 ゆっくりと頷いた誠也は、まるで宝物でも見つけたかのように優しく微笑んだ。

「なんか変わってる。本当に修二は変わってるよ」

「お前……誠也に言われたくないよ」


 笑い合う。笑えていた。少しだけ、救われたような気がした。


 誠也と自分は似ている。

 少なくとも誠也は悪いやつではない。

 単純に仲間ができたこの状況が、とても嬉しかった。


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