~駆け落ち~
教室の中から子供たちの和気藹々とした声が聞こえてくる。
「帰ったら遊びに行こう?」
「ダメよ。今日は国王の大事な演説があるってママが言ってたもの」
「だから今日は学校が昼までなのよ、知らなかったの?」
その通りだ。今日は建国記念日で、午後三時から国王の演説が行われるのだ。皮膚にめり込んできそうなほど猛猛しい日差しが降り注いでいるけれど、きっと王宮前の広場には多くの国民が集まることだろう。
平和とみなすにはまだまだかもしれないが、目に見える争いがなくなってはや十年が過ぎた。現国王は、圧政政治で人々をないがしろにしてきた前国王とは違い、すべての国民のために尽くしてくれる。あの若さで、本当によくやっていると思う。彼の頑張りのおかげで、この子たちは平和になった世界しか知らないのだ。
無邪気な子供たちの笑顔に救われたいと思って、私は教師を仕事に選んだ。思惑通りいつだって救われてきた。美味しいものも食べられるようになったし、気が進まないながらも新しい恋だって少しだけやってみた。人並みの充実した生活を送れている、と思う。
けれど、その生活も今日で最後だ。平和になったこの世界にだって足りないものは確実にある。子供たちの笑顔や、おいしいご飯、華やかな王都の街並みなどでは満たされることのないものを心が渇望している。近くにいるような気がするけれど、はるか遠くに行ってしまった大切ななにかを追い求めたい。その一心で、救われるためにと始めた教師を辞める決意をした。国王から直々に届いた手紙が決定打だった。そこには希望が書かれてあった。
最後のホームルーム。
そこはかとない寂しさを感じながら、それを胸の奥底に沈めるために深呼吸をする。教室のドアを開け、笑顔を作る。
「さあ、みんな席について」
騒いでいた子供たちは、我先にと自分の席に戻っていく。こういう素直な気持ちを忘れないで大人になってほしいと心から思う。この光景をもう見ることができないと思うと、途端に愛おしく思えて、手放したくなくなった。
「今日はみんなに大事なお話があります」
教壇に立って、ゆっくりと子供たちを見渡してから話す。
「もう知ってるよ先生。今日が建国記念日ってことでしょ?」
窓際の一番前に座っていたポニーテールの女の子が自慢げに教えてくれた。
「そうね。それも大事なことだけど、それとは別の、それよりもちょっとだけ大事じゃない、大事な話なの」
子供たちのきょとんとした視線が集まる。怒られるのかな。褒められるのかな。期待と不安が入り混じっている純真無垢な瞳が私の胸を締め上げる。でももう決めたんだ。
「実はね、先生は今日であなたたちの先生じゃなくなります」
えー! と驚く生徒たち。目を丸くして、信じられないといった感情を隠そうともせず前面に押し出してくる。
「静かに、落ち着いて」
そう言って子供たちを宥めてから、教師を辞めなければならない理由をささやくように告げた。
「先生は……これから駆け落ちするのよ」