おくりもの
今、山中に立っているのは誰だ。
その人は見上げている。
見上げれば眩しく映る曇り空。
雪が降りそうだ。
白いワイシャツを通して肌に凍える風が触れる。
目の前は白い霧、微かに奥の山が見える。
その人の周りには草が生い茂っている。
他の人はいない。
その人だけだ。
その人は腰の高さほどある歪な岩に座り俯いた。
その人は頭の中で過去の走馬灯を描いていた。
寒さでその人は震える自分を抱き締めた。
ふと、その人は正面を向いた。
目の前も周りも白い空間が続く。
どのくらい時間が経っただろう。
その人は右の手首に目を向ける。
着けていたはずの時計がない。
ポケットにあるはずの財布や鍵も入っている感覚がない。
今のその人には何もない。
そう、ない。
あるのは体と服だけ。
今、この時にはその人自身の思い出も忘れ始めている。
身長と歳は...歳ってなんだ。
考えていたが、やがてそれも止めた。
気がつくとその人は裸になっていた。
最早、今のその人にとってはどうでもよかった。
考えるのを止めたその人は戯言を呟き始める。
空、自由、鳥、光、水、輝き、夢...。
覚えている限りの単語を言葉に並べた。
不意にその人は呟くのを止めた。
そして、虚ろな表情で呟いた。
「誰だ...この...」。
もうその人にとっては自分がどうでもよくなっていた。
名前を忘れたその人は座っている岩の上で横になり、両目を閉じた。
しばらくして、その人はもうその人ではなくなっていた。