或る國の話
救いのない悲恋、っぽいものが書きたかった雰囲気小説です。それでもよろしければどうぞ。
切れ間のない黒い雲が北からやってくる。ゴーンという地響きにも似た鐘の音を背負って。それはさながら死神の鎌のように、私の命を狩るのだろう。
王は死んだ。宰相も死んだ。将軍もじきに死ぬだろう。
物見の塔に閉じ込められるように逃がされた私もその黒い雲に引きずり出されてこの首を落とすのだ。枯れ際、潔く落ちる花のように。
すぐそこに迫った未来を知りながら、私は逃げも隠れもせず、ただその時を待った。──その人を、待った。
我が国ヒュッテンフェルトには遠い昔に起きた戦争で得た従属国があった。モイスバーンというその国は事実上隷属と言ってもよかった。もはやなんの証明もしようのないほど古い出来事に縛られたその国は、ヒュッテンフェルトに搾取され続け、奪われ続けていた。憎しみだけを溜め込んで。
私の住まう国はこの大陸の中でも強大な力を持っていた。しかし度重なる自然災害や飢饉により確実に力を落とし、新興国によってその地位を失いかけていた。さらに王子らの王位継承権による内紛まで勃発していた。
そこへ起きたのがクーデターである。
虐げられていたかの国はついに私たちに牙を向いたのだ。その研がれた刃は恒久の平和を享受して鈍った我が国を一瞬にして地獄へと変えた。
反逆の旗を振るうのは、かの国の王子。今は形ばかりが継承されていたかの国の王族の生き残り。……そして、私の婚約者であった人。
私はこの滅亡しかけているヒュッテンフェルトの姫の一人だった。
彼、ラモンは、かの国で唯一王族を名乗れる血筋の人間だ。彼以外の家族はヒュッテンフェルトの者がすべて殺した。そして隷属の証に「呪われた姫」と呼ばれる私と婚姻の約束をさせられていた。
家族を奪われ、未来を奪われ、形だけの王座を与えられた、挙句私のような「呪われた姫」を貰わなくてはならない王子を、モイスバーンの人々は大いに嘆いたと聞く。しかし彼らに逆らえる力はなく受け入れるしかなかった。
きっとそのころにはもうこの未来を考えていたのだろうと思う。彼の暗闇色の瞳はいつも澱んで重い何かを孕んでいた。反発するように光る王族の証である金の髪が私の目には痛いほどだった。
「宜しく申し上げる、姫」
すげなく言われたその台詞も、慇懃な手の甲へのキスも、私はすべておざなりに受けた。どうせこの人にも私は愛されない。
けれどラモンは意外にも優しかった。幼い頃から人に嫌われ避けられた私をあからさまに毛嫌いすることはなかった。
逆らえないから仕方なく、なのだとも思ったけれど憎しみの中心であろう私にも彼はよく声をかけたし、たまに花まで贈ってきた。
これは懐柔作戦のうちなのだろう。そう考えて、私など懐柔したところでなんの意味もないのに。と少しだけ彼が哀れになった。
この国は忌色と呼ばれる色がある。それはこの私の髪と目の色である赤だ。真紅、と言った方がいいかもしれない。
数多の戦の末、今の国家群になったとされるこの大陸には夥しい量の血が流れた。それ故に赤は忌色とされている。
私は紛れもなくこの国の王の、それも第一王妃より生まれた、姫だ。けれどその生まれた姫は呪われた色を持っていた。金と空色の瞳を持って生まれるはずの赤子は、生まれてすぐ開いた目もうっすら生えたうぶ毛も血のように赤かったのだ。産後の血かと誤解されるほどに。
その場にいた誰かが言った。
『呪われている』と。
誰かは知らない。だが、その部屋にいた全員がそう思ったのだろう。だから私は「呪われた姫」と呼ばれ、付けられた名もない。便宜上、イチという意味の「アン」が書類上の私のことだ。正確には「アンネリーゼ」という。私を明記するために必要に迫られた宰相が付けたと聞いている。
父である王や、母である王妃にとって私は名もつけたくない、存在すら認めたくない娘、それが私。
近くの小屋から火の手が上がる。もうそろそろ革命軍がここまで来るのだろう。侵略軍の方がいいだろうか。私にはどちらでもいいことだ。大事なのはあの人がすぐそこにいるということ。
「愛」をくれたわけではない。
「恋」をしたわけではない。
だけど私はあの人が好きだった。絶望的なまでの環境でそれでも内なる火を絶やすことなく燃やし続けたあの人。あの人の火はその身まで燃やすだろう。そうとわかりながら燃やし尽くして、燃やし尽くされて、彼に何が残るのだろう。出来ればそこまで見てみたかった。けれど、私にはそこまでの時間は残されていない。
だって私はその前にその炎に焼かれるのだから。
いくら不遇な扱いをされようと、この国の最後の王族は私だ。ほかにいた、たくさんの兄弟たちはみな死んだ。それ故仕方なく生かされていた私も、ここで死ぬ。この国は滅ぶ。
「いたぞ! 引きずりだせ!」
洗いざらしの麻のワンピースを来た到底姫には見えない私を長剣を持った男たちがよってたかって引き倒す。
物見の塔の前に作られた簡素な広場に私の身の丈ほどありそうな肉切り包丁を持ったマスクの男とくすんだ金の髪の男が一人。それから大勢の武器を持った男たち。
「殺せ! 暴虐の限りを尽くした奴ら殺せ!」
合唱のように騒音が響く。そこへスッと金の髪の男が手を上げると、その音は一斉に止んで辺りが静まり返った。
「アンネリーゼ姫、……最後に言いたいことはあるか」
どうやら最後の慈悲をくれるらしい。相変わらず闇をたたえた瞳と眩しい金の髪をしたラモン王子は、今は外見すら姫には見えない私を最後まで姫と呼んだ。
「……、お幸せに」
上手く言葉に出来ない思いを簡単にまとめて言った。
唯一私を見てくれた人、唯一私の名を呼んだ人。
不幸だったあなたの人生に幸せが降り注ぎますように。
「……やれ」
ザシュン。
私は自分の首が切れる音を聞いて、死んだ。
かつて栄華を極めたヒュッテンフェルトは隷属国の反乱によりその幕を閉じる。しかし革命に成功したその国もまたすぐに滅亡した。原因は革命の旗本であった隷属国の王子の死亡による内部分裂だったという。
かくして二つの国が歴史の闇に消えた。
お読みくださりありがとうございました。