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(空白)  作者: 顔が盗賊
魂の一歩
4/6

4. 化け物の証明と、生き延びるということ




 水戸は逃げた。血と臓物と、その他正体不明の肉達を一心不乱に踏みつけて。

 バシャバシャと血の雨を全身に浴びながら――あの死体の元から逃げ続けた。

 体中を赤に染め、視界が血に濡れても尚足は止まらず、どこまでも続く生ぬるい沼地を必死の思いで駆け抜けた。

 そして遂に、彼は地獄を抜けた。


「っ、はぁ、んぐっ……はぁ、はぁ」


 自分の全力などとうに越え、全身が悲鳴を上げるのさえ構わず走った水戸は、まるで投げ出された人形の様に地面へと倒れ込んだ。

 胸を大きく上下させ、大気の酸素を急速に体内へと取り込む。

 滝の様に流れ出る汗は、全身を休息に冷却していき、霧がかかる程の湿度は、濡れた不快感がいつまでも残ると確信させる。

 それからしばらくの間、水戸は荒く白い息を吐き続けた。

 ただでさえ白みがかった風景を、更に白く染めていく。


「――くそっ゛、なんだってんだっ」


 バシャリと、声とは裏腹に力なく振り下ろされた腕は、湿った地面を叩いた。それでも、ぬかるんだ大地は応えてはくれず、ぬるりと、彼の腕と拳を包み込んだ。

 水戸は、それすらも嘲笑われたと感じ、次の一撃を加えようとするが――。


「ひどい、世界だ、な……」


 そう言って、パタリと無気力に倒れた腕を見る。

 地面に転がった自分の腕を視界に捉えて、根本の分からない無力感に苛まれる。

 ――人が死んだ。フィクションや画面の向こう側でみるのとは訳が違う。

 とは言え、幾分か予想していたし、この世界に来てからは無意識にも覚悟していた。

 しかし、初めて出会った死体がまさか――内側から破裂し、焼けこげ、肉が僅かしか残っていないという、そんな苛烈なものだとは……。


 恐ろしい。今水戸を支配するのは、その感情だけだ。

 飛竜の(かご)で空を飛び、異世界という単語を思い浮かべ、それを無垢にも感動していた自分が……狂おしいほど憎い。

 神殿で捕まり、短くも濃厚な悪意にさらさて、それでも尚この世界に心躍らせていた自分を呪ってやりたい。

 過去の自分に、この世界はここまで残酷なものだと、……否、たった“これだけ”の悲惨を目の当たりにしただけで、佐橋水戸という矮小な生き物は、簡単に怖気づいてしまう事を知らしめたい。

 それくらいすれば、この状況だって――。


「いや……変わらない、か……」


 熱が急速に冷めていく。思考が回転の力をどこかへ放り出す

 今行ってきた思考は全て一過性のものであり、無力な自分にはどうする事もできなかったという現実と、これからも起こり得ると、示唆した可能性に自ら恐怖するという負のスパイラル。

 この様な――危険がすぐそばにある状況に、“今”ではなく“これから”を考える余裕を持ちながら、それに憂い、今を鑑みない、危機に楽観的で無力な脳。

 ……水戸は、それらの現実を全て心に落とし込むと、不思議と頭の熱が抜け、冷静な思考が戻って来るのを感じた。

 唯一違う点があるとすれば、――元の人格よりも冷めてしまったところだろうか。


 水戸は溜息と共に立ち上がり背後を振り返る。ずっと無意味な思考をしてきたおかげであれだけ荒かった呼吸も整っていた。

 老兵士と血肉の絨毯の方向から体を戻すと、それとは正反対の方向に歩み出す。丁度、追って来た足跡を戻り、水戸が目を覚ました場所に戻る道だ。

 しかしながら、特に理由がある訳ではない。行くあての無い森で、方向を決める事に困った水戸が選択した、安易な方向だ。

 もしかしたら、冷めた思考の中に少なからず残っていた“恐怖心”が、その方向を選んだのかもしれない。


 ……だがそれは、自分の落下地点に着いた時だった。


(っ!? 今、何かっ)


 気配、そんなものを感じる能力など無い。しかし、確かに感じた何者かの視線。

 巨大な木々の間を縫う様にして刺したそれに、水戸の身体は反応した。

 ……思えば、ここは落下地点だ。――大きな音を立てたであろう、着弾地点だ。

 つまり、初めに水戸がそう考えた様に、その大きな音に気を引かれた“何か”が近づいてきても、何等おかしくはなく――。


「ヴゥ゛、グゥルルルルッ!!」


 この時、水戸は自分を呪った。あれだけ“自分に”知識をひけらかしていたというのに、その危険予知を自ら踏んづけていくとは。

 そこにいたのは……オオカミだった。――水戸の知るオオカミより五倍は巨大である事、そして、体の関節部から鋭い棘の様なものが生えている事も除けば……。

 それだけではない。頭には赤い角がそそり立ち、牙だって露出する程に長い。

 水戸はその全容を目の当たりにすると、再度自分を呪った。呪い直した。

 そう、地獄は単体では襲って来なかったのだ。


「ぅ、ぁ」


 化け物は一匹ではなかった。巨大な木々の隙間から、黄色く輝く眼が次々と光を放ち、こちらを見ていた。

 睨むとか、虎視眈々と狙っているとか、そういったありきたりなものを全て置き去りにし――そこにあったのは、清々する程純粋な――殺意だった。


「あ、ぁっ……ぁ」


 今自分は、どれ程情けない顔をしているのだろう。命の危機に直面し、一体どれ程震えているのだろう。

 人に見せられるものではない。人に――見せる機会もない。

 ただただ、彼等の眼だけが水戸の感情を支配する。奪われていない筈の命が、あたかも遠隔で吸い取られている様にも錯覚してしまう。

 呼吸が辛い。動悸が止まらない。口が乾く。全身が凍えるくらい寒い。


「……ゥゥ゛、……ゥア゛ッッゥ!!」


 ――遂に、オオカミが動く。跳び出した一匹を皮切りに、水戸を血肉にしようと殺到する。

 木々を縫う様に進んでくる彼等の顎が、久方振りの獲物に嬉々として狙い定める。


(そう、だ……)


 水戸は、遅くなった時間の中で、ふと思った。

 ――もしも、この世界に英雄や勇者がいるのならば、ここから助け出してくれるだろうか。この窮地に最高のタイミングで現れ、「大丈夫か」と声を掛け、背中に守ってくれるだろうか。


 あぁ、でも、分かる事がある。――熱い息を吐き出す、赤くて唾液に濡れた入口がもう、目の前にあるのだ。

 命の危機に際し、実にくだらなく、都合の良い事を考えている間に、地獄との距離がすっかり縮まっていた事を知る。

 それどころか“目”の前、右耳の前、後頭部の前、左耳の前――両肩の前、背中の前、胸の前、腹の前……。――数えるのも億劫になる程、体中に生き物が出す熱を感じる。

 なんて、熱いのだろうか。未だ、目から脱出すらできていない涙よりも、熱い熱だ。


 水戸は思う。この状況を打開できる人間がいたら、そいつこそ“化け物”だと。

 全身くまなくむしゃぶり(・・・・・)つこうとする怪物オオカミよりも、よほど怪物だと。

 気づけば、恐怖などという感情はとうに過ぎ、スッと抜けた様に体が軽くなっていた。

 最後の最後だけは世界も優しい。悔しいが、そう思う他ない。


 ――そして次の瞬間、血が見えた。視界の中におびただしい量の血を見た。直後に牙も見た。……牙も……見た。

 次は眼を見た。黄色い眼だ。徐々に輝きを失う、“人間以外”の眼だった。


「――――ぁ、……何、が、」


 ここで水戸は現実に引き戻された。遅くなっていた時間が時を正常に刻み始め、呼吸のテンポが鼓動に最適化されていった。

 水戸はすかさず自分の手を見る。確かに二つ、水戸の方を向いている。肩も食いちぎられてはない。

 二本の足は、地面の上で体をしっかりと支え、腰の上に乗った上半身は、中身も無事だ。

 そんな中、水戸はもう一度周りを見る


 そこは、――赤の絨毯だった。

 水戸を中心にして広がって、湿った大地を赤く染めあげていた。

 奇しくもそれは――老兵士の死体があった血肉の絨毯と、同じような風景だった。

 奇しくもそれは――怪物(英雄)なら起こせるだろうと思った、そんな奇跡の光景だった。


 ……直後、水戸の眼球がぐるりと回る。瞼の中に入り込んだ瞳が水戸からその光景を奪う。

 そうやって自らを暗闇放り出した水戸は、そのまま穏やかに意識を手放したのだった。




―――  ―――  ―――  ―――  ―――  ―――  ―――  ―――




 ――その光景を彼等は見ていた。

 青年の視界を借りて、白い空間に集まった彼等はその光景に憂いていた。


『よもや、この様なカタチで覚醒するとは……』


『力の獲得が、これからの人生に幸福をもたらす……と考えるのは、いささか無理が過ぎるか』


『ああ。その過程で、彼の負った傷はあまりにも深い』


『この世界で初めての、人間との邂逅が“こんなもの”だったとは。――我らも、予期できなんだ……』


『彼は人の悪意に晒された。強い悪意だ。そして、いつかはそれを知る事になる』


『否、それは(さと)い彼なら、既に理解しているやもしれぬ』


『それでは、彼は既に……』


『このままでは“奴”と……』


 その続きの無い言葉に、形無き彼等は一斉に黙り込む。白い空間が暗くなる錯覚を得てしまう程に、静寂が訪れる。

 ……しかし、それは一つの声が一瞬の内にかき消すことになるのだった。


『大丈夫さ。“また”僕が保証するよ』


『この青年が、この様な悪意を許容すると……?』


 疑念。それだけがこの集合を支配する。

 ただ、それに真っ向から対峙する一つの声は続ける。


『完全とはいかない。それは僕も分かっている。でも、彼は“奴”の様な狂人にはならないよ』


『力は人を狂わせる。そして、ほんの僅かな悪意でも、受けた者の心を蝕んでいく』


『――それが、永き命を得た彼なら尚更……』


 そこに肯定は無い。否定に次ぐ否定の嵐がその先も続く。

 これからも人間を憎む出来事があるかもしれない。それどころか、彼の状況を鑑みればその可能性は余りにも高い。

 彼をそこに落とした組織、集団が、再び彼に悪意を振るうかもしれない。

 ――その時、彼がどのような判断を下すのか……。


『彼の力は我々の想像を凌駕している。つまり、彼の決断を曲げる事は叶わない』


『人への負の感情が高まり、それが彼の中で“完成”を迎えてしまった時――』


『彼は、更なる力を持った“奴”に成り代わるだけだ』


 いつしか、一つだけ抗っていた声も聞こえなくなり、一方的に、未来を恐怖する声だけがこの場を席巻する。

 言いながら、それを自分で聞きながら、増々悲壮に苛まれる事を自覚しながらも、彼等はその声を止める事ができない。

 誰が何を、どんな事を言っているのか分からない程に、煩雑な声が、感情が、木霊する。だだっ広いはずの白い世界が、その反響をうるさい程に彼等へと返す。

 ――しかし、またしもそれは一つの声が終わらせる事になった。


『――ほら。来たよ。僕達の――“希望の希望”が』


 今、“彼”の視界は真っ暗だ。その代わり、意識の表層まで出て来た彼等は、その存在を感じる。

 水気のある足跡を伴って、その誰かが近づいてくることを。


『大丈夫。彼は“堕ちない”。それに、彼の救う“魂達”が、それを許さないよ』


 今まで声高に悲観を唱えていた彼等は、無き喉元を引き攣らせた様に黙り込む。

 それでも、そこには悔しさなどは微塵もない。ただ自分達が如何に愚かであるか、如何に無力であるかを痛感した様に、無言の叫びを上げるのだった。

 そして、その足音に“希望”を抱きかかえられると、安堵の感覚を得た彼等は静かにこの白い空間を後にする。

 またしても一人、この白の世界に残して。




『“君の言葉”で言うなら――“オールベット(オールイン)”だ。ふふっ。しかも、おかしなことに、賞金は――賞品だって、全部君のものさ』


 ――だから、頑張って。


 最後の一人はそう言って存在を消す。

 白の空間は再びの眠りに就き、次の開幕を待つ。




―――  ―――  ―――  ―――  ―――  ―――  ―――  ―――




 水戸は跳び起きた。……ふかふかのベッドと、温もりの消えない毛布に挟まれながら。

 窓のステンドガラスは薄暗く、かわりに天井にあるシャンデリア紛いの明かりが室内を淡く照らす。


「ここ、は……」


 ありきたりな言葉を吐きながら横を見れば、小さな机の上には水の入ったピッチャーとコップが置いてあり――と、たった今思い出した記憶と照らし合わせれば、おのずと状況が見えて来る。


(助けられたのか。俺は)


 死の恐怖を体験し、辛くも、そして理由も分からないままに脱した水戸は、その場で意識を失った。……もしかしたら、手放したと言った方が妥当かもしれない。

 周囲から自分の身体に視線を落とせば、毛布の中に上質な衣服を着せられた半身が見える。

 体の汚れも綺麗に落とされており、不快感などは微塵もない。

 どうやら、一応の歓迎は受けているのだろう。水戸はそう結論づけた。


「お体の具合は如何ですか?」


「のわっ!?」


 突然の出来事だった。

 その降って来た様な言葉に、水戸は驚きの余り毛布をふっ飛ばした。……ただでさえ高い天井まで飛ばされ、ボフッ、と重い音を立てた事に思うところもあったが、今はそれどころではない。

 なにせ、目の前にいるのだから――デッサン人形を等身大にした、顔の無い人型が……。


「これはっ……驚かせてしまい申し訳ございません。ワタクシの様な存在は初めてお見えになると知っておきながら……」


 そう言って胸に手を置き、頭を下げる人型。水戸はそれを見て、ひとまずの落ち着きを取り戻した。

 考えて見ればここまでの好待遇だ。余程手の込んだ罠でもなければ、ここにきて眼前に敵が現れることなど考え難い。むしろ不可解だ。

 そう思い、彼が再びベッドに体を横たえると、頭を上げた人型が言う。


「御主人様にご報告して参ります。どうか、そのままお待ち下さい」


 それは、逃げるなという事か。それとも、病み上がりというべき具合に、礼は構うなという事だろうか。

 だが、その思考もすぐに終わる。どう考えても後者だろうと簡単に判断がつく。

 そして、水戸が体の力を抜いた頃、部屋の扉が開いた。


 水戸は、どんなご当主様だと勝手な人物像を思い描いていたが、それはどの要素においても、一致をみる事はなかった。

 ただ一つ、“高貴である”という点を除いて。


「ご紹介致します。ワタクシの御主人であらせられる、ミレーナ様で御座います」


 白い肌、赤い眼。柔和な笑み。そして、口を開いた時にだけチラリと顔を見せる――短い牙。

 肌とコントラストを組む様な黒衣を身に纏った人物――ただただ美しい、そう思ってしまう美貌を纏う女性が、そこにはいた。

 彼女は、綺麗な弧を描く口を開き、言う。


「初めまして、旅人さん。私はミレーナ。この館の主をしているわ」


 ただ話しているだけで見惚れてしまう。その女性から目が離せなくなる。

 しかし水戸は、己の自制心や、なけなしの自尊心を以ってして、その拘束を打ち破るのだった。


「こ、こちらこそ初めまして。いや、助けてくれた事に感謝する。ありがとう。俺の名は、水戸と言う」


 不遜。――命を助けて貰った礼としては余りにも。

 それは、ぎこちなさとか、そういったものを超越していた。水戸は、自分はここまで不愛想で失礼だったのかと、これからの社会生活に大きな不安を覚える事になった。

 ところが不思議な事に、ミレーナと名乗った女性は不快感一つ見せる事なく――。


「ミト、と言うのね。それでは――」


 その言葉の後、ミレーナは水戸に近づく。そして巨大なデッサン人形が持ってきた椅子に腰かけると、水戸と同じ目線に顔を持ってくるのだった。


「体が大丈夫か調べるわね。少しくすぐったいかもしれないけど、我慢して頂戴」


 そう言って彼女は、手を水戸の胸に伸ばす。水戸は一瞬だけ体の硬直を覚えたが、彼女の表情を見たら自然と緊張も和らいでいった。

 それは彼女の顔に慈愛を見たからに他ならず、初めは恐怖さえ覚える程に美しさに圧倒されたが、今は包まれたいという安心感の方が強かった。

 そんな事を思っている間にも彼女の手は近づき、そのまま水戸の胸へと着地する。すると、淡い緑色の光が溢れ出し、水戸の身体を包み込んだ。


「――うん、異常は無さそうね。良かったわ」


 診察の様なもの――十中八九“魔法”の行使が終わった彼女は、元の姿勢に戻って言う。

 水戸は、驚きはしていたものの、努めて平静に彼女の言葉を聞いた。


「そうね。貴方、自分がどこで倒れていたか、記憶にあるかしら?」


「あ、ああ。多分…………ぅ゛」


 血と肉の絨毯。それを思い出すだけで、頭が割れる様に痛み出す。

 その光景を追いかける様に、あの老兵士の惨状がフラッシュバックしてくる。


「っ。ごめんなさい。思い出したくはなかったでしょうね」


 水戸が痛みに苦しむ様子を見て、記憶がある事だけを確認したミレーナは立ち上がる。

 そして、頭を傾け水戸をやさしく見下ろすと言う。


「まずは体を休めて。また後で来るから。その時、お話しを聞かせて頂戴」


 またね、と言って部屋を辞したミレーナ。それに片手だけ小さく振って、苦し紛れの笑顔で応える水戸。

 水戸は、勝手に動いていた手を毛布の中に引っ込めると、そこに残っていた人型を見る。

 すると、水戸が何か訊きたがっていると思った人型は、ベッドに近づいて言った。


「何かご用命とあらば」


「いや、あー、なんだ。一応アンタにもお礼を、と」


 だめだ、なんだこの口調は。

 先程の不遜さの手前、丁寧を意識した水戸だったが、それでも口をつく乱暴な言葉の羅列に増々頭が痛くなる。

 しかし、あのご主人にしてこの召使い(?)。この人型もまた、気にした様子もなく言う。


「滅相も御座いません。ワタクシは御主人様に仕える身。あの御方が貴方様をお救いになると仰るのならば、それはワタクシへの勅命となるのです」


 舌を噛みそうな言葉に、水戸は圧倒されてしまう。ここまでの善意に、最早疑うという感情が湧いてこない。

 とはいえ、あの悲惨の状況が現状を持ち上げているのか、それとも、ただ単純に自分がほだされ易いのか、その答えが出るのは随分と先になりそうだが。


「もしかして、アンタがここまで?」


「確かにそうで御座いますが、どうかお気になさらず」


 最早、謙虚を通り越して自分の価値を下げているとしか思えない。

 恐らく、この人型を設計した誰かは、ここまでが限界だったのだろう(?)と、その技術力の高さを、高すぎる事を非難しながら、それでいて評価する。

 謙虚過ぎる人工知能など、前の世界に存在しただろうか、と。


「まぁ、それでも感謝している」


「こちらこそ、そう言って頂ければ」


 これ以上は不毛と判断した水戸は、話を切り上げる。

 それでも頭の中では、譲り合いの精神も深すぎれば毒だと、こんな状況で学ぶ事態に、運命の不思議を感じていた。

 ともあれ、勧められた通りに寝直そうとした水戸。……だが、その時だった。水戸は己の犯したミスに気付く事になる。


(あっ、真名(まな)を……教えてしまったな……)


 この世界に在るかは知らないが、人の持つ真の名を知る事でその人の行動を縛る、というのを聞いた事がある。

 気にし過ぎかも知れないが、人間に“あんな仕打ち(爆弾)”が出来る様な世界だ。何があってもおかしくはない。


 水戸は、黙り込んでしまった自分に首を傾げるデッサン人形から視線を外す。

 そして、飛ばしてしまった毛布は被らずに、淡い明るさを瞼で遮って再びの眠りに就いたのだった。

 意識を手放す寸前にそっと、僅かに肌触りの違う毛布が掛けられるのを、確とその身に感じながら。





次話も、よろしくお願いします。


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