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(空白)  作者: 顔が盗賊
魂の一歩
1/6

1. 最後の日常




 ――ここは神殿。

 淡い光の降る天井は高く、岩の壁に隙間なく施された彫刻は、ここが途方もない年月をかけて作られた場所である事を示す。

 細く、寸分違わぬ直線を描き出す水路は、そのせせらぎを穏やかに響かせる。

 ここに在る物は、全てが静謐であり精密。

 芸術と幾何学を調和させた光景は、全ての方向に余す事はない。


 今、その中心に十の人が立ち、さらにその中心の祭壇に、一人の人間が体を横たえている。

 彼等は皆例外なく暗い黒衣を纏い、一切の口を利こうとはしない。

 祭壇を囲み立つ彼等は、ただただ、彼等しか知り得ない“その時”を待つ。


 ――そして、


 天井より、星降る様に照らしていた光が消え、それをかき消した新たな光――祭壇を中心とした巨大な魔法陣が現れる。

 衝撃にせせらぎは波と揺れ、閉じられた空間に大きな風が吹く。

 だが、それでも彼等が動く事はない。微動だにしないその身は、マントだけを揺らして、そこに在り続けた。

 その間にも、魔法陣は祭壇の周りで蠢く様にして自らを拡大していく。例えあらゆる図形を組み合わせても、今この場に描き出される複雑さには決して届かない。

 それでも、その造形は乱雑とも表現し難く、理解できなくとも美しい。そんな感覚を得て止まない。


 次々に創り出される紋様は幾重にも重なり、己が“意味”をこの世界に創り出していく。

 いつまでも見ていたい、はたまた語り継いでも良い、そう思える光景。

 ……ところが、その光の祭典は、ある時点を以ってきっかりと、瞬きの間に集束してしまう。


 常闇に帰った世界。そこに、天井より淡い光が戻る。

 対である地面にかき消されていた光は、まるで抑圧から解放された様に、以前よりも少しだけ強く光っていた。

 空間にいつもの明るさが戻り、在る物全てが曖昧な輪郭で影を落とす世界。

 

 ――気付けば、黒衣の集団は姿を消していた。


 残ったのは祭壇と、そこに横たわる――青年だけ。

 その青年のものだろうか。心臓の鼓動さえ聞こえるその静寂は、次の日の目を、今か今かと待ちわびる。




―――  ―――  ―――  ―――  ―――  ―――  ―――  ―――




(目標まで90メートル、正面左寄り、微風―――整った)


 シュッ、と放たれた鋭い音は――ストンッ、という気持ちの良い音に終わる。


――10点、次。


 秋晴れの空。アーチェリーの練習場に響くのは、矢が的を射抜く心地良い音。だが、それを奏でている本人の、その耳には届かない。


――10点、次、――次、――次……。


 そう。彼が感じるのは、矢の微細な揺れと、頬を撫でる僅かな風だけ。


――円の外……無し。


 まさしく矢継ぎ早に放たれた矢は、直前の弾道を違わず追い、“全て”が的の中心部に突き立った。

 矢が例外なく最高点のエリアに刺さっている光景。それは驚くべきものであると同時に、称賛されて然るべきもの。……だが不思議なもので、同じく周りで練習にしている者達からの視線は、なんとも冷ややかなものだった。

 そう、何故なら、その光景は既に“当たり前”になっているからだ。


「全部中央か。化け物め」


「……まぁ、いつもの事だろ」


 小声。(ささや)き。

 後ろの通路からも同じような会話が聞こえる。しかしそれは、言葉を向けられる彼にとっては、至って聞き慣れた言葉だった。

 彼は矢筒に残った一本を番える。ところが今までと少し違うのは、彼は目標をろくに狙わず、それを放ったのだ。

 だが、その矢は他の矢と変わらず……10点のエリアに吸い込まれ、あろうことか、直前の矢に当たって鈍い音を放った。

 それを見送った彼は構えと解き、肩をぐるぐると回しながら力を抜いていく。

 今日の練習は終わり。いつも通り。本当に代わり映え無く――。


(結局、今日も外れなかったな)


 そう、これが彼――佐橋水戸さはし みとの日常。

 もう何度言ったか分からない。そんな彼の呟きは、秋の寒空に寂しく消えていった。




―――  ―――  ―――  ―――  ―――  ―――  ―――  ―――




 ここは、とある私立高校。スポーツに秀でた才能を持つ学生を集めるスポーツの名門。

 最低限の一般教養を身に着かせながら、あとは部活に精を出す。長年この考えを保ち、これまで数多くのスポーツ選手を輩出してきた強豪校だ。

 しかも、この二年間は学校の歴史の中でも特に優秀な成績を収めていて、なんとそのほとんどは、たった一つのクラスの活躍によるものだった。

 そう、こんな感じの……。


「みっと、くぅぅぅーん!! そそいや゛っ!!」


 ここは二年生の教室。午前最後の授業が終わり、生徒が皆雑談を始める中、一人の学生の放つ蹴りが、大人しくノートをまとめている学生、アーチェリー部の佐橋水戸に迫る。


「危ないぞっ、と」


 しかし、水戸はそれを難なく避ける。しかも驚くべき事に、後頭部を狙った蹴りをろくに振り返りもせずに。


「おおっ、避けたな! これでも俺、インターハイの優勝チームにいるんぞ」


 そんな的外れな文句を言うのは水戸の親友、吉沢常幸よしざわ つねゆき。高校一年からインターハイでレギュラーに抜擢され、チームを優勝まで導いたウルトラルーキーだ。そして何より、彼は球を蹴る時以外はラノベを読み漁る自称“根っからのオタク”。最近は、球を蹴りながらラノベを読む挑戦をしているという。

 そんな彼だが、助走までつけた蹴りを難なく避けられ、悔しさを滲ませながら水戸の席に近づく。

 行儀悪く机に腰を下ろした親友に、水戸は溜息混じりに言う。


「選手資格剥奪だな。本来“ボールを蹴る”ための蹴りを、俺みたいな善良な一般市民に食らわそうとするとは」


「……善良。ほぉ」


 当たり前の様に放った言葉。だが、友人から返って来たのは、溜息だった。

 しかしながら、水戸も自分が完全無血の善良とは言えない事に気付く。よって、苦し紛れの弁明を口にするのだが……。


「んぅ。まぁ……いや、そうだな。少なくとも一般人ってところは皆も――」


「え? 何かの冗談?」


「――面白く無い冗談だねー」


 三度(みたび)考えてみて、やはり善良という言葉は適さないかもしれない。

 だが、一般人である事を否定されるのだけは納得いかなかった。しかも、周囲で聞き耳を立てていたらしい友人達も同調する始末だ。

 水戸はそれを不服と、彼等に目線で異議申し立てを行うのだが……。


「そっかー、一般人の定義が私達と違うんだね」


「自覚が無いのか。まぁ、水戸だし。うん、水戸だし……」


「そうだよー。水戸君は高校を卒業する前に、人間を卒業したんだから」


 家に証書を飾った覚えはない。

 全会一致で棄却に、水戸は反撃の意思すら挫かれそうになる。加えて、何が「そうだよー」なのか、皆目見当がつかなかった。

 それどころか……一番の味方である筈の女子にまで否定されてしまった水戸は、悲しみのあまり、本格的に悲しくなるのだった。


 さて、その間延びする様な声の主こそ、こと水戸が味方と思う女生徒。名は清水凛しみず りん

 彼女は、何故かこの二年間“全て”の席替えで水戸の隣に座る――水戸曰く、全く以って謎の人物だ。

 実家が資産家であるとか、水戸の隣を金で買っているとか。根拠どころか理由さえ不明な噂が絶えないが、モデルも羨む彼女の美貌と裏表の無い柔和な性格からくる人望で、それは専らジョークの扱いだ。


 ちなみに、嫉妬からか、上級生の女生徒にそそのかされ、凛に手を出そうとした総勢十名の不良グループは、下校中彼女をつけていたところを水戸と常幸――そして今、こちらを見ながら席をゆらりと立った“武人”の三人にコテンパンに伸されている。

 ……その結果、ゴミ捨て場に積み上げられた悪党共の全身には、一生消えない痣が無数に残り、さらには鼻を折っている者も数名いた。だが、彼等の安いプライドのおかげか、自分達の悪巧みを知られないためか、警察や学校にはバレていない。


 と、そんな事のあった彼女だが、今は水戸の敵。残念ながら水戸にとってここは完全にアウェイである。


「そうだねー。水戸君はアーチェリーで当然敵なし、勉強してなくても成績上位。それに他の部活に顔出しては全国覇者をなぎ倒してるよね。そういう趣味なのー?」


「いや、そういうわけでは……」


 そういう趣味とはなんだろう……。

 そんな風に思いつつ、水戸が煮え切らない弁明をした頃、今度は常幸が茶化す様に言う。


「それにしても清水、よく見てんな、まるで水戸のこと――」


――ギロっ


「ひぃっ」


「…………」


 そこには当然、外聞の悪い言葉が続く筈だったのだろう。――ストーカー、監視、等々。

 しかし、常幸が言いきる前に、彼の全身を氷水の中に突き落とされた様な寒気と衝撃が走った。

 結果、常幸の体は完全に硬直。――虎も毛皮を置いて逃げ出す程の双眸に睨まれたら、誰でもそうなる。

 一方、水戸はその恐ろしいやり取りに対して、努めて無言を貫いていた。


 常幸は凍結と言うべき硬直からなんとかして体の制御を取り戻すと、即座に話題変えに乗り出す。本当に必死だった。


「あーー……。そぉっ、そうだ、あれだ! 水戸、この前の柔道の時間――いや、最近はいつでもどこでもだっ。そろそろ、俺のことを日常的に“亡き者”とする悪巧みは止めて欲しいなっ」


「ん? 俺、そんな事してたか?」


 話題探しから始まった言葉は、すぐに水戸に向けた非難に変わる。とどのつまり、丁度よく思いついた話題に過ぎない。

 ……攻め立てようとした瞬間、またもや常幸を悪寒が襲ったが、先程よりはマシ、と苦し紛れの話題替えを続行し、全力で言葉を絞り出した。

 常幸は水戸を真っすぐに見据え、感情を殺した様な声でその事実を羅列していく。


「廊下で昏倒のラリアット……腕の持ち主は、誰だ?」


「俺」


「後頭部強打の原因になったバナナの皮……置いたの、誰だ?」


「俺」


「教室扉のトラップで黒板消しの替わりに――――ダンベル吊り下げたの、誰だ?」


「俺」


「ステージの校旗吊り下げるやつに……どうやってか、俺の袖通して、そのまま上昇させたの、誰だ?」


「あれかぁ。――こう、天にスーッと召される感じで、いい眺めだっただろ?」


「っ、ちょっとは悪びれろやっ!!」


 得意げに言う親友に、常幸は怒り心頭。

 してやったりな顔を目の当たりにした彼の心情は、想像に難くない。

 ……ところで、だ。それにしても周囲の反応が薄い。しかも被告人である水戸ではなく、周囲の目が常幸に向いている事も本人の驚きを倍加させた。

 そして、その中の一人、さっきまで底冷えする視線を放っていた凛が、雰囲気を一新して申し訳無さそうに口を開く。

 常幸はそれをおっかなびっくり、丸い目と高まる疑念のままに見た。


「………? それは吉沢君がー……ええと、その――(受け身が下手? 下手過ぎるから、とか……。廊下の角でも間が悪いとか。バナナの皮は、運が悪かっただけ……だよね? 他の人はみんな避けてたし。それに、わざわざクッションが用意されてたけど、あれはまるで避けたような倒れ方だったよね? コンクリートの床にゴツンって。ダンベルも……丸見えだった筈。校旗みたいに吉沢君がウィーンって上昇していったのも、普通は袖を通された時に気付くよね? うん。あとは……あ! 猫を助けようとしてトラックに轢かれかけたこともあったかな? でも、あれって猫は悠々と歩道に避けて行ったからあまり意味は……。それと、それと……)」


「「「…………」」」


「あ、あ、あれ? いや……その……」


 被害者から一転、……ただの憐みの対象となってしまった常幸。無論、凛に悪気は一切ない。

 ……濁したにしては長く、こと細かに説明された呟きに周りのメンバーは同じ顔をする。

 繰り返すが、彼女に悪気はない。


「ち、違うんだって!! そうだ! 柔道の時はあれだっ。水戸がいきなり目の前からサッと消えてたと思ったら、もう意識がなかったんだよ!!」


「へぇ。――で? 他は?」


「え」


「弁明だ弁明。他に対する弁明は?」


「ぅ……」


 本来、ここで常幸が萎縮する必要はない。加害者は紛れもなく水戸なのだから。

 猫の件にしても、当時それを耳元で、あたかも洗脳する様に――


『アノ猫ヲ、助ケヨ……』


 と囁いたのは水戸だ。

 しかし、何故か圧倒的な勝者の雰囲気を醸し出し、有無をも言わさず遂にはふん反返った水戸に対して、常幸は反論できないまま。……恐ろしい話だが、既にマインドコントロール下に置かれているのかもしれない。




 さて、被害者としては悲しい限りだが、話題は違えどここまでは“いつもどおり”と言えるくらい日常的なやりとりだ。

 水戸が自分にかけられた超人疑惑をさっさと(かわ)し、被害者のタスキを輪投げの様に親友目がけて投げつけるのも、また日常。

 水戸は、「こぉぉぉ……」と音の無い声で嘆く常幸を見ながら、実に満足そうな顔をするのであった。


 そう。もし、この日常がここで終わってくれるなら、水戸の思い通りと言えた。

 だが多人数の、それどころか、他の生徒もいる教室の中で話題を完全にコントロールするのはやはり困難で……。


「ふんっ、ふんっ、ふんっ」


 ズンッ、ズンッ、と、ずっしりと重い音。だが、それでいてキレのある足音が近づいてくる。

 時を置かずして水戸達の輪に影を落としたのは、一人の“武人”だった。彼はがっしりとした体格に似合う大きな口で言う。


「お? なんだなんだ? 泣く子も黙る全国柔道“無差別級王者”の俺様を、畳の外まで二度も投げ飛ばした傑物、そして怪物――水戸の話か?」


「は……?」


「水戸君ー、相変わらず凄いね」


 制服着用が義務であるこの高校で、いつも柔道着を着こむ彼、近藤剛こんどう つよしは、『誠あっぱれ』という顔と大げさな身振りで会話の輪に入って来た。

 やはり水戸の超人疑惑は、そう簡単に晴れてはくれない様だ。


「で、(なん)だ。何で来た」


「おお、いつも通り清々しい程の邪険っぷり。はっはっ、答えよう。――食堂に行こうとしたら水戸の周りがなんだが楽しそうでな!! 俺様も混ぜて欲しく、馳せ参じた次第!!」


「おぅ。確かに楽しいな」


「これが楽しそうに見えるかっ」


 うるさいくらいの声量でありながら不快にならない、そんな武人の声は清々しく、彼は輪の中に大きな体を差し入れた。

 未だ常幸が若干拗ね気味だが、いつもの事で、気にしない。


「それにしても、立ち上がりから随分とかかったな」


 確かに、水戸の言う通りこの武人が立ち上がったのは相当前だ。水戸は横目でこちらを伺う武人を見ていたのだが、それにしても動きがなかった。

 しかし、水戸の言葉に然も当たり前の様に応えるのは武人だ。


「楽しき雰囲気に水を差してもいかんだろっ。ふははっ」


 そう、この武人は体格に似合わず人への気遣いに敏感だ。能動的な事柄に敏感というのもおかしな話だが、それでも自分の行動を逐一かえりみる人物なのである。

 そんな、一歩間違えば神経質と言われかねない武人の登場を皮切りに、教室内の生徒に一つの流れができる。

 それはまるで、水戸を中心に吸い込まれる様な容だった。


「お? お前らどうしたん?」


「何々? おもしろい事?」


 水戸の周りに人が集まりだす。当然、水戸の表情はすぐれない。それは……ニヤリと口角を上げる彼等の顔を見れば、尚更だった。

 その悪意のある顔の一つが、まずは俺から、と水戸の肩を叩きながら言う。


「あ、そういえば水戸! 昨日お前がへし折った新品の金属バット、監督に備損(備品損害)届、出しといてくれよな」


「あれは、お前がボールを打つ代わりにバットを投げ飛ばしてきたのがいけないんだろ? 一年生から甲子園優勝投手が聞いて呆れるわ」


「ぐっ」


 まず水戸に攻撃を仕掛け、速攻反撃を食らったのは野球部員、水無川泰助みながわ たいすけ。彼は水戸の言う様に弱冠一年生にしてチームのレギュラーの座を勝ち取り、その怒涛のピッチングでパワーピッチャー、コントロールピッチャー、フライボールピッチャーの三者を兼任する高校球界の怪物である。しかも、バッティングでは打率六割を超え、そちらも上々。

 つまり、オールマイティな能力配分をしながら全て最強と言う――言ってしまえばゲームのチートキャラだ。

  そんな泰助は水戸の用意していた様な応えにさらに反論する。


「飛んで来たバットに気付いて、それを“謎の棒”で打ち返してきたのは何処のどいつだよっ」


「ああ、あれはバスケのゴール? をキュルキュル動かすやつだ」


「あれ? うちの体育館のって電動じゃ……」


「そんな事言ってんじゃねぇ!! っていうか何でそんなもんがグラウンドのあるん「ああ! それなら、先週水戸君が握り潰したテニスボールも!」」


「「「握り潰した!?」」」


「ああ、火事場の馬鹿力ってやつだ」


「火事場? なら、お前の周りはいっつも大火災じゃねぇか」


「山火事かもねー」


「噴火? 噴火じゃね?」


「っというより、あれは、お前らテニス部が場外なんかにボールを出したのがいけないんだろ? 危うく当たる所だったんだぞ」


「ええ~~」


「それは握り潰す理由にはならいんじゃ……」


「ねぇねぇ。それなら、私がブン投げた砲丸もさぁ」


「「「「「砲丸!?」」」」」 「ふははっ、なんだそれはっ!」


 ――今日も周りは賑やか。そんないつもの光景を見て水戸は、やれやれと肩を竦めながら席を立つ。そして彼等に聞こえる様に二度手を叩き、注目を集めた所で……。


「ほらお前ら、そんな事より飯だ飯。飯にするぞー」


「おい、まだ話は終わって……い、いない!?」


 この(ごろ)、クラスの恒例行事になっていた水戸いじりは、本人の宣言により終わりを告げ、それから飛ぶ様に廊下を駆けていった彼をいつも通り皆で追っていったのだった。




―――  ―――  ―――  ―――  ―――  ―――  ―――  ―――




 部活も終わり、ここは水戸の実家、その自室。

 水戸は高校から帰って来て早々ベッドに仰向けになり、目の焦点を合わせず曖昧な輪郭のまま天井を見ていた。


(俺には、やはり……何か得体の知れないものが宿ってるのか)


 最近は他のネタも上がっているためか、なかなか表に出ない彼の種目、アーチェリー。

 ――射れば当たる。そんな、ある意味卑怯な能力は、幼少期から既にその片鱗を見せ、それは彼の人生のページに少しずつ、インクを落とす様に色彩を加えてきた。


 ――あれは幼少期。

 水戸が無造作に玩具を投げ入れた箱。その中を母親が見ると――まるで大人が整理した様――まさに理路整然と玩具が並んでいた。『それからはわざと玩具を散らかしておいた』とは母親から聞いた話だ。

 三歳を過ぎた頃。玩具のバットで父親と遊んでいたのだが、ボールを投げる父親はキャッチする手を一度たりとも動かさなったと言う。

 これだけ聞いてもまだ可愛いと思うだろう。問題はここからだ。


 ――あれは少年期。

 小学生になった水戸はアーチェリー教室に通い始めた。すると初日の講習の後母親がコーチに呼ばれた。コーチ曰く『息子さんを預からせて欲しい』と。

 それからコーチは、絶対にオリンピック選手にしてみせるとも言ったらしい。……だが、母親はきっぱりと断った。……その真意は今も定かではないが。

 そんな母親の剣幕に圧倒されたコーチはそれから何も言わず、それでも水戸は教室に通い続けた。

 それからは怒涛の進撃だった。

 水戸は、出場した大会は全て満点で優勝。そのまま中学生になるまで、呼ばれたあだ名が『サジタリウスの子』。ちなみに、その頃から父親は、知り合いどころか会社でも『サジタリウス』と呼ばれたらしい。


 ――「サジタリウス課長! この書類確認をお願いします」

 ――「今晩は輝いてますよ。課長の(星座)

 ――「あれ? あの辺に光ってるの課長じゃないですか?」


 ……水戸は思い出しつつ、今更だが申し訳ないと感じるのだった。

 その後は、実のところ単純。中学生の時も全ての大会で優勝した水戸は、中学特有のイジメすらその能力を使い、人には言えない様な方法で簡単に乗り切ったのだった。


 ――そして今。

 スポーツ推薦どころか、スカウトで高校入学を果たし、やはり今まで一度たりとも負けはない。

 そんな、スポーツマン、アスリートとしては最高最強の人生を送る水戸だが、インターハイを近くに迎え、何故か顔色は優れなかった。


「ふぁ~。来月はインターハイ。その前に壮行会。今回は吹くなよ、突風君」


 水戸は、“実体の無い相手”に批難の目を向ける。そして、それが無意味だと分かったのか、仰向けの体をうつ伏せに直し、枕に顔を(うず)めた。


(本当、勘弁してくれよ……)


 今、水戸の脳裏に映るのは、去年のインターハイの光景。

 ――突風に煽られた自分の矢が“放つ前に思い描いていた弾道”にピタリと舞い戻る、という不可解な光景。

 結局は優勝したその大会も、翌日の全国新聞には、表彰台の一番上に立ち、しかし素直に喜べていない自分の顔。そして、周りにいた筈の観客や選手の顔は、“まるで故意にそうしたかの様に”ぼかされていた。

 ……しかし、水戸は覚えている。

 不満、疑念、そういった雰囲気が滲み出た周りの選手達と、どこか納得のいかない顔を並べる観客達の姿を。


「――っ」


 あのインターハイの翌日、水戸は練習場に足を運んだ。それは、当然前日に起こった不可解な現象を検証するためだ。

 彼は早速道具を準備して九十メートル先の的を射た。すると矢は、当たり前の様に中心へと刺さった。それは問題ない。

 次に、的の中心から少し射線をずらして矢を放った。今回はどうなるのかと、水戸は時間が遅くなった様な感覚を味わいながら矢の弾道を見た。


 シュッ:鋭い音、――“ヒュイッッィ”:異音、――ストンッ:命中音。


 そして、見てしまった。自分の放った矢が動きもしない的の中心を“まるで追いかける様に”弾道を変える、その瞬間を。

 ――あの時の音は今も、水戸の耳を離れてはくれない。


 その光景を目の当たりにした直後、水戸は一心不乱に矢を放った。

 それこそ、乱雑に、乱暴に。……しかし、全ての矢は空中で弾道を変え、的の中心へと吸い込まれていった。

 そう、その時ようやく気付いたのだ。自分の手にある、真実に。

 今まで、的の中心を射抜いてきた数多の矢。それは全て、外さなかったのではなく、“外せなかった”結果である事を。

 気付いた現実。その余りの衝撃に、乱暴に射続け、痛々しい姿になった左手の感覚は、もはや頭に入ってなどこなかった。




「――その後俺は……って、全然寝られん!!」


 一人回想に耽っていた水戸は、枕の中から勢い良く頭を出す。

 そして、今度こそ寝るぞ、と軽いストレッチをしてベッドに横たわった。


「みっと~、夕食~」


 ……ところが、水戸が惰眠を貪る時間は、母親の間延びした呼び声と共に、始まる事なく終わりを迎えたのであった。





ここまでお読み頂き、ありがとうございます。

あらすじの通り、各章書き上げ後、投稿していきます。

どうぞ、よろしくお願いします。

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