ありのままで
もっと心から、ありのままで生きることができたならー…。
…最近疲れているのだろうか。ふと気がつくと、オフィスから窓の外の青を見て、そんな想いに耽っていたりする。契約社員として、この会社に転職して4年目。毎日毎日、心と体を磨り減らす日々。決して自分を偽って生きているつもりはない。けれど、下げたくもない頭を下げ、笑えない話に口角を上げる度、自分の中で何かが麻痺していくような…そんな感覚が私を襲った。
「きっとそう。涼子、あなた少し疲れてるのよ」
アフター5+16のカフェテラスで、友人は心配そうに私の顔を伺いそう言った。この頃はずっと私ばかりが愚痴を呟いている気がする。徹夜明けで朦朧とする意識の中、私はついこの間飲めるように「ならざるを得なくなった」ブラックコーヒーを胃に流し込んだ。
「もう仕事変えたら?」
「でも…」
「あなた、今とても無理してるように見える。ねえ、一つ提案何だけど…」
ーありのままの自分で、生きてみたくない?ー
そう言って友人は私の目を覗き込んできた。急激に胃酸と混ざり合ったカフェインの刺激が、お腹の奥からせり上がってきて、私は言葉に詰まった。
次の日の夜、私達はとある街中のビルの片隅にいた。
「あなたに会わせたい人がいるの」
「会わせたい人って?」
「きっと好きになるわ。あなたはまだ、本当の自分に出会っていないだけ」
そう言って、友人は私の手を引き見知らぬ場所へと進んでいった。そこは人の集まる表通りから少し離れたところにある、小さな事務所だった。こじんまりとした室内に、質素な銀色の机と椅子が数脚並んでいる。友人は手馴れた様子で鍵を開け、私を中へと招き入れた。
「ここは…?」
「待ってて。今連れてくるから」
友人は私を椅子に座らせると、さらに奥へと続く向かいの扉の先へと姿を消した。仕方なく、私は手持ち無沙汰に彼女の帰りを待った。
何となく、私は部屋を見渡した。入り口と出口が二つあるだけの、本当にシンプルな部屋だ。てっきりよく当たる占い師の館とか、或いは変な宗教施設とか、もっとスピリチュアルな場所に連れてこられるのかと思っていた。彼女はとても大切な友人なのだが、よくドラマや映画に影響されて風水に傾倒したり、少々メルヘンチックなところがあった。
私自身は、宗教とか神様とか、そういう神秘的なものはあまり信じていない。それでも黙って彼女についてきたのは、私を心配しての行動だというのがわかっていたからだ。
…そして何より、私自身、「変わらなきゃ」と願っていた。
組織の中で働きながら、このままじゃダメなんだと、心の何処かでそう思っていた。
無理をして、自分を隠し、それに傷ついているような自分を…変えたい。
一体友人が誰を紹介してくれるのか分からないが、占い師でも教祖様でも、自分を変える何かのきっかけになればいいと、そう思っていた。
「お待たせ」
数分後、友人が出口から件の人物を引き連れてやってきた。その人が顔を覗かせた瞬間、私は目を疑った。
「連れてきたよ。’ありのままの涼子’を」
そこに立っていたのは、私…爪先から頭のてっぺんまで何もかも私と同じの女性だった。
「初めまして、’ありのままじゃない涼子’さん。私が本物の涼子です」
その女性は私を見ると、私の声でにっこりと挨拶をした。私は思わず椅子から立ち上がり、友人と涼子と名乗る人物を代わる代わる眺めた。
「何なの…これ…」
「涼子だよ。’本物の涼子’。’ありのままの涼子’」
「ええ。’偽物の涼子’さんに会うのは初めてですが…」
まるで鏡を見るかのようだった。ドッペルゲンガーがいるとすれば、それがこの女性なのかもしれない。
「…聞いたところによると、あなたは自分を偽って生きているんだとか」
「そうなの、この涼子は疲れてるみたいで」
「安心してください。’本物の私’は、自分のことが大好きですから!」
目の前で、自信満々の私が胸を張った。
「今までとても辛かったですよね?寂しかったですよね?もう大丈夫ですよ…’本物の私’は、決して自分を偽って生きているつもりはないですから」
「だってよ?よかったね、涼子!」
「ちょっと待ってよ…一体どういう…」
「これからは、私が自分に胸を張って藤原涼子として生きていきます!」
眩しいくらいの笑顔で、’本物の私’が答えた。その表情は、心から喜んでいるように見えた。
「さっすが!やっぱり涼子は’そう’でなくっちゃ!」
「でしょ!?」
「待ってよ…」
目の前で盛り上がる友人と’私’に、突然’偽物’にされた私は途方に暮れた。
「いい加減にしてよ…あなたが藤原涼子として生きていくって…じゃあ私は…」
「え?」
「私はどうなるのよ…」
「だって、あなたはありのままで生きていないし…」
「だよね…それにあなただって、偽物なりに悩んでいたんでしょ?」
二人はキョトンとした顔で、’ありのままじゃない私’を見つめた。
「もっと心から、ありのままで生きることができたならー…って」




