第1章ー4 『情報不足』
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「おかえり。」
時間は夕方。太陽の赤い光が、カーテンの隙間からちらちらと光り、鳥が時刻を告げるために鳴く頃に、絹はようやく、プライベートな時間を過ごそうとしていた。
部屋は、まあまあ広い。おそらく絹の部屋だろう。かといって、女の子らしいものがあると言うわけでもなく、いたってシンプルな部屋だ。窓が正面になるようベッドがおいてあり、そのベッドの隣に椅子がおいてある。
ダークパンサーには「見張ってくれるのは嬉しいけど、ここはもう私の家よ?」と言って招き入れることを絶対的に拒んだ。案外そこは素直に従ったが、それでも外にまだいるだろう。
「おかえり」と呟いたのは、ベッドの隣にある、四角い椅子に座っている白いモフモフのものだ。声は女で、おっとりとした声。見たところ、白いキツネだ。
「ただいま、ルーゼ。」
どっと何かを吐き出すかのような、疲れた様子で絹はそう返すと、着ていた服を脱ぎ、部屋着に着替えた。
「その様子じゃあ、結構疲れたようね。」
鋭いがどこか暖かみのある目付きをしたこの、ルーゼと呼ばれたキツネは、表情を変えずにそう話し、ふさふさとした大きなしっぽを丸めた。着替えている絹をそっと見守りつつ、返答を待っているようだ。
絹は横目でルーゼを見ながら、髪を後ろに払いのけた。その行動に大した意味はなく、ただ単に、着替えたときに襟と首に髪が挟まったからだ。
絹はルーゼの隣の椅子に座り、ルーゼを手の甲で撫でた。やはり哺乳類のモフモフは最高だと思いながら、モフモフの右耳付近を撫でる。それに答えるかのように、気持ちよさそうにキツネ──ルーゼは片目をつむった。
「すこし邪魔が入ったの。」
カーテンから差し込む光のせいか、絹は逆光を浴びた。ルーゼはその光で絹が見えにくくなり、細い目をさらに細める。
「邪魔?」
撫でられていることも、まぶしいことも忘れ、ルーゼは絹の方に振り向いた。絹はルーゼが振り向いたことなど気にせずに、相変わらずルーゼを撫で続ける。
「猫よ。ちっぽけな猫。」
「なんともないわ」とでも言うように返すと、ルーゼを今度は抱き上げ、思う存分に撫でた。
「そ、そう…。」
ルーゼは平静を保っているようだが、絹の触りように少々引いているようだった。
とはいえ、触られることを拒否ることもせず、そのまま絹の好きにさわらせる。
「それよりも、番人はどうだった?」
何度も同じ場所を毛並みに沿って撫でていた絹の手が止まり、しばらく考えをめぐらせた。なんといっていいのか、あまりいい対面ではなかったのだろう。"番人"と聞いて真っ先に思い出したのは、赤い血のついた、吸血鬼らしい吸血鬼だ。
ただ、あくまで真っ先に浮かんだと言うだけで、そこまで悪印象でもない。思い出せば良い部分はたくさん見つかる。
「見た目は子供だったわ。150歳らしいけど。でも、番人──ダイアさん本人はいい人だと思う。
問題は……使い魔ね。」
「ん……?」
ルーゼは首をかしげると、椅子からひょいと飛び降りると同時に変身をした。
女だ。ポニーテールで黒髪、目は赤。前髪で左目が少し隠れていて、かなり黒めの赤い口紅をしている。服装はえらく露出が多いもので、巨乳。唯一のキツネらしさは目だけだ。眉は下がり、微笑んでいる。
「使い魔がいたの?」
表情も声も崩さずに、それでもなにか気になった様子でルーゼはそう言った。絹にはルーゼが何を考えているか分からなかったが、「いたわよ。」と返事をし、目の前の女と話し合えるよう椅子から立ち上がった。
「何?同じ使い魔として親近感でもわいた?」
絹は肩をすくめて軽く疑問を問いかける。が、ルーゼはそれを軽くは受け止めず、
「多分、私よりもずっと強いわ。使い魔としても、心も。」
相変わらず表情も声の調子も変わらないが、ルーゼの目はどこか遠くを見つめていた。彼女は僅かに右側の口許を釣り上げる。
カーテンから差す光は既に弱々しいものになっており、部屋はものすごく暗い。彼女──ルーゼの背景がそれだったためか、絹は一瞬底知れぬ恐怖を一瞬感じた。
「あ、ぁ……はぁ。にしてもその姿、毎回思うけど私への当て付け?」
話題を変えたかったのか、なんとか声を出し、ジト目でルーゼの胸をしげしげとあからさまに見つめ、いくらなんでも不公平すぎる、と溜め息をつく。
「自分の胸が無さすぎることに絶望してる?クス。
まあ、当て付けではないけど。
でも、確かにあなたの胸は無さすぎね。」
絹に言われたとたん、口許は元の位置に戻り、今度は口を開けて笑うルーゼ。皮肉をたっぷりと含めてそう返し、自分の顎手を当て、チラリと絹の胸を見つめた。
事実、絹の胸は全くない。というか体型がスタイルのいい男のようだ。胸だけは年齢に相応していない。
「くっ!!
あんたは変身できるからいいだろうけど、私は出来ないんだから!!」
「お気の毒に。ただ、ボインが大きくても不便よ。」
さも困り果てたように自分の胸を見つめるルーゼ。絹は「不便なら変身でもして貧乳にでもなれば?」とツッコミたいところを必死で堪える。あからさまにツッコミを入れると、後で何を言われるか分かったものじゃない。
「なんかその言い方古いし、女がいう言葉じゃないわよ…。」
"ボイン"という言葉に反応し、そう返す絹。かなり呆れている。その理由の多くは、絹曰く「コイツ、世の中の女全員を敵にしたわね。」だ。
「にしても…番人は、きっと今日も大変ね。」
既に昇り始めている月を見るため、窓の外を眺めるルーゼ。目を細くして眉を寄せる。
このとき絹は、ルーゼの目の色がキラリと光ったように思えた。
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「たっだいま~!ご主人。」
上機嫌で大きく胸を張りドアを開けてそう叫ぶのはダークパンサー(男の姿)。
珍しく素直な笑い方をしていて、腹のたつ笑いかたではない。ダイアの場合はダークパンサーが笑うだけで虫唾が走るようだが。
「一々と性格が変わるな。お前は。」
コーヒーをすすりながらダイアは相変わらずの言い方だ。ダイアの場合は性格が変っていない。椅子のとなりにある小さな机には、ビスケットやキャラメルなどの菓子類がのった皿と、ティーカップとお揃いのソーサがある。
ダイアは軽食をとっていたようだった。
「最近なら性格ではなく『キャラが変わる』というらしいがねぇ。」
コーヒーをすするダイアからティーカップをスルリと奪うと、香りを確かめてダイアと同じようにすする。疲れて喉が渇いているのだろうか、とてもそうは見えない。傲慢で強情なダークパンサーはただ単に主人の物を奪うと言う行為をして自分を優位にさせたかっただけのように思える。
「おい!!」
コーヒーをとられたことに腹をたてたダイアは、すぐさまダークパンサーの手から取り返した。ただでさえ今は紅茶を切らしていて、あまりいい気分ではなかった。
が、既にダークパンサーに飲まれたことを思い出すと、もうどうでもよさそうにダークパンサーへティーカップを押し戻した。
「で?そこまで上機嫌なのには何か訳があるんだろ?」
ダイアはビスケットを軽くつまみ、一口かじってそういうと、ビスケットを皿に戻す。
次に足を組んで腕も組んだ。
「いや別に。」
余裕気に手を広げてそう言ってみせるダークパンサー。相変わらずヘラヘラと笑っている。
「じゃあ、お前は依頼人を見張るだけで例の魔力の事は一切調べずそれなのに僕のコーヒーを当たり前のように飲んだ、ということか?」
不機嫌そうに笑いながらダイアは静かに訊き、ダークパンサーの様子をうかがった。いや、かなり不機嫌なのは事実だが、笑うというよりは顔がひきつっている。
ダークパンサーの方はやはりヘラヘラと笑ったままだが、すでに手は下ろされており、コーヒー(ダイアの)をすすった。
「ま、そういうことになるねぇ。」
「ふざけるのも大概にしないと、どうなっても」
「ただし、情報を持ってそうな人材を思い出した。」
ダイアの声をさえぎり、ダークパンサーは真剣な口調でそう話す。続けて片目をつり、「わからないのかい?ご主人。」と嫌味ったらしくダイアに訊く。
「まさか!はあ、あいつか…」
「私もあれと話すのだけはごめんだが、最終手段があるという事だけはしらせておきたくてねぇ。」
そう言うと、ダークパンサーの黄色い目が、ダイアを密かに見つめた。