第2章ー4『大きな目のコボルト』
コボルトはギョロッとした目でダイアを恨めしそうに睨みながら、檻の中でしゃがんでいた。この状況が不服だと言うのを態度で示しながら。
ダイアはコボルトを番人の家に強制的に転移させ、強力な檻へ閉じ込めていた。転移といっても、転送魔法を使ったわけではない。これは町の番人に与えられる一種の権限で、管理している町の中ならば番人の家の“檻”がその者を閉じ込めるのだ。
「なぜ俺を殺さない?」
あらゆるものに用心しながらコボルトが尋ねる。この檻は、番人の家の地下にあった。ダイアは滅多に降りたことがなく、その空間になれるのに時間がかかった。
椅子に座ってコボルトと向かい合う。
「安心しろ。必ずお前は後でしかるべく処分をする。が、その前に聞きたいことがあるんだ」
コボルトは舌打ちをしてから「聞きたいことだと?」と繰り返した。大きな目玉がダイアの顔を映す。
「ああ。僕が聞きたいのは、なぜあそこに居着いたのかだ。それも数年前から。普通なら高坂絹の方に取り憑くだろう?」
コボルトは「大した意味はないさ」とはぐらかしながらニヤつき、ケタケタと笑った。話のペースを持っていくために、わざと煽っている様に見受けられる。
ダイアはひとまずコボルトにペースを任せた。先ほどとは違って充分に時間もあったし、ダイアは現在、間違いなく優位に立っている。ゆっくり聞き出せば問題ないのだ。
「大した意味はない、本当にそうだろうか。ここ最近、色々この町はおかしな事になっている。それは君も気づいているだろう?」
ダイアはあまり個人的感情を出さないように、実に機械的にそう言った。仕事とプライベートを別ける、とよく言われるが、ダイアはそう言ったことが得意だった。いや、そう“見せる”のが得意だった。
ダイアはコボルトが返事をするまで待った。長い沈黙が続き、上の階の締めきれていない蛇口から水が滴る音が響く。コボルトの様子は相変わらず変わらないで、ニヤつきながら目をゆっくり動かしていた。手を組ませ、右の人差し指と中指の付け根の間をトントンと叩いていた。
何をしているのだろう。心を落ち着かせる一種の癖なのだろうか、あるいは僕をおちょくっているのだろうか。それとも、その目玉よりも小さいであろう脳みそを精一杯使って、何を言おうか考えているのだろうか。そうダイアは思った。
すると、しばらくしてコボルトは口を開いた。
「どちらを先に聞きたいんだ?番人。俺がアレに関係するかどうかか?それとも、あの家に居着いた事だけか?」
コボルトは、少しは話し合いに応じる気になったようで、檻に顔を近づける。
「僕にとって、君が分けているその二つの答えはまとめて一つだ。だが、どうせ話す気は無いのだろう?だから僕は交渉する」
「交渉?交渉だと?お前はさっき、俺の交渉に応じなかったじゃ無いか」
交渉、という言葉に、彼は反応する。そして地団駄を踏み、緑色の顔を徐々に赤く__実際には汚らしい茶色に変え、憤慨した。
ダイアは怒りを露わにするコボルトを見てこう思った。彼があの時、絹の血を受け渡す代わりに優の家から出て行くなどと言うわけのわからない交換条件を提示したのは、自分をおちょくるためだったのではなく、その方法が適切で、お互いが有利な条件だと信じて疑わなかったからだと。
だからこそ彼は今、わざわざ数十分前の話を持ち出して、怒りを見せつけているのだ。俺の交渉には応じなかったくせに、なぜお前の交渉は受けなくてはならないんだ。そんなの不公平じゃ無いか!と。
「条件はこうだ。僕は今、君から無理やりにも情報を引き出した後、苦痛に悶え苦しませながらじわじわと始末しようと思っている。だが、君がすんなり情報を引き渡したなら、魔界に放り投げ、見逃してやる。もちろん、魔界で君が指名手配になるだとか、魔王様が直接支配している地で人間に取り憑いただとかいうレッテルを張られることはない。
さっきの君のような第三者の人間を巻き込む交換条件より、よっぽどマシだと思うが」
コボルトは小さく舌打ちをし、地面に唾を吐きつけた。そして、不服な態度をとりながらも、渋々その案を了承した。
「そんな選択肢が一つしかないようなものを交渉と言うなら、いいだろう。教えてやるさ」
「随分素直になったな、その調子で答えておくれよ」
「いいか、哀れでバカな番人。お前が気づいたのはここ数日だろうが、この計画はずっと前から始まっている。あの番人はそれに気づいていたんだ」
「あの番人?」
「いや、お前のことじゃない。あいつだよ。変わり者の使い魔、名乗りすらしない不気味な魔者。なんと呼ばれていたか。ああ、そうそう漆黒の番人だったか」
手に顎を乗せ、コボルトは神妙な顔でそう言った。ダークパンサーが気づいていただと?とダイアは思った。計画があるかどうかも、そもそもこれが計画された出来事だともダイアは知らなかったし、ダークパンサーも、それを一度も匂わす発言はしなかった。
「ほう」
コボルトは、ダイアの表情を食い入るように見つめ嫌らしくニヤつく。
「別に、気に病む事はないさ。使い魔に何も教えてもらえないような主人も、主導権を握られてしまう憐れな主人も大勢いる。ましてや奴は、ただの魔者ではないわけだしな」
コボルトのその言葉に、ダイアは不思議と腹が立った。ただの痩せっぽっちな目玉の戯言に、なぜこんなにも腹がたつのだろうか。ダイアは少し考えてみた。
コボルトの放った言葉は、至って簡単なことだ。自分が使い魔であるダークパンサーと心をうまく通わされていないだろうという事と、自分が主人らしくないということ。少なくとも、前者は腹の立つ必要のないことで、彼が何か秘密を持っていることには特段興味もないし、気にもしない。では、後者の方だろうか。ああ、きっとそうだろう。というのも、もともと契約の話を持ちかけたのはあの使い魔であって、ダイア自体はそれに乗っただけだった。初めて出会ったあの時から、思考も、強さも、どちらもダークパンサーの方が一枚上手なのだ。
つまるところ、ダイアは自分が心の奥底で優しく何重にも包み込まれた悲しい事実を、大きな目玉の醜いコボルトに抉り取られたような気がしていた。自分は本当は、あの使い魔に利用されているだけであって、もしかすると自分こそが使い魔なのではないかとさえ思った。
「どうでもいい。話を戻して、その計画とやらを教えろ」
「お前の使い魔がそれを話さないという事は、よっぽど信用されていないんだろう、主人として」
「そうやっていつまでもダラダラと無駄な憶測を並べるだけなら、交渉の条件をよく思い出すといい」
ーー落ち着け、落ち着くのだ、ダイア・ブラーム。今は自分の考えは必要ない。必要なのは情報だーー
心の中で何度もダイアは唱える。ダイアは自分のことをよくわかっていた。短気で、自分の弱みを付け込まれると態度に出てしまう。先ほどの自分の態度でさえも、どことなく棘のある口調だったことは明白であった。それがコボルトに悟られたかどうか、ダイアには分からなかったが、もし悟られてしまったのなら都合が悪い。
「……俺みたいな下っ端には、計画のことなんか教えてもらっていないんだ」
「教えてもらっていない?」
ダイアの返答に、コボルトはやや俯く。
「だってそうだろう、もしもあんたが何か大きな計画を立てたとき、甘い条件に釣られただけの奴へ、大事な大事な計画をすべて話すかい?俺だったら話すなんて馬鹿な真似はしない。
その証拠に、あいつらは俺へは何も言わなかった。ただ単に、あの娘を監視するという簡単な仕事だけを命令した。娘の行動の報告をするだけで、膨大な魔力のおこぼれをもらえる、こういう今のような状況になったとき、助けてもらえるってな。まあ、最後の約束は、この状況を見る限り嘘だったようだが」
舌打ちをしながらコボルトはそっぽを向いて語る。とてもつまらなそうに話すコボルトが嘘をついているとは、ダイアにはとても思えず、仕方なしに彼が知っているであろう情報だけを聞くことにした。
「ああ、そうかい。それなら…そうだな。お前のいうあの娘とは、赤城 優のことか?」
「ハッ、あんな空っぽの人間、どうして見張る必要があるんだ。少し頭を使えばわかるだろう?あの娘だよ、お前の後ろにいた娘、高坂 絹さ。俺みたいなのはあんなのの家に取り憑くなんて不可能だ」
「高坂 絹に……いや、取り憑くのが不可能とは、どういう意味だ?」
「お前、何も知らないんだな。とんだ番人だ。俺がこの町の善なる住人なら、こんな番人ごめんだぜ。いいか、あの小娘には」
コボルトが言いかけた瞬間、地下室のドアが開いた。ダイアはすかさずドアに目をやり、呪文を唱える準備をした。
この家へ何者かが入ってくるまでの気配を一度も感じなかった。ダークパンサーが居ないというのに、完全に意識をコボルトのみに注いでいたことに、ダイアは自分を責めた。何者かが足音を静かにコツコツと立てながら、階段を降りてくる。
“娘の行動の報告をするだけで、膨大な魔力のおこぼれをもらえる、こういう今のような状況になったとき、助けてもらえるってな”
頭の中で卑しいコボルトの声が響いた。コボルトの言う“助け”とやらが来てしまったのだろうか、最悪な状況ばかりが脳内を駆け巡る。足音が一音一音こだまし、ダイアの緊張はどんどんと高まった。コボルトも声を控え、足音の主を探すように音が出ている所を凝視する。
「やあご主人、ごめんごめん。ちょっとばかり思い出に浸っていたというか、なんというか」
謝罪の言葉とともに現れたのは、ダークパンサーだった。ダイアは安堵の吐息を漏らし、緊張を解く。そして、遅刻の言い訳にしては随分と適当すぎるのではないかとダイアは思い、深く腰掛け直した。
「そうか。浸った思い出はどうだった?」
「実に淡いものだ。美しく儚いアルバムを戸棚の奥から引っ張り出したかのような気分だったよ」
「ふうん、僕は現在進行形で面倒なコボルトにずっと手を焼いていたよ」
ちょっとした嫌がらせのつもりで聞いてみたダイアだったが、思ったよりもダークパンサーは具体的に説明した。サボっていたわけではなさそうだ。とはいえ、ダークパンサーの思い出話に興味があるかと言われればそうでもなく、寧ろ、彼が過去に浸り切らないよう話を一蹴し、今の自分の状況を伝えた。あくまでも平静を装って、余裕を持っている様コボルトに見せつけるために。
「自分から聞いてきたくせに、随分と酷い返しだねぇ。私もただ思い出に浸ったわけではなくて、記憶もきちんとあの娘から消してきたのに」
ダイアは何か言い返そうと口を開きかけた。が、何を思ったか口を閉ざし、コボルトの方へ向き直った。それに対し、ダークパンサーは怪訝な顔をし、一歩も動かず主人に質問をした。
「ご主人、どうやら何か言いたいことがあるようだねぇ?」
「今は別にない」
実際には、ダークパンサーへ問いただしたいことは、記憶を消したのが“娘”とだけしか言っていないことなどいくつかあったものの、ダイアはそれをわざと避けた。もし仮にコボルトが言っていた様に、ダークパンサーが何か隠し事をしているにしても、コボルトの目の前でそれを追求する必要はないと判断したのだ。
もし今ここで言い合いめいたものをしてしまったら、コボルトはその状況を楽しんで話をすり替えるだろうし、自分の心が乱されるのも困りものだ。ダークパンサーも何か察したのか、特に追求してこなかった。
ダイアはコボルトへの尋問を再開した。
「コボルト、さっき何かいいかけたみたいだが、なんて言おうとしたんだ?」
「さあ、なんだったか。
とにかく、これは良くない、良くない状況だ。お前らにとってな。お宅らが敵に回そうとしている連中は、迂闊に手を出すべき奴らじゃないのさ。俺がなぜ計画の存在を知れたと思う?奴らがうっかり口を滑らせたと?とんでもない。俺がこっそり盗み聞きしたんだ。こういう状況に陥った時、もし奴らが俺を裏切った時の切り札として。俺はこういうことには頭が回るんだ。いいや、別に自画自賛しているわけじゃない。事実だ。
まあ、そうやってこの尖った耳で盗み聞きしたんだが、奴らがいうに、どうも何かを育てているらしい。それが何かなんてことは全くわからなかったが、間違いない。
俺みたいなただの雇われ組がこれを知れるだけでもすごいんだぜ?少しは褒めてもらいたいね。奴らが何人いるのか、誰がボスなのか、そもそもボスがいるのかすら分からないような奴らなのに、俺は彼らの計画の一部を聞き出したんだ」
手を擦り合わせながら、さも自分が賢いかのように上機嫌で話すコボルトに、ダイアもダークパンサーもあきれた様子だった。コボルトは必要な情報を話すたびに、百も二百も無駄な話や言葉を付け加えた。時折薄い眉をクイっと動かしては得意げにニタニタするのだが、それがまた絶妙に腹の立つ顔つきなのだ。
「それで本当に全て話したのか怪しいが、少なくとも今言った話自体は嘘ではなさそうだ。約束通り、魔界に送れるよう話を通すことにする」
「それはありがたい。今度は是非ともお優しい番人様と二人っきりで今後について話したいものだ」
黄色い歯を見せびらかすようにニヤつきながら、コボルトはゆっくりとダイアの目を見てそういった。何をじっくり話したいのかは分からなかったが、ダイアはダークパンサーに見えない程度に相槌を打った。
「お前の食事やらなんやらはその檻が提供する。話が着き次第そこから出られるだろう。ダークパンサー、僕たちは戻るぞ」
横目でコボルトを注意深く見つめながら、ダイアは椅子を降りた。ダークパンサーがいて、何か不都合なことがあるのだろうか。それとも、自分と二人きりでないといけない理由があるのだろうか。どちらにせよ慎重に対応していかないと、碌なことにならない気がした。コボルトの骨ばった指に視線を移し、その指が重なり合う様子を見る。何か考え事をしているようなその手つきは、コボルトが弱っているかのように見受けさせる。
ダイアはダークパンサーと共に階段を上り、コボルトのために明かりをつけたままの状態で、重い鉄のドアを閉めた。その間、コボルトは食い入るように、指を重ね合わせながらダイアたちを凝視ししていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
いつもの部屋に戻ってすぐ、ダイアはダークパンサーへ強気に問いただした。
「いいたいことはたくさんある。が、その前に、お前が帰ってすぐ発した言葉からだ。記憶をあの娘から消したと言ったな」
「ああ」
「彼女の祖母はどうした?」
ダイアがそう聞くと、ダークパンサーは少し間を開けて、考え込みながら答える。
「彼女はもともと見える体質だったからねぇ。消す必要はないと判断したよ」
ダークパンサーの答えは別に納得できないものではなかったのだが、どうもそれだけが理由ではない気がした。
しかし、そんなことまでいちいち問いただしてしょうがないので、ダイアは一番気になっていることを訊くことにした。
「そうか。なら、別の質問をしよう。さっきコボルトから聞き出したんだが、どうやら君は異様な魔力に関しての情報をずっと前から気づいていたようだ。彼の言葉は本当か?」
「……ご主人は、あのコボルトの言葉を信じるのかい?使い魔なるこの私を差し置いて?」
どういうわけか、ダークパンサーはこの話を避けたがった。
コボルトの言葉、ダークパンサー、どちらを信じるのか。ダークパンサーはそう指摘したわけだが、それはダークパンサーがコボルトの言葉を否定しない限り存在しない信頼だ。言葉の意味が随分とおかしい。
「お前がそういう訳のわからないことを言い出す使い魔でないのはそれこそ僕が一番信じていることだ。
それなのにお前は、僕が一番ありえないと思うような話をして僕を混乱させている」
「じゃあ尋ねるけど、ご主人はなぜ私が秘密にしていると思うんだい?」
「おおむね、僕が聞かなかったからとか面倒だったとかそのぐらいだろう?僕は束縛的な主人じゃないんだし理由はどうだっていい。
秘密にしているかどうかよりも僕はいつどこで何を知ったのかの方がずっと気になるんだ」
一瞬、沈黙が二人の間に漂った。ダイアはダークパンサーの答えを待ち、ダークパンサーは正しい答えを探していた。
「さあ?私が昔から知っていたのは、彼らに何か怪しい動きがあったことだけ。そして、同時期にとある生き物が創造されたこと。それも実に強力なものを。
…世界でも、征服するつもりだろうかねぇ?」
「ある生き物?それがわかっていて、リッツが来た時になぜ言わなかったんだ?」
「私はそういったつもりだったさ。精霊殿にとって管轄外の生き物がいる可能性があると。
それに、異様な魔力の力の持ち主がその生き物だとはわかっていないし」
肩をすくめるダークパンサーに、ダイアは念を押すかのよう言った。
「本当にそれだけなんだな?」
「あぁ。本当にそれだけさ」
「わかった」
ダイアは、ダークパンサーの言葉を信じてこそいなかったが、それ以上詮索するのはやめた。ダークパンサーが全てを自分に話したからといってどうというわけではない。
ダークパンサーが先ほどダイアに話した以外の余った情報を持っていても、彼が対策を取れないのであれば意味がない。つまるところ、ダイアはダークパンサーから全ての情報を聞き出すことを諦めたのだ。
「なんだかやけに不服そうだねぇ。まさか、あんな小さなコボルトにからかわれでもしたのかい?」
「どちらかといえば、未だに情報不足なことだよ、僕が不服なのは。あいつは何も知らない。それどころか、コボルトのボスがコボルトを救い出す可能性だってある。僕からすればただのお荷物…いや、それ以下だ!」
ダイアは段々と声を荒らげ、机を叩いた。その振動を感じたのか、あるいはダイアの大声を目の次にでかい耳で聞いたのか、コボルトが大声で叫ぶ。
「おいおい番人ども!物に当たる暇があるなら早く俺を魔界へ送れ!」
誰のせいで苛立っていると思っているのか!ダイアはそう言い返したくなったが、そんなことに時間を割くのも無駄なので堪えた。
「僕は今すぐあのうるさいコボルトを送り届ける手続きをする。早い所元の静かな家に戻って欲しいよ。いっそのこと奴のボスが持って帰ってくれればいいのに」
「そんな事微塵も思っていないくせにさ」とダークパンサーは言った。仕事熱心なダイアは魔王宛にコボルトを”郵送”する事を伝える書簡を魔界へ送り、返答を待つ。
通常、こう言った番人からの書簡は直接魔王へ渡り、刻印を押され決定する。その一連の流れは一日程度で終わるし、あとはゆっくりするだけだ。
当然のようにダイアは、いつもながら気怠げに作業を終えた後、つまらなそうに紅茶を飲んだ。しかし、彼は何を思ったのか__恐らく、今までのダイアなら決してしないであろう__コボルトの待つ地下へ降りることにしたのだ。
「おや、ご主人、今日はいつにも増して仕事熱心なこと」
ダークパンサーまでもがその様子に驚いた。
「コボルトがほかに情報を持っている可能性もまだ拭えないからな」
そう言ってダイアは地下へのドアを開け、暗闇へと足を運ぶ。
「なら、私も同伴しようかい?」
「いや、コボルトはお前を怖がっているようだから、来なくていい」
「ご主人はまだ子供だから、舐められてるのかもしれないねぇ」
「きっとダークパンサーの老人話を延々と聞かされるのが嫌なんだろう」
ドアの閉まる音が小さく響いた。地下へ降りれば、音の反響が長いた。気味が悪い。その気味悪さを忘れるためならとダイアは早々にランプへ魔法で火を灯し、階段を降りていった。
ダイアの足取りは少々乱暴だった。まだ子供だというダークパンサーのセリフに、どうにも腹が立ったのだ。それに、彼は今子猫のように地下のジメジメとした嫌な空間を恐れていた。
ーーこれでは本当に僕が子供みたいじゃないかーー
なんとも腹ただしく、情けない。主人が子猫で使い魔が豹だなんて、そんな悲しい現実が、あっていいものだろうか。
ダイアはこのジメジメした空間と妙に相性のいい、薄汚いコボルトの前へ来た。コボルトは嬉しそうにケタケタと牙を見せて笑い、体制を崩してこちらを目で追った。
「やっと来た、俺の上品なメッセージが通じたんだな?早く魔界へ送れって言葉に。つまり、帰って来いって意味だ、ヘヘッ」
そのコボルトの薄汚い顔は元々苦手だったが、こうも偉そうにされると余計に醜い生き物に見えた。
ダイアはそもそも、コボルトの訳の分からないメッセージに気づいたわけではない。ただ単に、彼の「二人っきりで話がしたい」と言う言葉を思い出しただけなのだ。それすらも本当は放って置くつもりだったが、そのことを後で魔界の低級魔族公共福祉団体や、反絶対君主魔王派、あるいは、共産党の魔者に何か言われたりされたらたまったものではないことに気づいたのだ。
あの大きな目に恐らく脳味噌の数量を半分以上持っていかれているであろうコボルトにそんな考えがよぎるとは思えないが、誰がいつ余計な話をするかわからない。それに、聞いて損をすることといえば、時間とキンキンとした醜い声を聞く耳への負担ぐらいだった。
「それで、話したいことってなんだい?」
「どれから話そうか…どうせ、お前が一番気になるのは、あの元番人のことだろう?」
「さあ?どうだろうな」
「そう怖がることは無いさ、鮮血の子よ。お前は、あいつがなんなのか知っているのか?言っておくが俺はアレがなんなのか知らない。知らないから怖いのさ」
「怖い?」
コボルトは周りをチラチラと見て、耳をぴくりとさせた。どうやらドアが気になるらしい。ダイアは仕方なしに、内側から上りの階段へ続くドアを閉めた。そうすると、コボルトは不機嫌そうにしたのだが、様子を見る限り安心したようだった。
「いいか、漆黒の番人の話をする前に、あの娘に俺が取り憑けない理由があるんだ。それは、あの小娘の魔力が膨大だからでは無い。物理的に、あの小娘の家には近づけないんだ。特に俺のような弱々しいコボルトにはな。
あの娘には、強力な使い魔がいる」
ダイアは目を見開く。彼女からそのような話を聞いたことがないし、彼女から漂う霊力に、魔力のようなものは感じられなかったからだ。
「たしかなのか?」
「あぁ。使い魔…と言って正しいのかは分からないが、少なくとも契約している。もしかすると、使い魔擬きなのかもしれない。だが、そんなことはどうでもいい。あの強力な魔物がなんなのか知らないが、問題は奴の魔力なんだ」
コボルトがドアをチラチラと見ながら段々と口をすぼめ、どもり出した。辛抱強く待っていたダイアは、続きを知りたくてしばらく待つが、いても立っても居られなくなった。しかし、彼が問いただそうとした瞬間、とある考えが浮かんだ。
誰に伝える気もなく、弱々しい声でダイアは呟く。
「…ダークパンサーか」
「ああ、そうさ」と、コボルトはまたもや、得意げにニヤリと笑った。
「元番人の魔力は、高坂絹と契約を結んだ魔物の魔力と共通した型があるのさ」




