Quest
7.quest
海風が薫り、海鳥が飛び交う。数日前に街が魔物の襲撃の危機にあったことなどまるで嘘のように人々が行き交い、船乗りや商人たちの喧騒が朝の街に満ちる。
「ロゼ、本当に行くの?」
シンが念を押すように尋ねる。
「ああ、あんたの引き受けた仕事に私も術式学者として興味があるんだよ。翁には聞きたい話があるし、湖にも気になることがある。あんたこそ一応病み上がりなんだから無理するんじゃないよ。」
シンとエドナは予定通りウユニ村の術式学者翁を訪ねるつもりだったが、急にロゼリアも同行すると言ってきたのだ。
今挙げた理由の他に、ロゼリアにはシンの容態の経過観察をするという目的もあった。
エドナはエジノバで相当世話になった人物の同行を心から喜び、シンもロゼリアの街での仕事を心配するものの、嬉しそうであった。
馬車を降りると、今までとは全く違った匂いがした。
ふわりと甘い匂い。
村で育てている草木の花々や果実の匂いだろう。
午後の明るい日差しが草木に歓喜をもたらし、草木は上へ上へと手をのばすように繁茂する。
村に着くとすぐにロゼリアは術式学者翁の元に行くと言って別行動をとり、配達物の論文を預けたシンはエドナと村を見て回ることにした。
「シン様、これは何でしょう!地面に大きな石の筒が刺さっています。」
エドナは村中の初めて見るものを指さし、シンに訪ねていく。
シンもウユニに来るのは初めてだが、エドナが尋ねるものの殆どはシンが別所で見聞きしたことがあるもの、または今までの経験から想像できるものであったので、特に困ることも無かった。
「それは井戸だよ。水を貯えておくんだ。落ちるから気を付けてね。」
身を乗り出して中を覗き込もうとするエドナをシンが制する。
顔を上げた先に店を見つけ、エドナが指さす。
「シン様、お店がありますよ。」
村の中に広大な果樹園がある豊かな村。
その果実の味は近隣の街に認められており、しばしば村の外から商人がやってくる。
そのため村の住人も外の人間に対して友好的である。
すれ違う村人がしばしば挨拶をしてくるのを、エドナが毎回丁寧に返していく。
エドナが指さしていた商店は果物店であった。
店主の老婆が広げたシートの上に色とりどりの果物が並ぶ。
「やあこんにちは、旅のおかた。その様子じゃあ、ウユニは初めてだね。どうだねこの村は。」
皺の乗る顔をほころばせて、老婆が尋ねる。
「お花や果物の匂いでいっぱいで、本当に素敵なところですね。」
エドナが正直な感想を言うと、老婆はさらに顔をしわくちゃにほころばせて笑った。
「かんわいい子だねえ。どれ、今朝採れたばかりのをひとつ食べてごらん。とびきりおいしいよ。そこの彼も。」
そう言ってお婆さんが片手でつかめるくらいの赤い果物をシンとエドナに1つずつ投げて寄越す。
エドナは彼という言葉に若干動揺しながらもなんとか受け取り、シンもお礼を言って受け取った。
ひとかじりすると甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。
エドナは堪え切れずに何度もおいしいと言い、それに同意しながらシンは笑っていた。
それを見て老婆も満足気に笑う。
「うん、本当においしい。ロゼにも買って帰ろう。」
シンが言い、先ほどの果物を含めて何種類かエドナに選ばせて買う。
老婆の笑顔に見送られ、二人は並んで宿に向かった。
太陽は沈み始めており、西の空が茜色に染まっている。
日中ありとあらゆる植物たちに光を与えてきた太陽が満足気に帰っていく。
宿に着くと、ロゼリアが一足先に帰っていた。
受付の前の椅子で何やら難しそうな書類をにらんでいる。
「ロゼ、帰ったよ。おいしそうな果物買ってきた。」
シンが声をかけると、ロゼリアは顔を上げて伸びをする。
「本当においしかったです。」
嬉しそうに言うエドナに目線を移して悪戯っぽく笑うと、ロゼリアは書類を置いてシンに明日の予定を尋ねた。
「明日は予定通り、湖に行ってみようと思う。今日何人かの人に湖について聞いてみたんだ。以前は豊作の神として精霊を奉っていたそうだけど、魔物が湖に住み着き始めて以来、今は殆ど誰も行っていないんだって。それも10年くらい前からだから、だいぶ長いよ。」
エドナは少し顔を赤くして俯きながらつぶやく。
「シン様、いつのまに・・・」
ロゼリアが笑いを堪えきれず吹き出した。シンも笑いながら、だがエドナをフォローする。
「エドナが街の人と話しているときに、僕は他の人と話していたのだけれど、その人がたまたま教えてくれただけだよ。」
精霊は人が使いこなせない高度な術式を使うため、しばしば信仰の対象となる。
だが信仰も人の暮らしあってのもの。命の危険を冒してまで奉らないのが健全な形だろう。生贄などという話になるとまたややこしい。
夕食をとり、シン、エドナとロゼリアはそれぞれの部屋で休んだ。
「んで、楽しかったかい?シンとのデートは。」
ロゼリアがおもむろに聞くと、水を飲んでいたエドナは盛大むせかえる。
「ロゼさんっ!!そんなんじゃないです!」真っ赤になるエドナを見てロゼリアは悪戯っぽく笑う。宿に帰った時と同じだ。そういうことだったのか。珍しく女性
二人になったのを良いことに、ロゼリアが更に攻める。
「手でもつなぎやしなかったのかい?若者二人が。」
エドナは叫び散らす。
「ななななにを言っているんですか!」
とにかく攻める。
「同じ年頃の若者二人が並んで歩いていたら、誰でもそう思うだろう。」
たまったものではない。だが、エドナも動揺してばかりではなかった。
「え、同じ年頃って、シン様のほうが上ですよね?」
尋ねるエドナに、ロゼリアが逆に問い返す。
「あんた、今何歳だい?」
エドナは少し悩みながら答える。
「えっと、18になりました。」
ロゼリアが拍子抜けしたように答える。
「なんだ、一緒じゃあないか、シンと。」
一拍置いてエドナに衝撃が走る。
わけのわからない声を発するエドナをよそに、ロゼリアが半ば一人言のように言う。
「まあ、力も知識もあるし、何より落ち着いているからね、だいぶ大人びて見えるかもねえ。無理ない。全く損なやつだよ。」
シンが部屋で剣の手入れをしていると、隣の部屋から何やら賑やかな声が聞こえる。
何を言っているのかまではわからないが、エドナが叫び散らしているようだ。
ロゼリアにからかわれているのだろう。
想像すると、自然と笑顔が湧いてきた。
ウユニの朝は美しい。
街とは比べ物にならないくらいの鳥たちが鳴き交わし、朝日の眩しさは目をあけていられないほどだ。
湖の方だからだろうか、大きな白鳥の群が頭上を飛ぶ。飛び去るまで目を奪われる壮大さだ。
そして、街とは比べ物にならないほどの種類の木々と草花。その咲かせる花々や果実の匂いが朝日の中に立ち込めている。
朝というものは本当に良い。爽やかで、空気が澄んでいる。
起きて一番に出会う時間が朝というのは本当に素晴らしい。夜行性の動物はどう感じているのだろうか。夜に同じ爽やかな気持ちを抱くのだろうか。若しくは、朝起きる動物には計り知れないような良い気分を味わっているのだろうか。
シン達は朝早くに村を発ち、湖を目指した。
湖までは普通に歩いて丸1日かかるというので、途中で一度野営をすることにした。
道中遭遇する魔物はシンとエドナが相手をし、予定していた野営地点まで到達した頃には丁度良く日が沈み始めていた。
火をおこすための薪を集めながら、エドナがシンに聞く。
「シン様、夜の見張りはどうしますか?」
魔物や野盗の闊歩する外で行う野営には危険がつきものだ。一人旅ならば浅い睡眠をとり、二人以上の旅ならば交代で睡眠をとるのが主流だ。エドナも商人一行にいた時は交代で番をしていたという。が、シンは嬉しそうに言う。
「今晩はゆっくり寝られるよ。」
エドナが首を傾げながら野営地に戻ると、ロゼリアがしきりに地面に何かを描いていた。
「お疲れさん、こっちも今できたところだよ。」
ロゼリアが立ち上がると、ロゼリアの今まで向かっていた地面が青白く光り、周囲が青白い光の膜で包まれたと思うと、膜は一呼吸する間に消えていった。
「あれロゼの術式だよ。綺麗だったでしょう。」
目を丸くするエドナにシンが声をかける。
「今のはインビジブルとアラートだよ。敵の目を誤魔化すためのインビジブル、それでも何者かが入ってきた時にそれを感知するアラート。半径200メートルくらいに広く張ったから、これで宿と同じくらいの安心感さ。」
ロゼリアがエドナに説明する。確かにこれならが安心して寝られる。
3人はスープと携帯食料の簡単な夕食をとった後、焚火を囲んでウユニの果物を食べながら談笑していた。
「湖の精霊ってどんなものなのでしょうね。そもそも私、精霊に会ったことが無いので、感じが全くわかりません。」
不安そうに言うエドナに、シンがやはり穏やかに、そして気楽に答える。
「精霊なんてどこにでも居るわけじゃないんだから、見たこと無いのが普通だよ。いるかどうかもわからないし、いたらいたで挨拶すればいいよ。」
シンと目が合い、エドナは慌てて目を逸らした。同い年。昨晩ロゼリアが暴露したことが頭の中でぐるぐる回る。
「ところで、やっぱり気になるのが魔物のほうですよね。湖に住み着いているみたいですし、こちらの方が遭遇する可能性が高いですよね。精霊も大丈夫でしょうか。」
エドナがなんとか話題を逸らす。
シンが焚火に枝を投げ入れながら答える。
「うーん、僕もこの土地に来るのは初めてだからね、何回か来たことがあるロゼの方が詳しいよ。ロゼ?」
先ほどから会話に入ってこないと思っていたが、ロゼリアは焚火を見つめて何やら考え事をしていた。
「あ?・・・いやいや、心配しなくても私は見て見ぬふりは得意だよ?」
エドナの方を見てまたも悪戯っぽく笑う。すっかりエドナいじりが常習化している。
エドナがやはり慌てて返す。
「ロゼさんっ!」
やがて草原は落ち着きを取り戻し、虫の声に満たされていった。
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