Attack
4.attack
空がオレンジ色染まる頃、宿に帰るとエドナが既に受付の前の長椅子で待っていた。シンに気づいて笑顔で立ち上がる。
「シン様!お帰りなさい。」
いつも通り、やわらかくシンが返答する。
「お待たせ。先に手続きしてくれたんだね、ありがとう。」
夕食をとりながらエドナはシンにこれからのことを尋ねた。
「仕事依頼があってね、この街から馬車で北に一日行ったところにウユニという小さな村があって、術式学者の翁がいるんだ。その人に最近の論文を届ける。最近村の近くに魔物が住みついて、郵便が通っていないみたいなんだ。ついでに、その街から更に北に1日歩いて行くと湖があって、それがすごく綺麗だそうから見に行ってみようと思う。精霊が住んでいるっていう噂もあるよ。」
楽しそうに語るシンにエドナが食いつく。
「精霊ですか。一度も会ったことが無いです。ロゼリアさんが、精霊は体がマナでできていて術式を自在に使う、と言っていました。・・・そういえば、シン様はロゼリアさんとずっと前から知り合いなのですか?」
シンは少し目を逸らして答える。
「うーん、そうだね、だいぶ前から。ロゼはこの街で一番偉い術式学者なんだよ。医療術式もやっているから頼られているんだ。」
「医療用の術式もあるのですね。私、術式なんて名前しか聞いたことがありませんでした。」
「使える人が少ないし面倒だから研究者は少ないけど、杖や剣に術式を組み込んで戦闘にも利用できるし、その場合はマナさえ使えれば誰だって術者になれるよ。ただコストが大きいから戦争くらいにしか使われていないけどね。そういう場では、詠唱によって術式を現場で組む役職もある。ロゼはマナが強いから実験がてらよく術式を使っているよ。術式で年中庭に花を咲かせているんだけど、そのせいで子供たちからは魔女屋敷って言われている。」
シンは笑いながら言った。
「明日のウユニ行きの馬車が出るのは夕方だから、それまで街を見て回ろうか。」
港町の朝は内陸とは全く違う。海鳥が鳴き交わし、夜明け前から漁に出ていた漁師たちの喧騒が聞こえる。シンとエドナは朝食を済ませた後、宿を出て街を回っていた。エドナは海をのぞき込んでは泳ぎ回る魚の種類の多いことに感動し、走り回るカニや磯虫を見つけてはシンに名前を聞いていた。海沿いの散策道を歩いていると、大きな声で呼び止められた。
「シンか!おめぇ、シンだろう!久しぶりじゃねぇか!」
振り返ると、頑強な船乗りが手を振っている。シンは近づいていき、できるだけ大きな声で返事をする。
「ラウド船長!お久しぶりです。2年ぶりくらいですか。」
シンはエドナに、ラウド船長は3国間をまたにかける船便運送を生業としていて、その速さと正確性において名高いことを説明した。シンが手を振りながらラウドに近づいていく。
シンと船長はかつて他の街の港で偶然出会ったそうだ。海竜に襲われていたラウドの船が命からがら港に戻ったが、港に海竜を連れ込んでしまったという。それをシンが撃退したそうだ。
「おうおう、おめぇさん、ずいぶん見ないうちにまた髪が伸びたな。今日時間あんのか?飯でも奢らせろ。お、仲間ができたのか。ずいぶんとまたかわいい子じゃないか。」
エドナは首を横に振って謙遜した後に自己紹介をした。ずいぶんと景気の良さそうな船乗りだ。そして、ロゼリア以上に相手に発言の隙を与えないしゃべり口。シンの知人はこのような人が多いのだろうか、本人にそういった傾向は全くないのだが。
シンと船長が会話をしている間に、エドナは周囲を見回していた。国内外の交易船と漁船が場所を分けて停泊している。漁船は朝の仕事を終えて休んでいるようだが、交易船では絶えず荷下ろしや荷積みが行われており、船自体も盛んに入れ替わっている。
その荷下ろし荷積みの人だかりの一角が急に騒めいた。集まっている人々が同じ方向、海上を見ている。エドナもその方向に目を向ける。海上の水平線より高い位置に黒くうごめく影が見える。眼を凝らすが、影の形がわずかに動くこと以外認識できない。
心なしか、少しずつ大きくなっている気がする。エドナは少し躊躇いつつシンとラウドの会話に割って入った。
「シン様、あれは何でしょうか。」
影に向けて指をさす。シンとラウドが同時に洋上を見る。ラウドは瞬間的に顔をしかめた。
「あれは魚群に群がる標鳥の群だ。が、普段はもっと沖にしか出ねぇはずだ。」
次の瞬間、黒い鳥の群影が散った。代わりに海中から巨大な海竜が頭を出す。海竜は狂ったように海上でのたうち回り、街に向かってくる。
まだ距離があるので街にたどり着くまでは間がありそうだが、気づいた船乗りたちが大声で叫び合いながら船を避難させ始め、騒ぎを聞いた街の人々は悲鳴を上げながら走り出す。
ラウドが呻くように言う。
「俺は一度海竜に襲われたことがあるから言えるんだが、あれぁ明らかに様子がおかしい。何かにたかられてるみてぇだ。とにかく、お二人さんは港から離れな。俺も船を避難させる。」
言い切らない間に素早く船の舵を取り、船員たちに喧しく命令を出しながらラウドは船を動かしていく。船を見送ってからシンとエドナは洋上に目を凝らした。海竜は近づいてきており、本気で一直線に泳げば1分とかからずに港に到達するだろう。
海竜は長い首をのたうち回らせている。海竜が尾を打つのが見えたが、同時にずんぐりとした魚のようなシルエットが宙に舞うのが見えた。
「ウォントの群だ」
シンは言うと、ラウドが船を避難させた方向を見た。すると、なんとラウドが今度はジェット式の小舟に乗って単身で戻ってくる。どうやら同じものを見たらしい。
「ウォントだ!シン、逸らすぞ!」
ウォントは海洋に住む、魚にトカゲの四肢を生やしたような雑食性の魔物である。水中では魚に匹敵するほど素早く泳ぐが、更に陸上でも速くはないが後ろ足で2足歩行をすることができる。魔物の中では比較的知能が高く、槍などの武器を持つことがある。普段は魚食性だが、餌が減ると集団で大型生物を襲う。
この状態のウォントは非常に狂暴なので、街に上陸しようものならばどれだけの人を襲うか知れたものではない。それを危惧したラウドは自らの小舟で海竜の進路を街から逸らそうというのだ。
海上で船が海竜の襲撃を受ける事件はしばしば発生するため、ほとんどの船乗りは近年開発された海竜避けの笛を持っている。海竜はウォントより遥かに巨大なため、上陸してウォントを潰そうとしているようだ。
ラウドが笛を吹き鳴らす。すると、海竜が弾かれたように進路を約90度変え、街の端の空き倉庫の方へと向かっていった。
ラウドはシンに向かって手を挙げ、海竜とは反対の方向に船を走らせて行った。後は任せた、という合図だろう。港に駆けつけていた街の衛兵たちが空き倉庫に向かっていくのが見える。海竜から離れて上陸したウォントを一匹でも市民に接触させるわけにはいかない。シンとエドナも空き倉庫へ向かった。
空き倉庫では既に衛兵たちが戦っている。一匹のウォントが衛兵の死角から槍を突き立てようとしたところを、シンが薙ぎ払う。衛兵たちがウォントを掃討しているのを、シンとエドナがサポートする。海竜は陸に乗り上がったところで力尽きて絶命し、目立った怪我人も出なかった。ウォントを掃討した後には、衛兵たちが集まってきた商人達と協力して利用できそうな素材を集めていた。
船を置いてきたラウドが街の方から駆けてくる。ほとぼりが収まった様子に気づいたのか、満面の笑みでシンに向かう。
シンがラウドの方に向き直った時、倉庫の影からウォントの生き残りが飛び出し、持っていた槍をラウドに向けて放つ。ラウドは体をよじって避けたが槍が足首を掠め、転倒する。すかさずウォントが地面に両手を突き、禍々しい低い声を発し始めた。不気味な青白い光が揺らめきながらウォントの周囲を踊る。詠唱で術式を組んでいるのだ。知能の高い魔物は術式を使う。
魔物の研究によってどの種類の魔物がどの術式を使うかはよく知られているが、ウォントは複数の水の槍で相手を射抜くアクアランサーを使う。非常に危険な攻撃術式だ。
シンは抜刀の構えで体制を低くし、全力でウォントに向かって走る。シンよりもラウドの近くにはエドナがいたが、離れて詠唱をしているウォントまでには距離がありすぎる。エドナはラウドとウォントの間に入り、ラウドを庇う体制をとる。
最悪の状況だ。エドナにはウォントの術式に関する知識が無い。貫通性のアクアランサーではいくらエドナがラウドを庇おうと、二人とも術式の餌食になり、最悪の場合命を落とす。
シンは焦り全力で駆けるが、ウォントは術式を組み終え、エドナとラウドを見据える。ウォントの周りで揺らめいていた青い光が一斉に統率されたように渦巻き、その渦の中央から鋭い水槍が顔を出す。
確実に間に合わない。シンは立ち止まり、意を決して真剣な面持ちでウォントを見据え、鋭く短い一声を発した。
エドナはつむっていた目をゆっくりと開けた。ラウドを庇っているままの体制だ。生き残りのウォントが詠唱を開始するのを見て、どのような術式が発動するのか見当がつかなかったが、手負いのラウドを無我夢中で庇ったのだ。だが、衝撃は来なかった。
シンがウォントに突っ込んでいくのが見えていた。ウォントを術式発動前に倒したのだろうか、距離がありすぎるように見えていたが。騒ぎを聞きつけた衛兵たちが駆けつけてくる、鎧の金属音が聞こえる。よかった。この生き残りのウォントによって誰かが命を落とすことは無かった。
目を開けきると、先ほどまで詠唱をしていたウォントがいた位置が水たまりになっていた。発動しかけた術式で集約された水がその場に落ちたものと、切られたウォントの血が混じった、赤い水たまり。だが、そこに横たわっているはずのウォントの体が見当たらない。代わりに、無数の肉片が散らばっている。
明らかに剣による死骸ではない。エドナはシンがいた方向を見る。衛兵が来るのとは逆の方向だ。エドナは目の前の光景に目を見張り、同時に弾かれるように走り出した。シンがうずくまるように地面に倒れている。
距離は50メートルほどだが、駆け寄るあいだにどんどん血の気が引いていくのを感じる。何が起こったのか、シンが何をしたのか皆目見当がつかないが、シンの状態が普通でないことは確かだ。
「シン様!」
駆け寄って声をかけるが、全く反応が無い。エドナは医療に明るくないが、シンの呼吸が異様に細いことはわかった。エドナは頭が真っ白になりそうになったが首を振って何とか堪えた。
「エドナ!」
ロゼリアが呼びかけながら駆けてくる。騒ぎを聞きつけたのだろう。
「ロゼリアさん!」
エドナはすがるように振り返る。
今来たばかりのはずだがロゼリアはエドナより状況を飲み込んでいるようだ。ウォントの死骸を見ないままに横たわるシンを急いで担ぎ上げ、駆けだした。自分と同じくらいの身長の男性を担いでいるとは思えない速さで走るロゼリアを、エドナは必死で追いかけた。
読んでいただいてありがとうございます。
プロフィールというものを初めて編集しました。